幕間
暗い部屋の中、貴幸は緩慢な動作でスマートフォンを操作する。
月明かりに照らされた横顔はどこか憂いを帯びており、気が重そうだ。
コールは三回、相手はすぐに出た。
『私だ』
「夜分遅くに申し訳ありません」
『良い。本題を話せ』
スピーカーから聞こえる声は低く、威厳に満ちていた。
貴幸の態度からも上下関係がはっきりと見える。
「……無事、終わりました」
貴幸は目を伏せ、力無く伝える。
「多少予想外の事も起きましたが、概ね予定通りだったと言って良いかと」
『ふむ』
報告を受け、電話の相手は一つ息を吐く。
その態度の裏に込められた意味を読み取り、貴幸は報告を続ける。
「やはり、桜花さんは死者と会話ができるようです。……今回の件でしばらくは大丈夫かと」
『そうか……。やはり、聞こえてしまうか……』
「先生……」
貴幸が先生と呼ぶ人物は一人だけだ。
久家佑蔵、桜花の祖父であり、秀人達が住む地域の長でもある。
威厳のある声はしかし鎮痛な面持ちを想像させる響きをしていた。
『これもまた運命、か』
「……かもしれません」
『とはいえ、言って聞く子ではあるまい。あの子は椿とはまた違う意味で自由だ』
苦笑しながらも孫達を語る声色は明るい。
心配しているだけで困っているわけではないのだ。
「二人とも、芯が強いですからね」
貴幸も苦笑する。
その強さに振り回された回数は誰よりも多いため、その声には実感がこもっていた。
『桜花の事は後々考えることとしよう。それでーー』
「真実の眼は必要ありませんでした」
食い気味に貴幸は答える。
その言葉の意味に佑蔵は再度息を吐く。
『また、か』
「はい。この一年で起きた事件、その内の約半数にて改変が確認されています」
『性質上、改変が起きるのは不思議ではない。しかし、数が多すぎる』
佑蔵の言葉に貴幸は一度目を閉じる。
何を考えているのか、その表情からは読み取れない。
「今回は良い方に転びましたが、サイコロの出目は神のみぞ知る」
加えてと貴幸は続ける。
「“顔のない彫像”は“ここにいる”の言わば派生系です。他のと比べ、影響は受けにくいはず」
都市伝説の具現化は人々の認識に左右される。
けれど、都市伝説がベースにある都市伝説はそうではない。
ベースが改変され、それに適応する形で変わる事こそあれど単独での変化は極めて珍しかった。
『……貴幸、お前はどうか考える』
「時代の、技術の変化は間違いなくあると思います。その上で……」
その先の言葉は口にはしなかった。
「先生、次の会合はいつになりますか?」
『当分先になる故、何人か信頼に足る奴らに声をかけてみよう。今はまだ懸念事項でしかないが、認識のすり合わせをしておいて損はないからな』
貴幸は佑蔵の考えに賛同し、その後、任務や椿、桜花の近況などを確認した所で通話を終えた。
一人になり、静けさが耳にうるさい部屋の中、窓の外を見る。
天に淡く輝く金色の球体に顔を綻ばせ、ゆっくりと振り返る。
「“真実の眼”は必要なかった。良かったね」
穏やかだが、どこか冷たい声色は棺の中に入れられた人物へと向けられていた。
腰ほどまでに伸びた黒髪、整った顔立ち、日をあまり浴びていない白い肌……その姿はどことなく桜花に似ている。
旧校舎に向かったきり姿が見えなくなった女子生徒ーー土岐姫理その人だった。
貴幸は窓枠に体重をかけつつ、誰に言うでもなく口を開く。
「これに懲りたら不用意にこちらの世界に足を踏み入れない事だ。例え、寂しさを埋めるためだとしてもね」
数日後、行方不明になっていた土岐姫理が旧校舎で発見された。
本人は旧校舎に入った事こそ覚えていたものの、消えていた間の記憶はなく、事件は謎を残したまま終結したという。
後に、旧校舎のとある部屋に入ると時間跳躍をするという都市伝説が生まれるが、具現化するのは遠い未来の話なのである。