4.異世界のエビがこんなに怖いわけがない
赤錆び色の怪物が複数、僕の目の前に現れた。
彼らは口から泡を出しながら黒い瞳を細め、辺りの様子を伺っている。
やばい、やばいやばいやばいやばいやばい。
完全に慢心していた。現実世界に似ているとはいえ、ここは異世界。
モンスターがいるのが常識の世界なのだ。
……その覚悟はしていたはずだが。
実際目の当たりにすると全身が震え足がすくんでしまっていた。
僕は何とか物陰に身を隠し、乱れる呼吸を抑えSSSに助けを求める。
「何あれ……」
≪解、あれは異世海老。この世界のモンスターの一種です。危険度は2。凶暴な性格で怪力、体表のキチン質が突然変異により硬質化した甲殻は拳銃を弾く程、強靭です。それに口から吹く泡にはテトロドトキシン系の毒性があります≫
「てとろ……?何だって?」
≪テトロドトキシンの中毒症状の説明。初期症状は口唇及び舌先の軽い痺れ、しばらくして頭痛や腹痛を伴う。末期になると完全運動麻痺や言語障害に陥る。ヒトの経口摂取による致死量は約1~2mg。どうかお気を付けて≫
いやいや、お気を付けてと言われても。
一際大きいサイズのエビの1匹が手を上げ、仲間に合図を出す。
すると他のエビ達は分隊し、ハサミを振り回し町人達を襲い始めた。
「う、うわあああああ!」
僕は叫びながら必死にその場から逃げ出す。
今の僕のポイントは0(ゼロ)だ。
もちろんスキルなんて一つも持っていない。
対抗できる策が無い以上逃げるしか手は無い。
だがしかし、
僕は思わず足を止めてしまった。
目の前で、先ほど自分に道を教えてくれたおじさんが襲われていた。首を掴まれ、苦しそうにもがいている。
……逃げるのかって?
当然だ。
こんな状況どうしようもないじゃないか。
後、数分もすれば他のネームドがやってきて、難なくモンスターを倒してくれるだろう。
現状何の力も無い僕が出張る理由なんか無いはずだ。
「た、たすけてくれ……誰か……!」
……だが救援を待っていれば、きっとおじさんは助けられないだろう。
人が死ぬのを黙って見ていろと?
僕は愚かにもそんな事は出来なかった。
民衆はただただ起こった危機に混乱している。襲われている人など誰も見ていない。
今の状況で彼の命を救える可能性があるのは、僕だけだ。
僕は震える足を抑え、エビの前に立ちはだかる決意をした。
「SSS! ネームドになった初回特典的なものはないのか! 何でも良い! モンスターに対抗できるスキルを寄越せ!」
そうだ、せっかく異世界に来たんだ。
スキルのひとつやふたつ貰ってもいいだろう。
異世界に来た人間はソシャゲの初回ガチャのように特殊な能力を悠々と手に入れられるものだ。
それが常識だとどこかで聞いたことがある。
≪はい、ネームドは名前を手に入れた時に一度だけ自身の位相領域や本人の性質等から算出され作られる固有のマジックスキルを手に入れられます。すぐに使用権を行使しますか?≫
「言っている意味はよく分からんがそれだ! 使う使う!」
……そういうのがあるならあるとさっさと言って欲しかったが、機械ってのはどうも融通がきかないものである。
まあいい、この状況を打破できるのなら文句は言わない。
≪了解、当人物の基本データベースを作成。……制作完了。直ちにスキルシミュレートを開始します。画面を指でなぞってください≫
僕がスワイプした瞬間!
スマホが光り輝き、僕の真の能力が今!
発揮される!
くらえ、僕の最強の力……!
≪そのコマンドは実行できませんでした≫
………ん?
しかし何も起こらない。
エビ達は僕の事など気にもせず通りがかった住民の荷物を奪い、おじさんの顔はどんどん青ざめている。
「おいいいいい! ふざけんな! これじゃあただの恥ずかしい奴じゃないか! どうなってんだSSS!」
≪予期せぬエラーが発生。再試行します……。春野カオスのデータへアクセス……エラー。エラー状況を確認致します。データベースの破損を確認。状態を復旧するためスキルデータを再演算、再構成いたします。……エラー。位相領域のデフォルトレベルを確認……エラー。アクセス不能。……アプリの計算式に不具合が発生。本アプリを強制終了いたします≫
SSSが謎の呪文を吐くと、ぶつりとスマホの画面が消えてしまった。電源を押してもぴくりとも動かない。
どうやら電力の使い過ぎで充電が切れてしまったようだ。
「……くそっ!」
僕がやけくそになりスマホを投げ捨てると、見事にエビの顔面に命中した。
「あっ」
エビはおじさんを投げ捨て、即座に僕の襟首をつかみ上げてきた。おじさんは僕の方をちらっと見て、その場から逃げていく。そうだ、それが正解だ。
……良かった、どうやら彼を助けることが出来た。
僕は首を絞められながら、その光景を眺める。
「うっ!げほっげほっ!」
エビの口から泡が発せられ、それが顔面を襲う。
そのまま僕は地面に叩き付けられた。全身に悪寒が走り、すぐに身動きが取れなくなる。
……ああ、確か泡は毒とか言ってたっけ。
息が詰まり声も出せず、意識がどんどん遠のいていくのを感じる。
苦しい……ああ、僕はここで死ぬのか。
この異世界で誰にも認知されないまま、ただのモブとして犠牲になる運命なのか。
これが異世界に転生しても特殊能力を貰えなかった一般人の限界なのか。
……やっぱり僕はチート主人公なんて柄じゃないよな。
……ごめん、ライア。
無力な僕じゃ君を助けられそうに無い。
先立つ不孝をどうか許してくれ。
さようなら、ライア。
………ライア?
焦燥感を貫く、ひどく懐かしい感覚。
僕はかすかに彼女の気配を感じ取っていた。
……これは、いわゆる走馬灯という奴だろうか?
≪再起動完了。春野カオスのデータベースへアクセス。……エラー。位相……エラー。……遘√?縺薙%縺ォ縺?k春野。蠢??縺励↑縺?〒……エラー。縺?▽縺ァ繧りヲ句ョ医▲縺ヲ縺?k縺九iカオス≫
≪測定不能≫
世界が光を失っていく。
僕はそのまま意識を失った。
「……………」
目を覚まし真っ先に見えたのは白い天井だった。
カーテンの隙間から漏れる朝日が眩しい。
……どうやら僕は生きてるみたいだ。
外からの救急車のサイレンの音が耳に届き、アルコールの匂いが鼻を刺激する。
……また病院か。
人生でこんなに病院に赴いたのは生まれて初めてかもしれない。
「目を覚ましたか、春野カオス。……もう朝方だぞ」
僕は眼鏡をかけ、声のした方向を確認する。
部屋の隅で男が腕を組み、立っていた。
僕より少し背が低いくらいの中肉中背。
髪をワックスで尖らせた目つきの悪い、使い古されたジャージを着た男がこちらを睨みつけていた。
「君は……誰?」
「……もしかして何も覚えていないのか?」
「ごめん、そうみたいなんだ。いわゆる記憶喪失って奴で」
僕は罰悪く、彼に言った。目の前の目つきの悪い少年は頭を掻きながら、ぶっきらぼうに自己紹介する。
「俺は藤宮亜久仁。ネームドだ。……元居た世界では、ライアと同じ学校にいた」
なんだかライアと知り合いっぽいぞ。
僕の事も知っているみたいだし、友人だったのだろうか?
……その割には何だか余所余所しいというか刺々しい印象を受ける。
というか今、元居た世界って言ったよな?
どうやらアグニは市民たちと違って【異世界】という概念を知っているみたいだ。
つまり彼は消した張本人かその関係者の可能性が高い。
……正直、今の状況でこの事をこれ以上詮索する事は悪手だと思う。
仮に彼が黒幕で異世界を知っている人間がいるのが都合が悪いと言うのであれば最悪この場で消されかねない。
エビに襲われた感触を思い出し僕は身震いする。
ここは元居た世界と酷似こそしているが、現実世界と命の価値観が違う。
それを先ほど思い知らされた。
……だがこの話題は避けて通れないだろう。
僕は決死の覚悟でライアの事をアグニに問う。
「僕はライアを、高山ライアを探しにやってきたんだ」
「……ライアと出会ってどうするつもりだ」
意外とあっけなく、ライアの事をアグニは知っていた。
彼はどういった存在だったのだろう?
僕が覚えていないだけで、アグニは僕やライアにとって大事な友人だったのかもしれない。
……素直に答えた人間相手に嘘をつく理由は無い。
彼が僕の友人であったことに賭け、率直に目的を話すことにした。
「もちろん、元の世界に連れて帰る。君だって元の世界の家族や友人がいるだろう?良ければ一緒に元の世界に帰るのを協力してくれ……」
そう言った瞬間、僕はアグニに胸倉を掴まれた。
「ライアを元の世界に帰らせるだと……!? それがどういうことか分かっているのか!」
予想外の反応に僕は思わず驚いた。
「ちょっ何で突然キレるのさ!? 僕、怪我人! 怪我人だから! とにかく落ち着けって!」
アグニは僕を突き飛ばし、ベッドに戻した。
短気な彼は大きく息を吐き、怒りを押し殺す。
「すまん。………いきなり悪かった」
全く、何なんだ一体……。
僕は目の前の情緒不安定な少年を睨みながら、乱れた病衣を整える。
「忠告しておく。ライアには決して近づくな。ましてやライアを連れ戻そうだなんて考えるな」
アグニはこちらに振り向くことなく、部屋から出ていこうと歩き始めていた。
……ライアに近づくなだと?
それこそ決して無理だ。
「ちょっと待て、藤宮アグニ」
「……何だ、もう用は無い」
僕は出会って数分で彼の事が嫌いになった。
非常に気に食わない男だ。
……気に食わないが、僕はどうやらあの場で助けてもらったみたいなので先程の礼を彼に言うことにする。
「……さっきは助けてくれてありがとう、エビを倒してくれたのは君なんだろ?」
「ふん、感謝される覚えは無い。俺は忌まわしいエビ共を倒す為、討伐クエストに駆け付けただけだ。それに俺が来る頃には全てが終わっていた。……お前の力によってな」
……僕がエビを倒した?いつの間に?
やっぱりSSSの言っていた僕のスキルは発動していたのだろうか?
「……窓の外を見てみろ。それが答えだ」
そう言い、アグニは去っていった。
「何なんだアイツ……」
ああいう態度がカッコイイとでも思ってんのかね?
あーヤダヤダ。人間、素直なのが一番ですよ本当。
僕みたいにね。
……僕は彼に言われたとおりに外を確認する為、ベッドから立ち上がりカーテンを開いた。
「え?」
数百メートルに及ぶ瓦礫の山。
朝方から救急車やパトカーがサイレンをけたたましく鳴り響かせ、活動している。
警察官が野次馬を制止させ、救急隊員が人混みを通り抜けながら次々と怪我人を運んでいた。
「これを……僕が?」
驚きを隠せなかった。
街の一部分は何かを中心に吸い込まれたかのように綺麗に削り取られていたからだ。