夕暮れ広場の幽霊 5
「……本当に大丈夫なんですよね?」
「もちろんだ」
自信満々に言い切る久家はどうにもテンションが高い。
剛の無事が保証された以上、ここに留まる理由はなくなったのだが……。
『良かった……。じゃあ、俺は今の内に帰ります。久家さんも何が目的か知りませんが、お気をつけて』
『待て待て。か弱い女性を一人残して帰るつもりかい? それに、私は君の友人の命の恩人だよ』
『久家さんは専門家……みたいなものじゃないですか。俺みたいな素人ができる事なんでありませんよ』
『では、あると言ったら助けてくれるのかな』
『………………』
結局、協力する羽目になってしまった。
そもそもが目覚めが悪いとの理由で剛を探しに来たのだ。
中身はどうあれ、歳の頃もそう変わらない久家を放って帰るのは気が引けた。
もちろん、彼女が止めなかったり、促してくれたら喜んで帰ったのだが。
「都市伝説の良いところは伝説に忠実な部分だ。故に、決められた除霊方法をこなせば話は済む」
なら、何故さっさとしなかったのかとの疑問には、早々に解釈を間違えていたからだとの答えが返ってきた。
ただ、そうなると当然気になるのは、
「自殺した霊ってのも間違っていたらどうするんですか? 俺、死んじゃいますよ」
「少なくともべっこう飴が好物なのは合っていた。万が一の場合は、先程みたいに絶妙なタイミングで投擲する事を約束するよ」
そう言って久家は準備運動と言わんばかりに肩を回す。
おい、それだと間違える前フリみたいではないか。
「そう怖い顔をするな。冗談だよ」
「……冗談で済まないです。あいつ、本当に怖いんですよ?」
「可愛らしいお嬢さんではないか」
「顔、見てないでしょ」
「横顔でも美人さんなのはわかるさ」
その割には目の傷は見逃していたけどな。
口には出さなかったが、言いたい事は伝わったのか、久家はまあまあと優しく俺の背に手を置く。
触れらたら部分がほんのりと温かくなり、無意識に体に力が入る。
「……あの」
「ん?」
「…………いえ、なんでもないです」
必然的に距離が近いわけで、顔を見て話すのは難しかった。
「ふふっ」
わかっているのかいないのか、久家は微笑ましそうに笑う。
全くもってそんな状況ではないのに。
「本当に合ってるんですよね? 除霊方法」
「噂ではそうなっている。君も納得できただろ?」
「……まあ」
除霊方法はすこぶる簡単なものだった。
“君は悪くない”、“悪いのは虐めた奴らだ”、“苦しかったね。大丈夫、全部終わったから”と言えば良いらしい。
前二つはともかく最後のはピンとこず、尋ねた。
『彼女の自殺後、その遺書がキッカケで調査が入り、クラスメイトの証言から首謀者が判明した。それなりに大きな騒ぎになったため、ネットなどで誰かを特定する動きが起こり……結果として彼らも命を絶った』
『…………そうですか』
『複雑そうだね』
『まあ……』
『これにて彼女の恨みは晴れるはずだった。……が、彼女はそれを知らずに今も恨み続けている。その怨嗟は闇に染まり、罪なき生者へと向けられようとしている。誰かが伝えてあげないといけないのだ』
久家の話に特別おかしな事はない。
台詞のチョイスとしては、理解を示し、話を聞いてもらう体勢を作り、事件は終わった事を告げるという流れだ。
細かい説明がいらないのは楽であるが、同時にあっさりとしたものだなとの感想を抱く。
「幽霊は感情の塊に近い」
久家は語る。
「大事なのは気持ちだ。君自身がそうだと本当に思い込むぐらいの意気込みが欲しい」
「そこまでしないといけないんですか?」
「感情の化身だからこそ、生半可な気持ちでは届かないのだ。大丈夫。君ならできる」
久家の言葉には自信というか、確信を感じさせる強さがある。
やはり、久家の方が向いているのだろうが……。
「言った通り、これは私にはできない。夕暮れ広場の幽霊の性質上、君のような心持ちの優しい男性である必要がある。加えて、私はどうにもあの手の者には心を開いてもらえない。それに、女性にも嫌われがちだ」
女性に嫌われがちなのは容姿や性格が原因だろう。口にはしないが。
「心持ちの優しい男性、ね」
「友のために危険を顧みない姿勢、十分満たしていると思うよ」
ただの保身でしかないのだが。
側から見れば友情に厚い男に映るか。
「幽霊は感情の生き物なんですよね」
「そうだよ」
「……べっこう飴、準備しててくださいね」
中身の薄っぺらさを見抜かれる可能性は考慮しなければならない。
そも、本気で幽霊の事を思い、言葉を紡ぐ事などできるのだろうか。
お世辞にも演技力はない。お遊戯会などで確認済みだ。
……大根役者なりにやってみるしかないか。
残念ながら男性でなければならないらしいし。
「君は良い男だな」
不意に久家が呟く。
吐息混じりの呟きは色気を帯びており、驚き、飛び退いてしまう。
「きゅ、急に変な事を言うなのよな!」
「素直な感想だ。私のような得体の知れない女を信じ、助けてくれるのだから」
「……自覚あったんですね」
胡散臭さはとんでもない。が、不思議と悪い人ではないと確信が持てた。
良い人だとも言い切れないけどさ。
「別に自分のためですよ。これで何かあったら目覚めが悪い。久家さんだってそうでしょ? だから、俺たちを助けてくれた」
「私はぐっすり寝れるし、気持ちよく起きられるぞ」
曇りなき眼で即答してくる。
鋼のメンタルか、こやつ!
ストレス社会を生きていくのに打ってつけな人材だ。
「だから、君の在り方には尊厳の念を抱く」
真っ直ぐな言葉に視線を逸らす。
何と言われようと、己の浅ましさからは逃れられない。
「ありがとう、ございます……」
ただ、そう言ってくれる人にお礼ぐらいなら伝えても良いだろう。
「その優しさを彼女にも……死して尚、囚われ続ける悲しき少女にもーー」
久家はそこで言葉を切る。
見えていないが、久家さんの表情の変化でわかった。
彼女が、夕暮れ広場の幽霊がやってきたのだ。
『自殺した子の霊なら、携帯の件も納得がいく。彼女には片思いをしている男性がいたのだ。けれど、最後まで告白する事は、ましてや助けを求める事なんてできなかった。きっと、待っていたのだろうね。彼が気づいてくれ、助け出してくれるのを』
『だから、電話を?』
『ああ。そして、飛んで来て欲しいとの思いが、彼女を携帯の持ち主の場所へと運ぶ事で逆説的に叶えようとする』
何一つ叶わず終わってしまったからこそ、相手を自分の所へと運ぶ形にはならなかった。
悲しいカラクリだ。
『……君は、何故彼女は夕暮れ広場にいると思う?』
『…………ここで、その、自殺したからでは』
『ふふっ、まだまだ乙女心がわかっていないな』
『わからないです……』
『この木の下で、彼女は恋をしたのだ』
『思い出の場所、なんですね』
『伊達や酔狂でここにレジャーシートを構えていたわけではない、という事だ』
広場を延々と彷徨う彼女だが、定期的にこの場所に戻ってくるのだという。
除霊に場所の指定はないが、万全を期すためにここで迎え討とうとなった。
「私は、一度離れる。心配しないでくれ。その時は必ず守るから」
「信じていますよ……」
久家は強く頷き、姿を大樹の後ろへと消す。
……間に合うかな、その距離。投げるだけならギリ、いけるか?
ちょっとだけ不安になる。
「ニ、ニくイ……シ、ね……」
夕暮れ広場の幽霊は、呪詛を呟きながら一歩ずつ近づいてくる。
顔を伏せているせいか、こちらに気づいている様子はない。
「シ……テ……マ……」
左右に揺れながらも体重を感じさせない不自然さ、溢れでるノイズのかかった声、そして肌で感じる異質さ。
そのどれもが生理的嫌悪感を抱かせるに十分にも関わらず、俺の心は不思議なほど落ち着いていた。
先程まで胸を掬っていた不安も気づいたら解けている。
「……ア、あアあ」
芝生に差し掛かる所で彼女は視線を上げ、目の前にいる獲物に気づく。
深く落ちた眼差しを向け、口角はまるで口裂け女のように高く上げる。
美麗さのカケラもなかった。あるのは悲しみだけだった。
「ア、アアああアア!」
「君は悪くない」
四肢が曲がり、いざ地を蹴ろうと瞬間、言葉を挟む。
すると、彼女は慣性を無視してその場に留まる。
そして、首を傾け、呆けたように俺を見る。
「悪いのは虐めた奴らだ」
「ア…………」
彼女の瞳が潤む。流れ出る物はもうないというのに。
「ア……ニ……」
「ごめんね、遅くなって」
聞き取れなかったが口が自然とそう動いていた。
大樹の後ろから芝を踏み締める動く音がする。
久家が動いたようだ。おそらく、俺が予定にない台詞を言ったから。
けれど、彼女の感情に寄り添うのなら……。
「マ、マ……く、レ」
「待ってた、ここで。君がくるのを」
「あ、アアアアアアア!?」
「っ!」
彼女が走り出したーーとはいえ、常識の範囲内のスピードだがーーと同時に視界の端に久家が掠る。べっこう飴を投げるためだ。
「秀人!?」
初めて聞いた久家の荒げた声。
射線上に割って入ったからだろう。当然か。
「わ、ワわワ、タ、ししシ……!」
胸に飛び込んで来た彼女を優しく、けれどしっかりと抱きしめる。
雲を掴むような感覚に、脳がエラーを起こしかけるが強制的に意識を逸らす。
「辛かったよね。ごめん、気づけなくて」
「く、クルし、かカカ……タ……!」
耳元で流れる声は泥土に覆われている。
背中に回された手には温度がなく、直接魂に触れられているかの如く底冷えさせる。
だから、どうした。
「もう大丈夫だから……大丈夫」
ゆっくりと安心させるように囁く。
ノイズのかかった嗚咽は徐々に水面へと浮かび上がる。
「全部終わったんだ……。だから、大丈夫……。休んで良いんだよ……」
「ウ……ん………う、ん……うん!」
「あっ」
不意に彼女の本当の声を聞いた気がした。
気づけば腕の中にいた何かは消え失せ、夕暮れ広場は静寂を取り戻す。
「…………」
呆気ない幕切れに呆然としていると、
「いたっ!」
いつの間にか背後を取っていた久家に背中を叩かれる。
不満気に振り返ると、久家は俺以上に不満があるようだった。
だって、頬を膨らませ、非難めいた眼差しをこちらへと向けているのだから。
「な、何を怒っているですか? ほ、ほら! ちゃんと除霊できましたよ!」
「ちゃんと、だと?」
しまった! 地雷だったか!
うっかり踏み抜いてしまったようだった。
「どうやら、私が怒っている理由が本当にわからないようだな……」
プルプルと震える久家。まさか、それ程までの怒りをと身構える。
しかし、待てど暮らせど俯いたまま久家は震え続けるだけだった。
「く、久家、さん?」
恐る恐る、顔を覗き込むと……。
「な、泣いてる!? 何で、どうして!!?」
「う、うるさーい! 覗き込むんじゃない!」
後に知るのだが、久家は案外泣き虫なのだ。
ただ、この時の俺は慌てふためく事しかできなかった。
「こ、この、馬鹿者めー!」
こうして、夕暮れ広場の幽霊騒動は終わりの告げるのだった。