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天使と悪魔のゲーム  作者: とっきー
3/18

彼の好みとコンプレックス

「おう。今日、やっぱちょっと早いジャーン!」

 いつもより十分早いだけだというのに、まだ人も疎らな教室に、先刻兄妹の会話に上っていた戒能(かいのう)佐鳥(さとり)が入ってくる。彼女は癖っ毛だという少しうねった髪を肩のあたりで揺らしながら、くんくんと幸村の匂いを嗅いだ。

「お、ちゃんと昨日買ったスプレーして、納豆+味噌汁やめて来たな?」

「当たり前だ。俺はこう見えても素直なんだ」

「何食ったの?」

「コッペパンとサラダ。サラダは玉ねぎとか入ってない臭わないやつだ。ドレッシングもアイランドドレッシングにした。今日の俺に死角はない!」

「おー、ブラボー!」

 戒能は半分おちょくるように拍手を送る。すると、後ろから、

「気が早くないか? 決行は今日の夕方だろ?」

 と呆れ気味の声がする。短い髪の後ろの方を寝癖で少しハネさせて、教室に入るなりあくびをすると、等坂(とうさか)純一郎は、上げる気力すらない足をずるずると擦ってリノリウムの床を移動し、そのままべったりと幸村の後ろの自席に座る。

「そんなに今から気を張ると、後で気が抜けるぜ?」

 からかうようにそう言うと彼は、前の席から漂ってくる、昨日、駅前の薬局で三人で延々議論をしてようやく買ったメンズ用デオドラントスプレーの香りに若干の違和感を感じながら、「まあ、その本気は認めるよ」と笑う。

「でもさ、マジで本当にやっちゃうの?」

 戒能は未だに信じられない、という調子で訊く。幸村は拳を握っていった。

「ああ。俺は本気だ。今日の俺は、本気の塊だ!」

 等坂は勢いよく、その力の入った肩を叩いた。

「サトリ。こいつはやるときはやる男だ。それは俺が一番よく知っている! なあ、幸村!」

「おう!」

 幸村は超然として腕を組み、昨日、薬局で買った鼻毛カッターで念入りに剃毛した鼻翼から勢いよく息を吹き出した。

「うーん。私、イマイチよくわかんないなー。なんで、ああいうんじゃなきゃダメなの?」

 戒能は本当に測りかねたように腕を組む。

「愚問だ!」

 幸村は力強くそう言った。

「そうだ、愚問だ!」

 等坂がより力強くアグリーして、言葉を続ける。

「いいかサトリ。俺はお前をよく知っている。お前は中学のときから、蕎麦よりうどんが好きだったな?」

「う、うん……」

「それはなぜだ?」

「えーっ、と……」

「そこに、ロジカルな理由があるか?」

「ん……いや、おうどんの方がコシがあるし、煮込むとお汁吸って美味しいし、だから、お鍋にもよく合うし……」

「ノン!」

 等坂は大きく開いた平手で以って、フランス革命の悲劇的演目を思わせる大仰な動作で、机を強打した。

「悟れ、悟るんだ、サトリ!」

「はあ……」

「いいか。物事をもっと俯瞰的にとらえるんだ。チャキチャキの江戸っ子に、蕎麦がうどんにコシで負けるっていってみろ。石川五右衛門バリに釜で煮られるぞ。そして確かに鍋のシメに放り込むという食べ方は蕎麦では出来ないだろう。しかし、それを言うなら、そばにだって、ざる蕎麦とか、わんこ蕎麦とか、蕎麦にしかできないオンリーワンの食べ方があるじゃないか!」

「はあ……だから?」

「だから!」

 彼は学校指定の皮の学生用カバン(サッチェルバック)に手を突っ込むと、二冊の雑誌を取り出し、戒能の前に突き出した。

「これをよく見ろサトリ! そして悟れ、悟るんだ!」

「そのギャグ、マジうざいから……」

 戒能佐鳥に提示された二冊の雑誌は、一冊が日本のアイドル写真集であり、もう一冊が洋物の写真集だった。高校という場所を考慮して、一応ヌードではなく、水着である。

「さあ幸村、語ってやれ、思いっきり、お前の思いのたけをぶつけてやれえ!」

「って、俺!?」

 黙って頷いていた幸村は、寝入り端を起こされたように驚く。等坂は急にテンションを落とすと、

「いや、だって、俺、やっぱ、アジアンがいいし」

「って言われても……」

 幸村は説明に困った。戒能はやれやれという風に息を吐くと、

「ほら、なんかあるだろ? 一般的な説明がさ。胸とか目が大きい方がいいとか、肌が白いとか」と訊いた。

「うーん。なんか、そういうんじゃないんだよな……」

 幸村は、じっと日本の写真集を見つめる。そして何ページか手繰ってみる。

 青い海と白い砂浜、ビルのない高い空と、その中に輝く太陽を浴びて大きく育った背の高い椰子の樹の下で、水着の女の子が、今脱いだばかりのビーチサンダルを指に引っ掛けて、こちらに向かって走って来ている。次のページには、海に腰まで浸かったその子が、頬っぺたが破けるんじゃないかと思うくらいに笑いながら、カメラに水をかけている。彼女の指先から放たれた水は、よく見ると、空と海と、その子自身の鏡像を映しており、カメラのレンズに付いた飛沫も夏の青が映り込んでいる。そうした写真はとても素敵で、胸が踊るような気分になる。しかし−−−−

「なんか、違うんだよな。うまく言えないんだけど」

 幸村はまたページをめくる。

「そんなヤラしい目でグラビア凝視しながら言ったって、説得力ないぞ」

 戒能は女子らしい細長い指先で、幸村の額を弾いた。

「てっ……わかったよ」

 ヒリヒリする額を押さえて口を開ける。

「なんてーか、変な意味で取って欲しくないんだけど、こういう可愛い子みてると、母さん思い出すんだよな……それで、なんか、あんまりじっと見ていたくないっていうか……」

「はあ?」

 戒能が生理的に受け付けない、という反応を示しかけたときに、等坂が割って入った。

「なんとなくわかるぜ。お前のお母さん、本当、美人て言うか、可愛い感じのひとだったもんな」

「うん……」

 さっきまでの勢いが、幸村から、穴の空いた風船のように抜けていった。

「あ。ごめん。私、まずいこと訊いちゃったかな……」

 戒能は少し退がって、前の席の椅子の上に腰を乗せる。そこで、予鈴が鳴る。

「そろそろ席についてくれるかな?」

 学級委員長の宮村一乃(かずの)が微笑みながらそう言って、朝の談笑の時間が終わる。

「今日も、スズ、休みなんだな?」

 後ろの席から等坂が言う。少し前の方の、委員長席のすぐ横の鈴鹿(すずか)実里(みのり)の席は、四人で「決行」の事前準備に行こうと言っていた昨日に引き続き、今日も空いていた。

「幸村。あいつ、この頃休み多いよな。あいつがいないまま『決行』するっていうのもなんか悪い気がするけれど、まあ、こういうのは延期しちゃダメだからな。メッセ送っとくわ。放課後だけ来れるかもしれないし」

「まあ、あいつ、体弱いからな……」

 等坂が授業用のパソコンを開いて、パチパチとメッセージを打ち始めると、担任の姫塚咲が、少し派手目のパープルのパンツスーツを着て教室に入ってきた。

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