薔薇のジュース
この短編は日本文学館の【第3回 400字から参加できるエッセイコンテスト『母へ――。』】に応募した作品です。審査委員特別賞を受賞しました。
なお掲載にあたっては若干の手直しを加えています。
ずっとなぜだろうと疑問だった。
幼稚園の送り迎えは祖母、小学校の行事は不参加、仕事から帰ってくる時間は二十時過ぎで、話しかければ疲れているからと拒否される。
「お母さんは、いま、大変なときなんだよ」
父は庇い、祖母は、
「どこまであんたたちの面倒を見なきゃならないの。お母さんはどういうつもりなの」
と怒鳴る。
なぜ育てないんだろう。なぜ自分が生んだ子どもなのに興味のない素振りなんだろう。なぜ私たちを生んだんだろう。晴れない疑問を、でも、幼い妹の前で口にしてはいけないと、我慢した。
思春期が来て、寂しい気持ちに歯止めがかからず、構ってもらうために、母に突っかかった。母は相変わらず仕事だけに手一杯だった。たまに機嫌が良くて、話を聞いてくれることもあったけど、十分ももたなかった。
そういえば、小学校の作文で母とのふれあいを書いたことがあった。二人で縁側に座って電線の雀の数を数えた。それだけの内容。嘘だった。母とそんなふうに話すことはなかったから。
その作文を見せたとき、母は、
「そんなことあったかしら」
と首をかしげた。ない、とは断言できなかったんだね。
私の母への思慕は年を追うごとに募っていった。それは比例して、母に相手にされない孤独感を増す結果となった。鬱陶しい態度を取る私を、母はますます阻害した。
なぜ愛してもらえないんだろう。私に原因があるんだろうか。何を直せばいいんだろうか。母親と子どもの関係を壊しているのは、私と母のどっちなんだろうか。
答えは唐突にきた。母の大学の卒業アルバムを見つけたから。卒業年月日は某年三月。私が生まれたのは同年十月。
なんだ、そっか。
母が学生のうちに結婚していたわけはない。つまり、私を妊娠したことによって、母は結婚せざるを得なかったのだ。
母は、家庭に不満がある感じではなかった。ただ、専門的な大学に通っていた事実から、いまの仕事に就きたいとの願いは強かったんだろう。それを、一時的とはいえ、私という存在が邪魔をした。
母は身勝手な人間だ。私が悪いわけじゃない。
それからの私は、やっと母から離れることができた。軽蔑し、そんな母親は願い下げだと思うことができた。
そして自分も子どもを授かり、育児に翻弄されるたびに、
「母にはこんなこともできなかったんだ」
と優越感を持つことができた。
仕事の定年を無事に迎え、罪滅しのように、新しい家庭を持った私に連絡を絶やさない母。
「食べるものはあるの?」
「この料理できるかしら。作ってあげようか?」
そんな言葉を電話口で聞きながら、いまさらの感に苦笑していたら。
また突然に思い出した。
幼いころ、母は薔薇の花びらを使ってジュースを作ってくれた。ほんのり香りのする、たぶんそう美味しくはなかった砂糖水のようなジュース。
仕事で辛くなってくると、庭先で園芸に勤しんでいた彼女。子育てを癒しに感じる余裕のなかった若い母には、それが唯一の楽しみだったと思う。その庭で咲き誇っていた、母の心の支えになってくれた薔薇。
「あのさ、子どものころさ」
今度の電話で、そんな話をしてみようと思う。
なぜ、母の幸せな時間を私たちに分けてくれたの。それを聞いてみたいから。
お母さん。どんな関わり方をしても、結局はあなたの子どもに戻ってしまう私を、いまのあなたなら喜んでくれるでしょうか。