十九話
響岐は羽空とその後も話を続けた。
皇子の事などを教えてもらったりもした。が、さすがにこのまま起きているわけにもいかない。仕方ないので一刻程話したら羽空に退がるように言った。羽空は深々とお辞儀をすると静かに退出する。響岐はほうと息をついた。そのまま、倒れ込むように褥に寝転がる。
(皇子のいろんな話を聞けたのは良かったわ。わたくしが知らないような事も教えてもらえたし)
そう思いながら響岐は深い眠りに入っていった。
翌朝は響岐も微熱が下がり食欲も普段通りになっていた。羽空達は良かったと喜んでくれる。大海人皇子からも見舞いの品が届けられた。響岐が食べやすいだろうからと桃や李だった。他には宝大王からも見舞いの品が届いていた。こちらは温かくなるようにと貂の毛皮や葛粉だ。響岐はお礼にと皇子や大王に文を送った。
「……響岐様。桃を剥いて切り分けた物と葛湯です」
「ありがとう。皇子や大王様には感謝しないとね」
「ええ。李は糖蜜煮にしてみました。後でお持ちしますね」
「そうね。貂の毛皮も冬場にはちょうどいいわ」
「ですね。さ、召し上がってください」
受け取って葛湯から飲んでみた。ほんのりと生姜の辛みと蜜の甘みがあって美味だ。葛湯のとろりとした感じも良い。これなら病み上がりの身体でも飲みやすいわね。そう思いながら一口ずつ含む。桃を切り分けたのも程よい酸味と甘みが口の中に広がる。葛湯は全部飲んでしまう。
「桃は後で沙月達も食べたらいいわ。何個くらい頂いたの?」
「……十個くらいは頂きました」
「そう。わたくし一人だけでは食べ切れないから。皆で食べてくれてもいいわよ」
響岐が言うと沙月達は嬉しそうにする。それを見てほっとしたのだった。
その後は体調を崩す事もなく穏やかな日々が過ぎていく。季節は初夏になっていた。五月の中頃になっている。響岐は大海人皇子に久方ぶりに会っていた。
「久しぶりだね。響岐」
「……はい。そうですね」
「今日は顔色が良さそうだ。夜になったらよろしく頼むよ」
皇子の言葉に響岐は固まった。自分がこちらに来たのは寵愛を受けるためだ。それは既にわかっていたはずだが。なのに穏やかな日々があったせいで忘れていた。
「……響岐?」
「いえ。何でもありません。わかりました。お待ちしています」
「うん。じゃあ、私はもう行くから」
皇子はそう言うと響岐の居所を去っていく。見送りながら自身のこれからを考えるのだった。
夜になり以前と同じように皇子がやってきた。響岐は浮かない顔で迎える。
「響岐。昼間もそうだったけど。私が訪れるのは嫌なのかな?」
「そんな事は。ただ、自由に外にも出られなくて参っていただけです」
「……そうか。ごめん。君の行動を無闇に制限するべきではなかったね」
皇子は少し俯き加減になる。灯明が彼の顔に陰影を作った。響岐はそれを見ながらやはり実家に帰りたいと思う。姉や父と共に過ごしていたあの賑やかな日々が恋しい。今の状態でも不満はないが。
「……皇子。わたくしを実家に帰してくださいませ」
「……やはり戻りたくなったか。けど今は駄目だ。後一年は待ってくれ」
「どうしてと聞いても?」
響岐が問うと皇子はため息をついた。
「……どうしてって。私だって遊びで君をこちらに連れてきたわけじゃない。妃として扱うためにと言ったらわかるだろう」
「それはそうですけど」
「私は君が本当に好きなんだ。そんな簡単には手放せないよ」
皇子はまっすぐに響岐を見た。追い詰められたような心地になる。響岐はまだ初恋すら知らない。けど肌がじりじりと焼けてしまいそうな熱くて射抜かれてしまいそうな眼差しに響岐は恋情をまざまざと思い知らされる。本気だ。そう感じ取れた。
「……皇子はわたくしを女性として見ておられたのですね」
「それはそうだよ。でなかったら手を出していない」
「わたくしは。恋情がどういうものかまだわかりません。けど皇子と一緒ならわかる気がしてきました」
響岐が言うと皇子は顔を薄っすらと赤らめた。けれどもにっこりと笑った。
「……そっか。私の事を嫌いなわけではないんだね」
「……ええ」
頷くと皇子は響岐の頬に触れた。軽く唇に接吻をされる。皇子は一夜をこちらでまた過ごしたのだった。