第1話 脇汗
「残念女子」
優れた能力を持ちあわせているが、本人の性格の悪さやなんらかの嫌悪感によって、恋愛対象からは外されてしまう女子のことをいう。
品がない。
嘘をつく。
高圧的。
など、理由は様々。
だがしかし、緊張、焦り、必死なコミュニケーションを試みるあまり、思ってもいないことを口走ってしまう人間も、中にはいる。
特に優れているところなどなく、ただただ残念な、本当に色々残念なだけの人間も、中にはいる。
これは、そんな残念女子の日常を描いた、青春とは程遠い、物語である。
*
本学園、典越高校の敷地内にある小さな小屋。
一見ウサギ小屋とも見紛うその小屋には、「天文部」と綴られた画用紙が貼られている。
月や土星の愛らしいキャラクターが、そのゆるやかな雰囲気を醸し出していた。
小屋の内部では、活動前であろうか。
文庫本を片手に大きなあくびをする、背の高いガッチリした体格の少年。
そしてその隣には、140センチメートルしかない体をひょこひょこと、てっぺんアホ毛をぴょこぴょこと。
少年に話しかけるタイミングを見計らいすぎて、自然とソーラン節の腰の動きを繰り返す、少女の姿があった。
「あっ……あぁー、──やい、炭木ぃ! いま、いいかっ!」
「はぁ、どうしました。藤崎さん」
炭木は眉をしかめた。
この女がこういうとき、どんなことをいうか、炭木は知っているからだ。
「あのさ、別に変な意味じゃないんだけどさ……」
「はい」
「ちょっと私の脇の下の匂い、嗅いでみないか」
「変な意味しかないだろそれは」
━━第1話 脇汗━━
「違うんだよ。どうしても嗅いでほしい理由があんだよ」
「どんな理由でも、変には変わりないと思いますけど」
本をパタリ閉じた炭木を確認し、藤崎はどっしりと腰を据えた。
そして、腕を組んで、目を閉じる。
まるで警察の取り調べだ。
容疑者の供述を待つかのように、刻々と、時間だけが流れていく──。
「…………」
「……」
「…………回想に入っていいでしょうか」
「どうぞ」
そう、あれは、昼休みのことでした。
おトイレ帰りの私が教室に入ると、私の席の周辺で、「一軍おんなキラビヤカ〜ズ」がたむろっていたのです。
「ぁぇ〜、今日のまっつんの体〜、ぃぃ匂ぃ〜」
「しょー? これねぇちゃんが使ってる香水なんだけどぉ、高くてぃぃやつなんよねー」
たしかに、その香水はとてもいい匂いでした。
しかし藤崎、ここで迂闊。
私が匂いを吸い、鼻がピクリと動いたところを、彼女達に見られてしまったのです。
「ぉよ? 藤崎ちゃんも気になる〜?」
「ふへぇっ!? あっ……いやぁ、私は……」
彼女ら、「一軍おんなキラビヤカ〜ズ」は、分け隔てなどありません。
ですが……そうです。
私は、炭木が知っての通り、コミュ障陰キャ女。
教室のすみっこでシコシコBL漫画を書いてるようなオタクが、同級生の体臭を嗅ぐなんておこがましいこと、ハードルもまたハードル。
彼女達からの注目が肌に刺さり、私はバレないように、えずきました。
「ん〜? 嗅がなぃんー?」
「うっ……、あの……」
「一軍おんなキラビヤカ〜ズ」の称号が、目の前に大きく立ち塞がります。
ネオン街の広告のような、パチンコの演出のような、とにかく、派手な威圧感を感じさせました。
「んん〜〜?」
「あっ、あー……」
そして、私は──。
「──わ、私は……いい、かな」
「嗅ぎたかったんやぁっっ!!! 私はぁぁっっ!!!!!」
突然、現実に戻ってきた藤崎が、汚い声でそう吠えた。
「匂いとかやないっ!! 同級生とぉ! イチャつきたかったんやぁぁ!!」
承認欲求である。
「はぁ、なるほど。つまり、嗅がれる側の気持ちがわかれば、羞恥心も緩和されると。それで俺に、脇の下を押しつけてきたってことですね」
「おお、そのとおりぃっ! 察しがよくて、助かるぜ!」
嬉々とした藤崎は、「そういうことだから」と、炭木に脇を見せつけた。
しかし、炭木の眉毛は、またハの字になるだけで、少し身をひかれてしまう。
「あの、申し訳ない(?)んですけど。俺、こういうの無理なんすよ」
「え」
「臭いとか、本当に無理なんです。入浴剤とかでも吐き気しちゃって。しかも脇汗とか、1番ひどいやつじゃないですか」
「え? いや、だいじょぶ、だいじょぶ。噛むブレスケアみたいな爽やかさだから」
「口臭で例えられたら尚更っすよ」
「え、えぇー……」
顔をこわばらせ、彼女はまた、腕を組んだ。
まじめな空気を纏いだす。
空気感だけは、醸しだす。
そしてその空気を、自らの手で一刀両断とするべく、前屈みで持ちかけた。
「──いまから、お前にラッキースケベをおこして、私の股間をお前の鼻になすりつければ……あるいは……」
「それできるなら、体臭、嗅いでこいよ」
………………
…………
「まぁ、そこまでいうなら、別にいいですけど。ゲロ吐いても許してくださいよ」
「お、おぉ……。ごめんなさいね。はい……」
いやいやながらも、地面に膝をつけた炭木は、藤崎の脇に顔をやった。
腕を垂直に上げ、脇の下をさらけだす。
しかし、こんな状況を作り出した本人はというと、なぜか頬を火照らせ硬直している。
「あの、どうしました?」
「や! だいじょぶ!! バッチこいってのもんよっっ!!!」
そう、この女。
ここまでしておいて、男子に柔肌を見せ、あまつさえ顔面を近づけられるということを、まったく意識していなかったのである。
いざ、「やります」なんていわれると、想像以上に高くそびえる、異性の壁を感じてしまっていた。
脇の下、ちゃんと処理したっけ。
とか。
なんでこいつは、こんなに冷静でいられんだ。
とか。
そんなことをいくら巡らせど、早く終わらせたい炭木の顔は近づくばかり。
緊張が走る一瞬。(藤崎だけ)
呼吸が浅くなり、細かな息が漏れ出てくる。(藤崎だけだけど)
炭木の顔が近づくたび、どうにかなってしまいそうだった。
炭木の鼻がピクリと動いた。
よじった唇がぴゅーぴゅー鳴ってしまうが、止めるすべは、まったくない。
頭に、血が、のぼっていく──。
「──うん。まぁ、普通に臭いですね。嗅ぎたい匂いではないです」
「…………おう」
「えーと、これで満足ですかね? てか、いつまで脇、上げてんすか」
「………………おぅ……」
「……? あの、藤崎さん?」
「…………………………ぉぅ…………」
「鼻血、出てますよ」
……!!(集中線)
………………!!!!(集中線)
…………………………!!!!!!(バカでか集中線)
「うるせぇぇっっ!!!! 出してんだよっっっっ!!!!!」
「なんだその強がり」