二話
響岐は加耶や千萱と三人で宮城に向かう事になった。
もちろん、父の鏡王から護衛役の衛士を付けてもらっている。響岐は緊張していた。
「姫様。大丈夫ですよ。主となられる大王様は女人でいられます。ただ、ご子息の皇子方には気をつけた方がいいかもしれませんが」
「そう。確か、皇子方は兄君が葛城皇子様で弟君が大海人皇子様だったわね」
「今は葛城皇子様は中大兄皇子と名を変えられたと聞きます」
そうだったわねと響岐は頷いた。
中大兄皇子と名を改めたのは父の大王ー舒明大王が崩御なさった詔の時だという。葛城皇子では中途半端だという理由でなされたらしいが。
響岐はそこまでを思い出して自分の着ている裳裾をぎゅっと握りしめた。中大兄皇子は今年で二十二歳になる。大海人皇子は十七歳になるとも聞いた。
真ん中の間人皇女が十九歳くらいか。このお三方には新参者の自分が会えるわけないが。それでも不安ではあった。
響岐はまた、昨日と同じため息をついた。
あれから、半月が経ち、響岐は宮城に上がった。初めて見る宮城はとても大きくて広い。朱塗りの柱や梁などを首を上げて眺めたりしてはふうむと唸る。
先導役の女官は静かに先を行く。響岐はそれを慌てて追いかけた。
「…額田殿。これから、大王様にお目通りをします。失礼のないように」
「わかりました。大王様の御前に上がるのですね」
「そうです。後、きょろきょろとしない。品がありませんよ」
ぴしりと厳しい調子で言われる。響岐はばれていたのかと思い、俯く。
女官はそれには構わずに廊下を歩いていった。仕方なく付いていった響岐だった。
「おや。新しい女官殿ですね。可愛らしいこと」
ころころと笑いながら響岐に問いかけたのは中年であるのに若々しくとても美しい女人だ。髪を銀製の簪と造花、櫛で結い上げて色も鮮やかな萌葱色の上着と山吹色の裳を身に纏っている。
女人ー宝大王は響岐を興味深そうに見つめた。
「女官殿。早速だけど。名はなんと言うの?」
「…額田と申します。初めてお目にかかります。大王様」
「ああ。そなたがあの鏡王の娘さんなのね」
そうですと答えると宝大王はふふっと笑う。
「額田。そなたの事は父君から聞き及んでおります。とても歌が得意なのですってね」
「それほどでもありません。大王様にお披露目できる歌を作れるかはわかりませんわ」
「あらあら。謙遜せずとも。額田の作った歌をいずれは聞かせてもらいたいわ」
はあと言うと大王は座っていた椅子から立ち上がった。額田ー響岐のすぐ側までやってくる。
「額田。今日はわたしの息子達も来ていますから。挨拶をしていきなさい」
黙って深々と頭を下げて答えた響岐だった。
「…母上。新しい女官が来たと聞きました」
控えめな青年の声がする。大王はにこやかに笑いながら青年に手招きをした。
「あら。もう来たのね。中大兄、それに大海人も。こちらは鏡王殿の娘御で額田殿よ。さ、挨拶をなさい」
響岐は顔を上げると中大兄皇子らしき青年や傍らに佇む少年を見た。
「あの。わたくしは額田と申します。皇子様方、初めてお目にかかります」
深々と頭を下げたが。中大兄皇子達の答えはない。何か粗相をしてしまったかと内心、慌てた。
「…母上。額田といえば、あの歌の名手の額田王殿ですか」
尋ねたのは青年ではなく少年の方だった。響岐が顔をおそるおそる上げると少年は少しばかり色の薄い茶色の瞳で見つめていた。
「額田殿。初めまして。僕は大海人というんだ。まさか、あなたが宮城に上がるとは思わなかったよ」
「はあ。大海人皇子様でしたか。こちらこそ初めまして」
「うん。ちなみに僕は今年で十七になるんだ。額田殿はいくつなのかな?」
響岐は少し考えてから答える。
「十五になります」
「へえ。僕よりも年下だったんだね。中大兄の兄上で二十二にはなるよ」
屈託なく笑う大海人皇子に大王も中大兄皇子もやれやれと呆れ顏だ。
「…大海人。俺が言うのが先だろうが。まあ仕方ないか。額田殿、俺はこいつの兄で中大兄という。よろしくな」
「よろしくお願いします。中大兄皇子様」
「疲れているようだな。もう退がっていい」
大王も頷いたので響岐は頭を下げて大王の執務用の部屋を出た。そのまま、自室に退出したのだった。




