コンビニ店員に告れ!
果たして、その放課後はやってきた。
「ザンネン、ちゃんといるじゃん」
戒能は学校帰りのコンビニの、お菓子の棚の上からそっとレジを覗くと、小さく舌打ちをした。
「残念ってなんだよ」
幸村は不満満面で戒能を睨む。今日の彼はいつもより真剣である。
「ガチで怒んなよ……その真剣さ、アタシ、若干引くぞ……」
「サトリ、お前、親友が真剣勝負に挑もうとしてる時にその態度はなんだ!」
「バカ、大声だすなよ……」
幸村は慌てて等坂の口を押さえる。
レジに立ったコンビニ定員は、ゴールドにも見える琥珀色の瞳を煩い客に向けた。
「やべっ……サトリ、あの人、怒ってるぞ」
「何言ってんだジュン、お前のせいだろ!」
倒壊コンビの異名を持つ等坂純一郎と戒能佐鳥は、場を弁えずに揉み合い始める。
「あのー」
ドスの効いた、低い声が店内に響いた。
「他のお客様のメーワクんなるんで、店ん中でイチャつくの、マジ、やめてもらってイイっすかー?」
レジに立ったその人は、若干ヤンキーっぽい口調でそう言った。
「あ、すみません……」
朝礼で体育会系の進路指導の教員にドヤされてもなかなか黙らない二人が、一瞬で身を屈める。
その人の制服の胸のプレートには、あまり上手ではないカタカナで「シャイ」と書いてある。自分の性格を一言で、という合コン的な質問への回答では明らかにない。名前である。彼女は、人種の多様性が比較的乏しいこの国の住民が言うところの「ガイジン」だった。
幸村とほぼ同じ背丈、百七十センチ前後の客がオニギリとビールを持ってレジに立つ。決して低くないはずなのだが、彼女の方が拳一つほど高い。
「あーっす。ごひゃくななじゅうにえんになりーっす」
淡々と会計を終えると、彼女はスウィングゲードを膝でガツリと押し開けて、棚の整理を始める。
「ちょっと、どいてもらえますかー?」
一声かけて、彼女はカゴに入れた菓子を棚に補充し始める。三人はそそくさと横に避けて、横目でその動静を観察する。
上の棚へ、下の棚へと、膝を屈伸させるその動作のせいで、腰の位置が強調される。申し訳ないが、幸村と等坂は、戒能のそれと彼女を比べてしまう。中学では短距離走で鳴らした戒能は、足も長ければスタイルもいい。しかし、そこにはどうしても越えられない人種の壁があった。
「てめえら。何考えてっか大体わかったから、あとでシバくから」
戒能はヒステリックなツリ目に怒りの炎を燃やして、拳の関節を鳴らした。
「さあもう、二人とも、とっとと始めっぞ」
戒能に急かされて、幸村は、三人で相談しながら書いたメモを取り出す。そこには、「できるだけ読みやすい字で」と何度も書き直した字で、
バイト終わったら、清良南公園まで来てください。
After your job, can you come to the Seiryou-Minami Park?
という文字と、幸村のメールアドレスが書いてある。等坂は改めて、
「完璧だ。簡潔にして十分。これ以上はねえ!」と自信を持って言い切った。
「英語は私が書いたけどね」
「うっせえな。こういうのは、原作が偉いんだよ。原作が」
「だから、頼むからお前ら、静かにしてくれ……告白される前にフラれそうだ……」
幸村は頭を抱える。
「あのー」
別のカゴを取ってきた彼女は、三人を押し分けるように、再びズイと菓子コーナーに入ってくる。
「あい、すいませんねー」
手にした籠の中には、棚にいっぱいに並んでいるのと全く同じ種類の菓子が入っている。それを三人の間に入って、右から左に同じ物を並べ替える。明らかに嫌がらせである。
「それ、同じ商品ですよね」
短気な戒能が痺れを切らした。それにシャイは、
「ワタシ、ニホンゴ、ワッカリマセーン」
と急激に片言になった日本語で返した。
「こいつ!」
戒能が拳を振り上げたところで、幸村が拳を押し退けた。
「あの」
「あん?」
シャイは淡白そうな切れ長の奥二重の目で、下から上に突き上げるように幸村を見上げた。天井のLEDライトの青白い光を受けて、彼女の瞳が琥珀色に光っている。
「これ、お願いします」
幸村はその強い目を押し返すようにグイとメモを渡した。
「なんだコレ……」
シャイは日本語で言った。
「公園で待ってます」
彼女の白い肌から続いた、赤身のほとんど無い唇が、左側だけ釣りあがって、いくらか邪悪に笑った。
「一時間後に行くよ」
彼女はそれだけ言うと、レジに戻っていった。
☆
一時間後。三人はまだ公園に佇んでいた。
「なあ、幸村」
戒能はすべてのトグルを閉めた学校指定のダッフルコートの襟に、蓋をぎゅっと締めるように、長いマフラーをぐるぐると巻いて完全密封に近い状態を作っている。そしてコートの広くもない裾の中に、たいそう座りにした膝を抱え込んで、ベンチの上にうずくまっている。
「お前、それ、相当体柔らかくないとできないよな」
等坂は幸村のマフラーを半分かけてもらって、ガクガクと足を震わせている。
「柔らかいだけじゃない。細くもないとできない」
戒能は体から逃げる熱量を必要最小限に抑えるように、必要最小限の言葉だけを吐いた。
「なあ、幸村」
戒能は改めて言った。
「てめえ、今日、何度だと思ってる?」
幸村は紫を通り越して青になった指先でスマートフォンの画面を操作すると、
「マイナス一度」
と答えた。
「零下じゃねえかよ! レーカ! ほっときゃ水が凍る温度だぞ! 人間の体の六十パーセントは水なんだぞコラ!」
「スマン……ぶっちゃけ、ここまで考えてなかった」
等坂が、かっくりと首を折る。
「幸村、俺、なんか、眠くなってきた……」
「寝るなジュン、寝たらダメだジュン、死ぬぞ!」
戒能はダッフルコートの中で手足をバタつかせて叫んだ。
「もう一時間経つ、っつう事実は、突き詰めるとアレだから横に置くとしてだ。だいたい、お前、今日のバイトが終わるまで待つ的な文脈で書いてたけど、一体全体何時間まで待つつもりだったんだ? もしこのまま深夜シフトで、あと五時間とか言われてたら、五時間待ったのか、あーん?」
「待った……」
幸村は真顔で答えた。
「……そっか」
戒能は大人しくなる。彼女は口調のわりに怒っていないことが多かった。そして口は悪くとも、根は極めて善良なやつだった。
北風が特別冷たく吹いて、雪も降らない乾いた公園の砂を巻きあげる。
「あたし、ちょっと、あったかいもんとか買ってくるわ」
そう言って、戒能はダッフルコートのトグルを全て閉じたまま、器用に手足を元に戻す。
「あ、俺も行く……これ、動いた方がいいパターンだわ」
等坂も立ち上がった。
「なあ、ジュン」
道すがら、戒能は等坂に聞いた。
「あいつ、なんであんな必死なんだ? ロクに話したこともない、あんな性格悪そうな女に……」
「ああ、ソレなあ……」
等坂は、真っ暗になった夜空と、街路灯の明かりを見上げて言った。
「あいつ、重度のマザコンなんだわ。それはもう、死に至る病レベルの」
「は?」
戒能が住宅地の真ん中で、素っ頓狂な声を上げる。
「なにそれ?」
「ああ……」
等坂は懐かしそうな目をする。
「あいつのお母さん、すげえ美人で、可愛かったって言ったろ?」
「うん……」
「もう死んでんだわ。これが」
「それは、なんとなく、話の流れでわかった」
「あいつは、日本人的に美人で、可愛かったお母さんの亡霊に取り憑かれてるんだよ。だから、それから逃げようとして、できるだけ遠くに走っていこうとしてるんだと思う」
戒能には、等坂が言おうしていることが半分わかって、半分わからない気がした。等坂は、それに気付いたように、
「あいつな、中学三年の時にガイジンに目覚めてな!」
と半分笑いながら声を上げた。
「俺に頼むんだよ、洋物のエロ動画ってどうやったら見えるんだー、とか、写真集ってどうやったらかえるんだー、とか。そうそう傑作なのが、三年の最後に、交換留学生の金髪の女の子が来た時に、最終日に告白してさ。見事に振られてギャン泣きしてたんだよ、あいつ! もう、慰めるのが大変でさー。そういやあ、卒業式の時も、英会話担当の白人の女の先生に告って困らせてたな! もう病気だよ、病気」
「そこまで行くと、もうすごいな」
「そう……本当に、すげえ」
二人は急に黙ってしまって、とぼとぼと歩く。はらはらと雪が降ってくる。見上げると、東京の夜でも明るい空の、星の見えない真っ暗な空から降る雪が、人家の灯りを受ける距離まで近づいてから急に輝き出し、銀色に光りながら落ちてくる。
「あいつ、いっぺん本当にガイジンと恋愛して、ひどい思いするしかないんじゃねえかなって、俺はそう思うんだ。いつまでも取り憑かれてちゃいけないって言えばいいのかな。だから、俺は全力で応援したいんだわ」
「そっか。お前、やっぱ、いいやつだな」
「そうか? おいおい、俺に惚れるなよ?」
「ヴァーカ!」
下唇を噛んで吐き捨てるようにいうと、戒能は少し先まで走っていく。そして、星空のない東京の真ん中で叫んだ。
「なんか、あれだなジュン! こういう話聞いてると、こっちまで恋したくなるなー!」
「ああ、そうだな!」
等坂も負けじと叫んだ。戒能はそれよりもさらに声を張った。
「残念だけど、相手はお前以外でお願いしたいけどな!」
「マジかよー! そこは『私じゃダメですかー!』とかくるのが鉄則だろ!」
「ヴァーカ!」
雪の降る、マイナス一度の空の下、戒能はさも可笑しそう笑った。