八話
響岐が風邪をひいて寝込んでから丸二日が経っていた。
すっかり熱も下がり体調は普段通りになってきた。が、加耶と千萱は過保護でなかなか寝所から出してくれない。
食事も汁粥や果物、汁物というものしか出ない。もうそろそろ甘い物が欲しくなる。それを訴えてみても二人は聞き入れてくれなかった。仕方なく言うことを聞くしかなかった。
昼間になってから大海人皇子の使いだという女官が訪れてきた。加耶が応対に出る。しばらくして彼女は大きな包みを抱えて戻ってきた。
「姫様。皇子様から贈り物です」
「あら、そうなの。それにしては大きな包みね」
「ええ。開けてみますか?」
頷くと代わりに加耶が開けてくれた。出てきたのは貂の毛皮と風邪に効くらしい葛の根、大根の蜜入りの汁などだった。
千萱もいたが驚いている。
「まあ。どれもこれも高価そうな物ばかりですね」
「うん。この毛皮、何の生き物のものかしら。加耶はわかる?」
「…たぶん、貂というイタチに似た生き物でしょう。すごくすばしっこいのですよ」
へえと言いながら響岐は毛皮にそっと触れた。滑らかな手触りが伝わってきた。
「とても暖かそうな毛皮ね。貂は奈良では見た事がないわ。確か北の方に住んでいると聞いた事があるの」
「そうですよ。貂は北の蝦夷に近い所に住んでいます」
「なるほど。そうだったのね」
納得しながら貂の毛皮を膝に乗せてみた。とても暖かくてこれなら寒い冬の日も大丈夫そうだと思った。
「…姫様。大根の汁をお飲みになりますか。玻璃の杯に入れますので」
千萱が言ってくれたので響岐は頷いた。
早速、千萱は玻璃の杯を机から持ってきた。その中に竹筒に入った大根の汁を注いだ。少し黄色っぽいどろりとした汁が杯に並々と注がれた。
千萱は匂いを確かめてから銀の棒を懐より取り出した。大根の汁に浸ける。銀の棒を上げたが変化はない。
それにほっとしてから木匙も取り出して味も確かめる。大丈夫だと頷くとやっと千萱は響岐に杯を持ってきた。
「では。毒味をしましたのでどうぞ」
「ありがとう。わざわざごめんなさいね」
そう言いながら大根の汁を口に運ぶ。ピリッとした辛みと蜜の甘みが合わさって微妙な味だ。が、体が不思議とぽかぽかと暖かくなる。苦味もあるが薬だと考えて二口、三口と飲んでみた。
半分近くを飲んで千萱に手渡そうとした。千萱は真剣な表情で響岐を見た。
「…姫様。とりあえず、杯に入れた分は飲んでください。でないと治るとは言えません」
「けど。苦いのよ」
「それでもです。飲んでください」
わかったと言って仕方なく大根の汁を少しずつ口に含んだ。こくりと嚥下する。やはり苦い。
全部を飲み干すとやっと千萱は杯を受け取ってくれた。よくできましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
「では。後で葛の根の薬湯もお持ちします。お飲みになってくださいね」
「…わかった」
渋々頷いた。千萱は杯を持って部屋を出ていく。響岐はまた苦い薬を飲まされるのかとげんなりした。
加耶は苦笑しながら響岐を寝台に無理に寝かせたのだった。
その後、響岐は千萱の煎じた葛の根ー葛根湯を飲まされた。思ったより苦くなくて飲みやすかったが。
それでも療養生活は退屈なものだった。大海人皇子が贈ってくれた包みに入っていた竹簡を読んだり千萱や加耶と話したりする。皇子が贈ってくれた葛の根はまだあるらしく翌日も三回ほど飲まされた。
五日目に入ってやっと加耶と千萱から普段の生活に戻っていいといわれた。響岐は複雑だった。
何せ、五日間も女官としての仕事を休んでいたのだ。大王様に怒られないかと冷や冷やしたが。
意外な事に大王は「額田。大海人からは話を聞きましたよ。今度から気を付けなさい」と仰り響岐に風邪や他の病気にも効くからと薬草を下さった。今度、風邪っぽいなと思ったら試してみなさいとも仰った。
拍子抜けした響岐だが。ころころと笑う大王は普段通りである。大海人皇子が大王に響岐の休養を許してほしいと頼み込んでいたと知ったのはそれからもっと後だった。