第3話 片岡とかいうヤツ
「すみません! 遅れましたっ!」
勢いよく天文部の扉が開かれ、ふたりの視線が、その先にいる炭木を刺した。
一方は、頬を膨らませ、目を三角にしたアホ毛ガール。
そしてもう一方、長い黒髪のポニーテールをひらりと靡かせる、にっこりした白い肌。
「遅いぞ炭木ぃ! 意識……意識みたいな、なんか、意識とかがなっとらんのじゃないか!?」
「すみません。バレー部の勧誘、撒いてまして」
「ふふ、炭木くんガタイいいもの。運動部からはひっぱりだこ、なんじゃないかしら?」
お淑やかな声が耳に入り、そこで初めて、炭木はその黒髪を認識した。
「あ、片岡さん、今日はこれたんですね」
「ええ、なんとか。ごめんなさいね。最近、委員会と生徒会が忙しくって……」
炭木が席に着いたのを確認し、藤崎はホワイトボードの前へと移動した。
そう、天文部の部長は彼女。
藤崎が進行をしない限り、話は進まないのだ。
しかし彼女、なにやら足取りが重たい様子。
「………………」
「……」
「……?」
「……………………っ!!!!」
「いや、なんかいってくださいよ」
舞台にたった藤崎へと、ふたりの視線が交差する。
「うーん? 久しぶりだし、緊張しちゃったかしら」
「あぁ…………ちが……違……くて…………」
泳ぐ目元がキラリと輝いた。
鼻水をすする音が、部室中に響きわたる。
一見してただの緊張しいだが、その様子を不審がったのは洞察力男、炭木。
ポケットに指を這わせる彼女を、見逃さなかったのだ。
「えと、藤崎さん。なんか、忘れ物でもしました?」
「…………!!!!!!!」
藤崎の肩が数センチ跳ね上がる。
「炭木ぃ!!」
「学校にはもってきてるけど、さっき俺に怒った手前、取りにいくあいだ待っとけって、いいだしにくかった……とか」
「ず、炭木ぃぃぃ!!!」
「どうせ必要なら、とってきてくださいよ。全然、ね? 10分くらいなら待ちますし」
「ずぅ、炭木ぃぃぃぃ!!!!! お前、いいヤツぅっ!!!」
炭木、すかさずサムズアップ。
しかしこの男、自分の遅刻をなかったことに、したいだけである。
シャツの袖をぐしょぐしょにした藤崎は、漏れる鼻水もなんのその。
「じゃあ!」と汚い声で吠えながら、勢いまかせに扉を叩き、そのまま早足で部室を後にしていった。
「なんていうか、安心感あるわね。藤崎ちゃんは……」
「はぁ、やっぱあの人、ずっとあんな感じなんですね」
「あと鼻水まみれの女の子って、ぶっかけみたいでそそるわね」
「急に本性だすじゃん。この人」
━━第3話 片岡とかいうヤツ━━
「でも、丁度よかったかも。炭木くんとお話したいことあったから」
「……?」
炭木はスクールバッグに突っこんだ手を引き、片岡の顔を見た。
文庫本が鞄の底に落ちる。
「藤崎ちゃんのことなんだけどね。一緒にいたらわかると思うけど、あの子、結構こじらせてるじゃない?」
「あぁ、まぁ……こじらせって呼ぶにはあまりある感じしますけど」
「だからね、藤崎ちゃんがこんなに懐くなんて、君はなにをしたのかなー、なんて」
不敵な笑みを向け、まるで挑発でもしているのか。
謎の緊張感に蝕まれる最中、炭木は毅然と口を開いた。
「普通に接してるだけですよ。あの人、ほっといたらなにしでかすか、わかんないし」
「あらほんと? 私、あの子と仲良くなるの、苦労したんだけどな〜」
「はぁ、苦労っすか」
「そうそう。もともと私、あの子のケツ追っかけて、ここに入部したんだけどね」
「言い方……」
「藤崎ちゃんのケツついでに、天文部全員とセクルぞー! って意気込んでたんだけど、藤崎ちゃんがウブすぎて、諦めちゃったの」
「ケツが正しい表現なんだ」
………………
…………
窓越しの木漏れ日が片岡に差され、真っ白な肌が赤く染まる。
ノスタルジーというべきか、なにか、哀愁のようなものが漂っていた。
「なんだかね、ふたりが仲良くしてたら、私も嫉妬しちゃうのよ」
「嫉妬って……俺は別に藤崎さんのこと、そういう目で見てないですよ」
「そう? じゃあ、目の前に藤崎ちゃんが全裸でいても?」
「まったくっすね」
「うん、私も」
「じゃあなんだこの時間」
藤崎の裸コラージュを脳裏に浮かべても、「風邪ひくよ」以外の感想がでてこない。
色気の反語。
ノットスケベボディ。
片岡は、少し笑って話を続けた。
「一応いっとくけど、嫉妬してるからイジワルしよう、ってわけじゃないのよ。炭木くんはあの子のこと、どう思ってるのかなって話。それにこの嫉妬、あなたに向けているものでもないし……」
「ん? じゃあなんすか。誰に嫉妬して──」
その一言に反応してか、片岡は待ってましたといわんばかりに口角を上げた。
赤色の木目からは甘い香りがして、その笑みの可憐さを、引きたたせる。
ゆっくりと、噛み締めるように、唇が動いた。
「藤崎ちゃんへの嫉妬……っていったら、どうする?」
なめらかな10本指が、炭木の前腕に重なって、手の甲へと滑っていく。
近づく顔に息がかかり、鼻の先からとろけてしまう。
木漏れ日によって隠された顔の色は、どうなっていたかの判別もできない。
片岡の想い、感情。
そして、炭木は────。
「え? どういうことですか」
「えぇ……」
………………
…………
「だって、登場人物3人ですよね? で、藤崎さんに嫉妬してるってことは…………、……ん?」
「もう……つれないの」
ツンとして、ぷぅっと頬を膨らませる。
「これでも私、今までは結構モテたのよ? ファンクラブとかもできたくらい」
「はぁ……まぁ片岡さん、顔の整い方、芸能人レベルですし」
炭木のお世辞に少しはにかんだ片岡は、つくえに肘をつき、慈しむように懐古した。
「天文部ってさ、2年生いないでしょ」
「そういえば、部員、おふたりと俺だけですね」
「うん。去年、私目当ての入部希望者が30人くらいいたんだけどね。いっぱい押し寄せてきたもの、藤崎ちゃんがびっくりしちゃって。全員、断っちゃった」
「はぁ、たしかにモテモテだ」
「……っていっても、上半期も上半期だけだったけどね」
「それは……うん」
自虐めいた口調が、炭木の胸を刺していく。
あたたかく、それでいて尊大な光が、全身を包みこんで離さない。
「だから、後輩とこんなに一緒にいるなんて、私も初めて。もっと甘えてほしいし、もっと仲良くなりたいって、思ってるのよ?」
「そう、っすか…………。まぁ……俺としても、よろこんで、ですけど……」
「ふふ、かわいい。どうする? 私のこと、お姉ちゃん、とか呼んでみる?」
不敵な笑みを向け、またしても挑発のつもりなのか。
照れくさく目を背ける炭木の顔へと、そっと手を伸ばしては、前髪を少しかき分けた。
しかし、こいつは愚鈍か鈍感か。
炭木の返した返答は、それの答えではない。
「あの……お姉ちゃんは、違うんじゃないですか」
それを聞いて、目を丸くした片岡。
すぐに失笑すると、椅子を後ろにひいて立ち上がった。
全身を注目させるべく、いままでつくえの下に隠していた下半身を、見せつけるかのように。
黒のベストは少しほつれ、下に着ているシャツの色味がはっきりわかる。
そして、グレーのスラックスが、とうとう公にさらされるのだ。
その年季のある制服は、炭木が着ているものと、まったくの同じ。
華奢な体に手を当てて、自分自身の存在を証明するように、問いかけた。
「じゃあ──」
「炭木くんは私のこと、お兄ちゃん……って、呼びたかったかしら?」
「………………」
「ふふ、照れてる」
「……………………照れてないです」
「うふふ、ほんとかしら?」
「…………」
夕日が差しこむ小屋の中、彼の微笑みだけが、その場を支配する。
からかっているだけか、それともなのか。
男ふたりの奇妙な関係が深まった、活動前の、静かなひとときであった────。
──バーンっ!!
「……!!?」
「…………!」
「………………──」
「あっ……、すいません藤崎さん。完全に忘れて──」
「あ〝……だじも………………」
「……?」
「あ〝 だ じ もぉぉ!! ま〝 ぜ でぇぇぇぇぇ!!!」
「感慨の隙もねぇんだ、この人」