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愛すべき魔物へー水黄泉ー

作者: 緋虎桜

初めてここに投稿します。


幼稚な作品ですが、一言でもコメントいただけたら嬉しいです!

 初めて君を殺したいと思ったのは、小六の夏休みだった。

 僕の隣で儚い寝顔で昼寝をしていた君の喉が――

 

 白くて


 細くて


 折れそうで


 切ってみたいと思った

 踏んづけたいと思った

 潰してみたいと思った

 抉ってみたいと思った



 その肌から透ける血管に噛みつきたいと思った



 なんて、一瞬のことだったけれど。

 その思いは強烈で。

 

 いつか君を壊せたらな、って


 今夜も願うんだ。 





[chapter:プロローグ 水槽彼女]


ドアを開けると、微かに漂う塩素の匂いが鼻につく。

元素記号cl、原子番号17、原子量35・4527――プールで嗅ぐ、あの薬。

僕はこの匂い――いや、僕からしてみれば「臭い」が大嫌いだ。そもそも「プール」という、薄汚い水のなかで半裸の状態で騒ぎまくるという行為が、生理的に受け付けない。

それなのに彼女は、自分の水槽にわざわざ少量ながらもそれを投入する。もう止めてくれ、吐き気がする。そう訴えると、彼女はいたずらっ子のような笑みで

「あなたの嫌いな匂いだから」

とあの少し幼さが残る声で言うのだった。もしジョークでないのなら、彼女はサディストだ。残念ながら、僕にそんな趣味はないのだが。

 大きく溜息を吐くと、反射的に周囲の空気を吸うことになった。気持ち悪い。流石に毎日鼻腔にこの空気を通しているとは言え、人間苦手意識というものはそうそう消えやしない。


「早くして……ごはん冷めちゃう」


 水の中から顔だけ出して、彼女――瀬奥凉緒せおう すずおは口を尖らせた。 

「いつから僕は君の下僕になったんだい?」

「いつから……って。私が魔物になった日から。いえ、あなたが生まれたときから?」

「君と僕は幼馴染という間柄で動いているから、同格だと思うよ」

「あら? 男女で幼馴染が構成されている場合、男は尻に敷かれて振り回されるのが現代のセオリーじゃない?」

「否定はしないね。でもそれはあくまでセオリーであって、僕が当てはまるとは決まっていない」

「つまらないわ。あなたがそういう属性に付けばここから青春ラブコメディが始まるかもしれないのよ?」

「必要ないね、もし主人公権が渡されても誰かに売るよ」

「わかってないわ……朝海あさみ、あなたは何もわかっていない」

 やれやれという風に肩をすくめて、彼女は水の中に再び潜った。

 せっかく持ってきた朝飯を、無駄にする気か。

 多分、そんなことを言っても、「だって、朝海が気に入らないもん」とわがままを言うのだろう。

 そんなに僕のことが嫌いならば、他のどこかに住めばいい。

 こんな薄暗い地下室の水槽の中ではなく、この町にある薄汚れた河川にでも身を置けばいい。 

 ま、そう僕が本心で思っていたら、もうとっくの昔に彼女の寝ている間を狙って、川へ流しに行くだろう。

 そう言うことが出来ないのは、きっと幼い時から彼女に振り回されていたから。

 ん? ということは、僕は尻に敷かれていることになるのか? ありえない、あってはならない。

 プライドという愚かな重しがずしりと僕に襲いかかった。

 やだね、何もかも。

「朝飯、置いておくから」

 そう告げて、床に乱暴にトレーごと飯を置く。

 小さなおにぎり二つと、温かかったはずの味噌汁と卵焼き。それらが、どこか悲しそうに僕を眺めているように見えた。

 悪いね。多分、凉緒は今日もお前たちを食べはしないよ。

 苦笑。

 だって、彼女は知らない。この朝飯たちは、昨日と同じものだということを。

 どうせ、食べないんだ。お金の無駄、食物の無駄、そして何より、僕の労力の無駄になる。

「凉緒」

 ふと名前を呼んでみる。

「何よ」

 顔だけ水面に出して答えた。

 まさか何か言ってくれるとは思いもしなかったので、戸惑う。

 特に言うこともない。僕は、思ってもいないことを口にした。

「今日も奇麗だね」

「当然よ」

 どこまでも自分のことが好きな彼女だった。

 ちらり。

 凉緒が朝飯を一瞥した。澄んだ黒い瞳の中で、何を考えたのだろう。

「食べたら?」

「食べなくたって、生きていけるもの。そんな身体になったのだから、食べなくてもいいじゃない」

「…………後悔している?」

 彼女は目を大きくした。だがそれも一瞬のことで、すぐいつもよりも暗い表情になり、僕から視線を外す。

 そしてどこか悲しげに、恐る恐るという風に僕に問うのだった。

「朝海は、朝海は嫌だった?」

 何が嫌か――それはきっと彼女がこんな身体を望んでしまったことについてだろう。

 嫌じゃないよ。

 そういうのも手だ。

 嫌だったけど?

 それもまた一つの案。

 あえて、答えないことにしよう。

 別にどう返せばいいかわからなかったわけではない。

 ただ、彼女への反抗というか、対抗というか。そんな感じだった。

 無言が、互いに無言の間が続く。

 嗤ってやった。

 部屋出ることにした。

 言わなかったけれど、言いたかったことは一つ。

 僕を、なめないでよ……。

 彼女に背中を向けて、ドアノブを握る。

「朝海!」

 呼ばれたけど、振り返らない。

「ごはん、毎朝作り直してくれたら、食べる」

 なぁんだ、気づいていたんだ。

 ワガママ。それだけ呟いて、僕は部屋を出た。





 [chapter:Ⅰ 愛すべき魔物へ]



 ざあざあざあざあ。

 煩い。

 雨が騒がしい夜だった。

「朝海、朝海!」

 雨音の中から、僕を呼ぶ声がして、慌てて外へ出たのを覚えている。

 恐怖も、感じていた。

 殺されたはずの、幼馴染の声だったから。

「朝海」

「凉緒!」

 玄関の脇で、彼女が泣いていた。幼子のように、壊れたように。

 雨でびしょ濡れの身体を小刻みに震わせながら、三年前の変わらない姿のまま、彼女は泣いていた。

「朝海……逢いたかった」

 僕の顔を確かめるように見て、彼女は泣くのをやめた。

「凉緒っ」

 抱きしめる。けれど、すぐ離した。

 体温が、なかった。

 冷えて温度が低くなったとか、そんなレベルではない。

 雪を触った時のような恐ろしいほどの冷たさが感じられたのだ。

「ごめんね、ごめんね」

 行かないで、と言いたそうに、彼女は僕の服の裾を強く掴んだ。

 その哀願するような表情が心を揺すぶり、僕は覚悟してもう一度彼女を抱きしめた。

 やはり、冷たい。

 しばらくそうしていただろうか。

 彼女にくっついていたせいで、僕の体温はこれ以上なく下がってしまった。

「とりあえず、中入ろうか」

 震える顎を制止して、僕は彼女を支えるようにして家の中へ連れて行った。

 床が身体についた雨粒で濡れるのも気にせず、リビングへ。

 初夏なのに暖房を最大出力でつけ、青ざめた顔の彼女をソファに寝かせる。

 彼女は絶え間なく、僕の名を呼び続けていた。

 大丈夫? と声をかけると、それはぴたりと止んだ。僕の顔を見て、安心したように笑む。

 以前逢った時と変わっていない、人を魅了する花のような笑顔。強がりな彼女が、本当にうれしい時だけ見せる、特別な笑顔。

「朝海、よかった、あなたに逢えて」

「ん?」

 彼女が何を伝えたいのかわからなかった。どう意味なのか、理解できない。

「生きている、って、やっぱいいね」

「そうかな?」

 持ってきたタオルでしっかりと彼女の身体を拭きながら、僕は心のうちから湧き出てくる疑いを抑えきれないことに苛立っていた。

 あの体温……本当に凉緒は「生きて」いるのか。

 今なら、彼女は屍である、と告げられても驚きはしないのだろう。

 そう考えているうちに、彼女が屍でも、幽霊でもいいか、と感じ始めた。

 再会できたことが、嬉しかったのかもしれない。

 だって僕はあの葬儀で、君との別れを決意したのだから。それを、惜しんだのだから。

「私ね、殺されちゃったの」

 昨日の夕飯はカレーだった。そんなことを言うのと同じ調子で、彼女はそう言った。

「知っているよ?」

「だよね」

 彼女はちょっと目を大きくした後、納得したように数回頷いた。

 やはり、彼女は「生きて」いないらしい。

 中学一年の、四月。だから現在からちょうど三年前だ。

 自宅で一人、留守番をしていた凉緒は、空き巣――いや、正確には彼女がいたから違うか――と遭遇し、殺されたのだった。

 凶器は瀬奥家の台所にあった包丁らしい。

 どういう感じに、どんな具合で刺されたのかは知らない。聞かされていない。聞きたくなかった。

 目が真っ赤になって痛くなるほど、狂ったように僕は泣いた。

 十年以上、ずっと一緒にいた幼馴染が、他界したのだから。

 それから僕は変わってしまった。と、親は言う。

 そんな僕を遠ざけたかったのだろう、高校に入学したと同時に、僕は実家から離れた町の小さな一軒家に住まわされた。強制的に。

 あれ? 

 疑問が出てきた。

 どうして凉緒は引っ越した僕の居場所がわかったのだろう。

「秘密、よ」

 僕の心を読み取ったかのように、青白い指を唇に当てて彼女が言った。

 彼女は、秘密、という言葉が好きだった。小さい時から、僕に秘密をつくり、僕と秘密をつくった。

「あのね、朝海」

「何?」

「私、生き返ったの――魔物として」

 ……。

 ………。

 魔物、ねぇ。

 真っ先に浮かんだのはRPGによく出てくる中途半端にかわいいモンスターだった。あのぴょこぴょこ動く奴。

「見えないね。半液体状でもないし」

「人間型にしてもらったの」

「誰にさ」

 今度は、彼女は秘密と言わなかった。

「私の、神様に」

 神様、ねぇ。

 適当にふぅん、と頷いてみた。

 大半の日本人と同じく無宗教の涼緒が、そんなことを言うなんて驚いたが、怪訝に思いはしなかった。

 神様に、魔物として、生き返らせてもらった。

 要約すると、そんなところか。

 というか、聖なるはずの神様に、〝魔〟物という組み合わせはおかしくないか? そんな僕の考えも知らずに、彼女は言葉を紡ぐ。

「私、どうしても生きたかったの。人間を捨てても、生きたかったの」

「何で?」

「朝海の隣にいたかったから」

 こっちが恥ずかしくなるぐらい、さらっと言われた。

「うれしい、ね」

「でね、想いが通じた、とでもいうかな。神様は、私を生き返らせてくれた」

「都合のいい話だこと」

 そんな言葉を言ってしまうのは、僕の性だった。

「もちろん、条件付きよ? 朝海が死んだら、要は私の願いが終わったら、神様に魂をすべて捧げるの」

 それって、悪魔との契約っぽくないか? 思いはしたが、口にはしなかった。彼女が神様と言っている以上、僕はそいつを神様と呼ぼう。

「あともう一つ……」

「あ、まだあるんだ」

「うん……朝海が私を嫌いになったら、朝海が私のことを心から『要らない』と感じたら、その時点で、私は消滅する」

 僕の手をぎゅっと握って、目をじっと見つめて、涼緒は言った。

 よくある――のかは知らないけれど、なかなかベタな話だと思う。

 人魚姫。ああ、ウンディーネにも似ている。

 王子に会うために、声と引き換えに足を手に入れた、人魚姫。

人間と結婚すると、魂を得る美しき水の精、ウンディーネ。

どちらも彼女たちは制約を抱いていた。

 人魚姫は、王子が他の娘と結ばれたら、泡に。

 ウンディーネは、夫に水辺で罵倒、または浮気されたら、水へ。

 彼女たちを待ち受けるのは悲恋。

 ……そこまで考えて、僕は悟った。

 凉緒の運命を決めるのは「相手」である僕なのだと。

 僕の隣にいたいために魔物となった凉緒は、僕が死ぬ以外に、僕に嫌われるかで消えるのだ。

「ねぇ、朝海」

 怯えるように、こちらを覗いてきた。

「私を、愛してくれる?」

 頷けば、よかったのかもしれない。

 でも根性が思いっきりひねくれた僕だ。

「どうだろうね?」

 それが僕の正答。

 たとえ一言で彼女を泣かすことになっても、僕はこれ以上曲がらない。

 大丈夫、嫌いにはならないよ。多分、歪むほど愛するよ。

 絶対に口にはしないけどね。



[chapter:Ⅱ 愛すべき魔物に]


それから、凉緒は僕の家の地下室に棲みついた。

何でも、彼女は「水」に関係する魔物らしく、一日の半分以上は水に浸ってないといけないという。なので、僕はこれでもかというほど大きな水槽(ほぼバスタブ。入手経路は秘密)を買って、彼女に与えた。今ではその水槽は、彼女のお気に入りとなっている。

そんな彼女も、月に一度は僕と街へ出かける。「日光にも当たりたいの」と彼女のご要望だった。

今日は七月の第二土曜日。凉緒のお出かけ日だ。

 僕が先月のお出かけの時に買い与えた薄い紅色のワンピースを病弱なほど細い身体にまとって、彼女はご機嫌。

 長い髪に白いリボンを控えめにつけながら、鏡台の前の凉緒は僕の方へ顔を向けた。

「今日はどこ行く?」

「どうしようね。ぶらぶら歩こうか、天気もいいし」

 そこで彼女は、はっとしたように一瞬目を大きくした。

「夏、なのよね」

「そうだね、俗世間では」

「私、干からびちゃうかも」

「それは見てみたいな」

 冗談と本気の混じった言葉を言ってみると、彼女は不満げに口を尖らせた。

「朝海、ひどい」

「今頃気が付いたの?」

「ん、知っていたけどね」

 呆れたように笑って、僕に駆け寄ってきた。「行こうか」と声をかけると、彼女は僕の腕に己の腕をからめてくる。相変わらず温度がない。暑い今日にはいい保冷剤かもしれないな。


「今失礼なこと考えたでしょ」

「いつでも考えているよ」


                ●


「朝海」

 市街地をふらふらと歩いていると、凉緒が急に足を止めた。

「気が付いた?」

「ん? 何のこと?」

 全く見当がつかずに問うと、彼女は少し眉をひそめてから踵を浮かせて僕に耳打ちをしてきた。

「ずっと誰かに見られている……」

 余りにも真剣な表情でそう告げる彼女に「凉緒が綺麗だからじゃない?」と冗談めかす。

「ホントだってば!」

 怒られた。自分の言ったことを嘘とみなされて、凉緒はムッとした顔をした。

 わかったよ、とそっと後ろを振り返ってみる。

 ホントだった。

 目があったのだ、一人の少女と。

 今時珍しいほど真っ黒な髪で和装のその少女は、二メートルほど先から、どこか睨むような目で僕らを見ていた。

 知っている顔ではなかったので、凉緒にも目で確認をとると彼女も首を横に振った。

「気にしないでいいんじゃない?」

「そう……?」

 少女を一度ちらりと見てから、凉緒は納得がいかないような顔のまま前を向く。

 それを視認してから、少女は何か言いたげに口を開いた。

言わせるものか。

僕は凉緒には見えないように少女に向けて少し舌を出す。

 音を出さずに嗤った後、声に出さずに言う。

「構うな」

 少女の反応は見なかった。すぐに前を向き直し、「行こうか」と凉緒の手を引く。

 少女が何者かなんて僕には関係なかった

 ただ、僕と凉緒で構築されているこの「僕の世界」に何人たりとも足を踏み込ませたくなかった。

 それが、僕の愛の形だったから。


                ●


「嫌な予感がするの……」

 先週の土曜日、あのお出かけの日から凉緒はずっとそんなことを呟いていた。

 水槽の中で体育座りをし、泣きそうな顔で今この瞬間も僕を見つめている。

「朝海……怖いよ」

「何が?」

 塩素臭い部屋の隅っこに寝そべって、鼻をつまみながら雑に返答する。

「私が、消えそうなの」

 ポツリと言ったその言葉に、僕は顔をしかめた。

「それは僕が死ぬ、または、僕が凉緒を嫌うことを予知しているのかい?」

 後者はともかく、前者は嫌だなぁ、と思う。

「わからない。でも、私、消されそう……」

「そ。それは残念だなぁ」

「朝海、冷たいのね」

「嘘に決まっているでしょ、僕は凉緒に消えて欲しくないよ」

「私、まだ朝海といたい、生きていきたい!」

 泣き出す凉緒。

 面倒くさいと思った心は体の隅にしまって、僕は立ち上がって彼女の水槽に歩み寄った。

「大丈夫、僕が守るよ」

 そう言って、あやす。頭を撫でる。

 守る、か。

 何て曖昧で適当な言葉だろう。

 否、世間的には大切な言葉なのかもしれないが、僕にとっちゃあそうでしかない。

 ちなみに、僕は何から彼女を守ればいいんだろ……。

 本気で泣き出した彼女に訊くことは出来ず、僕は心の内でため息を吐きながら、面倒だ、と無音で呟く。

 守る、か。

 守られる、か。

 ただの人間、勉強もイマイチ、スポーツなんてできない。そんな僕に君は何を望む?

 強気で、でも泣き虫な面倒くさい幼馴染に、今日も僕は眉を八の字にするのだった。見た目だけ。



  [chapter:Ⅲ 愛すべき魔物と]


 来訪者。

 基本的に「社交」というものを嫌う僕は、来訪者も苦手だった。

 ピーンポーン、と鳴ったチャイムに「はーい」と答えて玄関へ早足で向かう。

 ドアを開けて、目を丸くした。

 少女が立っていた。

 漆黒の髪に、白い肌、紅色の和服。どこか神秘的な雰囲気を漂わせる彼女。

 お出かけの時、あの時僕らを睨んでいた少女だったのだ。

「魔物がいます」

 開口一番、それを僕に告げた。

 何、こいつ。

「何のことです? 宗教勧誘でしたらお帰りください」

「とぼけないで。この間、あなたは確かに魔物を引き連れて街を歩いていました。この家からも魔物の濃い匂いがします。……今すぐ退治した方がいいと思いますが」

 真剣な顔で淡々と話す彼女を僕は怪訝に見つめる。

「何なんですか、あなた。僕の幼馴染を化け物扱いするんですか?」

「幼馴染、ですか。魔物は人間への執着によって生まれますからね、幼馴染という関係は的外れではないでしょう」

「さっきから魔物、魔物って、あなた何者ですか? 退魔師とか?」

 鼻で嗤ってやると、少女は「ええ」と短く肯定をした。

 驚いた。

 退魔師という職業がこの世にあるなんて、思ってもいなかった。

 いや、魔物が存在しているのだから、それに対する者がいてもおかしくはないか。

 にしても、ファンタジック。

「魔物は、あなたに悪影響を及ぼします。そうですね、例を挙げれば――死。魔物の近くにいるだけで、人体はどんどん死へ向かっていく。ですから、魔物は――」

「うるせぇな」

 だんだん熱弁になってきた少女に、僕は舌打ちをする。

 急に口調が変わった僕に、彼女は少し動揺しているようだった。

「魔物魔物、うるさい。僕が早死にしたって、何だって君には関係ない」

「……後悔、しますよ」

「それは君が決めることじゃない、僕の意思が決定する問題だ」

 きっぱり言うと、彼女は眉間に浅くしわを作り、反論する。

 二、三分ほど経っただろうか。しつこく、とんでもなくしつこく彼女は僕を説得してきた。

 面倒な事がこの世で一番嫌いな僕は、半分も聞かずにずっと目をつむって適当に流していた。

 ふと目を開けると、通りすがりの人々が「魔物」というワードを連呼する少女を不審な目で見ていた。

 このままでは、ダメだな。

「中入って」

「改心しましたか?」

 どこか嬉しそうに目を輝かせる少女を一瞥して、僕は部屋に戻る。

 何が改心だ。変な誤解を社会からされたくないから、「家」という壁の中に入れるだけだ。

「申し遅れました。私、退魔師のホムラと言います」

 リビング兼ダイニングの一室の中央。古びた卓袱台を挟むように俺と座った彼女が名乗る。

 ホムラ。それが苗字なのか名前なのか知らないが、そんなこと僕にとっちゃあどうでもいい。彼女の名が権兵衛でも、構わない。

「退魔師、ね」

「はい、ありとあらゆる魔物を退治し、相談者を守ります」

 守る。

 そういえば凉緒に対してそんなこと僕も言った気がする。

 ……気が付いた。

 凉緒が言っていた「消されそう」とは、このホムラに退治されることを示していたのだ。

 なんだ、僕は死なないのか。よかった――と言っている場合でもない。彼女を家に入れたということは、もう凉緒を守るテリトリーに敵を連れ込んだと同じなのだ。

 ちっ、と心の内で舌打ちをし、ホムラに目線を向ける。

「面倒だから言うけど、確かに僕の幼馴染、瀬奥凉緒は魔物と自称している……でも、僕に有害ではない」

「みなさん、そうおっしゃいます。なんたって、魔物として生き返ってくるのは、みなさんの身近な人、大切な人、がほとんどですから。魔物でも、傍にいて欲しい、と初めは言うのです。しかし、魔物は何かしらの影響を与えています」

「それも君が決めることじゃない」

「……もし、魔物として生きていることが彼らにとって負担になっていると言っても? あなたは退魔を拒みますか?」

 魔物でいることが凉緒の負担になっている、と言いたいのか。

 大切な人が、そうなっていても平気なのか、と問うているのか。

 考えたこともなかった。

 凉緒は全く苦しむそぶりをしない。いつでも、屁理屈を並べる時も、拗ねている時も、やはり生きていることを喜んでいるような気もする。

 ホムラの言っていることが正しかったら。

 本当は凉緒の身体に負担がかかっているとしたら。

 無意識に唇を噛んだ。

 どうすればいい? 何が最善?

 数分悩んだ僕を、ホムラは静かに待っていた。

 僕は、決める。決意を、固める。

「それはどうでもいいことだね」

「は?」

「別に凉緒が苦しんでいようが、僕は苦しくない。勝手に魔物になったんだから、勝手に苦しんでいろ、ってこと」

 にやり、と口角を挙げて説明すると、見る見るうちにホムラの顔が怒りに染まった。どうやら僕の言った無体な言葉が気に食わなかったらしい。我儘だ。

「あなた、何なんですかっ?」

 声を荒げる彼女に、僕は笑顔で答える。

「抽象的な問いだね。僕はただの人間、言うなれば凉緒の飼い主さ」

「飼い主、ですか……?」

「だって彼女の命の綱を握っているんだ、支配していると同じだろ?」

「どういう意味で?」

「だから、僕の行動ひとつで彼女は消滅する」

 そう言って、はっとした。

 これじゃ、僕が凉緒に何かをしたら彼女を消せます、とホムラに教えたようなものじゃないか。

 迂闊だった。

 ガードの緩い自分に嫌気がさした。

 なるたけ表情を動かさないようにしたが、ホムラは全てを悟ったらしい。

「あなたを消せば、魔物を退治できる、とか」

 急に真顔になって言ったホムラに、恐怖を覚えつばを飲み込んだ。

 ここで肯定は出来ない、否定も巧く出来そうにない。

 どうすることも出来ず、僕は震えそうな声で「まさか、ね」と小さく呟く。

「魔物が魔物でいることは、あなたにも、魔物にも不幸をもたらします。これは事実、経験からして断定できます……あなたは、退魔を拒みますか?」

 すべてをホムラに握られた気がした。僕の命も、凉緒の消滅も。

 伝う冷や汗をばれないように拭い、瞬きしてから彼女を見据える。

「拒むよ」

 ホムラが俯く。そして、顔を上げると同時に、笑った。

 微笑みでは、ない。

 見下すような、何か吹っ切れたような、冷笑だった。

「……承知しました、私の覚悟も決まりました」

「じゃあ、帰ってくれ」

 今までの人生で見たことがない冷たくおぞましい笑みに震える体を必死に抑えながら、ホムラを精一杯睨んだ。

「そうですね……魔物が消えるのを見届けたら、帰りましょうか」

「話聞い――」

 そこで僕は固まった。

 今、ホムラは何と言った?

『魔物が消えるのを見届けたら』

 退治してから、ではなく、見届けたら。

 嫌な予感、背筋が凍り、体の自由がきかない。

 自分の愚かさを、後悔した。

 ホムラが口角をもっと上げ、囁くように言う。


「あなたをころしたら、かえります」


 そう冷淡に言い放った彼女が、反応できない速さで動いた。

 あっという間に僕を床に倒し馬乗りになる。

 肩は左手で、胸は右ひざで押さえられ、足しか動かせない。

 死にもの狂いで抵抗しても、彼女は微動だにしなかった。

 どんどん僕に沈み込むように力を入れて、押す。

「退魔しなければ、魔物を消さなければ、魔物を滅さなければ、いけないんですっ!」

 彼女の黒い髪が頬に当たる。

 紅い和服が目に入る。

 白い肌は、冷たく感じた。

 虚ろ気味になっている瞳は、まっすぐ僕を見つめていた。

「あなたがいなくなれば、いいんですよ?」

 懐からゆっくりと何かを取り出し、それを包んでいた布を払う。

 殺傷能力がありそうな、大きなナイフだった。

 ごくり。

 喉が鳴る。

 そうか。

 殺される。

 そういう状況だとわかっているのに、やけに冷静な僕だった。

 いい、と思ってしまったのかもしれない。

 僕が死んだら、凉緒も消えるのだ。

 一緒にこの世からいなくなることを、いい、と思っているのかもしれない。

「そうですね……もう一度だけ選択肢を与えます……退魔を拒みますか?」

 どうしよ、何て悩まなかった。

 僕は目を合わせて答える。

「拒む!」

 まさか殺されかけてもそう言うとは思わなかったのだろう。ホムラが一瞬動揺した。

 その瞬間を本能的に感知した僕は、火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、妙に溢れた力を頼って、彼女の下から逃れよう動く。

 ――が、世の中そう上手く出来ていないらしい。

 はっと我に返ったホムラが、慌てた様子で僕にナイフを突き立てた。

 動いていたので、首は避けられた。

 腹の真ん中に走るような激痛を感じ、恐る恐る視線をやると、ああ、刺さっているじゃん。それもかなり深く。

 嗤える。何て僕はダサいんだ。

 彼女が一気にナイフを横に引いてから、抜く。

 血が、赤い血が。

「――――――――っ!?」

 叫びが声にならない。

「あなたが、悪いんですよ?」

 返り血を浴びたホムラが、微笑む。

 血が溢れているのが、わかる。

 止まることがないことも、何となく感じた。

 もだえる、もだえる。

 苦しむ僕からホムラが離れた。

「失血死……ですね」

 悔しい。

 何が悔しいのかわからない、でも、悔しくてたまらない。

 そうだ、凉緒は、凉緒は!

「あ、朝海、身体が、身体が溶け、溶ける!」

 地下室からの階段を駆け上ってくる音が聞こえた。

 凉緒だ。

「朝、朝海――やぁぁぁぁああ!」

 悲鳴。

 僕の倒れた姿と、血まみれのナイフを手に持った少女にでも驚いたのだろうか。

 凉緒が寄ってくる。

「朝海、あ、あ、あぁぁあああ! 溶ける、溶ける!」

「すず、お……」

 どさっと、不意に凉緒が横に倒れた。

 彼女から出ているのか、水がどんどん床を覆っていく。僕の血を薄めていく。

「かわいそうですね、二人で苦しんで……全部魔物が悪いんですよ」

 ホムラの声に耳をやっている場合ではなかった。

 僕は、僕の身体が徐々に死に向かっているのを全身で感じながらも、何とか凉緒に顔を向ける。

 死ぬんだ、二人で。

 未来が見えるわけではないけど、そんな気がした。いや、そうなるのだ。

 どうやら、最後はやはり悲劇らしい。

 いきなりの来訪者に腹を刺され、死ぬなんて、思ってもいなかった。

 どうやらこの悲劇はあまり面白くなさそうだ。

 シェイクスピアの悲劇といい、おとぎ話といい、悲劇というのは基本語り継がれることが多いと思う。

 きっとこの、孤独な僕と凉緒の悲劇は誰にも語り紡がれないだろう。

 それが、いい。

 それで、いい。

「もう、死にますね。約束通り、帰らせていただきます」

 足音が聞こえた。ホムラは本当に帰ったらしい。

 血を浴びている状態で、どうやって帰るのかなんて、これからいなくなる僕には知ったこっちゃない。

 ああ。

 すべては執念なのだ。 

 凉緒の、僕に対する執念で始まり、ホムラの退魔に対する執念で幕を閉じる。

 人間って、怖いな。

 少し手を動かしたら、何かが触れた。

 幼子のように泣き狂う凉緒の、頬だった。

 泣かないで。

 一緒に消えよ?

 そう言いたくても、言葉が出ない。

 淋しく可笑しく、バカバカしい僕らの悲劇。

 愚かすぎて、逆に嗤える、喜劇。

 ごめんね、ごめんね凉緒。

 やっぱ君を守れなかった。

 ありがとう、凉緒。

 再会できて、幸せだった。

 溢れてくるのは全部彼女への想い。

 嘘ばかり言って、悪かった。

 素直になれなくて、バカだった。

 消えていく意識の中、最期に言わなければいけないことを思い出す。

 これだけは、告げなければ。

 これだけ、これだけは!

 凉緒に届くかわからないけれど、僕は消えかけている命を消す思いで、彼女の名前を呼ぶ。

「朝、朝海……死にたく、ない、まだ、朝海と、いたいよっ!」

 我儘だな、最期まで。

 いつもそうだ、君は面倒で、想いが重くて、ややこしい女の子だよ。

 それでも、君が好きだ。

 好きで、好きで、たまらないんだ。

 殺したいほどに。

 結果、僕が君を消すことになったから、僕は幸せだ。

 だってこの手で、この身を以て君を消せるんだから。

 いつの間にか、笑っていた。

 きっと妙なほど、優しい笑みに違いない。

 僕は、気持ちを全部贈るため、短い言葉を凉緒に与える。

 今まで一度も言っていない、ずっとしまっていた、隠していた最初で最後の――


「愛しているよ、凉緒」


愛の言葉。


「私も、だよ」


 気のせいかな、嬉しそうに言う凉緒の声が聞こえた気がした。


 さようなら、はしない。

 いつまでも一緒にいよう。

 ねぇ、凉緒。

 僕の我儘も、聞いてくれる?     



End



楽しんでいただけたでしょうか?


ここまで読んでくださり、ほんっとうにありがとうございました!!


もし気に入っていただけたら、評価お願いします。


これからもたまに投稿してみたいと思いますので、よろしくお願いいたします!


ありがとうございました、ヒコサクでした!

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