ふたりは27歳だった
生きているものの体は、命が尽きた後に放り出されたままならば、朽ちてしまうのが普通だ。時々テレビの中、ニュースキャスターが深刻な声で語る、死体遺棄事件。損傷が激しく、性別は不明で、死後数ヶ月――
朽ちる前に燃やして灰にして、墓の中に入れる。何となく、それが自然に反する行いのような気がしていた。土葬のほうが自然な印象だった。土葬にした死体が生き返って人を襲うホラー映画を見てから、火葬派の先鋒になったのは中学生の頃だ。
殺された人が、ゾンビにならなくて良かった。気の毒ね、可哀想に、と声を沈ませる母親に相槌を打ちながら、私は見つけられた死体が燃やされることを考える。そして曾祖母が亡くなった時のことを思い出す。
大学受験が終わり、卒業式が終わり、新たな地での生活にまだふわふわしていた時。入院していた曾祖母は亡くなった。大往生だ、と皆が口を揃えて言った。冷たくなった曾祖母の顔の中でも、歯が沢山抜けてしまったせいで不格好に落ち窪んだ口元が印象的だった。ぽっかりと開けられた口の中は暗かった。
可愛がってもらった記憶は確かにあるのに、ああ、やっと亡くなったのかと思った。薄情だと自分でも思う。
言い訳をするとしたら、曾祖母が認知症を患っていたことを挙げたい。部活の忙しさにかまけてお見舞いを先延ばしにし続けて、ようやく顔を合わせた時に言われた言葉を、私は一生忘れられない。このお姉ちゃんは誰かな、だって。どうしようもなく悲しくなって、物陰に駆け込んで泣いた。それから更に足は遠のいて、結局亡くなる直前までお見舞いに行くことは無かった。
曾祖母はきちんと火葬されたので、ゾンビにはならなかった。冷たくなった体が燃やされて骨になって帰って来た時の匂いは、まだ何となく覚えている。ちょっと煤けた匂いがする、白に近い灰色の骨。用意された箸で簡単に割れてしまう骨だった。
背骨の一つを摘んで、骨壷に入れた。曾祖母の腰が、幼い記憶の中でも曲がっていたことを思い出しながら。
さて、私が語りたいのは、決して曾祖母の死にまつわるお涙頂戴のエピソードでもなければ、曾祖母との心温まる朧気な思い出でもない。
話の中心に居るのは、私の友人である。同じ大学に通う同級生で、新歓のために様々なサークルが新入生を引き入れようと全額奢りの飲み会に沢山の人を集めた中で、偶然顔を合わせて沢山話をしたのが、私と彼女の関係の始まりである。
彼女の名前は咲本香織ということにしておこう。何故彼女の名前を出さないのか、という問いがあれば私は迷わず「プライバシー保護の観点から」という答えを返す用意をしている。偽名を使ってまで彼女の何を伝えたいのかと問われても、正直なところ分からない。
ただ、こんな死に方をする人が居たことを、私以外の誰かにも知ってほしい。死に方とは、生き方にも繋がるものだと私は思っている。ろくな死に方をしないと言われる人は、ろくな生き方をしていないことでそう言われるのだ。
立派に生きた人が孤独にひっそりと死んでいくパターンも、掃いて捨てるほどあるに違いない。逆にどうしようもない悪人だとかクズだとかが、満たされた死を迎えることもあるのだろう。
私は彼女、咲本香織が満たされた死を迎えたのかは分からない。ただひとつ言えるのは、彼女は文字通り樹となり花になった。ただそれだけだ。
そろそろ本格的に話を始める前に、語り手である私の名前も決めておこう。正直A子でもB美でも構わないのだが、彼女に咲本香織という名前を与えた以上、並ぶ私の名前ももう少し現実味のあるものにしておこうか。
以降、私の名前は土屋雪子とする。
私、土屋雪子は特筆するようなこともない、平凡な人間である。大学は卒業したが、学業に対する態度が模範的であったわけでもない。適度に授業は自主休講、時々単位を落とすも、ちゃんと進級できる程度には頑張った。サークルには所属しておらず、バイトと遊びに時間を使った。けれども最後には卒論に悲鳴を上げていたし、就職活動で黒いリクルートスーツに身を包み、個性を殺して御社御社御社と唱えて多くの会社を渡り歩いた。どうにか内定を掴み取った頃にはへろへろのぐっちゃぐちゃで、現代社会へと呪詛を吐いたものである。
互いに内定がもらえないことの愚痴を、香織とふたりで語り明かした夜は何度もあった。お酒にジュースにお菓子にデリバリーのピザ。カロリーという敵と一晩限りの和平協定を結び、若い体を蝕む現代社会のストレスを少しでも浄化しようと躍起になっていた。
就職活動という戦争が終わったら、次は卒論という大敵が待っていた。教授からの指導という名の攻撃に精神を削られながら、終わりの見えない世界にいる、と泣きそうになった夜は数知れず。
卒論終わらない、と言えば、私も、と香織から返事があった。それでも卒論は最終的に完成して、卒論発表会では多くの質問でメンタルダメージを受け、それでもなんとか単位をもらい、卒業した。
卒業してからはいわゆるOL。しかし一昔前のようなお茶汲み係ではない。寧ろ部長やら課長やらに作り笑顔でお茶を出すのはごめんだったので、ぺーぺーながらも仕事を出来るのは嬉しかった。
香織もまた、OLだった。しかし彼女の会社と私の会社は離れた場所にあったので、当然ながら住む場所も離れてしまった。大学生の頃のように、日が暮れてから唐突にお泊り会をしようと言い出せる環境ではなくなった。
互いに、それなりに残業があったり、休日出勤があったり、忙しくしていた。そんな中で連絡を取る回数が減っていったのは何も不思議なことではないと思う。最初はテンポが良かったメールのやり取りもご無沙汰。思い出したように、誕生日おめでとうとか、クリスマスだねとか、些細なことをやり取りしたけれども。ぴかぴかの新入社員から脱皮して、後輩を持つようになってから、やり取りの頻度は更に減っていった。
それぞれ、自分の日々を生きるのに精一杯だった。朝起きて、身支度をして、仕事に行って、働いて、家に帰って、ぱたりとベッドに倒れ込む。抱えた疲労を昇華しきれないまま、ブルーマンデーから華金までの五日間を乗り切り、土日はだらだらと過ごす。
大学生って自由だったんだな、と過去を振り返りながら啜るカップラーメンは醤油味。自炊もサボリ気味で、栄養素は偏っていることだろう。せめて夜は何か作ろう。
そうやって毎日をやり過ごしていく中で私は、いつの間にか27歳になっていた。
そして同じく27歳になっていた香織から、突然のメールが届いた。大事な話があるから会いたい、と書かれたシンプルなメール。絵文字も顔文字もない、かさついた文面だ。
早ければ今週の土日なら会えると返信すると、そう間を置かずに再びメールが送られてきた。じゃあ、今週の土曜日にしよう。
そして来たる土曜日、待ち合わせのカフェで見つけた香織は、以前会った時よりも擦り減ったような顔をしていた。