プライドと火炎と迅雷と
叢雲奈々というライバルの存在を思い知ってからは、行動は早かった。
奈々が自室に戻った後、沙耶は部屋を探索し、奈々が持っていた本と同じものを見つけようとした。そうするとお目当ての本が扉付きの本棚の中にあったため、さっそくそれを取り出し、ついでに他の使えそうな本を探し、それらもまとめて机の上に置く。明らかに一日で読めそうな本も何冊かあったので、結局残ったのは100ページほどの本が数冊と、奈々が読んでいた本になった。
(よし……!)
軽く積み上げた本を崩しにかかろうと上から一冊目を取ると、紙切れがはらりと舞った。
ふと沙耶の目にそれが入り、それが気になって一度本を机の上に置き、メモのようなものを拾い上げる。
『戦え 汝は弱き者に非ず』
紙には短いフレーズと、簡単な地図が記されていた。地図が指し示す先は広場――闘技場だった。
ここでバトル慣れしておけば、実戦でも役立つ……。そう思って少し胸が騒ぐような感覚を覚えるが、目の前にある山積した本たちを見て我に返った。
まずは理論――闘技場で無様な姿を見せるわけにはいかないので、沙耶は本をすべて読み切ってから闘技場に行くことを心に決め、読もうとした一冊目の本を今度こそ読むことにした。
…………
それから三時間ほどが経った。
100ページほどとはいえ、それなりに量があった本もほぼ崩し切り、残りは奈々が読んでいた本一冊のみとなった。
しかし沙耶はそれに手を付けず、部屋を出る準備をし始めた。というのも、魔導書を読めば読むほど疑問が増え、理論だけでは抑えられない部分が多くなりすぎたからだった。
「よし…………」
用意とは言っても部屋を片付け、身支度を整えるだけだが、その間に気合いを入れる。
地図の書かれた紙を片手に、沙耶は部屋を後にした。
外の風景は変わらず、一定間隔で並ぶ柱のある、古代ギリシアの建築物を彷彿とさせる廊下が延々と続く。歩いても歩いても終わりが見えない天界の廊下の長さにはただただ驚くばかりだ。
(……ここかな?)
一つ一つ曲がり角を確認しながら歩く沙耶は不審者のように見えるが、幸いなことに人は一人として通っていなかったので、沙耶にとっては救いだろう。
地図に指定された57番目の曲がり角を右に曲がり、その突き当りにある、木製の扉を開く。
入った先は、前後不覚に陥りかねないほど何もなく、そして壁もない、まさに『無』を体現したような空間だった。
日中ほどの明るさがあるために辺りを見渡すことはできるものの、何かが見える気配もなく、不気味な風景に沙耶は不安を覚え始める。ふと後ろを振り返ると、あったはずの扉は消えていた。
「……えっ?」
後ろも無限に広がる空間があるだけで、360度どこを見回しても見当たるものは何一つない、全く訳のわからない空間になってしまった。
不安を煽られるばかりの空間で、右も左もわからない状態の中、沙耶の右肩に何かが触れる。
「ひっ?!」
びくりっ、と大きく肩を震わせ驚き、後ろを振り向く。
そうすると、見覚えのある金髪の少女が仁王立ちで待ちかまえていた。
「立派な啖呵を切った割には、随分と臆病なのね……貴女には神の奴隷がお似合いよ」
気に障る物言いと、沙耶よりも10センチほど高い身長、そして何よりも死に装束の上からも色気を漂わせる豊満なその身体が、沙耶のコンプレックスと一致して、参加者の中でも一番嫌いな人間に認定された彼女の名は、
「……皇朱里……!」
「あら、貴女に名前を覚えて頂けるなんて光栄ですわ、雨宮沙耶さん」
小馬鹿にされた屈辱を味わい、沙耶は露骨に嫌そうな顔をする。それを見てからかうように朱里は笑みを浮かべた。
それからふん、と鼻を鳴らし、完全に沙耶をコントロールしきった王者の余裕を見せる。
「覚える気は無かったんだけど、どうせ一番目に潰す相手だし、まあ覚えておいた方がいいかなって」
朱里の相手をするのが面倒になり、沙耶はあしらうような態度に変更する。
あからさまな態度の変化に朱里は気を悪くしたのか、眉がピクリと動く。
「私を潰す?笑わせてくれるわね。貴女のような雑魚如きに私が倒されるはずがありませんわ……」
「戦ってもいない相手に雑魚って言われる筋合いはないね。実力も知らないくせに」
「いえ、分かりますわ。貴女の雰囲気、オーラ……戦う人間のそれとは比べ物にならないほどに薄いですもの。何なら――」
足を下げ、膝を軽く曲げる。そして左腕を下腹部に添え、右手で握り拳を作って前に軽く突き出す。
「――試してさしあげますわ」
「言うじゃん。やろうか」
沙耶も朱里と同じように戦闘体勢に入り、にらみ合う。互いに牽制し合うが、先に動いたのは沙耶。
魔導書に書いてあった通り、足に意識を集中させ、魔法陣をまずは完成させる。この時点で自分も魔法陣を完成させ攻撃するか、それを妨害するために攻撃を加えるかによって大きく戦局が変わってくるが、朱里は前者を選んだ。
「雷撃の加護、今ここに」
「火炎の加護、今ここに」
沙耶の詠唱に遅れて朱里も詠唱を完了させ、いよいよ戦闘に入る。雷の支援を受け行動速度が上昇した沙耶が先手を取り、右の拳を強く握って裏拳を繰り出す。
それを眼前で朱里は沙耶の右手を弾くことによって受け流し、バランスを失うその隙に空いた左手を平らにし、鳩尾に掌底のカウンターを炸裂させる。
「ぐっ?!」
身体が浮き、一気に朱里との距離がつく。こと攻撃に関する身体能力を上昇させる炎の加護を受けた朱里の一撃は相当に重いものだった。素早さで朱里を凌駕するつもりが、逆に朱里の火力に圧倒されていた。
立ち上がろうとしたときには朱里が次の詠唱を始め、沙耶をさらに追い詰める。
「――息吹は彼を焼きつくし、無と還せ!」
詠唱が完成する直前に沙耶は立ち上がるも、火炎が放たれるのを防ぐ術までは持っていない。上昇していた速度のみを頼りに逃げる。
なんとか振り切るも、勝利のビジョンを失った沙耶の選択肢は空白になっていた。しかし負けではない。一撃が当たっただけで、それだけだ。
「雷の加護、今ここに」
二回目の詠唱。体力と引き換えに、更なる速度を手に入れ、反撃へと移る。
火炎の後の煙の中へと突っ込み、シルエットとなった朱里に向かって一直線に進む。
罠をかけられていればそこで終わりだが、沙耶が突っ込んでくることを想定していなかったのか、それらしきものはなかったようだ。
「!」
煙を抜けて急に現れた沙耶に驚き、更にその速度にも驚く。
先ほど止められた裏拳も朱里の防御を素通りし、額を撃つ。小突き程度に収めたその攻撃はフェイクで、打った右腕をすぐに回収、再び折り曲げ膝を曲げ、そのまま肘鉄を入れた。
「っ……!!」
沙耶ほど吹っ飛びはしないものの、直接手で触れれないほどの距離ほどに離れる。
これだけ離れれば十分と、沙耶は実験を兼ねた賭けに出る。
「我が使役によりて雷撃よ迸り、今ここに集いて力となれ――!」
攻撃のための呪文を無理矢理に補助呪文として使うとどうなるか……それは沙耶が漫画でよく見た、かつての主人公が使った技法の一つ――『術式吸収』だった。
朱里に向かうはずの稲妻は沙耶に向かい、身体を包み込む。
身体のあらゆる部分に痺れが走り、予測していたよりも事態が悪化する可能性が出てき始めた沙耶は一人冷や汗をかき始める。次第に雷撃を取り込んだ痛みも加わり、雲行きが一気に危うくなる。
それをチャンスと見た朱里はすかさず詠唱の体制に入り、無防備な沙耶の身体に致命的な一撃を与えることに専念する。
「全てを焼き尽くす炎よ、今我の力となりて現れろ――」
身体が痺れて動けないまま、長詠唱の呪文を喰らうのは致命傷になる。詠唱が長くなれば長くなるほどに言霊によってその力は増していく、というのは沙耶が読んだ本のうちの一冊に載っていた知識だ。
焦る沙耶を余所に、その身体には異変が現れる。痺れと痛みは身体の軽さへとやがて変化していき、身体の末端から芯へと、力が湧いてくる。
そして、あることが可能になったことを直感的に理解した沙耶は、敢えて何もせず詠唱の完成を待つ。
「――彼を永久の灰へと、願うは勝利の炎、いまここに具現せよ!」
言い終わった直後に、沙耶は動き出す。しかしそれは朱里からは大呪文が災いして視界を遮り、見えることはない。
火球が沙耶に向かって飛び、沙耶の前で弾け巨大な爆発音の後に巻き起こる爆風によって朱里は沙耶への直撃と自らの勝利を確信し、慢心する。
「――!!」
しかし、沙耶は沈んでなどいない。
何らかの詠唱をした後、沙耶は先ほどと同じ要領で朱里を探し、突撃する。一撃で沈める予定の彼女に戦いの続きを描く気などなく、またしても見つかる。
そしてニヤリと笑い、右腕を引っ込める。そして拳に力を籠め、突き出す。それに朱里が気付いたのは下腹部に拳が入る直前で、目視すら許さないような速さで襲いかかる。
ドスッ、という鈍い音とともにアッパーが決まり、沙耶よりも重いであろう朱里の身体を持ち上げる。
「解き放つは紫電、いまここに!」
左手を上に翳し、それは宙に浮く朱里に向かっている。
その左手の先から紫色の稲妻が迸り、一瞬にして朱里に直撃した。
「がはっ……?!」
「……ふっ」
形勢逆転――朱里の油断により圧倒的な力を手に入れた沙耶にとって、速度の劣る朱里はもはや敵ではなかった。身体能力の上昇につき呪文の詠唱速度も上昇し、雷の特性がスピードに長けていたこともあり、もはや誰にも負けないであろう速さを手にしていた。
つい先刻――朱里が大呪文を放った直後、沙耶は雷球を作り上げ、後ろに下がった。火球はそれに直撃し、沙耶は難を逃れる。そして呪文を詠唱。
「雷の聖霊よ、我に力を示し紫の迅雷を我が手に与えよ……リミットワード『紫電』、封印術式発動!!」
相手から見えない隙に詠唱を済ませ、すぐに突撃――そして、今に至る。
勝負は、沙耶の逆転勝利に終わった。
というわけで二人目のライバル、朱里嬢でごぜえます。
朱里さんマジツンデレ。
俺がツンデレを書くとどうしてもお嬢様、高飛車ツンデレになっちゃうのは気のせいでしょうか。何でも書けるようにしないといけないのになぁ。
もうちょいで地上に降ります。
こうご期待。