表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

みくづになりゆけば

作者: つき

不規則なリズムの中に、微かに残る旋律。掻き混ぜたかのように乱れながらも、僅かに香る唄声に近い反響。ぴちゃん、ぴちゃん、とそれはとても、心地よく私の心を揺らし、引き寄せるのだ。誘うように、導くように。どこに、かはよくわからない。言葉にはできない曖昧な場所へ。濡れた頬を拭うこともせず、何となくそう感じた。


私は雨が好きだ。雨の日には傘も差さず、降られるがままに山道を散策するのが決まりだった。髪の毛を重く濡らし、重力に伴って額を、頬を、喉を、腕を、足を伝い落ちて、そのまま私の影から滑り落ちていく水滴が、とても気持ちよく心地よかった。それは生まれながらの魂に刻まれた、本能に近い感覚だった。肌に張り付く服が、他の人とは別の意味で煩わしかった。


もしかしたら羊水に沈んでいた頃に、記憶にない素敵な出来事でもあったのだろうか。残念ながら覚えていない。それは当たり前だけど、覚えていないけれどただ、ママがトラックに轢かれたのは確かな事実だ。その衝撃でママは死んで、私が生まれたのだから、素敵な出来事というより衝撃的な出来事だったか。かくして礫死体から取り出された私だったが、パパはどうにもこうにも受け入れがたかったらしく、もう顔も覚えていない程度にはお会いしていない。覚えていないわけで、したがって罪悪感はないけれど、口先だけで謝っておこう。ごめんねパパ、私の方が生き延びちゃって。


そう考えると私の無類の水好きは、ママの影響なのかもしれない。私にとってママという存在は、水に沈んでいたあの頃に、無意識の中でだけ感じられたものだから、私は雨を感じながらママを感じていたのかもしれない。そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。まぁどうだっていい。それはどうでもいいことなのだ。ただ、私は水が大好きで、今現在もとても愛おしいということが重要なのだから。


だから今現在空からは線で連なうような細い雨が降り注いでいて私は傘を差していなくて、花柄のワンピースが水分を含んで重く地中へ沈みこもうとしているかのようで、同じぐらいに空も重くて昼間だか夕暮だかよくわからない時間帯は暗くも明るくもなくてそして、そして、そうだ足元には長い黒髪の女が滲んだ赤を広げながらうつ伏せで地面とキスしているのだ。嗚呼、そうだねママ、そんなことはどうでもいいね。そんな事実なんて、心底どうでもいいんだよね。


こちらに無防備にチラ見せされてる旋毛さんに、軽く一蹴りプレゼントする。黒い塊は重そうにゆらりと少しだけ揺れ、めんどくさそうにすぐ止まった。ちゃんと死んでるみたい。五分ぐらい眺めてみたけど、生きてるなら泥に顔突っ込んだ状態で、五分も静止できないはずだ。見下ろし作業は中断して、屈んで女の腕を握る。薬指には指輪があって、それを視界に収めた瞬間、小さく舌打ちをした。


わたしあなたのおとうさんとおつきあいを。ほんの数十分前の記憶。耳障りな声。雨音の方がずっとずっと綺麗。おかあさんのことはきいてます。嗚呼ホント、重いなぁ。滴る水分のためか、尊い命とやらのためか、やたらと重いその腕を両手でしっかりと掴み、滑りの良くなっている泥の上を勢いをつけ引き摺っていく。引き摺って、止まって、引き摺って、止まって。女の白かったブラウスを、茶色と赤で染め上げていく。


馬鹿な女。特別な感慨も湧かず、鼻で小さく息を吐いた。世の中が美しいものだけで構成されてると、根拠もなく信じてるだけの馬鹿な女。礫死体から取り出された少女を前にして、何の疑問も抱かずに憐憫の色を浮かべてわたしあなたのははおやになりた五月蠅い五月蠅い五月蠅い黙ってろ馬鹿女。じゃり、じゅり、ざり、びちゃっ。落ち着く水音。私の世界の音。邪魔をしたお前が悪いんだ。いつも通りの散策だった。お前が突然現れて、慣れ慣れしく声をかけてこなければ、嗚呼違うどうでもいいどうでもいいや、そんなことはどうでもいいんだった、ねぇ、ママ。


ここは超がつく田舎の真っただ中、のしかももっと奥まった、邪魔くさい木々で覆われている細い山道。地元の人間でもあまり使わない、よく言えば辛気臭い悪く言えば死体が転がってそうなあぜ道だった。舗装されていない道から外れてちょっと木々の奥まで行ってしまえば、発見はだいぶ遅れるだろう。もともと死体が転がってそうな道なんだし、今更一体ぐらいほんとに死体を転がしたって、さほど問題はない。あとはせいぜい、白骨化するまで誰の目にも触れないでくれればそれでいい。雨の多いこの土地で、せいぜい血肉を腐らせ分解されてしまえばいいんだ。それがお前の罪で罰だ。だって、あの時だって、この女は。


突然現れて、慣れ慣れしく声をかけてきた馬鹿女。綺麗な黒髪は長く真っ直ぐ、さらさらと肩口をくすぐっていた。当たり前だ。女は、傘を差していたのだ。くぐもった空を上品な柄が丸く切り取っていて、気が付いたら飛びかかっていて、右手には石が握られていて、それを振り下ろすだけの絶対的優位なポジションも確保できていた。細い首を片手で締めつけながら見下ろせば、恐怖に歪んだ女の顔がそこにはあった。濡れていた。どこもかしこも濡れに濡れて、傘はどこかへと転がっていて、それを確認した瞬間に私は何か叫んだような気がしたけれど、今ではもうよくわからない。雨は何もかも包みこんでくれる。女の切り裂くような悲鳴さえも。固いものと柔らかいものと固いものがぶつかる音も。


さて、ある程度草木で偽装もできたし、そろそろ帰ろうか。手に付いた泥と赤黒い何かを裾に乱雑に擦りつけながら、草を踏みしめ元のあぜ道へと戻っていく。ぴちゃん。嗚呼、雨音。不規則に、唄声のように私を誘う、導く音。水分が飽和した世界では耳の奥まで水が流れ落ちていく様で、振り返る代わりに私は鬱蒼とした空を見上げた。曇天の空。喉の奥で響く心音。雨はまだ、当分止みそうにない。










みくづになりゆけば


( 雨は降っていて、私は沈んでいって、それでも降り止まなくて、嗚呼 )










2011/03/18

( お題 : 変わっているお題配布所 )


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ