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顔のない彫像 9

 左足首の痛みは今はそれ程酷くない。

 が経験上知っていた。時間経過と共に痛みも腫れも増していくだろう。

 否が応でも短期決戦を選ぶしかなくなった。

 影村さんが事態を把握し、襲ってきた彫像の背中を視認したと同時に左右、背後に彫像がいるかを確認する。


 いない! 今だ……!


 右足一本で地面を強く蹴り、距離を一気に詰める。

 着地程度なら痛めた左足でも問題ない。

 右手が彫像の肩に触れようとした瞬間、明かりが一斉に消える。

 落差に月明かりが薄い扉付近が闇に包まれた。

 輪郭は薄っすらと捉えていたが、手が空を切った事からこちらが視認できないレベルで体勢を変えた事がわかる。

 気づけば背中ではなく、正面を向いていた。

 対峙してわかる。他の彫像とはまるで違う。

 赤い目は両の手で塞がれているため見えはしないが、その強き輝きが透けて見える気がした。

 瞬間、体が硬直する。本当に触れて良いのか。それで終わりなのか疑問が生じた。


「秀佳危ないっ!」


 影村さんの鬼気迫る声。

 脅威が迫っているのはわかる。

 しかし、彼女がそうとわかるのであれば、彫像は動きを止めるはず……。

 にも関わらず危ないと判断したのは、彫像を視界の端で捕らえたがその後、死角に隠れてしまったからではないか。

 未だ迫る危機を認識できないでいる。

 着地後の姿勢、左足首の痛み、咄嗟に後ろに飛び去る事は困難だった。


 どうする……などと考える間もなく、沈んだ状態から右足を使い、出来る限り高く真上に跳躍する。


 死角との文字が過った瞬間、下方向から来ると無意識に判断したのだ。

 半ば博打に近かったがどうやら正解を引いたらしく、着地地点に彫像が横たわっていた。

 踏みつけるのもあれなので足を開いて着地する。


「だ、大丈夫!?」

「多分」


 影村さんの心配に軽く返す。

 案の定、多分ってなによと怒らせてしまう。

 しかし、今は目の前の光景に集中する事で精一杯だった。


 雷を降らせるのは一度きりなのか? それともクールタイムが長いのか。


 足首を掴まれる恐れがあるので、視線を外す事なく三歩下がる。


「あの彫像、後ろに隠れたわ」

「……みたいだな。どさくさ紛れに隠れとは知恵が回る」


 陽動からの奇襲といい、人間臭い戦法を取る。

 ……人間(の幽霊)なのだから当然か。


「こんな幽霊は見た事ないわ」

「珍しいのか?」


 影村さんはそんな事も知らないのかと呆れた様子を見せる。


「幽霊は感情の塊よ。往々にして負の感情を募らせているか、虚無を抱えている」

「虚無?」

「……幽霊になる条件なんて知らないけど、多くが未練を残しているの。未練って事は感情。でも、未練を見失っている幽霊は虚無に陥る」


 加えて未練の原因が消失し、解消しようのない感情を抱えた者も虚無に近くなるらしい。


「知恵とは相反する存在、それが幽霊よ」

「……その割には、狡猾な雰囲気を醸し出しているよな」

「だから、驚いているのよ!」


 有象無象の彫像の背に隠れ、機をうかがっている赤目の幽霊はそれでも尚射貫く視線を送ってくる。

 見られている。しかし、俺達は彼女を見つけられない。

 他の彫像に移ったのかとの疑問はすぐに振り払う。

 あの彫像は他の彫像とは明らかに出来が違った。

 髪の質感、手肌の細やかさ、スカートのフリルの精密さ……。


 ――彼女のお父さんが彼女をモデルに作ったのではないだろうか。


 直感でしかないが、“ここにいる”から始まった七不思議の物語にふさわしいと思う。

 故に、彼女はあの彫像にしか取り憑く事はできない。

 他の彫像に捕まっても大丈夫かは未だわからないが、どうせ身動きが取れなくなったらおしまいなのだ。大差ないだろう。


「一旦、上に逃げましょう」


 影村さんの提案は最もだった。

 彼女を見失った以上、相手十分の場で事を進めるのは危険すぎる。

 貴幸さんの言葉に保険以上の意味はない。

 捕まらないで済むならそれに越した事はなかった。


「ごめん」


 否定する材料がないからこそ謝罪の言葉を口にするしかなかった。

 足首の痛みが増しているのもあるが、それ以上に相手が狡猾だとわかったからだ。

 七不思議である以上、制約は当然存在するのだろうが三階への道を塞ぐ事を禁じられるだろうか。

 逃げろ謂わんばかりに光り輝いている三階への階段。

 窓から差し込む淡い金色の光に恐怖を抱く。


「三階へは行かない」

「……その足」


 拒否する理由を探した末に足の負傷に気づく。

 低くくぐもった声は自責の念に駆られていた。


「逃げ回るのは性に合わないわ! ここで決着をつけてやりましょう!」

「おう!」


 だが、すぐに気持ちを持ち直し、殊更明るい声で宣言する。

 その気持ちの強さに称賛を送りつつ、目を凝らす。

 クオリティが高い彫像が彼女だといっても、この暗さでは至近距離でもなければわからない。

 また他の彫像に比べて背が低いため隠れてしまうのも厄介だ。


「……こっちよ!」

「かげ……!?」


 どうしたものかと悩んでいると影村さんが走り出す。

 確かに彫像は教室の方へ偏っており、窓側が空いているがいくらなんでも無謀すぎる。

 多くは視界に収めているものの、どうしても抜けは存在してしまう。

 影村さんは何を思ってか前を真っすぐ見て走っている。

 ……しかし、影村さんは襲われる事なく、反対側へと回り込む。

 その事に疑問を覚えていると影村さんが叫ぶ。


「やっぱり、こいつらは操られているだけみたい! 本体を挟み込めば苦も無く捕まえられるわ!」

「っ!」


 離れて状況を観察していた影村さんだから気づけた事だった。

 本体である赤い目の少女の彫像は二度しか姿を見せていない。

 そして、その時は決まって彫像は直進的な動きしかしていなかった。

 恐らく、距離に加えて方向でも制限がかかるのだろう。

 幽霊とはいえ元が人間である以上、背後にいるターゲットを襲わせるなど感覚的に難しい事は難しいままなのだ。

 今、俺によって動きが止められている以上、脇を通り過ぎた影村さんを襲う事はできず、また後ろから距離を詰めてくる彼女から逃げる手段は……限られる。


「雷には気をつけて!」

「わかっているわ! そっちこそ、目くらましには十分気をつけてね!」

「了解!」


 確信はありつつも、慎重に距離を詰め、一番手前にいる彫像の肩を掴む。


「「捕まえた!」」


 宣言と共に彫像の姿が蜃気楼の如く揺らめき空気へと溶けて消える。

 “捕まえた”の効果はもちろん、本体以外も捕まえる事ができるのは朗報だ。

 とにかく、奇襲だけは気をつけつつ、手ごろな彫像から片っ端に捕まえていく。

 あっという間に数は減り、二つの大きな彫像に囲まれるように隠れている一際小さな彫像の姿を捉える。 

 小さな彫像はもちろんの事、大きな彫像も他のに比べれば繊細にできていた。

 髪やフォルムから男女の――まるで夫婦と子供のような……。


「……親子」

「っ!」


 俺の呟きに影村さんが目を見開く。

 貴幸さんから七不思議の元を聞いている以上、反応するなという方が無理だった。


「でも……でも……!」


 拳を硬く握り、震わせながら影村さんはかぶりを振る。

 彼女の言いたい事はわかっていた。


「久家のために、他の誰かが犠牲にならないために……何より彼女のために、終わらせないと」

「秀佳……」


 七不思議――都市伝説の具現化によって、そう望んでいない幽霊が巻き込まれ、人を襲う怪異とされてしまう。

 ただでさえ、悲しみを背負い、苦しんだ彼女が死後もその尊厳を破壊されるのを見て見ぬふりはできない。

 久家の事がなかったとしても、きっちりと終わらせてあげたいと思っただろう。


「…………」


 三体の彫像の前に立つ。

 よく見れば伏せて顔を隠しているが、両親であろう彫像は顔を手で隠してはいなかった。

 両の腕は子供も守ろうと相手へと伸ばされ、その背に回されている。

 ……決意が揺らいだわけではない。ただ、こみあげてくる何かはあった。


「ごめんなさい」


 謝罪の言葉は何に対してのものだったのか。自分でもわからなかった。

 両親の彫像を捕まえ、残された少女の彫像へと向き直る。

 依然として手で隠されているため、その表情をうかがい知る事はできない。

 呆然と立ちすくむのは七不思議の性質だからか、全てを失ったからか。


「大丈夫。すぐに終わるから」


 出来るだけ優しい声色で囁き、肩にそっと手を――。


「っ!?」


 腕を掴まれ、咄嗟に振り払おうとするがビクともしない。

 いくら石で作られているとはいえ、少女の細腕でしかないにも関わらず万力の如く締め上げる。

 握りつぶすまでいかないにしても痛みは相当な物で、必死に逃れようと彫像を空いている手で押すがビクともしない。


「捕まえた!」


 異変に気付いた影村さんが少女の彫像を捕まえる。

 しかし、他の物とは違い、消える気配は微塵もなかった。


「な、なんで!?」


 俺達は何か間違えていたのだろうか。

 下地になった物語、連鎖が始まるキッカケとなった事件、“顔のない彫像”の……。

 不意に消える寸前の久家の悲しげな笑みが脳裏を過る。

 別に何かヒントを残してくれたわけではない。けれど、あの瞬間に答えがあるような気がした。


 赤い涙は、後ろにいた少女の瞳の色と混じりあった結果であり、久家の涙は自然の色をしていた、はず。

 そもそも、目の錯覚が起きていたのなら久家が泣いていたかすら怪しい。

 仮にそうだとしたら、でも涙が流れていたのが正しかったとしたら……誰が泣いていた。

 答えは一つしかない。


「ぐっ……!」


 左腕が嫌な音を奏でる。

 折れてはいないだろうが、それもそう遠くないだろう。


「捕まえた! 捕まえた! 捕まえた……!」


 影村さんが半ば発狂気味に捕まえたと叫ぶが力は弱まるどころか、強くなっていく。

 痛みで思考が鈍る中、今だけは静まれと大きく深呼吸をする。

 狭まっていた視界が戻り、腕を掴んでいる手を追う。当然、少女の彫像へと繋がっていた。

 片腕を俺へ向けているのだ。ならば、必然的に扉は開かれていた。

 彫像の表情は変わらない。穏やかなものだ。

 きっと平和な頃、彼女はこうやって柔らかい笑みを浮かべていたのだろう。

 ただ、光のない瞳から一筋の赤い涙が零れていた。

 その涙に込められた思いは、俺なんかが語れるものではない。

 それでも、そんな俺なんかが言える、出来る事が一つだけある。


 ――空いている手を少女の目元へと運び、そっと涙を拭う。


「“見つけた”」


 両親の彫像に守られている姿を見た時に思ったんだ。

 彼女は何かから隠れているのではないかって。

 でも、そうなると見つけていいのか、悪いのかわからなかった。

 他の彫像が“捕まえた”で消えていくものだから疑問は頭の片隅へと追いやられた。


『捕まえた』


 初めに聞いた時、だるまさんがころんだにはそぐわない言葉な気がした。

 どちらかと言うと鬼ごっこではないかと。

 とはいえ、ローカルルール次第だろうと流していた。

 

 ――彼女は捕まえてほしいのだろうか。


 彼女と、彼女の父親の話を聞いた上で、尚“捕まえた”が有効手段になる事実は納得と不快感があった。

 じゃあ、捕まえる以外に何がある。わからない。

 だから、彼女の顔を見た時に自然と浮かんだ言葉を口にした。


『見つけた』


 顔を隠しているのではなく、見せる事を禁じられている。

 存在を消された彼女の父親のように、素顔を隠す事を強いられたのではと。

 いくら思いをはせた所で答えは出ない。

 だが……。


「………………」


 穏やかで、しかし空虚な彫像がふと笑ったように見えた。

 そして、ゆっくりとその姿を月明かりの中に仕舞い込むのだった。

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