どろんどろん
出逢う人出逢う人に『何か奇妙な体験は無いか?』等と聞いて回っていると、何やら珍妙な輩であると思われる以上に、私の耳にはよく、この単語が飛び込んで来る。
――――『金縛り』
良くある話しといえばそうであり、過度な疲労によって身体は眠っているのに、意識は半覚醒のまどろみの中にある……と医学的にも解明された上記の現象であるのだが……
何やら一際に妙な話しを一つ聞いたので、ここで紹介しよう。
*
これはその体験をしたGさんでは無く、彼女の友人のYさんから聞いた話である。
Gさんは、中学2年生の夏の夜半より、かなり頻回な金縛りに遭遇する体質になってしまったそうな。
初めての金縛りの事は今より十年以上前であるのだが、余程衝撃的であったのか良く憶えているそうで、聞くとエアコンの壊れた日に家族5人で居間で眠っていると、夜半に目が覚めたかと思いきや体が動かなかったとか。
Gさんが金縛りに合う時には、決まって耳の背後よりマイクがハウリングするかの様なけたたましい騒音が鳴り響いているらしい。
迷惑極まりない現象を発症したその日、彼女は居間より庭へと続いた大きなスライドガラスに、暗黒の夜をかき消していくオレンジ色の空を見た。
――それだけであったのならばまだ良かったのだが、彼女はその庭先に、全身をどろんどろんに溶かした真っ白い生命体を目撃したらしい。
閉じようとしても瞼は降りず、起きようと思っても体は動かない。隣で川の字になって寝ている家族は寝息を立てている……
そんな状況に置かれた彼女は、ただどうする事も出来ずに、身体の細部を溶かされたまま、何やら人間らしい衣服を纏ったソイツを眺める事しか出来なかったのだとか。
――Gさんの記憶はそこで途切れ、次の瞬間には朝となっていたらしい。
しかし彼女の永き悪夢にとって、それはあくまで序章にしか過ぎなかった。
Gさんはその日より、時と場所を変えようと週に2度程金縛りに遭遇する様になった。
それらは決まって後頭部のハウリングの様な耳鳴りに始まり、瞼を閉じる事も出来ずにしばらく続くらしい。ただ真っ暗闇で経過する事もままあるが、大抵の場合はソイツが現れて、爛れた皮膚でGさんに寄って来ては、興味深そうに間近より眺めたり、体を小突いたりしてくるらしい。
一度夢かとも思ったが、友人の車の助手席で金縛りにあったGさんは、その時鮮明に聴こえていたテレビの内容を、覚醒後に友人に確かめたらしい。するとやはり、彼女の言った通りの番組とその内容を友人を観ていたとの事なのである。
だがGさんに転機が訪れたのは、それより二年後の高校一年生の冬の日だったらしい。
その現象にほとほと悩んだ彼女は、ネットで金縛りについて調べてみたらしい。するとそこには、金縛りは医学的に解明された半覚醒状態の夢の状態であるとの事を目にしたそうな。
元来影響されやすかったGさんはその情報を鵜呑みにし、それ以後は金縛りに合ってもソイツは現れず、自分の恐怖心が産み出した幻影に過ぎないのだと信じ込むと怖くも無くなって来て、段々と遭遇する機会が減って……週に一度、2週に一度、月に一度……という段階まで来て、その時にはもう金縛りの事も特段恐れなくなっていたらしい。
そんな風にして金縛りの頻度はどんどんと伸びていき、ソイツの姿形さえもがおぼろげとなった大学三年生の夏――
Gさんはまた金縛りに合う事となる。
夏の寝苦しい夜を、彼女は自室のベッドで眠っていた。すると夜半にパチリと目が覚め、体が動かないと思う頃には、耳の後ろよりハウリングが始まっていた。
――あ、久しぶりに来るかも。
と感じたGさん。金縛りに合う時には、不思議と視点が天井からの俯瞰に変わったりする時があるらしいのだが、その時は正にそのパターンであったらしい。
身動きも取れぬ暗い自室にて、既に暗黒に馴れた視界にはソイツが映し出された。
存在も忘れ掛けたソイツが金縛りという自分の夢に出てくる事に、不思議と恐怖では無く腹立たしさを感じたGさんであったが、やはり身動きが取れず瞼は閉じられない。
気の大きくなった彼女は、今更になってソイツが何なのかという事に疑問を持ち始めた。金縛りにみる光景が半覚醒状態の夢であるというのなら、姿も忘れたソイツが現れるのはおかしいでは無いかと、そう思うと、Gさんはまた少し怖くなって来たそうな……
ベッドに寝そべった視点へと戻った彼女。閉じる事も出来無い視線で、覆い被さる様にして覗き込んでくるソイツを、ジッと観察してみた。
今まで幾度と無くソイツを目撃してきたGさんであったが、こうまじまじの見つめるのは始めてで、ソイツの息遣いや、のっぺらぼうの様に消え去った顔のパーツ、そして何より、ソイツの着た衣服に気が付く事がある。
何故だか分からないが、ソイツはGさんの最近購入した衣服を着ているらしい。
――何故? と思うしか無かった。
そして次の瞬間、ソイツは跡形もなく消え去って、Gさんは金縛りより解放される。
恐怖に滲んだ脂汗を拭う事も忘れて彼女は立ち上がり、隣の部屋で眠る母の寝室へと飛び込もうと、自室のドアノブを捻って扉を開け放つ。
――しかし次の瞬間に、Gさんはソイツの溶け落ちた手に引きずられてベッドへと引き戻されていた。
その時は大層驚いたそうだが、穴が空く程に自分を眺め尽くしたソイツは、程無くするとまた消え去る。そして体の自由が効くようになると、Gさんはまた同じ様に自室のドアノブを捻る。
――だが、また同じ様にベッドへと引き摺り戻される。
その都度、夢であるかの様な錯覚をする不可思議な現象は夜中繰り返され、Gさんは永遠の時の牢獄へと閉じ込められたかの様な心持ちとなった。
それからGさんは、昔と同じ様に頻回に金縛りに遭遇する様になったとか……
また、その内容は過激極まり、ほとんど不眠で学校に投稿して来る彼女は、日毎にやつれていったらしい。頻回に金縛りに合う実家が原因かと思い、一人でアパート暮らしも始めてみたが無駄であったのだとか。
エスカレートしていく金縛りはどうなったのか、ソイツが何故Gさんに付き纏い、どんな行動を取る様になったのか……
興味はそこに尽きないが、Gさんの体験談はここにて終わる。
何故?
そう思うだろうが、Gさんよりそんな相談を仕切りに受けていたYさんが次に語った言葉で、私は取り付く島もないままに、それ以上の質問をする事が出来なくなってしまった。
――Gさんは数ヶ月前に大学を辞めて音信不通となり、つい先日自宅のアパートで遺体となって発見されたと……
噂に聞くと彼女は、自宅の浴槽で手首を切ったまま、数ヶ月もの間夏の炎天下に放置され
――発見された頃には、どろんどろんの白い液状と変わっていたらしい。
不思議な事に衣服を身に着けたまま、Gさんは浴槽の中で、どろどろになって亡くなっていたとの事だった。