第三楽章「荒れ果てた『野の風景』」(2)
第三楽章「荒れ果てた『野の風景』」(2)
今日も昼過ぎにのそのそ起きだし、足を引きずりながらキッチンへと向かった。
俺が会社を辞めてから、もう1年半ほどが過ぎた。夏の暑さも真っ盛りで、俺はすかさずリビングの冷房を入れる。
朝から仕事の父はもちろん、午後からスーパーのレジ打ちパートをしている母も昼には家を出てしまう。
こんな怠惰な生活を送っていても咎める人がいないのは、いいことなのか悪いことなのか俺には皆目分からない。
母がパートの帰りにいつも買ってくる特売品のカップ麺をキッチンの隅にある段ボール箱から取り出し、ゆっくりとポットの湯を注ぐ。
眠剤が残っていて手元がふらつくため、湯をこぼして手を火傷したこともある。気をつけないと。
俺は一体、何をしているのだろう。
2週に1回の通院を除けば毎日惰眠を貪って、一日中ネットやゲームに明け暮れている俺は言いようのない虚無感と1年以上戦ってきた。
俺に生きている理由なんて何もない。ただ、惰性で日々を過ごし、ぬるま湯の中で生かされているだけだ。
なんてぼんやりしているうちに3分が経ち、俺はカップ麺のふたを開けてよくかき混ぜた。そして、冷房が効いているリビングへと向かう。
手早く昼食を済ませ、今日もまたPCの前に座る。夕飯の時間になるまで、このまま多分ネット漬けだ。
最近はネットで動画を見るのか流行っていて、ブラウザで手軽に色んな動画が見られるようになった。
特に「スマイリー」という動画サイトが活況で、俺は主に音楽やゲーム配信の動画をよく見ている。
さて今日はどんな動画を見ようかと画面右の一覧を見ると……
「『絢瀬さくら』……?」
音楽系動画のおすすめ欄を見ていた俺は、見慣れない名前にふと気づいた。
ブラウザで検索をかけてみると、どうやら今流行りのキャラクターみたいだ。アニメキャラか何かか?
そこで試しに「『絢瀬さくら』オリジナル曲『歌で世界よ一つになれ』」という動画を開いてみる。
エレクトリカルな感じのイントロが流れ、画面にはピンク色のサイドテールが印象的な、割と可愛い女の子の画像が映し出される。
そして……
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この世界で あなたと共に
紡いでいく メロディ
独りぼっちだった この私に
歌うことを 教えてくれた
かけがえのない あなたを信じて
私は歌を 奏で続ける
この声よ 広い世界へ
この世界で あなたと共に
紡いでいく メロディ
人と人とを 繋いでゆく
音のシャワーで皆 一つになれ
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なんだろう、これは……
この動画を作ったのは「オオタP」という人らしいことは分かった。
でも、この女の子の声はなんだろう。少しぎこちないけれど、キュートで爽やかな印象を感じる声だ。
俺はすぐさま「絢瀬さくら」について調べてみた。
そこで分かったのが、この「絢瀬さくら」というのはバーチャルシンガーで、「キセノン」という会社が発売している合成音声ソフトだということだ。
つまりこのソフトを買えば、自分好みにこのバーチャルシンガーに歌を歌わせることができるのだ。
「これは……面白いな」
まさか絢瀬さくらに自分の底辺音楽家としての本能が揺さぶられるとは思わなかった。
試しに他の曲も聴いてみるが、どれも興味を惹かれる曲ばかりだ。
「DTM……またやってみてもいいかもな」
情熱を失いかけていた俺に、小さいながら炎が灯った瞬間だった。