少し、ズレていた
新聞配達の音ってあるじゃん。
明け方になるとさ、静まり返った町にブロロロってバイクの音があって、だんだんと音が近付いて来たと思ったら、郵便受けがガチャっと上がってバイクが遠ざかって行く……みたいな。
つい夜更かししてしまった日は、その音を聞いて焦り始めるんだよな。ああもうこんな時間か、明日の仕事なのに……いや、もう明日というか今日だ、もう数時間後だ……って。
これは社会人になって五年目の夏。
その日、夜更かしし過ぎて焦った俺は、寝よう寝ようと焦りながら、ベッドの上で新聞配達の音を知覚したんだ。
バイクの音を聞いてガックリと項垂れた。そうして今度は焦り始めて、眠れないことに対してイライラが募り始めて来る。
(クソっあのアニメを一気観なんてしなければ! ……というか待てよ、もうそんな時間か? 俺の体感ではまだ……)
……なんて思い思い、妙な違和感に顔を上げた俺は、闇に瞳の慣れた室内で、壁に掛けた古めかしいアナログ時計を見上げた。
(あれ……二時半だ)
普段うちに新聞配達が来るのは四時半位だった筈だ。明らかに、どう考えても早い。なんて思って時計を凝視していると、俺はある事に気が付いて嘆息をした。
「なんで止まってんだよ……」
よく見ると、時計の針が二時二十六分の所で静止してしまっているのに気付いた。普段音を立てている秒針が静まり返っているのもその証拠だ。
……つまり、今が何時だか俺にはわからなかった。
枕元で充電したままのスマホに手を伸ばす。あのブルーライトに目を照らされれば、眠気がさらにと遠退いてしまうとわかっていたから、俺は不機嫌に顔をしかめたまま、充電コードを引き抜き、慣れた手付きで電源を付けて、一瞬で画面にデカデカと表示された時間を読み取って枕に顔を埋めた。
(ん…………?)
するとまたもやそこで違和感に気付いた。
(二時二十六分……?)
止まった時計と同じ時間を示している。でもそんな筈は無かったから、すぐにまた俺はスマホを確認した。
「なんだよこれ……」
時刻はやはり二時二十六分を表示していた。それに電波障害で一瞬だけそう表示されているのでも無さそうだ。
訳がわからなくなった俺は立ち上がって、なんとなく締め切ったカーテンを開けた。
なんでそんな事をしたのかといえば、俺の部屋から見えるあの山並みの向こう側に、朝日が上ってきているのでも見えたら、今の大まかな時間がわかるとそう思ったらからだった。
「――は、……っあ…………??」
俺がそこに見たのは窓いっぱいに密着した能面の様な巨人の顔だった。
まるで血の通っていない白の肌。そこに二つあった大きな裂け目の所から、黒い眼球がジッと俺を見つめて、一度瞬きをした。
――次に気付いたのは、本当の新聞配達の音を聞いた時だった。
さっきの光景を思い出し、鳥肌立てて飛び起きた俺は、竦んだ視線を周囲に配りながら、やがて理解した。
「なんだ……夢か」
壁に立て掛けられた時計から、カチカチと秒針を刻む音がする。昨日のあのおぞましい光景は、眠れない眠れないと思っているうちに眠っていた俺の見た夢だったのだ。
安堵した俺は、壁に掛けたアナログの時計から時刻を読み取った。
――四時四十六分。
(……まだ眠れるな)
そう思って枕元を見下ろしてみると、スマホに繋いであった筈の充電コードが抜けているのに気付いて、また差し直した。
……すると、画面に表示された時刻が見えた。
――五時五分。
「は??」
スマホに表示される時刻は電波を介しているので正確である。
壁に掛けたアナログの時計を、几帳面な俺はピタリと一致する様にセットしていた……それは昨晩寝る前にも確認した……した筈なのに。
そこに表示された時刻は、まるで少しの間止まっていたかの様に、世の中の時間と、少し、ズレていた。