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第18話 SRE(Sleep-Related Erection)


 鉛色の空への憂鬱に、身体も慣れてきてしまう夕刻前。

 気圧に脳をかき混ぜられた藤崎からは、気力らしい気力がまったく感じられない。

 机に突っ伏して大きなあくびをするも、そのタイミングで天文部の扉が叩かれたものなので、はにかみながら身なりを整えるフリをする。


「あれ片岡、今日は早いな」

「うぅんー、そぅなのぉー……」


 扉の先にいたのは片岡。

 この時間にくるのは珍しい。

 しかし、普段のお淑やかさはなく、千鳥足でポワポワした様子。


「ごめんねぇ〜、今日、朝早くて、ずっと眠くてぇー。安藤ちゃんに仕事、押し付けてきちゃったぁ……」

「お……ま、まぁ、天気もこんなだしな、うん」


「うぅん、だから部活始まるまで寝てていいかしらぁ……?」

「おおぅ……どうぞ。ほ、ほい、座って」


 この日は1年生が7限授業で、全員が揃うまでにあと70分は時間がある。

 多少うたた寝をしても、時間厳守に問題はない。

 椅子に座った片岡は、電池が切れたように机へと崩れこんだ。

 すぅ、すぅ、と可愛らしい寝息をかきながら、甘える猫のような顔立ちで目を閉じている。


 だが、その様子を眺める藤崎に、顔が綻ぶだとか、頬をつついて悪戯するだとか、そんな素振りはなかった。

 ただ一点、その一点だけに注視しているものなので、顔に気をとられることなど、まったくなかったのだ。


 藤崎の喉がゴクリとなった。

 息も荒くなり、冷や汗をかいて、目を凝らす。

 固唾を飲みながら、刻々と時間だけが過ぎていくのだった────。





 ────1時間後。


「おつかれーっす。もう全員、揃ってます?」


 そういって扉を開けた炭木の前方には、突っ伏して眠る片岡と、部屋の角で震えて縮こまる藤崎の姿。

 縮こまりながらも、視線は片岡へとむいている。


「た、助けて! 炭木ぃっ!!」

「ちょ、なに? どういう状況ですか……」




「ちんぽがっ!!! ちんぽが勃起するぅぅう!!!!!」




「え、生えたの……?」



 ━━第18話 SRE(Sleep-Related Erection)━━



「なんだ、片岡さんのですか。びっくりさせないでくださいよ」

「なんだじゃないのっ! 由々しき事態だよ、これは……!」


 ビシッと片岡のイチモツを指差し、捲し立てるよう舌をうねらした。


「睡眠にはいって1時間と少し、片岡はいま、レム睡眠に差し掛かっている!! 睡眠時勃起は、レム睡眠中に自律神経の働きで血管が拡張、陰茎内部にある海綿体が血液で満たされ起こる生理現象……」

「なんでそんなチンコに詳しいんだ」


「つまりいま! 私の眼前には、反り勃つ可能性のある陰茎が眠ってんだよ!! 勃起ちんぽと同所にいんだぞっ!? うかうかしてらんねぇだろっっ!!!」


 唾を飛ばしながら藤崎の頬も熱くなる。

 知識的に話をするぶん、この奇天烈発言もタチが悪い。

 しかし彼女のハイテンションにうってかわって、炭木はなんともいえない表情で言葉に詰まっていた。

 今日の気候も相まってか、1から10まで聞いたところで、話の理解すらしたくなかったのだ。


「えーと……勃起と同じ空間にいたくないんですよね。それ、人の集まる教室とかはどうしてるんですか? あんまいいたかないですけど……なんか勃ちますよ、教室って」


 挨拶で起立するとき、机の下にガッてしてチンチン隠すよね。


「違ぇよバカっ! こんな時だけ察し悪いなお前!!」

「なんで怒られてんだ俺」


「ちんぽがみたくないんじゃない、片岡のちんぽがみたくないんだっ!! 私が片岡にむける感情は友愛っ! そこに性の欠片をひとつでもいれてみろ、まってるのは崩落の一途だけだぞ!?」

「あー……うん……」


 炭木の曖昧な返事が耳をなぞる。

 「このひとの普段の言動みえてないのかな?」、とでもいいたげな、そんな返事だった。


 しかし、厄介コンプレックス人間というのは、この手の機微に敏感な生き物。

 日常生活ひとつとっても多彩な忌避反応が組みこまれており、さながら地雷原のレッドカーペット。

 藤崎がいま抱いている危惧も、その一端なのである。


「ほら、こう……さ、そういう内々のとこ勝手にみちゃったら、どんな顔して話せばいいかわかんなくなっちゃうからさ」

「そうですね。ええ、ほんとに……」


 炭木は含みをもたせた言い方をした。

 ブーメランともとれる言動に、ため息すらでてこないからだ。


 リアルおっぱいマウスパッド。

 去勢百合プレイ。

 無法乳首当てゲームなどなど。


 過去、幾度となくうけてきた暴挙の数々。

 その奇怪な言動が頭を巡れど、擁護の余地は一切、湧かないものだった。



「…………あれ?」

「ん、どした」

「あの……片岡さんは友人だから性的な感情を排除したい、って話ですよね」

「うん」



「…………え……俺は……?」



 ………………

 …………



 赤らんだ頬に少しの苛立ちを隠し、ジトっと物申すような視線をむける炭木。

 程なくして、吐いたセリフの真意を理解したのか、ひきつるニヤケ顔以外の表情バリエーションを失ってしまった藤崎。


 言葉のない独特な間によって、甘ったるいフワモコちっくな空気感を醸しだすが、正直「なんでこんな展開でラブコメやってんだ」、というのが率直な感想である。


「いいんだよ、お前はっ! なんか……いいんだよっ!! 目下(もっか)の目的は片岡なの。しゃしゃりでてくんなや」

「まぁ、はい、どっちでもいいですけど……」


 すこしばかり言葉に詰まったが、このなんともいえない空気感を払拭するべく、炭木は軌道修正を試みた。


「でも、そんなに勃起が気になるなら、そもそもみなけりゃ、いいんじゃないですか? 勃起したって事実を認識しなければ、それはもう勃起してないようなものですよ」


 シュレディンガーのちんぽ。


「甘いな炭木ぃ。私が憂てんのはあくまで片岡との関係性だ。ここでの認識しないは、勃起の可能性を一抹でも残すってことになるんだぜ」

「なるほど……」


「といっても、レム睡眠に突入するのは、就寝から大体90分でのサイクルだ。机に突っ伏して寝ている以上、深い睡眠とはいいがたく、いまの片岡がSRE(睡眠時関連勃起)を起こす可能性は極めて低い」

「でも、低いからこその不安がある、と……。目を覚ますまで勃起の有無を確認する必要があるけれど、実際の勃起はみたくない、ってことですね」


 つまりそういうことである。

 理解はしがたい、度しがたい。


「じゃあもう起こしちゃえば、いいじゃないですか。俺もきたことですし」

「うー……、そうなんだけどさぁ……」


 藤崎はチラリと片岡をみた。

 ヘニャァと崩れた顔から、突っ伏す腕で頬が盛り上がり、口角があがっているようにみえる。

 猫が膝上で仰向けになっている時にしかみせないような、この一時だけが幸せの絶頂とでもいっているような、そんな顔立ちだった。


「これは……無理ですね」

「そう、無理……」


 しかし、このまま放置しておくと、本当にタイムリミットがきてしまう。

 睡眠からもう75分は経過している。

 こんな会話をしている手前、スラックス越しの陰茎が既に牙をむいている気がするのだ。

 チンチンだけに。


「私自身、まだ勃起はしないと思っている。体勢も体勢だし、レム睡眠突入前に片岡も目覚めるはずだ。だから確認さえできたらいい。勃起をしていないという事実さえわかれば……」


「…………あの、みなければ、いいんですよね?」

「あ? 目視以外でどうやって確認すんだよ」


「あるでしょう、もう1個、誰でもできる確認方法が。藤崎さんが無理でも、俺なら……まぁ」

「……?」



 ………………

 …………



 16時と30分頃──。

 緩やかと晴れ渡っていく空は、灰とピンクが入り混じっており、まるで世界が溶けていくかのようだった。

 天文部の部室前を陣取っていた安藤咲希も、スマホ片手に空を見上げている。


 生徒会役員の仕事を終わらせ、業務連絡と共有を目的にやってきた彼女。

 まあ、そうはいっても、下心が表情にもれつつはある。

 少しの期待がドアノブへと込められ、ノックもなしに扉が開かれた。


「活動中すみません。片岡先輩は────」




 ──サワサワ、サワサワ。




「あっ、大丈夫みたいですよ。スラックス越しでも柔らかいです!」

「おお、そうか! 慎重に触れよ、起こさないようにな」


 ──サワサワ、サワッ。


「お前、刺激だけは気をつけろよ!? 睡姦じゃねぇんだぞっ!」

「わかってます、そんな簡単に暴発するもんじゃないです」


 ──サワ、サワ。


「後はこのまま、片岡さんが目を覚ますまで、体勢をキープしておけば……」



 サワサワ、サワサワ……──。




 ──ガチャンッ!





「……っ!!?」


 ↑これは安藤咲希に手錠をかけられた炭木。



「…………???」


 ↑これは外に連行されていく炭木。



「…………………………」


 ↑これはそのまま夕日にとろけていった炭木。



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