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天使と悪魔のゲーム  作者: とっきー
14/18

おみまい

 清良北病院の正面ロビーで五時半に待ち合わせだ

 掃除当番が終わって学校を出て、ケータイをみると、等坂からそんなメールが入っていた。日のすっかり沈んだ夜空の下で、液晶が少し眩しい。

「ワシはなんというか、さすがに顔を合わせにくいからやめとこうと思う」

 一緒に行くか、と訊くと、シャイはそう言って断った。仕方なく幸村は彼女と別れ、バスと列車を乗り継いで一人で病院に向かった。


 クリスマスも近い東京の夜空は月が透き通るように明るい裸の晴れ空で、地面からの熱がさらさらと抜けていく音がするほど、空気が急激に冷えていく。学校指定のネイビーのダッフルコートにマフラーを巻いただけの体は寒く、清良北病院前行きのバス停でバスを待っていると、ガラス張りの喫茶店の中で、琥珀色の香気の立つ珈琲を片手に寛ぐ人々の姿が羨ましく見える。「どぶろく拉麺」の暖簾をかけたラーメン屋の換気扇から、もうもうと立ち上る湯気が、そのいかにも暖かそうな光景に輪をかけて、脂っこい醤油の香りと、店頭のメニューの写真、「どぶろくラーメン」「濃厚豚骨味噌ラーメン」「匠の極つけ麺」の文字と一緒になって、五時を過ぎた高校生にありがちな急激な空腹をもたらし、いっそう寒さを際立たせる。

 燃費の悪そうなエンジン音を鳴らして、バンパーが少し錆びた公営バスがやってくる。排気口から撒き散らされるガスが、巻き込んだ水蒸気で白く色付いて少年を包む。煙たいそれを、口元に巻き付けたマフラーで濾過しながら、彼は段差の大きいステップを大きな歩幅で勢いを付けて登る。

 ケータイの液晶を見ると、いつの間にか作成された「渚ちゃんお見舞い会」スレッドに、「もう着いたよ!」という戒能のメッセージが流れていた。「お兄ちゃんが来ないと始まらないよ?」と鈴鹿がコメントしている。最後に鈴鹿が、三人で顔と肩を寄せて無理やり撮った自分撮り写真(セルフィー)をアップしていた。

 車内は暖かい。窓を曇らす人々の湿気が優しい。

 靄った窓に幼児向けのキャラクターの絵が描いてあり、それを見た後部座席の母親が、おさげの女の子を膝に乗せて、指先で窓に同じ絵を描いて見せている。

 病院であんまりはしゃぐなよ

 幸村はニヤけながら、そうメッセージを送る。

 セルフィーに映った鈴鹿は、やはり以前よりもやつれた気がしたが、友達二人に無理やりに挟まれて、いつもと変わらない少し戸惑ったような、あるいは困ったような、けれども本人は心から楽しい時に浮かべる控えめな笑顔で笑っている。

「『暴食』の悪魔か……」

 それは鈴鹿にはおよそ似合わない悪魔のように思われた。小食で、遠慮がちな彼女が、スイーツや脂っこいものを次から次へと食べる姿は想像もできなかった。よしや食べたとしても、ちょっと触れただけで壊れそうに見えるくらい細い彼女の腹部には、それを消化しきるまで溜め込む容量はないだろう。悪魔なんて、本人の向き不向きはあまり関係なく取り憑くのだろうか。そんなことを思っていると、バスは病院前で止まった。

 十数階建ての総合病院は、白い一枚の大きな壁のように、訪れる人間に近寄りがたさを与える。幸村は小さな時から、こうした病院独特の排他的な雰囲気が嫌いだった。それは、定期的に通院していた母親の影響かもしれない。近付くと、向こうから壁と同じ白い手が伸びてきて押し戻されそうな、あるいは逆に、掴まれて引き込まれそうな気さえする。ただそれも、ロビーに三人が待っていると思うとさほど気にならなかった。

「おう! 遅いぞ!」

 蛍光灯の冷たい光が照らすロビーに入るなり、等坂が声をあげて手を振った。

「しっ、ここ病院だぞ!」

 それを同じくらい大きな声で、戒能が止める。

「二人とも、うるさいよ……」

 テンポの早い二人の騒々しいやり取りを、緩やかなテンポと静かな響きの声で中和するのが、いつもの、そして懐かしい感じのする鈴鹿のポジションだった。

 そのわずか十数秒のやり取りの中で、消毒液の匂いのする病院の中なのに、幸村は「おかえり」を言われている気がした。

「待たせてごめんな。じゃあ、行こうか」

 彼は三人を先導する。

 エレベーターホールに向かう途中で、戒能が訊いた。

「あれ? あのガイジンの彼女は?」

「ああ。先に帰ったよ……」

 どう説明したものか、少し迷う。

「友達とお見舞いに行くって言ったら、じゃあ今回は遠慮しとくって」

 ふうん、と言って、戒能が言葉を足す。

「まあ、確かに、渚ちゃんとは面識ないだろうからな」

「ああ。落ち着いたら、渚にもちゃんと紹介するさ」

 そう言って幸村はちらっと鈴鹿の様子を伺う。彼女は両手で薄い皮の学生用カバン(サッチェルバック)を大事そうに抱えて、少し遅れて三人の後をついてくる。その右手の人差し指と小指の付け根の部分には、今朝がた戒能が突っ込んだ、キャラクターものの絆創膏が貼ってある。悪魔の仕業なのかもしれない、という目で想像力を働かせてみると、人差し指と小指の付け根という傷の位置は、ベルゼブブに手をぱっくりと噛まれたとすると、ちょうど犬歯が当たる位置のように思えた。

「スズ、それ、結構痛かったりするのか?」

「それ、さっきも訊かれてたよね」

 戒能が笑う。

「ほら、みんなスズが大好きなんだから」

「あ、ありがとう……」

「ちょっと転んですりむいちゃっただけだから、なんともないんだってさ」

「そうか。なんともないなら、いいんだ……」

 ホールに着いてボタンを押すと、エレベーターはすぐにやってきた。鈴鹿は少しぼうっとした、疲れたような顔をして、エレベーターの窓から見える外の景色を眺めている。その横顔はどことなく寂しそうにも見える。

 なんで、悪魔が憑くのが、彼女でなくてはいけなかったんだろう。幸村はそんなことを考える。なんで人間ばかりでなく、悪魔や天使まで寄ってたかって、この小さく、内気で、控えめな彼女のことをいじめなくてはならないのだろう。もう彼女は十分に嫌な思いをしてきたじゃないかと、そう思う。

 じっと見ていた横顔が、何かに気付いて、ふと安心したように笑う。彼女と同じ景色を見たくて幸村はごそごそと彼女の横に立つ。しかし、そこから見えるのは、病院の裏の崖っぷちから見下ろす夜の東京のごちゃごちゃとした家々と街路灯の灯り、まばらに動きながらゆっくりと通り過ぎていく車のヘッドライトだけで、彼女が微笑んだ理由らしいものは見当たらない。

 エレベーターのベルが鳴り、窓から目を離そうとしたときに、彼は微笑みの理由がわかった。その冷たい鉄の箱の西の壁面全体を使った窓ガラスには、等坂、戒能、鈴鹿、幸村の四人の姿が映り込んでいた。鈴鹿が「やっと気付いた?」とでも言うように、窓ガラスの作った鏡の中で、幸村と目を合わせて笑う。等坂も戒能も鏡の中で笑った。

 四人は揃ってエレベーターを降りる。

「五マル七号室だって」

 幸村はケータイで病院からのメールを確認する。

「ここだ」

 四人相部屋の病室のドア横のネームボードには他の二人と一緒に、「幸村渚」のプレートがかけてある。そのプレートには、誰が貼ったのか、渚が好きそうなケータイや小物のデコレーション用のラメ入りのシールがペタペタと貼られていた。

 スライド式の、重たいけれど滑りのいいドアをそうっと開けると、ギブスの右足を天井から吊り下げた四十歳くらいの女性患者が、足の上に大きく広げた薄い新聞の夕刊から顔を上げて、決してよくない目つきで四人を見る。もう一人の患者は小学生くらいの女の子で、防護装置のような大きなB系のヘッドフォンをかぶり、携帯ゲーム機のボタンを連打していて、入ってきた四人にはまるで気付かない。

 渚は、一番奥のベットの上で額にヘッドギアを付け、首にコルセットを巻いて、仰向けに眠っている。点滴のチューブが毛布の下の左手がある部分に潜り込んでいる。

「渚……」

 幸村が小さく声をかけると、夕刊の女性患者が叩くように言った。

「あんたたち、騒ぐんじゃないよ。ずっと痛くて苦しそうにしてて、薬が効いてやっと寝たんだから」

「そんなに悪いんですか……」

 幸村が思わず聞き返す。彼女はぶっきらぼうに、

「あんたら友達かい? 全く、この頃の子は入院してる方の迷惑も考えないで、遠足みたいにゾロゾロって来るんだね。動物園じゃないんだから、もっと気を使いなさいよ」

「そうそう」

 今度はゲーム機の女子小学生が言った。

「メーワクなんだよね。お姉ちゃんを起こさないウチにさっさと出てってくんない?」

 等坂がイラっと来たのか、

「この、クソガキ……」

 と声を上げかけたのを、戒能が黙って手を出して止めた。

「帰ろう。幸村」

 戒能の声は優しかった。

「でも、病院からのメールだと、大丈夫だって……」

「渚ちゃん自身からの返事はなかったじゃない」

 戒能は、渚のベットの足のところに突っ立った幸村の腕を掴んで、引き戻すように引っ張る。幸村の目に映った渚の寝顔は確かに、痛みで眠れなかったのか、目の縁が痣のように黒みかかり、鼻先や頬の裂傷、少し切れた唇の黒っぽく赤いかさぶたが、血色の悪い白い肌の上に浮き出て見える。

「ごめんな渚。もっと、早く、学校なんか行かないで今朝にでもお見舞いに来てやればよかったんだよな」

 幸村はダッフルコートの袖で目元を拭った。吸水性の悪いコートの袖は、ただ水を弾いて、乾燥した目元をひりひりさせるだけだった。

「幸村くん。帰ろう」

 鈴鹿も手を引く。

 四人は最後に、いくらか苦し気に息をする渚を見下ろした。

「早く元気になって、一緒にケーキ食べに行こうな。ミルクティーセット奢ってやるから」

 戒能が小声でそう言った。

 すると、パッと渚の目が開いた。

「マジですかー! ごちそうさまです!」

 彼女はひょいと体を起こす。

「え?」「あ……」「は?」「……」

 四人はバラバラのセリフで、しかし同じタイミングでポカンとする。渚は点滴の刺さっていない右の拳を突き上げると言った。

「はい! ドッキリ、だーいせーいこーう!」

 ヘッドフォンの小学生が、風船が割れたように笑い出す。

「いやあ、こういうのやってみたかったのよねえ!」

 夕刊の女性は肚の底から響くような声でそう言った。

「まじかよ……」

 等坂が頭を掻く。戒能は少し厳しい感じで、しかしいくらか楽しそうに、

「やりすぎだぞ!」

 と渚の頬を突っついた。幸村が一人ぽけっとしていると、渚はそれを見上げて両手を合わせ、「ごめんね、にぃーに」と謝った。

「にぃーに!」

 戒能が悲鳴をあげる。

「なに今、にぃーにって言った!?」

 彼女はベットの上に飛び乗ると、首のコルセットにいくらか気を使いながらも、渚を抱きしめた。

「かわいい、渚ちゃん、サイコーにかわいい!」

 渚の柔らかい胸元に顔を埋めて、戒能は撫でられた猫のように幸せそうな顔をする。

佐鳥(サトリ)ちゃん先輩、くすぐったいよ!」

 戒能佐鳥は、癖っ毛の頭をぐりぐりと胸に擦りつけながら、

「渚ちゃん! お願い、私のこと、『ねぇーね』って言ってみて!」

 渚は一瞬のためらいもなく言った。

「ねぇーね」

「ガツンとキター!」

 戒能は陸上でインターハイを制した持ち前のバネで天高く舞い上がった。

「渚ちゃん、もっかい言って! 録るから! ケータイに録音して、目覚ましにするから!」

「兄の前で、堂々と妹にセクハラするなよ……」

 渚はケラケラと笑う。

「佐鳥ちゃん先輩、また今度ね!」

「えー!」

「今度ケーキの時にね」

 渚はよしよしと先輩の頭を撫で、鈴鹿は、その様子をデジタルカメラでパシャリと撮った。

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