第13話 天体観測
5月といっても肌寒さはあるもので、見上げた先の途方もない暗黒が、その冷たさを誇張させているような気もする。
典越高校、本校の屋上。
空を隔てるものはなにもなく、少しでも目線を上げるだけで、暗黒にうかぶ無数の輝きを拝めることができる。
だがそこに、ひとりぽつんといるこの男は、三角座りをきめこんだまま、微動だにしていない。
うつむきながら、屋上に舞い散る砂埃の数をずぅっと数え続け、その総数は1000にものぼるほどだった。
「お? 炭木ぃ、お前、先きてたのか」
「あら、早いわね」
ガチャリと開いた扉から、顔をだしたのは藤崎と片岡。
その音に反応して肩が跳ねた炭木は、ひきつる笑顔で出迎えた。
「なんだお前! こんな早くブルーシートなんか敷いちゃってからに。そんな好きかよ、天体観測!」
「あはは、ま、まぁ、そんな感じですよ。ほら、座って、座って」
「でも外はちょっと寒いわね。部室からブランケット、とってこようかしら」
「えっ!!? あの、早く! いくなら早く帰ってきてくださいね!!?」
「うふふ、わかったわよ。皆んなで楽しみたいものね?」
そういって振り返った片岡を見送ると、駆け足で階段を降りる音が屋上に振動した。
正真正銘、藤崎と炭木、ふたりきりの空間になったのだ。
態度のでかい振る舞いの藤崎だったが、その顔に反して足取りはちまりちまり。
こそ泥の歩幅で炭木へと近づく。
「し、しかしまぁ……まさかな! 屋上の使用許可とれるたぁ思ってなかったな!!」
「そうですね。こんな形でプラネタリウムの埋め合わせ、してくれるとは」
「ああみえてな、いいとこあるからな、斉藤先生」
「顔みたことないですけど」
ふんぞりかえったドヤ顔でありながら、炭木の斜め左後ろ側1.5m先で縮こまる。
いつも、部室以外で会うこともないので、こんなエモさのある空間でのコミュニケーションは、予習不足なのだ。
だがこの視姦野郎、普段であればそんなことも見破り、ごちゃごちゃした機嫌取りで、近くにでも座るよう促したであろう。
しかし、今夜の彼は摩訶不思議。
突如として自身の真横の床をぶっ叩いたと思ったら、藤崎へと鬼気迫る眼差しをむけた。
「藤崎さん!! こっち! こっち座ってください!!」
「えぇ……、でも、ここからでもみえるし」
「ここのほうが綺麗にみえますから!!! ほら、早く!!!!」
「で、でも──」
「うるさい!!! 身を寄せ合ってても、抱き合ってても、俺の膝の上でもいいから、とっととこいよ!!!!!」
「なんかお前、今日キャラ違うな!?」
━━第13話 天体観測━━
しぶしぶながらも悪い気はしていない藤崎は、とてとて炭木のほうへと向かっていく。
横目に顔を確認しながら、はりつけた笑顔で座りこんだ。
「お、お前……そんな星とか、好きなの?」
「え!? あぁ! はい! そんなとこです」
「それはなんか悪いわね……、普段あんま天文部っぽいこと、しなくてね」
「いやいやいや、別に。そんな好きでもないし」
「どっちだよ」
月明かりが逆光して、ふたりの背中を鮮明にとらえた。
小さい猫背と大きな背中。
まっくらな夜空を見上げると、夜風と虫の音以外の外界はシャットアウトされている気がして、嫌でもこの体格の差、異性の壁を意識させられる。
藤崎も、今回ばかりは切りこみかたが不明瞭すぎて、黙りこくって展開を待つしかないであった。
「…………」
すすっ。
「ん?」
だがなんと、今回、先に動くのは炭木のほう。
藤崎へと身をよせる。
「え、あの、炭木くん?」
ぎゅ。
にぎにぎ。
「っっ!!?!? ちょ、炭木っ!? 手!?? 手ぇっ!!??」
「あの、いまだけ……こうさせてください」
「はぁ??! はあぁっ?!?!?」
スペースが僅かとも満たないほどに体を近づけ、藤崎の右手に重ねるよう、炭木はそっと左手をそえた。
藤崎はこんなのでも華の女子高生。
女性向け雑誌はある程度嗜んでおり、となれば当然、あの言葉も脳裏に刻まれている。
そう! 情動二要因論!!
所謂ところの「吊り橋効果」!!
夜の学校、肌寒い屋上、数多煌めく星々。
そんな場で男女がふたりきりになってしまえば、脳が焼き切れ、星々の雄大さを恋心へと変換することもやむなし。
シチュエーションによって、女性は3割増しにも映るのだ。
だが、いくら3割増しの美貌を得ようとも、藤崎は陰キャコミュ障やおい与太狂いクソガキッズ。
いきなり女として扱われることへの余裕など、一寸もない。
「あえ??? あややぁ?????」
「藤崎さん、腕、抱いていいですか」
「ほよぉっ!? ほよよぉっ!!!??」
「し、失礼します」
ぎゅっ!
「うわぁ!? 胸筋がっ!?! 胸筋がくる!!?」
藤崎、ここで顔にだすのは危惧の表情。
こんなにも密着されると、バカでかい心音を聞かれてもおかしくない。
あんなにも、互いに恋愛感情はないと銘打ったにもかかわらず、「自分だけ実は意識してました」、なんて懲りない様は恥そのもの。
藤崎はバレないように深呼吸をした。
心臓だけでも落ち着けるように。
これはただの肉だ。
壁だ。
藤崎、無の境地に踏み込まんとする。
トクン、トクン、トクン。
トクン……、トクン……。
「ふぅぅぅ……」
トクン────。
────バクバクバクバクバクバクバクバクバクバクバクバクバクバクバクドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドルルドルルドルルドルルドルルドルルドルルドルルドルルドルルドルルドルル──────。
「……??」
この、不意に横切る改造オートバイのような騒音は、藤崎のものではなかった。
思えばおかしなことが多々とある。
いくら吊橋効果とはいえ、この不感症男が、藤崎ごときに欲情するとは心底ありえないのだ。
藤崎は思案した。
珍しくも頭を捻った。
そして、導いた答えとは──。
「なぁ……炭木よ」
「……はい」
「お前、夜の学校、怖いとかある……?」
「………………」
「…………」
「あ、あはは……んなわけ──」
パンッ!!
と思い切りに手を叩いたと同時、炭木は左斜め前25度へとヘッドスライディング。
デコを腫らして転がるその無様に、藤崎でさえ口ごもる。
「………………」
「…………」
「……あ、あの……、無性に……体を動かしたくなって、ね……?」
「おおう、そうか。ちなみにいまお前の後ろに女の人いるけど」
「びえぇぇぇえっ!!! 藤崎さん、藤崎先輩、藤崎お姉ちゃん、助けてぇぇぇえ!!!!」
「こいつ変なとこで情けねぇ!!」
………………
…………
だが藤崎、まんざらではない。
「ほら、手でも握っとけお前」
「あ、ありがとうございます……。藤崎お姉ちゃん先輩さん」
「全部混ぜんな」
自然と藤崎の緊張もなくなっていた。
思春期にとって、もうひとりの思春期の存在は、実質、我が身なのである。
「だからお前、こんな早くに屋上きてたのか」
「はい……、夜の学校の廊下って、想像するだけでも無理でして……」
「なるほどな。だったらべつに、今日、断ってもよかったんだぞ。無理して参加しなくても誰も責めねぇって」
「だって、藤崎さん……楽しみにしてたし」
「え」
「新歓っていってたし、俺のために色々してもらって……、それで……俺も、成功させたくて……」
トクンッ──。
藤崎は手を強く握り返した。
強く握り返しすぎて、皮膚が赤みがかっていたが、いまの炭木にそんなことを気にする余裕はない。
そもそも月明かりだけが頼りの屋上では、赤らみに気づけもしないが。
「あんなに楽しそうな藤崎さんの顔みてたから、俺も、楽しみにしてたし……それで……」
「おほぉ、そ、そっすかぉ……」
目が泳ぐ。
泳ぎすぎて、吐き気すら催す。
「あのぅ炭木くん。落ち着いたなら、ちょぉっと、ね? 手をはなしてみるのも、いいんじゃ……」
「いやっ! ……やです。はなしたくない……。ひとりにしないで……」
「おほうっ」
トクンッ、トクンッ、トクンッ。
藤崎の失念は、他人事であった点である。
誰がどの視点になったとしても、ここは夜の学校だし、肌寒い屋上だし、数多の星々は煌めき続けるのだ。
「俺、もう、ひとりになりたくないから……」
「おうぅ、おおおぅう」
「ずっと、ずっと一緒にいてください! 俺から……はなれないで……」
きゅーーーーーーん!
藤崎 in the 吊橋効果。
この女、あまりに懲りない。
ハタからみれば変わらぬ容姿、変わらぬ炭木だが、藤崎視点は3割増しフィルターがかかっていた。
潤う瞳は小型犬にみえ、たくましい身体に女々しさがあり、低音ボイスで猫撫で声なんてされてしまえば、耳が勃起してしまう。
すべてが藤崎ドリーム。
性癖ド一直線。
ちなみに、藤崎がいま描いてるBL漫画の受けも、こんな感じのキャラである。
「ほんと、ほんとに頼りにしてますから!」
「おま……、もうっ、やめ……」
「藤崎さんだけが! いまの俺の癒しなんですよ!!!」
「わかったからぁっっ♡♡♡!!! もう、わかったからぁぁっっっ♡♡♡♡♡!!!!!!」
♡♡♡♡♡♡
♡♡♡♡
駆け足気味に階段を上る音が、閑静な踊り場に反響する。
片岡の小脇には、ブランケットが3枚ほど抱えられていた。
「部室に見当たんなくって、保健室からとってきちゃった。炭木くんあんなに楽しみにしてたもの、せっかくなら暖かいほうがいいわよね」
最上段まで到達した片岡は、大きな息で呼吸を整え、淫れた髪を手櫛でとぐ。
そして、ノックのひとつもせずに、屋上へとつながる扉を開けた。
「ごめんね、遅くなって────」
「藤崎さん……抱っこぉ……」
「ふへへ♡ 抱っこね、はい抱っこぉ♡」
「今日、このまま一緒に寝ていい……?」
「うん♡ うん♡ もちろんよぉー♡ でもここで寝たらぁ、寒くてお腹ぴーぴーになっちゃうからぁ、お布団もってこようねぇ♡♡♡」
「でも学校、怖いぃ……」
「大丈夫よぉ♡ お姉ちゃんがついてるんだからぁ♡♡ ほら、一緒にとりに────」
ここで藤崎、ようやく背後にたつ黒髪ポニーテールの姿を認識。
小脇からずり落ちたブランケットが夜風でなびくが、ふたりのあわさった目線は、それることがなかった。
誤解がない。
誤解がないからこそ、弁明の余地がうまれない。
片岡の無心を装う張りついた笑顔が崩れる時、それが藤崎に対する余命宣告なのだ。
彼女にとれる選択は、審判の時を待つことの他、一切なし。
「………………」
「…………っ」
「ふ、藤崎ちゃん……」
「びゃ……びゃいっ」
「駅前のコンビニより、ドラッグストアのほうが、距離、近いからね……?」
「有用なアドバイスやめろぉっ!!」
Q.あっ! 夏の大三角形だ! でも、アルタイルがないぞぉ? アルタイルはここだ、と思う場所をクリックしてみよう!!
ベガ
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デネブ
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