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来し方行く末

作者: 碧威

 段取り全ての確認を終えて、後は皆が来るのを待つだけとなった頃、クニさんが声をかけてきた。

「いよいよだな、今年も」

「はい。またこうして、集まることができると思うと…とてもうれしいです」

この地、出雲のとある場所では、毎年十一月になると、クニさんが宴を開く。正確にいえば、神職の人達がお祭りをするから、僕らは誰にも気付かれずに便乗して、無礼講と洒落込む。なんて、クニさんの毎度の口癖だ。

「誰が一番に来ると思いますか?」

あの方だろうなと思いながらも、訊かずにはいられない。クニさんも分かっていて、答えずにはいられないみたいだ。楽しさが滲み出た表情で返してくれた。

「きっと、あの方だろう。ほら、もう東雲が見えるぞ。そろそろ来るのではないか?」

「じゃあ、そろそろ玄関で待ちますね。ここのところ、晴れていませんでしたが…大丈夫でしょうか」

「あの方に訊いてみるといい。来たようだ」

慌てて玄関に向かったら、あの方―――ヌシさんが、柔らかい笑みを浮かべていた。

「すいません、クニさんと話していて。今年もおかえりなさい、ヌシさん」

「ただいま。その様子だと、今年もちゃーんと、僕が一番乗りだろうね?」

もちろんだ。何度も受付をしてきたけれど、あなたが一番でなかったことは一度もない。

「近頃、晴れていませんでしたが…何かあったんですか?」

さすがに杞憂だと思いつつも、確かめるのは僕のお役目だ。意外にも、ヌシさんは眉を下げて答えた。

「それがねえ…。あのクモちゃんがたくさん雲を出すから、日差しが弱くなってしまってねえ。まったく、困っちゃうよ」

「あれ、じゃあ、太陽は元気なんですか?」

「あの方はまだ元気さ。元気すぎて、そっちも困っちゃうね」

今度はあまり困っていない声色で、笑いながら言う。長いこと一緒にいるけれど、未だに彼の調子が掴めない。そろそろヌシさんを大広間に通そうかなと思ったら、玄関の戸が開いた。おっと、お二方まで困った顔だ。

「やはりもう着いていたのか。まったく、先に行きたいのなら、一緒に行くかと誘わないでくれ」

「もう、ヌシは何でそんなに先に行きたがるの?はぐれたかと思ったでしょ」

ナリさんと、カミさんだ。皆、仲がいいから、一緒に来ていない方が不思議だったけれど。なるほど、置いてけぼりですか。

「だって、皆より先に来なければ、神の中心として、示しがつかないだろう?」

無礼講だって、いつも言っているのになあ。せめて日の出くらいでいいと思うのだけれど、この方は太陽よりもよっぽど早起きだ。

 ヌシさん達を大広間に案内して、玄関に戻ってから、少し経った彼者誰時に戸が開いた。

「ココロさん!おかえりなさい」

「ただいま。…やっぱりいいな、こうやって、やり取りできる場所があるのは」

名前通り、彼は心のかたまりだ。表情がくるくる変わる。辺りをよく見回すのも彼の癖だ。

「何だかもう騒がしいな。もしかして、今年もヌシが一番乗りか?」

「お察しの通りです。ヌシさんにナリさんとカミさん、お決まりの方々ですよ」

「ああ…あれ、アメはまだ来ていないのか」

そういえば、いつもココロさんよりアメさんの方が早かったっけ。どうしたのかな…?

「ま、大方クモのところだろうな。んじゃ、ヌシ達に挨拶と行きますか。お前も後で話そうな」

「はい!楽しみにしていますね」

そうして、ココロさんも大広間に…入る瞬間、引き込まれたように見えた。あれはカミさんの腕かな。どうやら、もう誰かが酔っているらしい。

 空が払暁の姿を見せた頃、静かに開いた戸から、アメさんが現れた。

「おかえりなさい、アメさん。お加減いかがですか」

「ただいま。君が思うほど悪くはないですよ。ただ、僕はこの後、ヌシとも話さなければならないみたいでね」

ヌシさんとも、ってことは、やっぱりクモさんのところに行っていたのかな。毎年ではないけれど、数年に一度は、空模様が悩ましくなることがある。そのことで、ヌシさんとクモさんが言い争いになると、いつもアメさんが仲裁に入るんだ。

「もうほとんど集まってしまったのですか?」

「ヌシさん達や、ココロさんが来ています。まだ来ていないのは…クモさんや、ヤマさん達でしょうか」

ヤマ達はいつも遅いですからねと、おかしそうにアメさんが微笑む。そして、口元は笑いながら、困った顔をした。皆、困ってばかりだな。

「ヌシは僕が説得するから、クモが来たら、少し、話をしてあげてくれますか?君となら、きっと話してくれるだろうから」

そんなに機嫌が悪いのかと訊いたら、危うく今日まで雨が降るところだったと言われた。お祭りや宴があるこの数日は、皆が一堂に会する機会だから、故意に雨を降らせてはいけないという決まりがある。もっとも、それを決めたのはヌシさんだから、クモさんが破っても仕方のないことだ。

 アメさんは大広間に入りかけて、誰かの腕に引き込まれた。彼にそんなことをするのは、クニさんくらいだろうな。

 日が綺麗に出てからやって来たのは、案の定不機嫌そうな顔をしているクモさんだった。

「おかえりなさい、クモさん…」

「ただいま。あんたがそんな態度ってことは、もうヌシとアメが話してるってわけね。言っとくけど別に、怒っちゃいないわ」

どう見ても怒っているでしょう…と言いかけたら、遮られた。この方は本当に、話をよく遮ってくる。雲だからとでもいうのか。

「現に晴れたでしょ、今日。大体雨が降るのだって、ヌシのところが熱くなるからであって…。私のせいじゃないんだから」

「そういえばヌシさん、言っていました。太陽は元気だって」

「でしょ?その辺、アメが説明してるのかしら。とりあえず、酒よ酒!今年もちゃんと用意してるんでしょうね?」

去年よりもたくさん用意したけれど、既に呑んでいる方がいるみたいだから、大丈夫かな…?ヤマさん達は夜になってから来るだろうし、少しくらいなら、離れても大丈夫だろう。お酒、出してこよう。

 出したたくさんのお酒を、大広間にいたクニさんに任せた。ヌシさんは大分酔っていたし、それよりひどいのがクモさんだった。いつものように、絡み酒から入ったみたいで。お前は受付だと玄関に戻された黄昏時、戸が開いた。…えっ?

「イカヅチさん…!おかえりなさい…というか、お久しぶりですね!」

腰に刀を佩いて、僕の出迎えに驚いてピリッと電流を走らせたのは、イカヅチさんだ。去年も一昨年も来ていなかったのに、彼。

「すまないな…。俺が来ると、空が荒れるんじゃないかと心配で…決心がつかなかった」

「そんな…ヌシさんかクモさんに言えば、その辺りはうまく取り計らってくれると…」

あっ。そこまで言って気付いたのは、彼がそう容易く、お二方に会えないことだった。

「すいません、イカヅチさん…僕が手を回しておけばよかった」

「いや、いいんだ。近くまで来たところで、アメさんに会ってな。君の力を抑えるくらいなら、僕にもできると微笑まれた」

アメさんらしいや。それで来るのが遅れたのか。しかしそれでも来るのを迷って、やっと足を踏み出した頃にはもう、夕日が差していたそうだ。刀も持てるくらい強い方なんだから、彼はもう少し胸を張っていいと思う。ほらほら、窓から空を見ている場合じゃないですよ。

 宴の開始まであと少しとなった宵、がやがやと賑やかな話し声混じりに、戸が開いた。

「おう、元気にしてたか!」

「ホムラさんただいま参上―!」

「ウミも参上―!たっだいま―!」

「おかえりなさい、ヤマさん、ホムラさん、ウミさん。僕も変わらず、元気ですよ!」

お三方は、いつもこうして元気いっぱいにやって来て、誰彼構わず絡んでは、楽しく帰って行く。一種の名物だと、クニさんが茶化していた。

「ていうか、もう始まっちゃう?」

「だから早く行こうって言ったのによ!あっおい、ホムラ!待てっての!」

ホムラさんが返事もせずに、大広間にすっ飛んで行った。きっとあの後、イカヅチさんを見て固まった彼に、ヤマさんが突っ込む。残されたウミさんも笑いながら続いた。本当に、元気な方達だ。

 さてと、そろそろ面子は揃ったかな。今年も、出雲はとある古き家で、神々による宴、始まりますよ!


 僕が席に着いた途端、酔い潰れていたらしいクモさんが、すぐ横で起き上がった。机を挟んで向かいには、アメさんとクニさんが並んで座っている。

「あー、よく寝た」

「相変わらず、すぐ呑んですぐ寝るな。笊なのか下戸なのか分からん」

クモさんの場合、酔って寝ているのか分からないからな…。そしてまた、彼女は呑み始めた。この呑みっぷりだと、終わる頃には例年同様、絡み酒の犠牲者が多く出そうだ。

「結局、ヌシさんと話はついたのか?」

そう言いながら、慣れた手つきで酌をするクニさん。隣にいるアメさんが、笑って答えた。

「もちろん、つきましたよ。天気が荒れるのは太陽のせい…というのは、彼にとって、認めたくないことなのでしょうけれど」

「日の心を授かる存在だとしても、日を操ることはできないからな。ヌシさんもあれで、うまく折り合いをつけているのだろう」

そうですねと微笑みながら、お猪口を口元に運ぶアメさんは、人の言葉でいえば、天を掌る神だ。彼のいる天というのは宇宙のことで、あの方の光が、しっかりと地球に届くように支えている、柱のようなものだと、いつかヌシさんが言っていた。

「でもさあ、ヌシがあそこまで認めないってことは、やっぱり太陽が危ないんじゃないの?元気ってことは、そうでしょ?」

どういう意味だろう。元気なら、それでいいんじゃないのかな。不思議そうな顔をしていた僕に、アメさんが教えてくれた。

「太陽に限らず、星は爆発して消えますからね。ヌシの言う通り、元気なのだとすれば、爆発に向けて、熱が上がっているのかもしれませんね」

そうか。ってことはヌシさん、太陽が元気って言ったの、強がりだったの?

「そうなると、私でも抑え切れないわね。どっちにせよ雲なんて、上か下かが壊れれば、必要なくなるけどさ~」

雲を掌る神としてクモさんは、地上に強い光が差し込まないように、太陽の光を調整したり、熱を遮るための雨を降らせたりしている。でも、太陽自身の光や熱の方が強ければ、うまく抑えられなくなる。それがあのウミさんに影響して、クモさんまで荒れてしまうというわけだ。

「そんなことをお言いでないよ、クモ。君も空を統べるものの一柱なのだから」

アメさんの目が鋭くなった。空を統べるものである神には、日の心を授かるヌシさんと、天を掌るアメさん、雲を掌るクモさん。後は、ナリさんとカミさんも含まれる。

 クモさんはアメさんを怒らせたくないようで、クニさんに話題を丸投げした。受けて、彼が頷く。

「分かってるわよ。それに、一番危ないのはあんたのところね、クニ」

「ああ。太陽を中心とするこの地で、中心が崩れようものなら…私も無事では済むまい」

具体的にいえば、人が災害と呼ぶ自然現象の多発だ。僕はずっと、彼のそばで世界を見て来たけれど、明らかに人が原因で起こる災害が増えている。このままそれが続けば、どうなるのか、被害は計り知れない。

「太陽からも人からも、力がかかる…前にもあったわね、そんな話」

「ああ、国生みの話ですね」

お三方が共通して話せるといえば、真っ先にこの話が挙がる。元々不安定だったこの地を固めたのは、ココロさんとヌシさんだ。

「シという音はこころ、マという音は、触れるという意味を表していましてね。島というのは、こころが触れる、触れ合う場所なのだと、ヌシが言っていました。初めにできた島で新しい島を作ろうとしたら、天気が荒れてできなかった、なんてこともありましたね」

その島に、日が流れるという意味の音をヌシさんは名付けた。そしてもう一度、心を合わせようとしたのだけれど、結局、仲直りできなかったんだ。

「その間、ずっと日が隠れていたから、うまく生むことができなかったのでしたね。ヌシは生まれた島々を、子の類には入れなかった」

「日が隠れていたのは、やっぱり太陽のせいだったのよね」

「あの頃はまだまだ不安定でしたからね」

ヌシさんもクモさんも、抑え切れずにひどく荒れた。うまく生めなかった島々は、船に入れて流したから、ウミさんのところにいるようになったんだ。

「その後、再び日が照り出したのは、人が神頼みをしたからだったな」

「そうですね。といっても、頼まれたところで、僕達が操ることなどできないのですけれどね。ココロとヌシが散々話をして、解決策を出しました。懐かしいですね」

その頃、クモさんとクニさんは、天と地の間…お二方のいるべき場所にいたと言う。

「私だって、そっちに行って話したかったわよ。でも天と地を遮る役目があるから、そうも行かないじゃない?」

「私もそうだったな。不安定な地を支えることで精一杯だった」

策はうまく行って、ココロさんとヌシさんの二柱は、国を生んだ。石や砂という地の神、日を分ける神、風の神、家の神、風と木を分ける神、ウミさんを筆頭に水の神…などなど、たくさん。これは島を作った場所が、ヌシさん達がいつもいる場所に似ていたから、真似たものだった。

「さらにその後、それぞれ風、木、山、野を掌る自然の神々が生まれました。この辺りのことは、ヤマが詳しいでしょう。クニも触れてはいるのでしたね?」

「自然は地に関したものだからな。しかし…やはり、ヤマの方が詳しいだろう」

クニさんはあまり、自分のお役目のことを語ろうとしない。自己を律する生き方をするように、刻み付けられた過去があるせいだ。

 ココロさん達が地上に降りる際、アメさんは船を創った。他にも、矛や橋、柱などを創ったように、彼は手先が器用だ。そんなアメさんに、クモさんが突っかかった。

「雨が降っても楽しくなるものとか、創ってくれない?」

ものすごく大雑把な要求だ。アメさんが眉を下げて笑う、あの困った顔をした。

「確かに、僕は道具を創ることができるけれどね…。あまり無闇矢鱈に創ると、人に…ゆうふぉ?だとか、言われてしまうのですよ。一体、どういう意味があるのでしょう?」

「ゆうふぉ…?何だその、ふわふわした響きは。まるで菓子みたいだ」

クニさん、本当にお菓子が空を飛んでいたら、平和なんだけれどなあ。ここは僕の出番だ。

「UFOというのは、未確認飛行物体のことですね」

「あっ、あの雲の中を飛んでくるやつでしょ?たまに迷って、変な場所に行くやつ!」

「それは飛行機や、ヘリコプターといって…まあ、船と一緒の乗り物です。未確認飛行物体は、人の世界で飛んでいるのに、正体が分からないもののことです。元々は軍事用語で、自国のものだと分かっていない飛行機などのことを指しますが、一般の人の中では、地球ではない、別の惑星から飛来したもの、という意味で使われることが多いです」

僕の説明に、アメさんが目を丸くした。別の星に文明があると思っているのですか、だって。アメさんは宇宙が見える場所にいるけれど、地球の人ほど、文明を持った惑星は他にないと言う。うーん、寂しい言い草だ。

「ていうか、そうやって騒がれるの、自分のせいなんじゃないの?たまに船出して遊んでるじゃない」

あれ、やっぱりそうなのか。見えるのは一部の人らしいって話も、本当なのかな。アメさんが、こんなに衝撃を受けているのも珍しい。

「…おかしいですね、見えないようにしていたつもりなのに…?」

「どうやら、明らかなようだな。何だったか…人の子が持つ、かめらというやつには、私達の姿が写ると聞く。それと同じで、船も写ってしまったのではないか?」

遊びはほどほどにってことね、なんて言って、クモさんがお酒を呷った。さっき遊び道具をねだっていたこと、もう忘れたの?

「その写る姿…発光体のことを、人の子は死んだものだ、霊魂だと言っている。彼らには死の神々こそ見えていないのに、心外だな」

「君は特にそうでしょうね。見えるということはいる、あるということで、

 見える魂ならば、まだ生きていると言っていいと思うのですけれどねえ」

「ヌシさんに国を渡していなかったのなら、生の世界にいる人の子にも、死の世界のものが見えたのかもしれんな…」

クニさん、酔いが回って来たらしい。

 彼はかつて、アラシさんに言われて、この日本という地を治めていた。でもそれではこの地に、死の世界の影響が出てしまう。例えば、空が荒れて豊作に恵まれないだとか、人の心が逆立って、争いが絶えないだとか、そういったことだ。

 実際、その頃のこの地では、人が自然を壊すことや、派手に物を買ったり売ったりと、散財が多かった。そうした荒れの現象を人々は、国を治めている神が死の世界の神に治めろと言われたせいだと、ちゃんと気付いていた。

 でもクニさんは、アラシさんと一緒で、人々が荒れて騒ぐことを穏やかだと思っていて、それを間違いだと気付かせるために、ヌシさんは国を譲れと言ったんだ。

「ヌシはちゃんと、それが穏やかではなく、荒れていることだと分かっていたのですよ。荒れを穏やかだなんて言うのは、死の世界の神々くらいのものですからね」

「あの頃は酷かったわー。私だって降らせたくもない雨を、アラシの影響で引き出されたりしてさ?そこは口出ししたヌシを褒めるわ」

毎年これは蒸し返される話で、その度に、大柄なクニさんがどんどん縮こまって行く。自分の失敗と向き合ういい機会だとか、皆がいないところでは言っているくせに。

「それでも、失敗を認めたあなたに、未だに地上を任せている辺りが、ヌシらしいですね」

「今はヌシが治めているっていっても、それはそれで、暑かったりして大変だけどね。…ほら、クニ。しっかりしなさいよ。あんたは、ヌシとココロの血も引いているんだから」

いつもならここで頷くだけで、うまいことを言えずじまいのクニさんだったけれど、今年は違った。とても格好よかったんだ。

「ああ。私達神々は、名を変えて、姿を変えて、強くなることで系譜を辿って来た。血が交わることで力の質を変えて…確かに成長して来たんだ。それでも全ての始まりは、ヌシさんの下にある。いくら強くなろうとも、それだけは忘れてはならないことだ」

アメさんとクモさんも頷く、響く言葉だった。彼がそこまで言えるようになったのは、うれしいことだ。一方で、思わず口を突いて出た、僕の言葉。

「…あまり、気負わないでくださいね」

クニさんが僕を見て、ありがとうと言う。僕はそういう、言葉というものしか、かけてあげられない。目の前でクニさんは、とても穏やかに笑った。

「お前はそれでいい。そうだ、一つ、楽しい話をするか」

ぐいっと、お酒を入れて、クニさんは因幡の白兎…通称イナバの話をし始めた。

 イナバも毎年、皆につられてなのか、出雲にやって来る。特に何があるわけでもないのだけれど、クニさんには挨拶を欠かさない。そういえば、今年は酒瓶をいくつか貰ったんだ。もう誰かが呑んだかもしれない。贈り物をしてくるなんて、何かいいことでもあったのかな。

「それでな、またワニを欺いたと言うんだ。しかも今度は、何の失敗もせずにだ」

「自慢気に話せることですか、それは」

「妖の世界はまた決まりが違うんでしょ。化かし合い上等!って感じ?」

段々、クモさんの口調がアラシさんに似てきたな。末恐ろしいとアメさんがぼやく。僕も同感だ。

「妖は、生の世界と死の世界を行き来できる存在だからな!普通…人には、見えないが…?」

クニさんの語尾が変に途切れたその瞬間、急に力が全部抜けた、締まりのない顔をして、ぐたりと後ろに倒れた。待って、どういうこと?アメさんとクモさんも驚いている。

 そこにひょっこり現れたのは、ヌシさんだった。両手を頭の上で動かして、微笑む。

「おやおや、ウサギに化かされるとはね。クニもまだまだ幼いね」

なるほど、イナバがくれたお酒は、うまいことクニさんに当たってしまったというわけか。調子に乗ってはいけないということだねと、面白そうに耳を動かすヌシさんは、少し前まで、ナリさん、カミさんと話をしていた。

 まったくお小言がうるさいねえ、と項垂れて一杯呷ったヌシさんの横で、カミさんが笑う。ちなみに、長机を一つ隔てた廊下側の方では、アメさん達が話し出していた。

「毎年怒られている気がするよ、ヌシは」

「やんなっちゃうよねえ。分かっていることをくどくどと。アメじゃなかったら本当に怒っちゃうところだよ」

怒るも何も、ヌシさんが太陽は元気だなんて言うだけ言って説明しないから、アメさんに説明されちゃうんじゃないかな。

「何だい、その顔は。僕があの方を見ているけれど、操れたりするわけじゃあなくて、ちゃんと正しくて明るいよ、なんて一々説明するとでも思っているのかい?」

「いえ。ヌシさんはいつだって、皆さんに心配をかけまいと、優しい言葉を使いますから」

そのせいで、事実が少し隠されている気もするけれど。僕は彼のそういうところがいいと思うんだ。カミさんも頷いている…ナリさんは違うみたいだ。難しい顔をしている。

「神は日を見るもの、ただそれだけだということ、気付いている者も多くいるだろう。人の子らもそう思い、カとミという音を当てたはずだ。よもや、忘れているわけではあるまい。さすれば優しさに事実は隠すべきではないと、俺は思うがな」

ヌシさんが、恨めしそうな目でナリさんを見た。

 彼は、太陽の心を授かるというお役目を持った存在だ。その熱や光がいくら強くなろうと、操ることはまかり通らない。ただ一心に寄り添って、見つめて、太陽は元気だということを、いつまでも他の存在に伝えている。対してナリさんも同じく、人から神と呼ばれる存在ではあるのだけれど、彼が持つのは、人々を見つめ続けるお役目だ。ヌシさんと対になる視点を持っているから、いい組み合わせだと思うのに、お互いに頑固なところがあるからなあ。

「相変わらずはっきり言うね、ナリは。ま、今回ばかりは、俺もそれに賛成だよ」

「君は、神を見るものなのに!僕ではなく、ナリの見方を取るなんて…ああ悔しい!」

半分、冗談だ。ヌシさんが太陽、ナリさんが人、カミさんが神を第一に考えているのは、どうしたって曲がらないことだし、それぞれがお互いの見ているものを尊重していることも、変わらない。

 それでもカミさんがそんな冗談を言ったのは、一つ、気にかかることがあるからだと思う。たくさんいる神々の動きを把握する彼は、世界が異なる神のことも知っているんだ。

「さっきココロに会ったし、子が哭く話でもしようか」

「出た、慰め代わりの好きな話。いいよいいよ、今年も聞いてあげようじゃないの」

毎年恒例と言えるほど、ヌシさんによるこの話から始まる。今年はココロがこう言っていた、という前置きをして。彼がこの話を好む理由はきっと、始まりについての話だからだ。

「僕ら神も人の子も、成ったり生まれたその瞬間に哭くのだけれど、その力というのは彼、ココロのことなんだよ。そしてあの方が自分を知りたいと思ったのも、その力を持っていたからだった」

ココロさんの力を人の言葉で言えば、心だ。コロという響きが哭くことを指す、ヌシさんは前に、そう言っていた。

「生きるために心が必要だっていうのは、ナリさんの持論でしたね」

「ああ。ココロと会うと、いつもその話になる。特に、人は生きるための方法として心を持っている、類を見ない生物だ。枚挙に暇がないほど、例を挙げ切れない多種多様な存在だが、軸と表してもいいほどに、己や他の心を頼りにする者が多くいる」

まるで見ていて飽きない、楽しいとでも言いたげに、ナリさんは話す。そんな姿を見ていると、この方は本当に人を思っているんだと、つくづく感じる。ヌシさんも、心の話になるとうれしそうに目を細めて聞いている。太陽にも、神にも、人にも共通するものだからなんだろうな。

「人は、心が…哭く力が失くなったら、死ぬんだっけ」

不意に、カミさんが明るい声の調子を落として言った。彼の口からそんな言葉が露骨に出たことで、ヌシさん達も、カミさんが気にかかっていることについて、察したらしい。

「人の子が言う、死ぬことというのは、僕からしたら、心が失くなるという意味じゃあないと思うんだ」

穏やかな面持ちで、ヌシさんは話し出す。彼が死について語ることは、そうそう何度もあるものじゃない。それでも僕は、彼が話す度に、じわりとより染み込んで行く声色が、常にそばにあるような気がしてならない。

「シという音は、心を指すんだ。生の世界の心が目に見えなくなることを、人は死ぬことだと言っている。それは、違うんだよ。生きている心が、死の世界に行くことになったら、鬼という心に化けるんだ」

ナリさんが、酒瓶を手に取った。カミさんもお猪口を傾けて、一息つく。

 どうやら、お酒が滑車の働きをしているみたいだ。

「その話、聞く度に思うが…本当なのか?…本当に、死の世界とやらがあるのか?」

「本当だよ」

サッと空気を切るような、凛とした声が、カミさんの目に、冷たい光を宿らせていた。神を見るものとして、死の世界を語るための、ひどく鋭い目だった。

「ナリは、死の世界に行けないからね。疑うのも無理はないよ。…あそこは、こわいところさ」

ヌシさんは、死の世界を訪れたことがあって、カミさんは、世界そのものを見ることができる。ナリさんを始めとして、今日この場にいる幾柱かは、死の世界を訪れることができない神々だ。けれどヌシさん達、アメさんとクニさん、ヤマさんとウミさんは、実際に訪れたり、見ることができる方達なんだ。そして、向こうでヤマさん達と話しているイカヅチさんは、今ここにいる中で唯一、死の世界の神とされる存在だ。

「…とまあ、そんな具合のところさ。クニは危うく、そんなに危ないところの力を、僕らが創ったこの国に、あろうことか、くっつけようとしていたんだ」

「それ、イカヅチが助けたんだよね。死の世界にばかりいても、気が滅入るだろうし、今年は来てくれてよかったよ」

イカヅチさんはいつもは死の世界にいて、天気が荒れるとこちらにやってくる、頻繁に世界を行き来している存在でもある。それだけに力が強いから、なかなかこの集まりに顔を出してはくれないけれど…。

 折角だし、僕もあとで、お話しに行ってみようかな。

「まさか、雷なのか?」

唐突に声を上げたのはナリさんだ。彼なら、鬼と雷の話も知っているはず。

「そうだよ。鬼となった僕らが持つ心は、あの世界では雷の姿をしていてね」

それからまた生の世界に生まれ出て、神に成ったり、人に生ったりするのだと、ヌシさんは言う。

「ココロさん、イカヅチさんを見ると、少しこわがるんです」

僕がそう言ったら、ヌシさんは大きく笑い出して、危うくお酒が溢れるところだった。

「あっはっは!無理もないだろうね。死の世界に行った僕に会いたくて、後を追っかけたのは彼だろう!しかもそのせいで、死の世界に行くことが禁忌になってしまったじゃないか!」

「だが焼き殺されたのは、ヌシの思い通り、そうなる必要があったからだったのだろう?」

「そうさ。火の神…ホムラを生もうと思ってね。でも心を化かすつもりじゃあなかったんだ。ああ、だからイカヅチは、ホムラが苦手なのかなあ」

ココロさんは、別の世界の自分ともいえるイカヅチさんをこわがるけれど、そんな彼は、ホムラさんをこわがる。というのも、死の世界で彼を照らしたのがホムラさんだからだ。でもホムラさんは、自分の意思で照らしたわけではないから、出会い頭に切り捨てようとしてくるイカヅチさんに対して、どうにか和解を持ちかけたがっている。

 さっき、イカヅチさんが話す中にホムラさんもいたし、ヤマさんとウミさんという仲介役もいたから…何かが、変わるのかもしれない。

 頰に赤みが差して、乗った興にゆったりと浸りながら、ぼやき出したヌシさん。こうなると、彼の話は言い回しが飛躍しているようで繋がっているという、何とも理解に目まぐるしい展開を見せる。

「僕はずっと、人の子は草みたいだと思っていたんだけど、雷が落ちると豊作だと言うよね。そうやって雷がどかーんと落ちる度に、人の子は生まれているのかい?」

そしてナリさんとカミさんは、彼とずっと一緒にいたから、こういった話し合いが好きなんだ。酔ったヌシさんが溢す本音とか、世界の核心を突く話とかを、お二方は、あの手この手で聞き出そうとする。もっとも、ヌシさんはそんなことお構いなしに、べらべらと語り上げて行くことが多い。

「生むという心、それが芽生えると言った方が正しいな。人の子というのは、生むことが決まってから、生まれるまでに間がある。その間に、生むことをやめてしまったり、腹の中で死んでしまったり…生まれない子もいるのだ」

「ああ…世界をさまよっているんだね」

「何だと?」

ぐいと眉をつり上げて、ナリさんが怪訝そうな顔をした。鬼は雷を鳴らしながら、死の世界と生の世界をさまよう。そうして生の世界に生まれたその瞬間、存在は初めて子として哭くのだそうだ。カミさんが頷いて、後を受けた。

「哭いた子が、神じゃなくて人になるのは、言葉があるからなんだよ」

今やっとわかったというように、ナリさんが目を見開いて大きく頷く。

「そうか、言葉…。言葉だったのか」

僕は生まれてから、ヌシさんとこういった話を、とても長く交わしてきた。彼ら神々と人を隔てた言葉から、僕は生まれている。

「昔は言葉のことを、コトと言ったんだ。子を分かつものという意味を持っていた。そしてコトを覚えたものは、日を分かつもの…ヒトといった。彼らは言葉によって、あの方と自分達を分けてしまった」

「分けたらいけなかったとでも、言いたげだね」

語る悦に入っていたヌシさんの目が、スッと細くなって、カミさんが死の世界を見るために持つ、あの冷たさを宿した。こうなると、彼は口調が悪くなる。

「人の子の生きる助けになるはずの心が、死の世界を創り、神と人の世界をも分けたのさ。言葉で世界を創って、一番上の存在に、自然の全てを受け継がせたというのに…。まったく、どうなんだい今の地上は」

お酒が引き起こす、お決まりの文句だ。その自然の全ての中に、自分も入っていることなどお構いなく、神として、人への文句を言いたい放題になる前に、寝かせないといけない。そう思った瞬間、ナリさんの綺麗な手刀が飛んだ。カミさんが乾いた拍手で褒める。

「お見事、綺麗に決まったね」

「この国では柱がある以上、生まれる人は皆、心を以って生きる。なれば我らは見守るだけだ。ヌシだからこそ、人の子にこうも文句が言えるのだ」

彼が見ているのは、あくまでも太陽だ。人に文句を言えるのが彼だけなら、それを止められるのは、人を見続けているナリさんだけだ。

 そして僕は、そんな彼らをも見守るしかない。ヌシさんが生まれてから、皆でこうして集まる今までを。世界の全てが終わるまでを。それが、この僕という存在のお役目なんだ。

 玄関に誰かが来た気がして、賑やか極まりない大広間をそっと抜けた。今日の可惜夜なら、彼女もやって来てくれるだろうと思っていたんだ。不知火のような目を持つ夜の神は、音もなく戸を開けて、じっと僕を見据えた。おかえりなさい、ツキさん。

「ただいま。…相も変わらず、騒がしいのね、ここは」

「毎度のごとく、そういう集まりですからね。どうぞ、二階へ」

彼女は慣れた足取りで、二階に向かう…と思いきや、大広間の方を見やった。あれ、今回はそちらで皆とお話ですか。

「外の戸にね。『可惜夜に精霊舟美しく燈火親しむ宴隨に』と、書いてあったの」

大広間に続く引き戸を見つめる彼女は、普段からその美しさに表情が窺えないことが多いけれど、どうやら、うれしいみたいだ。

「きっと、ヌシさんですね。会いたいんだと思いますよ?」

「言葉なんて洒落たもの使って、本当に器用ね、あの方は」

くすりと楽しそうに笑いながら、彼女は大広間に入っていった。何年かに一度は、ツキさんもああして大広間で皆と話す。毎年来るわけでもないのに、器用なのはどちらなんだろうか。皆に会えることはうれしいみたいで、まるで、今の季節のようなお方だ。…二階に用意しておいたお酒、下げてこよう。

 一眠りして酔いが抜けたらしいヌシさんが、柔らかく微笑んだ。朝から不満を四方八方に撒き散らしていただけに、今日一番のいい笑顔に見える。

「来ると思っていたよ」

座る相手を見下ろして、ツキさんはあくまでも一応、とばかりに言い放つ。それにヌシさんが肩を竦める。

「断る理由がなかっただけよ」

「つれないね。僕と話したいことがあったんだろう?」

「あなたとだけじゃないわ…ココロ、いらっしゃいな」

ちょうど独りでお酒を飲んでいたココロさんに、白羽の矢が立った。俺でいいのか、なんて顔をした彼に、ツキさんは真顔で返す。

「彼の通訳を頼みたいの」

これには、ココロさんも、ヌシさんも苦笑いだった。

 ツキさんはその名の通り、月夜を掌る神だ。といっても、月との関係は、ヌシさんと太陽との関係に似ている。普段は死の世界にいて、生の世界が夜になると、顔だけ覗かせる。集まりに毎年来るわけではなくて、来たとしても、二階で高みから皆の声を聞くといった、いかにも彼女らしいお酒の呑み方をする。今回はあたかも無礼講だと言わんばかりに、まるでクモさんみたいに勢いよくお酒を呷った。

「一体、どういうことなの?近頃あなた、荒れてばかりじゃない」

何だか、朝にこんなクモさんを見たような。お二方、特に仲がいいというわけでもないけれど、同じ空にある存在だからか、どことなく似ているんだ。でもツキさんを相手にした方が、ヌシさんは参っている気がする。

「ああ、それはもう散々アメとクモに言われたんだ。君まで言わないでおくれよ」

「なら追い打ちをかけるわ。あなたが荒れると、私がちっとも見えないじゃない。折角、今はいつもよりも、地上に近付けるっていうのに」

スーパームーンと、人は呼ぶ。夜にしか顔を出せない彼女が、少しだけ地上に近付く現象のこと。科学的な説明はいくらでもできるけれど、彼ら神々の理屈に則って言うのなら、世界を渡り歩くことができない、ツキさんみたいな存在への思いやり…。誰からの思いやりかといえば、目の前で並べ立てられる文句に負けそうになっている、ヌシさんだ。

「あなたが私を死の世界にやらなければ、私はいつでも、人を見ていられたのに。元は私だって、あなたから生まれたのだから、人を見ることは咎められないはずよ」

困ったなあなんて、そんなアメさんみたいな笑い方をしている場合じゃないでしょう。でも、だからこそせめて、距離が近付くようにしたんだよね。

「あまり言ってやるなよ、ツキ。死の世界は、俺が生み出したようなものだ。心を化かされたもの達が行き着く、一面の闇の世界に、日が必要だと言ったのはヌシだったけどな」

ココロさんがお二方を制して、優しく話し始めた。

 彼はヌシさんとほぼ対等に渡り合える上に、ツキさんとは、親子のような関係にある。だからヌシさんとツキさんが話をするなら、間を繋ぐのはいつも彼だった。

「死の世界に日を生むべく、ヌシは一度、死を掌る神と成った。わざわざ焼き突かれたりしてまでな。残された俺は、死の世界に向かい、化け果てたヌシに会い、こちらに戻って来た」

格好よく言っているココロさんに頷いているけれど、少し前にヌシさんは、彼が自分を追いかけて来たことを、盛大に笑っていた。確かに、地上に死の世界の力を持った神を成らせる必要があったとはいえ、ヌシさんも、自分が死の世界に行くことになるとは思わなかったんだ。ましてや、追い打ちをかけるように、ココロさんまで追いかけて来た。

「…そこで生まれたのが、イカヅチと私ね」

「正確に言えば、イカヅチはホムラを斬ったことで生まれている。ホムラはこちら…生の世界の、地上の光だ。イカヅチはあちら、死の世界の、地上の光。二柱は世界を繋ぐ、光という存在だ。そしてツキ、お前はヌシのわがままで成ったとしても、死の世界の太陽なんだ。…だから、お前はそちらにいるべきだ」

わがままという言葉に、ヌシさんがまた困った顔をした。死の世界の神に成ったことは、ツキさんの意思じゃない。もちろん、ヌシさんがどうにか死の世界を明るくしようと心を砕いたことは、彼女も知っていることだ。太陽なんて言われて、うれしそうだね、ツキさん。

「そうね。ええ…分かっているわ。まったく、年々言葉が巧くなっていくのね。一体誰に似たのかしら」

ヌシさんが、僕?と言いたげな表情で、やっと笑った。ココロさんは言葉について、まだまだ勉強中だ、なんてよく言っている。お二方とも、人々が次々に生み出して行く言葉に触れて、本当に楽しそうに笑うんだ。

「きっと、あなた達も分かっているでしょうけれど…。今更ね、私があの世界にしかいられないことを…、あなたや、ココロに会えないことを、責める気はないの。…ありがとう、前と変わらず、真っ直ぐに答えてくれて」

ツキさんが目を細めて、笑みとも言い切れないような、柔らかい表情を見せた。

 繰り返し確かめることというのは、僕も含めて、何かを見る存在にとって重要なことだと、ヌシさんも、クニさんも言っていた。きっと、他の方々も同じように言うだろう。でなければ、こうして毎度集まって色々なことを話し合う、暖かな光景は見られない。

「夜を見るもの、黄色い泉、死の世界の太陽…。君を表す言葉は、きっとこの先も尽きないんだろうね。確か、人の子もいい言葉を残しているんだ。何だったかな?」

僕の出番ですか、いいですよ。自国だけでなく、他国の言語にまで関心を向けるのは、ヌシさんくらいのものですから。

「海外の言葉ですね。私はあなたを愛していますという意味の文章を、この国のとある人は、月が綺麗ですねと言ったんです」

「あら、いいわね」

「俺も好きだ。月が綺麗に見えるこの国だからこそ、生まれた言葉なんだろうな」

この台詞のことは、前にクニさんも言っていた。これを言われたら、別の人の台詞で、死んでもいいわと返すと、とても素敵だと。死の世界の太陽であるツキさんに行き着く辺り、言葉というのは、不思議な繋がりを生み出すものだ。

 ところで、とヌシさんがやっと切り出したのは、死の世界のことだった。

「今日は君も、イカヅチも来ているけれど…そちらの世界は大丈夫なのかい?」

「アラシに任せているわ。やること成すこと破天荒な子だけれど、暫くの留守くらいは守れるでしょう」

死の世界には、アラシさんという、嵐を掌る神がいる。たくさん姿と名を変えて来たけれど、ツキさんの弟といっていい。言われている通り、とにかく破天荒なお方で、彼が成ったあの頃の地上は、それはもう大変な騒ぎだった。紆余曲折を経て、彼は死の世界で暮らすことになったのも束の間、自分の血を引くクニさんに、地上の統治を任せた。それもヌシさん達によって制されて、今は死の世界でツキさんとイカヅチさんにこき使われ…いや、素直に従っていると言うべきかな、彼のために。

 そんな彼に任せているとツキさんが言った瞬間、ココロさんが、表情に何かを懸念した色を浮かべた。不安しかない彼に任せてまで、死の世界の二柱が、こちらに来た理由とは。僕もそれには薄々気付いていた。明日の朝までには、会うのだろう。…あの子に。

 こちらはヤマさん、ウミさん、ホムラさん達が囲む卓だ。ずっと賑やかだったから、気になっていた。僕もご一緒させて貰おうと思う。

「さっき酒取りに行ったら、聞こえたんだけどさ、ツキさん達の会話」

「ホムラはー、ツキさんと話せないから気になっちゃうわけ?」

「違えよ!いや、まあ、それもあるけどさ…別に、そんなんじゃ…」

彼、ホムラさんは火を掌る神だ。ツキさんが夜を掌るお役目は、ヌシさんの意思によって与えられたものだけれど、直接的な原因は、彼がツキさんを焼き殺したことにある。だから彼女に対して、気まずい距離を感じていて、対するツキさんは、彼が苦手みたい。

 死の世界では、火が生の世界の光とされていて、大抵の存在はホムラさんを恐れたり、敵対するような態度を取る。イカヅチさんが正にその筆頭だったけれど、お二方が話して何も騒動にならなかったってことは、やっぱり、何か変わったのかな?

「それでまあ、イカヅチともやっとちゃんと話せたしさ。ツキさんがアラシのこと話してたから、気になったんだ」

ウミさんがやっと繋がり始めたかあ、と頬杖を突いて、取ってつけたように、迷惑千万な彼のことを、ぽつりと訊いた。

「…アラシ、どうしてるって?」

「死の世界で留守番らしいぜ。ツキさんも、イカヅチもこっちに来てるからな。けど、あいつに任せて大丈夫なのか?危ないんだろ、アラシって」

雨と風による頑丈な壁が張られたようなアラシさんの周りに、ホムラさんは近付けない。その点、いつも盛大にとばっちりを食らっているヤマさんとウミさんは、渋い顔をして、ツキとイカヅチが任せたのなら大丈夫だと、半ば投げやりな調子で言った。

「というか、不思議なんだが。どちらかが来るならまだしも、一辺に来るなんて珍しいんじゃないか?」

ヤマさんの言う通り、普段は死の世界にいて、あらゆる理を守っているツキさんとイカヅチさんが、こうして一度に出雲にやってくることは、滅多にない。アラシさんに任せるといったって、死の世界を支える柱でもあるお二方が、一緒にこちらに来るなら、何かしらの理由がある。

 カミさんやココロさんも懸念していたように、その理由は、ツキさんがヌシさんと文句のような思い出話を交わすだけ…なんていう、穏やかなものじゃないんだ。

「前に来たのって、確か…五年前だったっけ?」

「はい。クニさんが荒れた年でしたから、そうですね」

「そう言うと、クニが荒れたみたいに聞こえるな!」

おかしそうに笑っている場合じゃないですよ、ヤマさん。確かに、最初に揺れたのは地面だけだったけれど、それを鎮めることや人々への対処で、忙しなくなったクニさんも荒れたんだ。あまりにも怒ったものだから、ヤマさんやウミさんにまで影響が出てしまったというのに、この方々は笑い飛ばしている。

「そういやあ、この前もどこだかが荒れたんだったな?」

「ハハキの方でしょ?多すぎて、いつも荒れてるみたいな感覚でいるのよしなよ、ヤマ。それで、そろそろ出雲で集まるのに、クニさんまた暴れてるのかなー、お酒全然集まらないとかかなーって話してたんだよね」

あれは、あくまでも地面が揺れただけで、クニさんが暴れたわけじゃなかったんだけれど、どっちにしても大変だったなあ。そうそうホムラさん、正解。主に集めたお酒を守ったことがね。

「しかし、こっちも大変だったな!地上が騒がしいとか言って、アラシが坂を登って来たんだ!びっくりだろ!」

「嘘だろ!?だからあんなひどい揺れだったのか!」

「荒れの勢いが増したことは確かだよねー…」

アラシさんとしては、やっぱり出雲に顔を出したかったんだろうか。思いつけばすぐ行動するお方だから、ツキさん達の静止も聞かずに飛び出したのかもしれないな…。

「それって、追い返したんですか?」

「そりゃまあな。それが俺のお役目でもあるし、この身の力でもある。滅茶苦茶に大変だったけどな!」

豪放磊落という言葉が似合うヤマさんは、夜に触れる場所という意味で、ヌシさんにヤマと名付けられた。掌るものは山。彼ら神々に言わせると、そこには生の世界と死の世界を繋ぐ坂がある、夜に触れられる場所なのだそうだ。サカというのは、日と分けるという意味があるとも、ヌシさんは言っていた。

「というかお前、一緒にいただろ?」

「えっ…?いいえ、ヤマさんのところは見通しが悪くて、あまりいられませんよ?」

確かにいたぞ、おかしいな…と唸り、でも僕の言い分にも納得して、ヤマさんの眉毛が忙しく動く。

 それを見ながら、変な形だと笑うウミさんの場合、ヌシさん曰く、あそこは僕らの世界に似ているからねと、最初はアマと呼んでいた。次第に人々が言葉を持つにつれて、名付けた彼自身が、そっとウミという名前に変えた。神の世界を人の子に知られてはいけない、隠した曖昧なままの方がいいだろう?と楽しげに話していたな。

 さて、僕を誰かと間違えるとするなら、あの子しかいないだろう。

「やっぱり、死の世界の存在が来すぎじゃない?」

僕が押し黙ったのを継いでか、そう切り出したのはウミさんだった。彼もヤマさんも、死の世界に触れられる立場にある…というより、どの世界で事が起こっても、少なからず影響を受ける、堺の位置にいるんだ。

「しかし、俺達に為す術はないだろう?何よりも俺達が、二つの世界を繋ぐ存在だ。死の世界があることも、人の子に寿命があることも、もう変えられはしない」

「分かっているよ、そんなこと。それでも僕達が一番近しいのなら、何かできることはないかって、思ったりもするんだよ」

「そうだよなあ…。俺だって、焼き殺して心を化かしたりとか、したかったわけじゃねえし。ヤマとウミだって、自分達の意思で、そう在るわけじゃないだろ?」

まったくだとヤマさんが頷いて、お酒を呑んだ。少しだけの、寂しい呑み方だ。

「全部、ヌシの意思だ。死なんていう世界ができたのも、人の子がいつかは心が化けることになったのも…俺達が為す術を持てないのも、な」

元々、彼ら神と呼ばれる存在は、寿命で死ぬことはなかった。名を変えて姿が継がれて行く中で、言葉を持ち、神は人に変わって行った頃、ヤマさんが見ているその前で、ヌシさんは、咲き誇る花だけを愛で選んだ。それが理由で、人は寿命で死ぬことになったんだ。

 神々はそれぞれ、確固たるお役目を持って存在しているけれど、ヌシさんの血を引く一柱という理がある以上、人の世界に障ることから逃れられはしない。

「僕達なんかはさ、人の世界に近いから…。情が移るなんて、神の世界じゃありえないのにね、まかり通っちゃうんだもんなあ」

前に、人の子のようにいつも賑やかな彼らは、神としてどうなのかと、単純な疑問として、ヌシさんに訊いたことがある。そうしたら、ホムラがいるだろうと返された。

「俺は火でさ、生まれが生まれだったから、なんであんな生み方したんだ、そもそもなんで生もうと思ったんだ!…って、突っかかったことがあるんだよ」

「ヌシに?はあー、やっぱり燃え盛る火は違うねー。僕だったら絶対そんなこと訊けない」

ああ、それがホムラさんだ。難しくて怖い話でも、辛い話でも、知ろうと突き進んで行く心を持っている。

「ヌシはさ、僕も人の世界が見たかったからって、言ったんだ。死の世界にも日を求めたみたいに、あの方はどこにだって、光がほしいんだよな」

「光があれば、闇に迷うことはないからな!正にお前は、地上の太陽ってわけだ」

ココロさんやクニさんも、ホムラさんのことを、地上の光とか、太陽と呼ぶことがある。生の世界そのものの太陽は、ヌシさんのいうあの方で、人々がいつも目にしている太陽だ。だけど、ホムラさんが掌る火というのは、もっと身近にある。だから、地上の太陽。

 そうして、重い空気になりかけた反動なのか、ウミさんとヤマさんが兄弟だった頃の話から、ホムラさんとウミさんが生んだ子が、今でいうサメに化けた話に花が咲いた。正直、この辺りの話は、実に彼らの性格を投影していると思う。

「だって言ったでしょ?僕は海っていう、地上じゃなくて、他の世界の存在なんだから、生んだら化ける、そんなところ見てほしくないよって!」

「そんなこと急に言われても、怪しさしかないだろ!?見るに決まってる!」

「ほんとそういうところ、ヌシにそっくりだよねー!」

ヌシさんがとばっちりを食らったみたいだ。

 二つ向こうの卓から、くしゃみをする彼が見えた。傍らでカミさんが笑っていて、クモさんがナリさんに絡んでいる。あれはその内、潰されそうだな。

「結局、ヌシのところが荒れているから、他の世界も騒がしいってことか」

一頻り話して、締めを担ったのは、ヤマさん。

その結論は、皆が分かっていることなんだけれど、確かめ合いは大切だからね。

「そうだと思います。そしてそれは、ヌシさんにも、どうにもできないことですね…」

「はあ~やんなっちゃうねー。いっつもいっつも、見ているだけなんてさ?」

「何言ってんだよ!それが俺ら、神ってやつだろ?」

そうだった!とウミさんが笑った。

 何だかんだ言って、皆ヌシさんに似ている。神は日を見るものだと言っていた当のナリさんは、ついにぐてんぐてんに酔っ払って潰れたらしい。ヌシさんとカミさんが彼を寝かせて、また別の話を繰り広げるべく、各々移動し始めていた。次は、そちらに行ってみようか。

 寝転がったクニさんが、イナバに文句を言う!と意気込んでいる背後を、クモさんがまた両手にいくつも酒瓶を持って、通り過ぎて来た。腰を下ろすや否や、開口一番に言ったことがこれだ。

「下戸すぎない?」

茹でダコみたいになって、唸り混じりに寝ているナリさん、お疲れさまです。あそこまで勢いよく絡んで潰す光景は、いっそ清々しくて、僕は文句も出ない。

「クモの呑み方じゃ、潰れるに決まってるでしょ?俺でも辛かったよ」

「軟弱ねー、どいつもこいつも。唯一ぶっ倒れなかったの、アメくらいだったわ」

この場に一緒にいるのはカミさんだ。さっき縁側に、ツキさんと出て行ったアメさんは、本当にお酒に強い。クモさんと呑み比べられるのは、彼くらいしかいないんじゃないかな。

 そして彼女はまた一柱、沈ませにかかるみたいだ。無礼講って言うと、こうなるんだもんな…。

「はーいイカヅチ、久しぶりね。ちょっと話さない?」

まるで、どこか海外の人みたいな声色だ。イカヅチさんはあからさまに、今ここで酔い潰れたくないという顔をしたけれど、酒瓶に微笑を浮かべるクモさんには勝てない。

「…酔い潰す気だろう」

「だーいじょうぶよ、カミ達も一緒だから。ねっ?」

彼女を止められるなんて思えないと、僕とカミさんは顔を見合わせた。最悪潰れたら終わりだからなんて、笑わないでよカミさん。

 僕の隣にカミさん、机を挟んで前には、クモさんとイカヅチさん。会話の火蓋を落としたのは、一杯呷った彼女だった。

「で、珍しいじゃない。あんたが来るなんて」

「別に…ツキも来ているだろ。ヌシさんも荒れているみたいだし、今年は来なきゃいけない気がしたんだ」

ツキは間隔空くけど、たまに来るじゃないとクモさんが言うように、イカヅチさんは、人の単位でいうと、十年に一度くらいの頻度で来る。彼からすれば、特に間が空いているということではないけれど、人の世界の物差しを器用に使うヌシさん辺りからすると、やっぱり滅多に来ないことになるらしい。

「ツキも同じ理由だと思うよ。俺達神々は、いつだってヌシに心を配る。たとえ、ヌシが配ってくれなくてもね」

クモさんは仕方なさそうな顔で、イカヅチさんは強くしっかりと頷いた。ヌシさんも太陽ばかり気にしているようで、ちゃんと彼らを見ていると思うのだけれど…。結局は、一方通行なのかもしれない。

「ホムラがいても来るのね、あんた」

「…ホムラに対して障りが強いのはツキの方だ。俺は彼女を守るための存在でもあるから、ホムラを警戒せざるを得ない。…だがそれも、もう…」

彼ら生と死の光が、ずっといがみ合うのを見てきた僕とカミさんに、クモさんは悲しいでしょと、言おうとしたみたいだ。もう警戒することもないと呟いたイカヅチさんに、驚いている。そんな彼が、はっきりと告げた。

「来年もまた、俺はここに来るだろう」

「…そっか。それはよかった」

心から安らいだ笑みを、カミさんが見せたのはいつぶりだろうか。

 神とされる存在を、気が遠くなるほど、長い間見続けて来た彼。人をも含めて見続けている僕とは視野が違うけれど、見続けることしかできないもどかしさは、神々の誰よりも知っている。神は基本的に、世界の何かを見ているだけで、そのお役目にもどかしさなんて感じなかったはずが、人と言葉によって、ゆっくりと変化して行ったんだ。

「要するに、会いたくなったわけね。ツキもイカヅチも、ヌシもホムラも、本当に素直じゃないんだから」

ニッと笑って、そんな格好いいことを言うだけ言って、強いお酒を一気に呑むクモさん、本当に豪胆だ。さすがは天と地を隔てる存在だなと、思わず笑顔になる。

「あとさあ、私ずっと気になってたんだけど。アラシはどうして、ヌシが母親だなんて言うわけ?ココロが父親なのは分かるにしても、納得行かないし。あの二柱は、死の世界で盛大にケンカしたって聞いたけど、その辺、ヌシもココロも話してくれないのよね」

息継ぎみたいに呷るのこわいなあ、クモさん。溜息混じりに、カミさんが遠い目をした。

「ケンカ…したねえ、盛大に」

「クモ、それは知り得ないならば、知らなくてもいい話だ。だから、ヌシさんやココロも話さないのだろう」

「あら、あんた達が話せば、知り得ることでしょ?さっさと話しなさいな。酒はまだまだあるわよ~!」

イカヅチさんが、またあの酔い潰れたくないという顔を見せる。僕の横で、カミさんがやれやれと口を開いた。

 ヌシさんが死の世界に日を生むべく、死を掌る神と成ったことから、話が始まった。何と言っても、カミさんはその目で、実際にケンカを見ていたんだ。そして同じく見ていたイカヅチさんが、後を継いだ。

「生むや斬る、放るといった動作には、元に戻すという力がある。俺はホムラを斬った剣から成った。彼も俺も、ヌシの姿が変わったに過ぎない存在だ。生と死という世界の違いはあれど、どちらも光なんだ」

「姿が変わったに過ぎない、なんて言うけどさ、日と火と、光…。太陽と炎と、雷は、また別の現象だったから、区別する必要があったんだよ。ヌシが大元の存在でも、ホムラや君にだって、ちゃんと、たった一つのお役目があるんだ」

その後は僕が引き継いだ。ヌシさんは、死の世界から帰ってきた後、禊をした。つまり、死という要素を元に戻した。それを聞いて、ハッとした顔でクモさんが僕を見た。神が生まれる方法は、何も見合いだけじゃない。特に、世界が違う場合は。

「待って?ホムラに死が関わるとイカヅチに成って、ヌシとココロに死が関わると…」

「それはもう、凄まじい子達の誕生だったね」

「ああ…思い出すだけで頭が痛くなるな。特にアラシだ。あいつの血をクニが引いているかと思うと、こっちの世界が荒れる度に不安になる」

イカヅチさんの声が震え出したのを窺ったのか、今度はアメさん達が話していた、国譲りの話をクモさんは切り出した。

 どうしてクニさんは、ヌシさんに国を譲ったのか?確かに、そこはクニさんにとって、話したくない部分だ。

「ヌシさんは幾柱か、神を使者として遣わしたんだ。皆、クニの手中に収まったけどな。その最後に行ったのが、俺だった」

「ココロが言ったんだ、イカヅチに行かせたらどうかってね。俺達は彼がそんなことを言うなんてって、あの頃は驚いたなあ」

死の世界での一件があってから、いくら姿を変えても、イカヅチさんに対する、ココロさんの恐怖は拭えなかった。ただ、生の世界と死の世界を繋ぐ存在として、イカヅチさんが適していることは、賢い彼だから、ちゃんと分かっていたんだと思う。

「それで、アメが創った船に乗って、イカヅチは降りたんだったよね?」

そうです、カミさん。その部分はクモさんも直に見ているから、なるほどと頷く。

 それからイカヅチさんとクニさんが対峙して、言い争いと取っ組み合い、船が壊されたりと、激しい出来事が続いた。あの頃はもう、この国がどうにかなっちゃうんじゃないかって、他の神々も騒がしかったな。

「強かったよね、イカヅチ。クニを放り投げちゃうんだよ!」

「それが正しきことだったからだ…。外れていたのならば、俺には投げることができなかった」

「そっか!それで、クニを元に戻したのね?」

ご名答と、カミさんが微笑んだ。アラシさんも元を辿れば、ヌシさんの血を引いているのに、あの破天荒な性格は、死の世界の影響が色濃く出たせいだと、ヌシさん筆頭に神々は言う。更にその血を引くクニさんもまた、普段こそ温厚だけれど…荒れると本当に怖い。これにもきっと、神々は満場一致だろう。

「なるほどねー。だからクニはそこだけ話してくれないのね。自分が負かされた話だからって、小さいやつだわ。今日は少し格好いいこと言ってたけどね」

「さっき聞いた文句だよね?俺もその場で聞きたかったなー。茶化してあげたかった!」

意地が悪いよ、カミさん。どんな文句だと問いかけたイカヅチさんが答えを聞くと、うれしそうに笑った。ようやく気付いてくれたか、だって。そうです。やっと、言葉にできたんですよ。

「それにしても、クモから見たら、度胸は誰でも小さいんじゃない?」

「大抵の神よりは強いわよ。でもそうね、あんたには負けるわ」

「えっ、僕ですか?」

うーん、規模でいえば、僕の方が大きいのかな…でも、物理的ではないし。何より彼らと違って、僕は神なんていう存在じゃないんだ。

 もう少し、話が続くみたいだったけれど、ふとココロさんと目が合って、手招きされた。話そうって言っていたし、そろそろ行こうかな。

 僕が立ち上がった途端、イカヅチさんが仏頂面でスッと体勢を崩して、酔い潰れた。クモさん、そこでガッツポーズしちゃだめです。

 夜も深くなるにつれて、台所の酒瓶は減り、大広間の隅には、空の酒瓶が何かの儀式のように並べられていた。あれ、やろうって言い出したのは誰だったかな。

「トキ」

名前を呼ばれて、顔を上げる。

「いいのか、カミ達と話していたんだろ?」

向かいに座ったココロさんが、あくまでも確認だと言いたげに訊いて来て、僕は頷いた。どちらにせよ、あの後クモさんはまた、カミさんを連れて、誰かを潰しに行くんだろう…。ああ、思ったそばから、ホムラさんが捕まった。

「皆、ヌシが心配なんだな」

まだ並々と入った酒瓶を並べながら、ココロさんがぽつりと呟いた。うれしさと優しさを湛えて。そんな顔をされると、僕はいつも苦しくなるんだ。

「一つ、話をするか。何が聞きたい?何でもいいぞ」

「…人と、言葉の話がいいです」

僕以外で、この話ができるのはココロさんだけだ。ヌシさんも含めて、神々は皆、話をされる側だから。

 その話、本当に好きだなと笑って、彼は話し始めた。縁側のそば、ふわりと月明かりが差しているのに、空に月は見えない。

「人は、自分達が見る現実、生物達、神などすべての、ものの世界を言葉で創る。その動作の元になっている力が、心だ」

「子が哭く力、ですか」

「ああ、今年はそんな呼び方をしたのか?ヌシの語彙力は、年々増えて行くな。羨ましい限りだ」

外の戸に書かれた誘い文句も、五年前より心に響くと、彼は笑った。

「人もそうやって、幾度も言葉を増やして、失くして、変えて、使い続けている。己の世界を創っているんだ。だからこそ、書物に残されなければならなかった」

「でもそれは、人の勝手じゃないですか。自然である神々に、言葉という型枠を押し付けて…」

「そう否定的に見るなよ。今でいう、古代の言葉…やまとことば、だったな。あれは、なかなかヌシ達を表していると思うんだけどな」

それは、そうだ。僕も否定はしない。でも、それだっていつかは失くなってしまう。巧く表した言葉が書物に残ったって、曲がることだってある。古代の人々が生きた世界のすべてを、人は知らないままだ。何のための言葉なのか、文字なのか。生きている自分の世界すべてを言葉にできないまま、別の世界に化けて行くのか。そう思わずには、いられない。言葉のすべてが失くならずに、変わらないでいてほしいと思うことが何度もあった。

 全部がいきなり変わるわけじゃないと、ココロさんはお酒を啜る。

「少しずつ、ゆっくりと、変えたいものと、変えたくないものを見定めて、人は言葉を変えていくんだ。あるだろ、今の人の子が話す言葉にだって。たくさん残っているじゃないか。俺もそうだが、お前がその最たるものだ」

「神でも何でもない、僕がですか」

僕はこの、日の下にある世界で、神に成ることはない。いつもありとあらゆるもののそばにいて、

はじまりから今までをすべて見てきたとしても、こうして、神々と話すことができたとしても、成ることはない。生きている僕が、神になることは決してないんだ。語尾が震えた僕に、ココロさんは、微笑んだまま言う。

「神は言葉に縛られているって、お前さっき、そう言っただろ。俺達の中には、ものの心を守るっていうお役目だけこなして、他の世界に触れることすら、許されないやつもいる。そんな日を見るものの神より、すべてを分かつものとして、時を掌るお前の方が、実に自由だ。どこにでも行けて、すべてを見ることができる」

見ることができるだけじゃだめなんだ!…そう、言い返そうとした。でも言えなかった。ココロさんが真っ直ぐに僕を見つめて、先に言い放ったからだ。彼は、時を見ることができないはずなのに。

「言葉が武器だ」

お前も、もちろん俺も、そして人も皆、言葉を武器にして生きている。人の世界をも広く見られるお前なら、実に巧く武器にできる。そうやって力強く言い切ったココロさんの目は、とても、確かなものだった。

 この方がいるから、僕は人という存在を通して、こうして在ることができる。神々が持たない、たくさんの言葉を使うことができるんだ。

「言葉を武器にするっていうのは、ヌシが一番やりたくて、一番できないことなんだ。いくら覚えていようが、俺らはここ、お前がいる出雲でしか、言葉を使えないからな」

太陽が、自分を見つめることをヌシさんに求めているように、彼ら神々も、自分達を見つめることを、人に求めている。僕が好きな、人と言葉の話を、ココロさんはそう言って締めくくった。

 この話を聞くと、ヌシさんが常々話す、名前の話を思い出す。元々は、彼が太陽を呼ぶ際に使っていた音が、ナというものだった。それがいつしか、相手に自分を示すために、力のこもった音を発するようになって、今ではそこに、文字の意味の力が上乗せされている。だから、人はとても複雑な力を持っているのだそうだ。その力を巧く扱うために、たくさんのものに向けて、人は心を使うのだと、彼は少し羨ましそうに、そして寂しそうに話していた。

 ゆるりと机に突っ伏したかと思えば、うっすら目を開けたまま、ほとんど寝言に近い声で、ココロさんがぼやいた。

「人はさ…自分について、謎解きすることを、人生って、呼ぶんだよ…」

眠くなったなら、寝てもいいのに。

「ちゃんと聞いてんのか、トキ…」

「はいはい、聞いていますよ。人生は謎解き、でしょう?」

「そうだ…人は自分で、謎を作ってな…。気付かない内にでも、意図的にでもだ…。それらを一つ一つ…紐解いて、言葉に…する…自作自演の、謎解き…だ…」

語尾が小さくなって行って、瞼が閉じた。数秒待ってみても、何も言い出さない。ということは、はい。ついにココロさんも眠りに就きました。…ありがとう、お話してくれて。

 そして辺りを見回せば、ヌシさん達やアメさん達、イカヅチさん、ヤマさん達皆がぐてんぐてんになって、そこら中に寝転がっていた。まるで集団睡眠だ。これも毎年お決まりの光景で、こうなってからやっと僕は、片付けに入る。皆が盛大に散らかした酒瓶やお膳を、綺麗さっぱりすべてしまって、机も畳んで押し入れに引っ込めて、替わりに蒲団を出して、皆を寝かせた。

「偉いわね、毎年」

片付けを終えた瞬間、大広間の入口から、ツキさんの声がした。

「ツキさん…いえ。これも、僕のお役目ですから」

「お役目…ね。それなら、外にいらっしゃい。あの子が来ていること、気付いているんでしょう?」

あの子。カミさんやココロさんの懸念、ヤマさんが僕と間違えた子のことだ。いつもは来ると思わないけれど、ツキさんとイカヅチさんが来ているのなら、きっと、あの子も来るのだろうと思っていた。


 外は、静寂に包まれた、一面の雪景色だった。見れば霜柱も立っているし、樹氷や氷柱もある。

まだ秋といっていい季節なのに、これは…。ツキさんが示した遠くの方では、雨音が聞こえた。そうか…アラシさんも、来ているんだ。

 大広間ではクモさんが寝ていて、そこに嵐を掌る彼が近付けば、容易く雪は降るだろう。この場に来ることはできなくても、顔だけ出すくらいの距離にいるのかもしれない。…にしても、寒いな!

「ほら。あそこにいるわ」

この家には、玄関に続く道の先に門がある。月明かりのような光が、ポウと柔らかく、雪の積もった白い石畳を辿って行って、道を照らしてくれた。

 そこには、僕とまったく同じ姿をしたあの子が、門の外から覗いていた。黒髪の僕とは違って、髪が雪のように真っ白だ。きっと今僕らは、そっくりな表情をしている。

「ここはあなたの時だから、あの子は入れないわ。でも、会いたくなったから来たのよ」

「…元気に、してますか、あの子は…死の世界の、僕は」

泣きそうだ。特に何があるわけでも、何をされたわけでも、したわけでもない。けれどあの子に会う度に、僕は心が締め付けられて、じんわりと苦しくなる。

「ええ、元気よ。あなたと同じようにね。結局、近くまで来たアラシを止めたのも、あの子だったわ」

ヤマさんが見たのは、やっぱりあの子だ。あの子にとって真っ暗な山は、刺激に満ちた遊び場に違いない。

 死の世界の僕は、ココロさんが死の世界から帰ってきた後に成った、神だ。人の生の世界に対して、彼らの心が化けて行く世界だから、言葉もなければ、人といえる存在もない。それでも光はあるから、昔は行けば皆、神に成ったんだ。

 そして神であるあの子は、人の心が化ける時、生の世界にやってきて、死の世界までの道案内をする。山に迷わないように、海に溺れないように。また、子として哭けるように。

「私達、死の世界の存在は、あの子があなたと時を合わせなければ、やって来られない。長く合わせると、こちらの世界に障ってしまう。だからこの数日は、対になる生と死の世界にとって、なくてはならないもの。この重なる時を守ることが、あなたとあの子のお役目ってところね…」

ツキさんがゆるりと笑った。それはどこか、ヌシさんの笑い方みたいに。

「…さて、次はいつ会えるのかしら。楽しみね」

「…クニさんがいる、ここ出雲なら。毎年来ても、大丈夫です。だってほら、生と死が、一番近い場所ですから」

毎年は面倒ねなんて、最後まで気まぐれに、ツキさんが笑った。

 月がどこにも見えないのに、周りが月明かりに照らされているのは、彼女がここにいるからだろうか。また次に会う頃には、ヌシさんがもっと気を惹く誘い文句を残すのだろうし、ツキさんはあしらうような素振りを見せながらも、その心意気を買って、微笑むのだろう。

 あの子は夜を背景にして、真っ黒な門から尚もこちらを覗いている。まるでそこだけ、ぽっかりと白い穴が空いたようで、足元から伸びた、雪の光る石畳だけが、僕とあの子を繋いでいた。


 時の流れが元に戻ったその日、太陽の光がこれでもかと見事に射す大広間には、何もなかった。あれだけ酒樽と酒瓶があった厨も、長いこと使われていないかのように、閑散としていた。けれど、外の戸に書かれた誘い文句は、二句残っていた。彼女には、季節なんて関係ないらしい。


 可惜夜に精霊舟美しく燈火親しむ宴隨に


 あやなして人の言の葉せまほしう

      さらば夜ならで朝おぼろ明け


 大広間と反対に位置する書斎には、宴が始まるあの日の朝と同じで、僕と、イナバに仕返ししたらしいクニさんがいた。実にすっきりとした表情だ。

「今年も、無事終わったな」

「暦は、もう少しありますけれど…。そうですね、いつも通り、無事に終わりました。本当によかったです」

笑顔のまま意気揚々とクニさんは玄関を出て、お社に帰って行った。僕はそれを、最後まで見送る。

 雪は、ヌシさんとホムラさんの燃え上がりそうな気分の高揚のせいで、すっかり溶けていて。その朱色を鮮やかに写し取ったような、それでいてどこか寂しい秋の終わりが、古き家を包んでいた。

 遠い昔、まだヌシさんのところに神々が集まっていた頃と、何も変わらない、僕。毎年同じ話をして、世界の動きを確認して、たまには少し違う話もして、自分の姿勢を改める策を練って。また来年も、同じことを繰り返す。

 神々は姿を変えて継がれて来たけれど、時という、僕が守るこの場所だけは、何一つ変わることはない。

「とある一つの決まりは、その世界だけのものであって、別の世界では、また違う決まりがあることを、忘れないでいよう。神も、人も、妖も、生の世界も死の世界も。君達自身の世界も、心を賭して自分より大切に思う、かけがえのない相手の世界もね」

宴の締めとして、ヌシさんが帰り際に残した言葉が、風と一緒に、僕をそっと撫でた。

 また来年。皆に出会うまでに、世界はどれだけ変わるだろうか。僕はそれを見続けて、時に、言葉の栞を挟んで行こうと思う。


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