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天使と悪魔のゲーム  作者: とっきー
15/18

彼氏彼女の事情

 バタバタと騒ぎに騒いで−−−−それはもう、なぜ看護師の人が止めに入らなかったのか不思議なほど−−−−お見舞いは終了した。夕刊のおばちゃんからは溜まっていたお煎餅やフルーツをご馳走になった。おばちゃんと等坂は馬とパチンコについて少し情報交換をし、ゲーマーの少女と戒能はメッセンジャーのIDとインターネットゲーム(少なくとも幸村には、そのゲームがなんなのかはわからなかった)のアイテムを交換した。狩るとか狩らないとか言っていた気がする。

 鈴鹿はというと、彼・彼女らの話を頷きながら聞く合間に、白い小型のデジタルカメラで、楽しそうに写真を撮っていた。彼女は病院の窓から見える夜景−−−−彼女は、いつも自分が見ている世界が、少し違った側面から見える瞬間が大好きだった−−−−や、病院でしか見ることのできない設備−−−−例えば、笑気ガスや酸素を供給するための信号機色の配管や、ゲーマー少女が胸に着けていていた心電図−−−−の写真も撮った。そして、一つの被写体について撮り終える毎に、この建物はきっと学校から見えているあの背の高いビルだとか、ここには変わった屋根の形の家が見えるはずなのに見えないのはなぜだろうとか、段々畑になった大規模マンションの窓の明かりが虫の複眼みたいで怖いとか、ガスの配管の色が塗り分けられている理由はなんで、どうしてそれが信号機と同じ色なのだろうとか、心電図を記録するための装置がとてもミスが起こりにくい形状やボタンの配置をしていて驚いたとかいうことを、幸村に細かく教えてくれた。

 そういうやり取りが、幸村は昔からとても好きだった。彼は特に、普段は辺りを警戒して表情を作っている(ように彼には見る)彼女が、こうして好きな物や驚いたものについて語るときには少しだけ表情を崩すのが好きだった。彼女は少し眉を上げて考え、言葉を選ぶときには、言葉を探すように唇を少し尖らせて僅かにもぞもぞと動かす。それはうまく喋れなかったときの後遺症かもしれなかったが、そういう癖が堪らなく可愛いと思った。


「この後、どーする?」

 時計の針はもう七時を回ろうとしていた。等坂はバスのフラッパーゲートが大袈裟な音を立てて開くと同時に、駅前に漂う煮詰めた豚骨ラーメンと居酒屋の焼き鳥の香りの中にダイブした。

「俺、どぶろくラーメン!」

「はいはい。ジュン一人で行ってねー」

 降車口のタッチ式の精算機にピッとカートをかざして、戒能もバスを降りる。

「あんたどうせ、スズが恥ずかしそうにラーメン啜るところ見たいんでしょ」

「あー。あはは……」

 等坂は笑ってごまかす。続いて料金を払う幸村も、正直、その気持ちはよくわかった。

「幸村くん……」

 鈴鹿が幸村のダッフルコートの裾を不意に掴んで、申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい。私、今日カード忘れてきちゃったみたいで、小銭もないから、一緒に料金払ってくれないかな……」

 背の低い彼女が二十センチ程下で顔を伏せ、前髪が少し長いショートカットの髪の毛の間から、目だけ上向かせてお願いをしてくるその感じが、幸村にはとても懐かしかった。

「ああ。大丈夫だよ…………すいません。大人二人分でお願いします」

 運転手が、あいーかしこまりましたー、と車載マイク越しに、あの鉄道員やバスの運転手独特の、閉じた喉にぎゅっと空気を通したような、潰れているのによく通る声で言う。段差の大きい降車ステップをタンタンと降りると、幸村は自然と、自分の後を着いて降りてくる鈴鹿に手を差し出した。鈴鹿は、彼女にとっては一段一段が公園の跨って遊ぶ遊具くらい大きく感じるステップを、その手を掴んで、髪の毛を揺らしながら、台から飛び降りるようにぴょん、ぴょんと降りた。

「おいおいお前ら、人前でいちゃつくなよ」

 等坂が、頭の後ろで組んだ腕でスクールバックをぶらぶらと振る。

「そんなんじゃないって」

 そう言った幸村の腰に鈴鹿が、最後のステップを降りた後でくらりとよろけて掴まる。

「おい、大丈夫か?」

「うん……平気、平気……」

 彼女の吐く息は、白くて細い。一番小さいサイズのグレイのダッフルコートにくすんだ白(ダスティホワイト)のカシミアマフラーをくるくると巻いた彼女は、「寒いね」と言いながら、ポケットから取り出した毛糸編みの手袋に小さな指を挿し入れる。血の滲んだ右手の絆創膏が手袋に引っかかって、彼女は痛そうに細長い眉を歪めた。

 エンジンをけたたましく鳴らして、排ガスを舞台装置のように噴出しながら、バスは駅前を出て行く。

「さ。ファミレスにでも行こっか」

 戒能がぽんぽんと手袋の手を叩く。等坂は蠕動する腸を押さえて、

「えー、ファミレスってこっからちょっと歩くよなあ?」

「そうだけど?」

 戒能は(おとし)めるような目で等坂を見た。

「いえ……なんでもないです……」

 狼のような彼女の目は、等坂を黙らせるのに十分だった。

「な、スズもそれでいいだろ?」

 みんなの目が集まると鈴鹿は、口元を覆った白いマフラーと色素の薄い茶の前髪の間から覗かせた目を、申し訳なさそうに伏せた。

「ごめんね……私、今日、帰ってご飯作る日なんだ。お父さんが、ちょっとだけ早く帰ってくれるって言ってたから……」

 そう言った鈴鹿の声は残念そうではあったのだけれど、「お父さん」と口にしたときのその表情は、マフラーでも前髪でも隠せなかった。それは、四歳くらいの幼児がなんの躊躇いもなく両親のことを「大好き」というときと同じ、詰め込み過ぎて、握った途端に輪ゴムが取れて崩れてしまった花束みたいな笑顔だった。戒能はそれを新鮮そうに見て、

「スズって、お父さんっ子なのか?」

 と訊いた。

「え……そう、なのかな……」

 鈴鹿が大きな目をしきりに瞬かせて言葉に詰まると、等坂がひょいと会話に飛び込む。

「お父さんっ子、なんてもんじゃないぜ。ファザコンだよファザコン」

「そ、そんなことないよ!」

「まあ、ファザコンになる気持ちもわかるよ。スズの親父さん、すごいもんな」

 等坂は得意の軽薄な調子で曖昧に鈴鹿の父親を褒めた。そして、

「スズがダメなら、どぶろくラーメンでいいよな? スズには悪いけど!」

 と足踏みをして、靴のかかとを鳴らした。

「まあ、別に私は構わないよ。ラーメン自体は好きだし」

 戒能はそう答えて、持ち手の長いスクールバックをぶらりと振って肩にかけ「ほら、早くしないと、席とられちゃうぞ」と、暖簾をかき分けて店の入り口に向かう。

「じゃあスズ、また明日ね」

 戒能は改札の方に立つ鈴鹿に手を振った。

「うん。また明日ね」

 そう言ってぱたぱたと手を振った彼女は、帰宅ラッシュの人混みの中で、踏まれてしまいそうなくらい小さく見えた。


「はーい、らっしゃーいあーせー!」

 カウンターの向こうの調理場から、変な節をつけて店員が挨拶する。幸村はそういうもてなしが割と嫌いではなかった。バス停で嗅いでいた、脂を煮詰めたようなスープの匂いも、中身がなくなった腹を刺激して心地よい。

「あたしどぶろく。野菜増し増し」

「俺も。背脂増し」

「んじゃ、俺はノーマル」

「あいよー!」

 注文はいたってスムーズである。このメンバーで入るのは、高校に入ってから数えて二十回以上になる。はじめの五回くらいはそれぞれ何にしようかメニューとにらめっこしていたものだが、月に一回以上のペースでやってくるようになって、だいたい頼むものが固まり、もう何回目などと数えることもなくなっていた。

 戒能が注文が終わってからラーメンが出てくるまでのトーキングタイムを待っていたように話を始める。

「ジュン、お前、さっき話、ワザと切っただろ」

「ああ、スズの親父さんの話な。ちゃんと話したことはなかったもんな」

 等坂はセルフサービスのコップとやかんに手を伸ばすと、氷水をばしゃばしゃと注ぎ、半分くらいまで一気に飲んだ。

「俺より、幸村の方がいいんじゃない? 元彼(モトカレ)なんだし」

 等坂はいくらか毒気のある目で幸村を見る。幸村は「俺がかよ?」と聞き返して、等坂が横に押して寄越したやかんを受け取り、コップを取って水を注いだ。やかんの持ち手とコップはプラスチックが脂を吸って、少しベトベトしている。

 天井のスピーカーから、脂が着いてくぐもった音で、チープな主旋律(メロディーライン)と直接的な歌詞(リリック)のバラードが流れている。「季節が変わっても、私の気持ちは変わりません」みたいなことを繰り返す曲だった。

 幸村はどこからどこまで話そうか迷った。鈴鹿実里という、一見気弱で、控えめな−−−−実際そうではあるのだけれど−−−−女の子について何かを説明するには、たとえ極些細なことであっても、言い過ぎても、言わな過ぎても問題があるような気がした。

「スズんちはさ、俺たちが小学生五年生のとき、お母さんが亡くなったんだ。あんまり簡単に人に教えられるような病気じゃなかったみたいで、俺も詳しくは知らない」

 この気持ちは変わらない、この気持ちは変わらない、と、間違って部分リピートがかかってしまったように、スピーカーは何度も単調に繰り返す。

「俺たちも、しょっちゅう遊びにお邪魔させてもらったりしてたから、お葬式には行った。お父さんは大きな会社の役員さんで、すごく大きなお葬式だった」

 水を飲みながら、幸村はしばらく黙っていた。曲の二番が終わって、Cメロに続く、意味もなく長い間奏が終わると、ようやく彼は話を再開する。

「スズとお父さんは、それからずっと二人きりの家族なんだ。お父さんは仕事が忙しすぎて、あんまりスズには構ってあげられなかったみたいだけど」

 場違いな、アップテンポなポップソングが流れ始める。声優のような、作った声の歌手が、好きで好きで、とか、君が君が、という歌詞をヴォーカロイドみたいに機械的に連呼する。

 戒能はおしぼりで拭いたカウンターに、両腕を枕にして頭を横にしている。ねじれた癖っ毛が少し顔にかかりながらライトブラウンの木肌の上に広がっている。

「父子家庭、ってのは訊いたことあったけど……」

 彼女はカウンターの上でくるくると巻き上がっている自分の髪の毛をつまんで指に絡めて、またくるくると巻き上げる。

「スズがやたら寂しそうに見えるのって、そのせい?」

「どうだろう……」

 幸村はすぐに答えを出すことができなかった。彼女の「ような」少女に対して、ステレオタイプに則った、解りやすいまとめをすることは簡単だと思う。けれども、まさに彼女「という」少女に対して、そうした単純化をすることはとても酷い、よくないことのような気がした。

 君に君に 恋を恋をするのは とてもとても簡単だけど

 どうしてなんだろ どうしてなんだろ

 揺れる揺れる 気持ち気持ちを伝えるの とてもとてもむつかしい

 そんな安直で平易なサビが頭の上から流れる。

「たぶん、そんな単純じゃないだろうなって思う。アニメのキャラ紹介みたいにはいかないよ」

「なんだよ。説明、サボんなよ」

 戒能はカウンターにぺったりと顔を寝かせたまま、幸村の肩をつついた。

「リストカット」

 幸村は単語だけ、ポケットから手袋を取り出すときに、家の鍵を落としてしまうみたいにかしゃりと落とした。

「中学の頃に、やってたんだよ、あいつ。あと、全然人と喋れなかった」

 横に座った等坂が椅子の前足を浮かせて、後ろに仰け反る。

「喋ろうとはするんだけど、全然言葉が出てこない感じだったな。授業中も先生がスズだけ飛ばすんだった。嘘みたいな話なんだけど、昼休み弁当も、屋上に行く階段のところまで行って一人で食べてたんだぜ。冬なんかびっくりするくらい寒いのに、コート着て」

「…………対人恐怖症、かなんか?」

選択性緘黙症(せんたくせいかんもくしょう)

 幸村はまた、単語だけボソリと言った。余計な説明を、自分の口から付け足したくなかった。

「中二の時は特にひどかったな。いじめもあったし」

 戒能は軽い相槌も打たないで、ケータイをいじり始める。

「か()もくしょう? 寡黙(かもく)じゃなくて?」

「うん。音は似てるけど違う漢字」

 あいおまちー、とカウンターから声がかかる。背脂の浮いたラーメンが三杯、カウンターにドカドカと整列する。

「おっ、来た来た。伸びないうちに食おうぜ!」

 ずっと黙っていた等坂が、割り箸を折ってラーメンを取る。戒能も「食べちゃわないとね」と自分のどんぶりを取った。「幸村も早く食えよ」と彼女は彼のどんぶりもついでに下ろす。

「ごめんな。ここまでしゃべりにくい話だって思ってなくって」

 戒能はカバンの外ポケットから青いヘアゴムを取り出して、癖っ毛を左右に流して留めた。

「お。ランニングモード」

 等坂が笑ったそれは、実際、中学のときに戒能が陸上部で使っていたものだった。

「やめろよ。コレ、便利だけど、チャラ男っぽくて、実は結構恥ずかしいんだから」

 柄にもなく照れらがら紙エプロンを着けて、戒能はわざとらしく、極端に大きな音でラーメンを啜った。

 また違うポップソングが始まる。今度は落ち着いた声とメロディーの、けれども、のんびり一人で散歩する時に聞き流すにはうってつけの、軽いリズムの曲だった。

 履き潰したスニーカー 擦り切れたリュック 変な形の小銭入れ

 いつも見てた 君の丸い鼻の頭と 茶色いマダラな そばかす……

 幸村は、こういうのスズ好きなんだよな、と思いながら割り箸をパキリと折った。

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