愚かな村の末路
ザクザクと切り刻む度に飛び散る血。
もう物言わぬ肉塊になったそれに、茨戯は一心不乱にナイフを突き立てていた。
「もう止めろ」
止めたのは、明睡だ。
いつもヘタレと呼ばれ、仲間内では切れやすく喧嘩っ早いと言われる事もあるが--。
「もう十分だ」
茨戯の手首をしっかりと握りしめ、吐き気を催すような惨状にも眉を顰めずに言う姿は軍のナンバー2に相応しかった。
茨戯は明睡の顔を見ると、手から力を抜く。離れた指からするりと抜けたナイフを、明睡は取り上げた。
「向こうで休んでろ。あと、拠点に帰る前に水浴びしておけよ。ああ、香りの強いのを使え。匂いがきつすぎる」
全身に浴びた血の匂いを指摘する明睡に、茨戯は口を開いた。
「そうかしら?」
「そりゃ馬鹿にもなるか」
血の臭いももはや感じない。それ程長く嗅いでいた生臭さ。
茨戯はくるりと向きを変えると、既に動かなくなったその肉の塊を踏みつけた。ゲシゲシと何度も踏み、最後には踏みつぶした彼に明睡は溜息をつく。
「明睡様」
背後に現れた配下に手を振る事で指示すると、明睡は茨戯が動きを止めるまで付き合う事にしたのだった。
この場所は、神口百名ほどの村だった。
しかしただの村ではない。村神全員が、奴隷売買に関わってきた村だ。それも、呪術の生け贄となる子供の売買に関わっていた。
この村に赤子だった葵花は売られ、そしてこの村があの村へと売ったのだ。
ただ、それだけならば茨戯はわざわざこの村を訪れようとは思わなかった。
つい最近、とある呪術による儀式が行われようとしていた。それには、多くの生け贄が必要だった。当然ながら、この村に生け贄となる奴隷の子ども達を買いに、その儀式を行う集団はやってきた。
しかし、子供の数が足りなかった。
そこで目を付けたのが、葵花だった。
葵花は儀式の生け贄用として、それなりの処理がされていた。彼女はどんな儀式にも一神で対応出来る程の『贄』となっていた。
葵花が儀式に使われず、村が滅んだ事。
そして葵花が今も生きている事を村は、村が持つ情報収集力で嗅ぎ付けた。
今回の相手はお得意さんだったらしい。
報酬も莫大な金額が動いていた。
何としてでも『贄』が必要だった。そして数が足りなくても、葵花が居ればそれで事は足りる。
だからこの村は、葵花を奪いにかかったのだ。
この村から少し離れた山中で、この村の者達が雇った盗賊団に襲われた。三百名からなる盗賊団は、奴隷商神とも繋がる者達であり、彼等を援助する権力者達は多かった。
しかも彼等は戦い慣れをしていた。
そして、動きにくい山中という事で、萩波の軍は苦戦を強いられた。丁度、戦闘に長けた者達--古参メンバー達やそれに準ずる者達の多くが、軍を離れていた事も大きな原因の一つだった。彼等は、近隣の村や街の救助要請に応じていたのだ。
彼等は自分達の率いる部隊を連れ、各地へと飛んでいた。
その隙を突かれたのだ。
いや、その隙すら奴らの手によるものだった。奴らは、古参メンバーやそれに準ずる者達--戦闘に長けた者達を引き離す為に、縁のある別の盗賊団と組んで近隣の村や町を襲わせたのだ。
葵花を狙った盗賊団は、残って居た力の無い見目麗しい者達も連れ去ろうとした。奴隷としては、これ程の逸材は居ない--という者達が萩波の率いる軍にはごまんと居た。そうして彼等を守ろうとする者達を傷つけ、彼等は葵花と戦闘に劣る見目麗しい者達を連れて意気揚々と凱旋していく筈だった。
果竪達が居なければ。
「橋を落して、道を塞いで」
果竪は残って居る者達では到底彼等に敵わない事をいち早く判断した。彼女は戦闘能力もセンスも平均以下だが、『どうすれば時間を稼げるか』は知っていた。
果竪は盗賊団が来てすぐ、小梅と涼雪を含めた十数神をそれぞれ別方向へと走らせた。一方は、麓に繋がる吊り橋へと。もう一方は、麓に降りる道を。
小梅は躊躇無く吊り橋を燃やして落した。
涼雪は山中に居る熊を巧みに誘導し、十数頭の熊達を盗賊団の下へと呼び寄せた。
そしてその間に、彼等の逃げ道となる道を全て
「逃がすかよ」
塵も積もれば山となる。
先日までの雨で緩んだ土は、彼等が力を合わせた雨だけで十分に土砂崩れを起こした。
そうして、彼等は逃げ道を塞いだ。
盗賊団と真っ向からでは敵わない。
けれど、今出払っている仲間達が戻ってさえくれば、十分に立ち向かえる。そう--攫われた者達を救い出せる。
盗賊団の中に、空間転移が出来るだけの実力者が居なかった事も幸いした。また、それを補えるだけの道具は持っていたものの、使う暇は無かった。
「手負いの熊ほど恐いものはありませんから」
涼雪はにっこりと笑って、熊達を巧みに誘導していく。中には、驚くほどの巨大熊も居た。殺気立つ熊達に襲われた盗賊団にはそんな暇は無かった。
しかも、果竪はそれはそれは上手に盗賊団の頭に血を上らせていったのだ。
「悔しい? 悔しい? 力も無い子どもにしてやられて悔しい?」
悔しい筈だろう。
本来であれば何事もなく済む筈だった。
自分達は此処で手に入れた見目麗しい者達を商品として連れ帰り、村からは葵花と引き替えに多大な報酬が出る筈だった。
それが、逃げ道を失い、熊に追いかけ回されているのだ。
ギリリと歯がみする盗賊団の数神と対峙しながら、果竪はふと後方から聞こえてくる声を聞いた。
燃やされた吊り橋の向こう--深い谷の向こうで、叫ぶ声。
「ご無事でしたか! 今、助けを」
それは、果竪達にとって援軍となる相手だった。けれど、果竪はその声をばっさりと切って捨てた。
「裏切り者に用はないわ」
距離はあったが、それは確かに相手側へと伝わった。
果竪は相手が裏切り者だと『知っていた』。本来、いくら救助要請が来ていようとも、これだけ多くの者達が軍を離れる事を萩波達がする筈が無かった。残りの者達の大半が満足に戦えない者達となれば、もしそこが襲われれば大惨事となる。
それが分からない萩波達では無い。
けれど、今回は規模が大きすぎた。
萩波の軍にとって、恩のある街や村が幾つかあったし、共に共闘した規模の小さな軍が幾つか天帝軍の猛攻撃を受けているとの話もあった。
動かなければ、助けに行かなければ確実に殲滅させられてしまう。
迷った萩波の心を決めさせたのは、彼等の代わりに残された者達を守る者達が居たからだ。彼等は山の両側の麓に待機し、他の者達が近づけないようにするとし、戦えない者達を山中の安全な場所へと隠した。
そう--そこに戦えない者達が居るのを知っているのは、萩波達を除けば彼等しか居ない。にも関わらず、盗賊団はいとも簡単に彼等を探し出した。
ただ、これには盗賊団の急襲に対応しきれずに突破されてしまった--という言い分が立つ。しかし、果竪は念のため--と本来予定していた場所とは違う場所に戦えない者達を移動させていた。
それは果竪がよくやる対応だった。
このご時世だ。
いつ裏切りがあるか分からない。
果竪は子供だけれど、そういう方面に対しては『敏感』だった。
だから果竪は自分達を守ってくれる者達の知らない場所に移動させた。
移動させた筈なのに、盗賊団はいとも簡単にそこに来た。
そして果竪は、盗賊団の馬鹿な男の一神から聞いたのだ。
「んなもん、印を付けていたからに決まってるだろうがよっ」
果竪は葵花の荷物を探り、そこに偲ばせられていた『石』を拾い上げた。いわば、所在地を示して術者に分かるようにする『発信器』の様なそれ。こんなものを偲ばせられていれば、そりゃあ分かるだろう。
ただそれでも、もしかしたら違うという場合もある。
だから果竪はかまをかけて見たのだ。
「裏切り者。盗賊団の一神が言ってた。最初から、私達を襲わせるつもりだったんでしょう?」
それに見事に答えてくれた相手は、馬鹿としか言いようが無い。
彼等も、そして反対側の麓で果竪達を守ると言った者達も。
両方が裏切っていた。
「橋を落しやがって……とっとと殺されていれば良かったものを」
「負け犬の遠吠え」
果竪はそう言って--。
自分の腕に刀を突き刺した。
「てめぇらのせいでな? 果竪が怪我したんだよ」
明睡は親しい者達には見せぬ、歪んだ笑みを浮かべて、嗤った。
萩波は果竪が怪我をすればどんなに遠くに居ても分かる--という特技があった。果竪はそれに対して気持ち悪さを覚えては居たが、その時ばかりはしっかりとそれを利用した。
果竪は深く腕に刀を突き刺した。血が沢山出た。
盗賊団は血迷ったかと笑い、深い谷の向こうに居た者達も嘲笑った。
きっと彼等は最後まで、死に神の足音に気付く事は無かっただろう。
そして彼等は、あまりにも萩波達の実力を見誤っていた。萩波率いる部隊は早々に敵対する勢力を殲滅し、果竪達の元に戻る途中だった。
そこで感じた、異変。
萩波は空間を転移した。
それだけで、普通は動けなくなる程の消耗を覚える筈だが、萩波の神力は膨大だった。彼はたいした疲労感を覚える事なく、血にぬれた果竪の前に降り立ち。
「そういう事ですか」
一目でそれまでの経緯を悟り、萩波はその場に居た盗賊団を潰していった。続くように、次々と空間を転移した者達--明睡、朱詩、そして茨戯は同じ場所に出なかった。けれど、それぞれがそれぞれの場所に出た事で、その場で窮地に陥っていた者達の命を助ける事が出来た。
茨戯が葵花を取り戻した所にようやく駆けつけた修羅と百合亜は、静かすぎる茨戯に恐怖した。茨戯は既に、盗賊団から葵花をどうするつもりだったかを聞いていたのだ。
結果、戦えない者達は重傷者は出たものの、死者は一神も居なかった。
涼雪、小梅はそれぞれ盗賊団を翻弄する中で怪我を負ったが、それでも死ぬ様な怪我では無かった。
ただ、男達は怒り狂った。
「平気よ、生きてるんだし」
「皆さんが無事で良かったです」
涼雪は怪我を負いながらも、暴れている熊達をどうにかするべく動き、小梅も怪我神達の看護へと回った。
幾ら状況が逼迫していたとはいえ、簡単に相手を信用したこちらに落ち度がある。
萩波はそう言った。
すなわち、萩波の落ち度だ。
だが、軍の者達は言った。
「悪いのは奴らだ」
萩波の落ち度--確かに、あるかもしれない。けれど、一番悪いのは奴らだ。
萩波は悪くない。
そして、彼等は戦えない者達を傷つけた者達に怒り狂っていた。上から下まで、皆が怒り狂った。
村の者達はなんて愚かな事を企んだのだろう。
確かに、幾神もの権力者達が後ろについている。中には、小国の王というものも居たし、中規模国家の王も居た。
しかし、それがどうした。
「という事なんだ」
萩波の軍は、確かに一国から比べれば少ないだろう。
幾つもの国が纏まってくれば、数で負ける。
実際、村の後見となった者達が纏まり始めていた。
ただ、萩波達だって色々と神脈は持って居る。
「表明すれば良い」
後の津国国王は言った。
「やり方が汚い」
後の海国国王は言った。
「潰してしまえ、腹が立つ」
後の浩国国王は言った。
「禍根無きよう--」
後の泉国国王は言った。
その他にも、幾つかの軍は萩波の軍に与する事を伝えた。
それらの軍は、後に水の列強十ヵ国と呼ばれる軍の者達だった。
彼等は見事に纏まり始めた後ろ盾達を引っかき回した。互いに疑心暗鬼に陥らせ、自滅させる道へと誘った。
そして--
「誰に喧嘩を売ってるんだ?」
明睡は村神の一神の頭を潰した。この男は、生け贄となる子供達を虐待するのが趣味だった。その他にも、神様に言えない趣味の者達は多い。ただ、生け贄が純潔でなけばならないという決まりがあったから、子ども達はそちらの方面での虐待はされずに済んだ。
だが、それがどうした。
結局、明睡がやる事は何も変りは無い。
「茨戯、気は済んだか?」
散々、肉塊を踏みつぶした仲間に明睡は声をかける。
「--ええ」
こいつらは葵花を怖がらせ泣かせた。
こいつらの馬鹿な望みで、果竪は傷つき、涼雪と小梅も怪我を負った。他の--美しい者達は攫われて恐い目に遭わされ、美しく無いとされた者達は彼等を守ろうとして……下手すれば死んでいたかもしれない。
こいつらと、こいつらに与した者達のせいで。
自分達は仲間を、大切な者達を失っていたかもしれないのだ。
「死ね、死ね、死ね」
「もう死んでる」
「死ね、死ね、死んでしまえ」
「更に匂いがきつくなる、もうやめろ」
明睡が小さな声で呟く。
「葵花が怯えるぞ」
その言葉に、茨戯は動きを止める。
「それに果竪達も心配する」
「……」
茨戯はようやく、明睡へと視線を向けた。
「そう、ね」
葵花は今もきっと怯えているだろう。だから早く帰らなければ。
それに、果竪達の様子も気になる。特に果竪は刀で深く腕を突き刺したと聞く。傷が残らなければ良いが--いや、修羅が居るのだから意地でも傷跡は残さないだろう。
茨戯はふわふわとした足取りでその場を離れる。
そうして、茨戯が立ち去った後--残された明睡は懐から金属製の筒を取り出し、中身を地面にばらまく。そして、火の付いた燐寸をそこに投げた。
一瞬にして火が付き、それはあっという間に辺りを火の海にする。
「どうだ? 全てが火の中に消えていく光景は」
明睡はクスクスと笑う。
「所詮、お前達の守りたかったものはこの程度なんだよ」
炎に照らされた美しい笑みは、酷く甘美で艶かしいものだった。