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天使と悪魔のゲーム  作者: とっきー
18/18

やさがし

 その放課後だった。

 手玉に取る、という日本語は、こう言うことを言うんだな、とグレイスは思っていた。

 いくら合同授業のクラスメイトとはいえ、那月有希は、ほんの数分の他愛もないおしゃべりで、ゲームのターゲットであり、さほど仲良くもないクラスメイトだった鈴鹿実里の自宅の部屋に遊びに来るという芸当を、いとも簡単にやって見せた。

 那月は今、五階建てのマンションの二階にある鈴鹿家のなかの、実里の自室の座卓の前に敷かれたウサギの座布団の上に、女の子座りをしていた。鈴鹿実里は「狭くてごめんね」と謝ると、「お茶を入れてくるね」と言って部屋を出て行った。

 那月はぐるりと部屋を見回す。

 実際、そんなに広い部屋ではなかった。鈴鹿のサイズに合わせた、おもちゃの人形ハウスのような部屋だった。部屋の隅に敷き布団が掛け布団と一緒に畳んであり、蛇腹式の扉のクローゼットを開けるには、布団を退けなくてはいけない。そのすぐ横が、今、那月が座っている、明るいグリーンの座布団と、ごく小さな白い座卓である。もう一つピンクの座布団は、その横の勉強机の椅子を引くと、ローラーが噛んでしまいそうな位置にある。スペースの関係で、そこにしか置けないのだ。勉強机の横には、てっぺんにメイク用の鏡と、化粧品入れを乗せた小さな棚がある。棚の上から一段目には、ファンション誌が何冊か置いてある。タイトルは定番のSeventeenとPopteen、それに、鈴鹿には少し背伸び感のあるnon-no。いずれも最新のものではないし、去年や一昨年のものもある上に、歯抜けになっている。多分、服を買いに行くことになった時にだけ、直前に買って読むのだろう。他の段には、引き出しタイプの小物入れが付いていて、外から見ただけでは中身まではわからない。

 いずれもそう珍しいものではない。この年の女子高生にしては標準的な装備だ、と思って、再び正面を向くと、布団の横にある小さな本棚に気付いた。ちょうど寝る直前に手をかけて、お気に入りの漫画を眠くなるまで読むにはちょうど良い本棚だった。

 那月は四つん這いになって目を凝らし、本のタイトルを眺めて見る。

 風の歌を聴け、1973年のピンボール、羊をめぐる冒険、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド、スプートニクの恋人、ノルウェイの森。アンダーグラウンド、約束された場所で、神のこどもたちはみな踊る。それと、料理の本が何冊か。

『村上春樹……?』

 那月の視力では作家名までは見えなかったが、彼女にはそれがわかった。そして、なかなか気の利いた並べ方だと思った。

『有名な小説家なの?』

『ノーベル文学賞級にね』

『ふうん……』

『まあ、記号的だとか、情感がないとか、色々言う人はいるけど、少しポップな感じがして私は好きよ。鈴鹿はリリシズムがお好みの、文学少女、ってわけね……』

『有希ってたまに、よく分からない言葉を使うよね。コミュニケーションを諦めてるっていうか、伝わらなくともいいって思ってるっていうか』

『そうしたら、あなたも村上春樹を読んでみるといいのよ。ありきたりな擬音とか、全然深みのないセックスの描写とか、ディテールの気持ち良いくらいの放り投げっぷりとか、伝えようとしないことで、伝わるリズムみたいなものがあって、それはそうしないと伝わらないのよ』

『セックス……』

 グレイスは、いくらか恥ずかしがる。

『別に、読者層とか、倫理委員会を気にして描写を薄くしてるわけじゃないのよ? たぶん。文壇の中でも長老格の人だから、描こうとして描けないことはないはずなの。敢えて描かないことでしか伝わらないものとか、作りたいものが何なのかって考えながら読むのって、それはそれで、作者とお話ししてるみたいで楽しいと思わない?』

 那月は知的に笑う。

『うーん、そういうものなのかな。ごめん。本当にわかんない』

『わからないところは、わからなくともいいのよ。本当にわからせたいものっていうのは、伝えようと書くものだし、それでわからなければ、きっとそれは、万人には分かってもらわなくていいと思っているものなのよ』

『なんかそれ、ずるくない?』

『確かに、ずるいわね。卑怯って言ってもいいかもしれない。でもそれって、文学にも映画にも音楽にも、そう言う強いメッセージがあってしかるべきものには、何にでも言えることじゃない? 誰かに対して真っ直ぐに手を差し伸べるためには、反対側にいる誰かに背を向けなくちゃいけないのよ』

『えーと。これまでの話をまとめると、有希の話がたまにわかりにくいのは、別にわかってもらえなくともいいと思ってるってこと?』

『そう取ってもらっても構わないけれど、せっかく一緒にいるんだから、私の話に興味があったら質問してちょうだい。私はそこまで閉じた人間じゃないと思ってるから、聞かれればちゃんと説明をしようとは思ってる。逆に、意味がわからなくても気にならないなら、ただ会話のリズムみたいなものを楽しんでくれればいいわ』

 彼女は鼻で軽く笑って、もう一度、部屋にあるものをみまわし、よいしょと立ち上がる。

『始めましょうか』

『何を?』

 勉強机の上にちょこんと座っていたグレイスは、ぽかんとする。

『決まっているでしょう? 家探しよ。ちょっとそこ退けて。鈴鹿さんが来ないか見張ってて』

 那月はグレイスの体を押しのけると、机の上のファイルボックスや小物入れを物色し始める。

『え、え、ちょっと、ちょっとまってよ、よくないよ! そんな!』

『何を言っているの? これが結局、鈴鹿さんの命を救うことになるんだから、いってみれば緊急避難よ。何の問題もないでしょう?』

 そう言って彼女は、女の子らしいピンクのキャビネットの引き出しを、上から順に開けていく。

 一番上段は文房具。お土産でどこからか買ってきたシャープペンシルや、もう使わなくなった鉛筆、鉛筆削りが入っている。現代の高校生活ではもう殆ど使う機会のなくなった、キャラクターの消しゴムも十数個入っている。多分、コレクションしているのだろう。二段目には綺麗に巻き上げられたイヤホンやヘッドフォン、携帯電話の充電器、電化製品のケーブル、あるいは今は使っていないと思われる古い型のスマートフォン。それと、小物入れとして使っているらしい、レトロな金属缶が三つ入っていて、中にはシールが大量に入っている。キャラクターものや、デコレーション用のビーズタイプのものである。これも集めているらしい。他に、猫の手の形等の、少し凝ったデザインの付箋や、レターセットも入っていた。三段目は学校で使うタブレットや外部記憶媒体のフラッシュメモリだった。カメラやタブレットに挿入して使う外部記憶媒体のカードが何枚か入ったメモリーカードボックスが目に留まった。一番最後の四番目は本入れになっていて、タブレットを使い始める年齢より前に読んでいたと思われる絵本や、小学校の低学年の生徒向けの教科書やドリル、百人一首等のかるたが、捨てられないまま入っている。

『そんなにおいそれと、すぐわかるような秘密はないか……』

 わかった事といえば、鈴鹿実里がなかなか几帳面な性格で、しっかりと道具を整理して大切にする、村上春樹がお気に入りの文学少女らしい、ということくらいだった。

『グレイス。まだ来る気配はない?』

『一応大丈夫みたいだけど……』

 グレイスは、しぶしぶながら入口のドアに耳を当てて、外の音を伺っている。

『もうちょっとかかるみたい。今、お湯沸かしているみたいだよ』

『そう……』

『あんまり大きな音立てないでね。聞こえなくなっちゃうから』

 那月は、キャビネットとは別の、机の腹の部分の一番横長の引き出しに手をかける。そこに入っていたのは、学校では使っていない黒いタブレットだった。

 スイッチを入れてみると、パスワード認証もなく、タブレットは起動した。

 トップ画面の壁紙は、少し幼い鈴鹿が、両親と一緒に公園で撮った一枚だった。鈴鹿は母親によく似ているが、父親のパーツも受け継いでいるようだった。母親は小さく可愛らしい印象の人で、写真の中の小さな鈴鹿よりも、今の鈴鹿の方がよりよく似ている。成長すればするだけ似ていくのかもしれない。父親は知的な雰囲気のある、どこかの大会社のエリートという感じの、厳しさのある面立ちをしている。目つきはキツく、頬は痩けているが、背も高く、ハンサムと言っていい。鈴鹿のいくらか淡白な感じのする口元は父親似、その他は、柔らかそうな目元や、やや丸い輪郭、色素の抜けた髪−−−−ただし、鈴鹿が茶髪に近いのに対して、母親は赤毛っぽかった−−−−など、母親から受け継いだ部分が多いようだった。

 中のフォルダやアプリケーションを確認してみる。数はそんなに多くはない。電子書籍を見るためだけに使っているのだろうか。上の角から下にスワイプしてみると、「最近使ったアプリケーション」という表示が現れる。トップに表示されているのは、スライドショーだった。迷わずクリックすると、一旦画面が暗転して、指定されたアルバムの写真が、フェードアウト、フェードインを繰り返しながら流れ始める。

『中学の頃の写真……?』

 登山や、運動会、学芸会、文化祭、合唱コンクール、マラソン等の学校行事の写真が、次々に映し出される。日付は彼女が中学三年生の時のものだ。おそらく、学校の行事が終わった後に、校内でオフィシャルに売られるものと、友達の間で取り合ったものをミックスさせているのだろう。集合写真が多く、鈴鹿実里を見つけることは難しかったが、十人くらいの班活動をしている写真になって、ようやく、今よりもいくらか幼い感じの彼女を見つけることができた。今でも比較的目立たない彼女は、髪の毛を肩まで伸ばし、申し訳なさそうに、もしくは隠れるように、少し背中を曲げて写っている。ただそれも、ちょっと引っ込み思案そうな子、というだけで、特に大きな問題ではないという印象だった。等坂や幸村の姿もちらほら入っている。

『仲良し三人組ってわけか……』

 しかしその割には……と、那月は思う。少人数の写真が圧倒的に少ない。仲のいい友達数人とだけ写っている写真が、もう少し多くてしかるべきだ。あえて大人数の写真だけをセレクトしているように感じる。

『プライベートな写真は別にある、ってこと?』

 スライドショーを中止しして、メモリーカードを取り出す。

『グレイス。様子はどう?』

『まだ大丈夫だと思う。ガサガサっていう音がしているから、お菓子とか探してるのかな』

『そう。気をつけていてね』

 さっき開けた別の引き出しから、メモリーカードの入ったケースを取り出し、中の一枚を挿入してみる。中身は数十本の動画だった。サムネイルを見ると、すべて同じ部屋の、同じ角度から、カメラを物陰に隠すようにして撮っている。その一つを再生してみる。

『これって……え?』

『有希、大変、来るよ、来るよ!』

 ホームボタン、スリープボタンを連打して画面を閉じ、メモリーカードを差し替えて引き出しに戻す。動画が入っている方のメモリーカードと、それが入っていたケースはポケットに入れた。引き出しを閉じた音と、ドアの開く音がかぶる。

「ごめんなさい、お待たせしちゃった。思ったよりお湯沸かすのに時間かかっちゃって……って、那月さん、何してるの?」

 那月は、引き出しに手をかけていたのをごまかすために、咄嗟に左足を地面に対して水平に上げて、バレエのアティチュードのポーズを取っていた。

『ぶっ……』

 グレイスが吹き出す。

「何って、見ての通りバレエの練習だけど?」

 那月はなんでそんなことを訊かれるのか不思議でならない、とでも言うように受け答えする。

「へー。すごいね、那月さん、バレエやってたんだ!」

「ええ。小さいときにちょっとだけね」

『ちょっと、ふつうそれで納得する……?』

 グレイスのツッコミは無視して、彼女はするりと足を下げる。

「いい匂いね」

「コンビニで売ってる普通の紅茶の葉っぱだよ」

 ティーセットと、ビスケットのお菓子の箱が乗ったプレートを、鈴鹿は座卓の上に置く。

「じゃあ、始めましょうか?」

「うん」

 鈴鹿は学校用の指定タブレットを取り出して数学の勉強を、那月は私用タブレットで小説を読み始める。セレクトしたのは谷崎潤一郎である。村上春樹も持っていたが、迎合するような気がしたのでやめた。

『有希、何か見つけられた?』

『いえ……彼女の秘密の動画データみたいなものは見つけたけど、なんか……』

『ん? どんな動画だったの?』

 那月は言いにくそうに唇を曲げ、ポケットの中に入ったメモリーカードとケースの感触を確かめる。

『なんか……ポルノっぽかった』 

『ポルノ?』

『誰かのベットシーンを隠し撮りしている動画みたいなの』

『うえ……なにそれ』

『わかんない。後でまた見てみる。……あんまり見てて気持ちのいいものじゃないけど』

 鈴鹿の方に目を向ける。『カワイイふりして、割とむっつりスケベなのかしら……』と思いながら、その敢えて壊れやすいガラス細工で作ったような、繊細かつ脆弱な顔を観察する。彼女がタッチペンを持って図形を書き始めると、那月はあることに気付いた。教室で軽く喋った時には気が付かなかったが、ペンを持った右手の人差し指と小指の付け根の関節付近に、さっき見たシールのようなキャラクターものの絆創膏が貼ってある。

「どうしたの、それ?」

 と尋ねると、彼女はいくらか慌てた様子で、

「ちょっと、転んですりむいちゃって」

 と言った。

『どう手を突けばあんなところ擦りむくのよ。普通骨折するでしょ……』

 グレイスも、首をかしげる。

『指の付け根の関節を使うような動作っていうと、空手とかの格闘技かしら? でもそれだと、普通、人差し指と中指のあたりで殴るから、小指の付け根の説明がつかない……ボクシングのフック?』

『まだあんまり慣れてないんじゃないの?』

『確かに、そうかもしれないわね……』

『まあ、あんまり「暴食」には関係なさそうだよね』

『そうね……』

 その後、鈴鹿がトイレにでも立てばまた家捜ししてやろうと企んでいたが、その機会が訪れる事はなかった。


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