初恋
何度、
何度私はその先へ進みたいと思ったのか。
数えようと思えば最低の366しか思い出せないが、それでもカウントは続いているので結局は分からず仕舞いだ。
あの瞬く星空の中沈むのなら、と、今でこそ思えるが、当時の私にはそんな物は見えなかった。
あの窓から見た空は煌々と青で彩られて、輝かしい雲の白が一緒に引き立った素敵な空だった、と思うのだが、記憶にあるのは淀んだ薄灰色の景色だけで、何度思い返しても、私の見てきた素晴らしいであろう景色の数々は、気持ちを滅入らせる、雨色の薄灰色でしか思い出せない。
それと一緒に思い出すのは、有刺鉄線が絡み付いてくる様な、不愉快な痛みのみ。
昼間の騒音が消えた後の夜は、まだ心地よかったが、痛みの代わりに嫌ににじり寄って来る様な、漠然としない不安と恐怖があった。
その時に、昔と今と、その先を考えてみると、真っ黒い物しか見えなかった。
そんな私に唯一つ美しく映ったのがベランダだった。
そこに出て手すりに体重を預けて、下を見るのが好きだった。
月明かりに照らされたコンクリートは、ふんわりとした羽毛の様に、私を誘ってくれた。新月の時はトロリとした墨染めの闇が、ゆるりと私を包んでくれそうだった。
その時だけは夜の闇に包まれている風景が、美しいと思えた。
静寂さは私の肩を抱いて、大丈夫とあやしてくれていた。真っ黒に染まった木や山は穏やかに私を見つめてくれていた。
それでも空を見ることは無かったと記憶している。
私がその時求めていたのは、星空に沈む事ではなく、その逆だったのだ。
何度夢想したのだろうか、その冷たい地面に口付けする瞬間を。地面に包まれる感覚を。
けれど、実際その一歩が出なかったのは事実であって、恋をする女学生が、告白できずに苦悩するのに似ていた様に、今は思う。
時は経ち私がベランダへ出て見る物は変わっていた。
さっぱりとした青空に、木綿の様な雲、その中を我が物顔で堂々と歩く太陽。灼熱した太陽によって燃え盛る空とそれが飛び火した雲。濡れ羽色の夜空に、宝石のような星、そして琥珀のような月。それらを見るために、よくベランダへ出るようになった。
特に、夜に出るのが好きで、外の外気で温度を変えた手すりは、私の手や足に「久しぶり」、と会釈してくれるように感じ、空を眺めている時に撫でる風は、「今日の私はどう?」と聞いてくれるように思える。
けれど時々、ベランダから部屋へ帰る時に感じる物がある。
スルリと、私の足に黒色の絹を絡ませる様に地面の暗闇が誘ってくる。その闇はあの時とは違い、私にとっては嫉ましく、まだかまだか、と口を開ける怪物にしか見えなかった。
それと同時に懐郷の念も襲ってくるのだ。
今もまだ、夜の地面は初恋の様に私の心を放してはくれていない。
夜中に外にでた時、特に、高い所に居る時に感じる、言いようのない不安を表現できればと思いました。