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天使と悪魔のゲーム  作者: とっきー
11/18

天使と那月有希

「おお。あれじゃあれじゃ」

 長い廊下の真ん中に「部室」の扉はあった。扉の上には、貼ったばかりの新しい紙で「聖書研究会」「告解・悩み相談受け付けます」と書いてある。

 シャイは遠慮なしにガラリと扉を開けると怒鳴った。

「ガブリエルおるか、ガブリエル、来たぞ!」

 足元にパンダ柄のサッカーボールが転がって来て、シャイのローファーに当たって止まり、また思い出しように別の方向に向かって転がり始めた。それを目で追いかけて顔をあげると、広い部屋の床一面に、無数のサッカーボールが同じように転がり続けているのが目に入る。

「なんじゃこれは?」

 その声に、少し高い、よく通る女の子の声が答えた。

「今のボールって、グランドの外に転がってもひとりでに戻ってくるように、自動回帰装置が入っているでしょ? それを狂わせて(ランダマイズして)みたの。この子たち、充電が切れるまで転がり続けるのよ。どう? 可愛いでしょう?」

 広い部屋の真ん中に置いた応接セットの椅子の上に、シャイと同じ国際科のブレザーを着たメガネの生徒が座っている。その子は眼鏡の奥の目を涼しげに細め、手に取ったサッカーボールを右手、左手の間でポンポンと何度か往復させて、シャイに向かって投げた。

「ふん。なかなかいい趣味しとるのう……」

 シャイはボールを膝で受けるとそれを爪先に落とし、二回ほどリフティングした後で、パウンと踏ん付けて静止させる。

「あらお上手なのね」

 その子は化粧っ気のない−−−それは決してみすぼらしいのではなく、彼女の肌がそれを必要としないのだった−−−−唇で微笑む。その表情はシャイにも戒能にも鈴鹿にもない、特別な高潔さを漂わせていて、幸村の目には彼女が貴族か何か、全然別の世界の住人のように見えた。

「あなたが悪魔とそのパートナーの人間?」

 彼女は高い声でそう訊いた。

「初めまして悪魔(サタン)さん。私は那月有希(なつきゆうき)。あなたの一つ後輩になります。初めまして幸村圭一さん。あなたとは同級生ね」

 彼女がかけた、必要以上に大きな縁の薄い丸いメガネは、まるで「ここから先は平民お断り」という立ち入り禁止の障害物(バリケード)のように見える。

「残念だけど、ガブリエル先生はお留守なの。代わりに、この子がお話をするわ」

 彼女が右手を木の幹の真横に生え出た枝のように伸ばすと、その上に、白い鳩が羽音を立てて留まった。大きな白い一本の羽根が、日の光の中をはらはらと長い時間をかけて彼方(あっち)此方(こっち)へと迷いながら落ちると、ころころと転がっていたサッカーボールが時計の針が止まったようにぴたりと動きを止める。

「この子の名前はグレイス。プリヴェニエント・グレイス」

 右手に留まっているのはもう鳩ではなかった。その子は、つやつやと光る一枚布の上着(ヒマティオン)をまとって、鳩のような軽さのまま彼女の腕に座り、手持ち無沙汰のように足を幾らか前後に動かしながら目を伏せている。彼は恥ずかしがるように目線だけを上にあげて、頭の上に光る天輪を輝かせた。

先行的(プリヴェニエント)恩寵(グレイス)なんて、ガブリエルにしては皮肉の効いた(シニカルな)名前じゃのう」

「あらありがとう。私が付けたの」

 そう言って、那月はグレイスの頬を人差し指で突っつく。小学校も低学年のような小さな体の彼は、両手をいっぱいに使って、那月のイタズラな指を「やめてよう」と払いのける。彼は少しむくれると、赤らんだ頬を膨れさせながら、少し気弱に言った。

「初めまして。幸村圭一くん。シャイターンさんも一緒だね」

 かりんかりんと、窓辺にぶら下がった季節外れの風鈴が鳴る。金魚をあしらったガラス細工は、遠目からは、例えばりんご飴のような赤い菓子に見え、寒い冬に一層似合わない。それを揺らす風は、もちろん、窓など寒くてとても開けられないので外の風ではない。夏らしい湿り気は一切ない、冷暖房装置(エアコンディショナー)の温風である。

 グレイスは人間であれば変声期前に当たるだろう高い声を繊細(フラジャイル)に鳴らして、

「ボクはガブリエル神父の使いの天使。これから先は僕があの人の使いとしてゲームに参加するよ」と言った。

 彼は怖がるようにやや伏せた目で、シャイの琥珀色の瞳を見る。

「ほう。あの男、自分自身が出るまでもない、というのか?」

 シャイの体からゆらゆら立ち昇る濃い怒気が、蜃気楼のように彼女の周辺の光を歪める。彼女が目を鋭利な刃物のように細め、瞳をゴールドに光らせると、落ち着いた声が言った。

「そんなことはありませんよ、シャイターン」

 暖かい風が吹き込んで、四人の間を抜けていく。風の源には、爪先まである白い司祭平服(スータン)に身を包んだ男性が、左手に大きな革のハードカバーの書物を抱えて立っていた。

 彼の立ち位置は、悪魔でも天使でもない第三の極を示すかのように、部屋の入り口に立った幸村とシャイの悪魔の二人、部屋の真ん中に立った那月とグレイスの天使のどちらとも、等しい距離を置いたところあった。彼の足元にも無数のサッカーボールが、足を当てずに入り口からそこまで歩くのは不可能なほどの密度で落ちていたが、それらはまるで、彼が中空から姿を現してボールの隙間に足を踏み入れたのかと思うほど、ピタリとその場に静止していた。

 シャイは彼を嘲るように言った。

「傍観者ヅラしおって。気に食わんやつじゃ」

 その悪態を、ガブリエルは取るに足りないことのようにいなして笑う。

「そんなことはありません。私は歴とした神の使いとして、ちゃんとこのゲームに参加します。例えば、あなたが那月さんとグレイスに対して、実力行使におよぶのであれば今のようにいつでもどこでも現れて止めます」

 シャイはすぐさま言い返す。

「そういうのを傍観者ヅラしとるのだと言っておるのじゃ」

 よく見知った風の二人のやりとりは、他の三人を完全に置いてきぼりにしていた。

「貴様も一度、しっかりと二本の足を地につけて、足が痛くなるまで歩いて、歩けなくなったら地面を這いつくばれ。そして、人として生きることの痛みや醜さを味わうがいい。貴様には人生経験(、、、、)が足りんのじゃ」

「これはこれは。人間の苦しみを糧として生きるあなたらしい言葉ですね」

 ガブリエルの艶のかかった、男性にしては少し高いの声は、きっとマリーアントワネットが男性だったらこんな声だったろうと思うほど、浮世離れした貴族的な−−−−それは、那月のものとも少し違っていた−−−−、色で言えば、バラの白(ローズホワイト)にサテンの光沢を加えたような響きを持っていた。

 それに対してシャイは、ハスキーに濁った、低い、色で言えば、様々な色がムラを残したまま混ざり合ってできた、黒っぽい、けれども黒ではない色彩の声で、語り続ける。

「ワシはお前が嫌いじゃ。お前はただの偶像じゃ。お前には魂がない。なんでも知っているが、なんにも分かっていない。貴様にはそれが分からんじゃろうがな」

「人間臭い感情や、魂に縛られない方が見えるものもあるのですよ」

「お前に今見えているものは、かつてワシが見えていたものじゃ。はっきり言っておく。貴様に見えているものは紛い物じゃ。貴様がそうやってお高くとまって汗も涙も流さんうちは、貴様は、目はあるのに見てはおらず、耳はあるのに聞いてはおらず、鼻はあるのに嗅いではおらず、手はあるのに触れてはいない。それだけの人形のままじゃ」

 ガブリエルは緩やかに笑って言った。

「古い友人のアドバイスですから、考えておきましょう」

 彼は黒い皮靴をスータンの先から見せながら、逆サイドの出入り口へと歩いて行く。足元のサッカーボールは、彼を敬うように両脇へと避けた。

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