希望と力と救済と
無限遠に続く霧。それは行き先のわからないディアボロスの遊戯を暗示しているようにも見える。その中で沙耶はゆっくりと意識を取り戻し、ゆったりとしたペースで目を見開く。
仰向けに倒れている身体を腕の力で起こし、周りを見渡す。しかし視界は濃霧によって遮られ、状態としては限りなく最悪だった。
(……負けたのかな)
反則じみた力を持った唯に奇襲を喰らい、絶望に打ちひしがれていた。頭の中では神楽唯という存在が自分を含めた他の4人の候補とは明らかに違うというのは頭の中では分かっているのだが、それが分かったからと言って何の解決にもつながるわけでも無し、ただ負けたという事実が沙耶の頭の中で反芻されるだけだった。
腕と足に力を籠め、ゆっくりと沙耶は立ち上がる。行くあても無かったが、何かをするわけでもなかったので、たとえどのような結末であろうとも歩かなければその答えはいつまでも霧の中に閉じ込められたままだろう。それを知りたいが一心で、沙耶は歩き出した。
ふらり、ふらり。全身を蝕む鋭い痛みが沙耶の体力を奪っていく。それでもなお、沙耶は歩き続ける。答えが欲しいというその一心だった。
やがて霧が晴れていき、沙耶が視界に捉えたものは泉――濁りの全くない、おとぎ話に出てきそうな雰囲気を持ち合わせたものだった。それを見てから沙耶は心なしか少し駆け足になり、その泉に近づいていく。
おとぎ話のように急に精霊が出てきたり、不思議な光が出ているわけではない。ただその空気を吸っているだけで心が洗われ、身体が軽くなっていくような心地を覚える。
「……不運だったね」
急に、男の声が聞こえた。透き通った青年の声だ。それに反応して沙耶は後ろを振り返り、戦闘態勢をとる。視界に入ったのはおおよそ声のイメージ通りの好青年――紅眼赤髪の、紺色のフードを被った長身の男性だった。
「あなたが、私を……?」
青年は沙耶の問いかけに対して横に首を振る。
「俺が助けたわけじゃない。恐らく、ディアボロス様の施しを受けたんだと思う」
「ディアボロス……が?」
青年の返答に沙耶は驚きを隠せずにいた。ディアボロスが沙耶を助ける義理も必要もないだろうし、第一青年がディアボロスという神の名前を知っているからだ。
沙耶が困惑を隠せずにいる中、青年は苦笑いをしながら話を続ける。
「ディアボロス様がこのゲームを最後に起動したのは千年も前の事に遡るから、現代の地球にゲームのシステムが合っていなかったんだろうね、きっと」
いまいち納得しきれない様子の沙耶。それもそのはずで、沙耶の目の前にいる人間は知り合いでも顔見知りでもない、赤の他人なのだ。言っていることが百歩譲って理解できたとしても、即座に飲み込む状況でないことは明らかだろう。
「……そ、そうなんだ」
つい引き気味の態度を出してしまう沙耶。青年は自分のミスにようやく気付いたのか、右手を額に当てる。
「ああ、すまない!自己紹介がまだだったな。俺はガロウズ・マーキュリー、魔法協会のスタッフをやっていると同時に、魔法使いの保護活動を行っている」
これで青年の一つ目のミスは晴れて解決したわけだが、二つ目の問題を同時に誘発させてしまう。それは沙耶がまだ「魔法」というワードに違和感を覚えていると同時に、地球で魔法が使えるのは自分を含む5人のみだという認識が根強いのが原因だ。
「……魔法協会?魔法使い?それって本当なの?」
はぁ、と溜め息をつき、沙耶はガロウズの言葉に呆れる素振りをする。傍から聞けばファンタジーに染まった頭がお花畑な人の成れの果てだろう。
「本当さ。そうでないとディアボロス様のゲームを知っていたりしないだろう?」
「う……」
否定する材料がなく、言葉に詰まる。誰にも教えている筈がないのにディアボロスのゲームに沙耶が参加していることを知っているなど、怪しさは抜群なのに、妙に爽やかさと説得力だけはある。
「協会のIDカードを見せてもいいんだけど、どうせ信じてもらえないから、もっと納得するだろう証拠を見せようか」
そういうと掌を出し、沙耶の前に出す。そして、次の瞬間に小さな火が灯り、すぐに消える。
質量を無視した奇術のような現実――魔法の存在を、この一瞬で沙耶は思い知ることになった。
「あっ…………」
初等魔術。洞窟や閉所といった暗闇を照らすための明かりを灯す、小さな火を出す呪文。
それを見た沙耶はガロウズへの誤解が解けたのか、まごまごし始める。
「すっ、すみませんっ!」
「ハハハ、いいんだよ。俺も配慮が足りなかったからね、こちらこそ申し訳ないね、沙耶ちゃん」
おどけた様子で謝る沙耶に対し、気にしていないという様子でにこやかに笑うガロウズ。
「えっ……」
「ああ、ディアボロス様から話は全部聞いてるよ。当然情報も貰っている。その上で、だ」
個人情報が流出していることをさらっと無視しつつ、ガロウズは沙耶の肩をポン、と叩く。
「強くなりたいとは、思わないかい?」
途端、沙耶の目の色が変わった。ごくり、と生唾を飲んだ後に静かに縦にうなづく。沙耶にはもうガロウズへの懐疑心はほとんど残っておらず、それよりも強くなれる可能性があるという事が一番の決定打だった。
「私……このゲームに勝ちたいんです。勝って、生き返りたいです!」
ガロウズはそれを聞いてゆっくりと頷く。そして、沙耶の横をすり抜け、泉の前に立つ。
「……ここは魔力泉と言って、通常よりも多くの魔力が放出されている、言わば『パワースポット』だ。ここである操作をすることで、力を得ることが出来る」
そう言うとガロウズは宙に指で何かを描きはじめる。数秒も経たない間にそれは終わり、それに連動して泉が輝き始める。
後ろを振り返ってガロウズは沙耶を手招きする。躊躇なく沙耶はそれに応え、駆け足でガロウズの横に並ぶ。
「沙耶、泉の中央まで飛んで、そこで潜るんだ。光る玉が泉の底に落ちているから、それを掴めば強化は成功だ」
言われてから沙耶の行動は早かった。スキップで一気に飛躍し、そのまま滞空。ゆっくりと進んでいき、おおよそ中心部分で力を抜き、重力に身を任せ泉の中へと身を投じた。
水しぶきとともに身体を叩き付けた痛みが沙耶に走るが、ディアボロスによって与えられた体のおかげか、落ちた距離にしては痛みがかなり少ないようだった。
(光の玉は……あった)
目を見開くと、光を放つ球体が底にぽつりと置いてあった。明らかに天然のものではなさそうだが、今はそれを気にしている場合ではない。
濡れた装束が重く、沙耶の泳ぎを邪魔する。予想よりも上手く泳げず、体力もそれほど回復していなかったために、届かない。
じれったくなり、重しになっている濡れた装束を器用に脱ぎ捨てる。面白いほどに軽くなった体で、一気に接近していく。
(つか……んだ!)
しっかりと玉を握りしめる。すると光が沙耶を包み込み、暖かな「何か」が入り込んでくる感覚が沙耶に伝わる。それは沙耶にとって不快感に繋がるものではなく、むしろ享受できる、好ましいもののようなものだった。
沙耶を包み込んだ光の球はゆっくりと浮上し、泉を出る。そしてガロウズがもといた辺りへと向かって飛んでいき、静かに着地、沙耶は無事戻ってきた。
ガロウズは沙耶に背中を向けたまま、口を開く。
「晴れて成功だ、沙耶。すぐに実感出来ないとは思うが、確実に強くなっている。俺が保証してやる」
「成功したんだ……よかった……」
ほっ、と沙耶が安堵の溜め息をついたところで、ガロウズが口を出す。
「あとだな。服を脱ぎ捨てるのはどうかと思うぞ。俺のフードを貸してやる」
「えっ」と素っ頓狂な声を出してから自分の身体を見てようやく状況を把握し、一気に顔を赤らめ、「お、お願いします……」と震えた声で助けを求めるのだった。
謎多き男、ガロウズの登場でござます。
どう見てもこのイケメン怪しいよなー、とか思ってくれればそれは当たっているので大丈夫です。
あと、なんちゃっての色気を出してみましたがただのギャグでした本当にありがとうございました。