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顔のない彫像 8

「まさか、“一人増える資料室”まで具現化するなんてな」

「ええ、“ここにいる”の具現化が五年前で、それが恐らく初めてだったはずなのに……」

「他のも……」


 そこで言葉を切る。

 七不思議全てが具現化しているのでは、などと最後まで口にするまでもなかった。


「……残っているのは四つ」


 その壱、トイレの花園さん。

 その参、血をすする桜の木。

 その肆、異界エレベーター。

 その陸、鏡の中の銀世界。


 “トイレの花園さん”については貴幸さんから隠された教訓を聞いている。

 残り三つは手がかり一つない。


「“顔のない彫像”だけでも厄介だっていうのに……!」


 背中合わせに立ち、四方を警戒しながら進む。

 “顔のない彫像”対策だけでも心身に相当な負荷がかかるというのに、他の七不思議の介入まで警戒するのは辛い。


「資料室のみたいに命の危険がなければ良いけど」

「……あれはあれで被害甚大よ」

「は、はははっ」


 当人からすれば笑って流せる話ではなかったか。


「でも、こうやって神経を張り詰める必要がないだけいくらかマシね」

「本当……しんどいよな」


 視界に何かが掠る度、物音がする度、精神が削られていく。

 何もないのは吉兆か、いっそ出てくれと思う自分もいる。

 この感覚、攻め手が見いだせないまま時間だけが過ぎていく試合展開と似ていた。

 手ごたえがないまま、ダッシュとパスを繋げているだけの時間。


「もう! どこにいるのよ!」


 階段付近にまで戻ってきた所で影村さんが癇癪を起す。

 彼女の顔を見る暇はないが、声と伝わってくる雰囲気には疲労がにじんでいた。

 最初と違って彫像の脅威を肌で感じ、またその上で対処しなければならない事態が体力の消耗を早めている。


「……俺が先に上る」


 窓の奥、髪留めが落ちていた廊下にも影は見えない。

 部屋の中まではわからないが、一階に彫像がいなさそうだ。

 美術室は確か三階との話だった。

 彫像の本拠地はそこだろうか。


「何が起こるかわからないわ。気をつけてね」


 影村さんの忠告にありがとうと返し、素早く踊り場まで上り、角に背中を預ける。

 いつ視界が奪われるかわからない以上、もたもたしている暇はなかった。

 上下左右、手早く確認し、影村さんを呼ぶ。

 彼女も視線を切り、急いで俺の横までやってくる。


「……静か」


 影村さんがポツリと呟く。

 角度の問題で奥までは見えないが、彫像など影も形もなく、静けさに包まれていた。

 彫像などどこにもいないのではないか、そんな錯覚に陥りそうだ。


「行こう」


 先に上り、廊下の奥まで懐中電灯で照らす。

 窓から差し込む光が明らかに減っていた。


「どっちにしようか」


 影村さんに問う。


「左」

「理由を聞いても?」

「勘よ」


 頼もしい理由だった。

 構造は一階と大きく変わらないだろうが、教室が如実に多くなっている。

 教室にまつわる七不思議はなかったので肩の力を少しだけ抜く。


「それにしても暗いわね」

「一階と二階で外の雰囲気も変わっているよな」

「外界と切り離されているみたいだし、本当に違うのかも――」


 窓から外を眺めていた影村さんが何かに視線を奪われる。


「どうした?」


 影村さんの範囲をカバーするため、細かく首を振りながら尋ねる。


「桜が……」

「桜?」


 一瞬、桜の季節ではないだろうとの常識に捕らわれた発想が過る。そもそも、中庭には切り株しかなかったはず。

 しかし、すぐに違う可能性を思う。


「“血をすする桜の木”!?」

「多分……」


 影村さんは力なく呟く。


「綺麗よ……」


 うっとりした艶のある声にゾワッと冷たいものが背筋を走る。


「影村さんしっかりしろ!」

「っ!?」


 不安を振り払うように声を張り上げる。

 近くにいた影村さんは突然の衝撃に息を呑む。


「わ、私……何を……」


 桜の木を見てたらと記憶を辿る行為を止める。


「大丈夫。落ち着いて」

「う、うん……」

「とりあえず、外は見ない方が良さそうだな」


 恐らく、中庭にあった大きな切り株――あれが件の桜の木だったのだろう。

 桜の木の根元には死体が埋まっている……どこで聞いたか覚えていないが、知っている都市伝説の一つだ。

 そのため、桜の木に近づかなければ害はないと踏んでいたのだが、まさか視界に収めるだけでダメとは……。

 階段を上る前に見た時は確かに切り株だった事を考えると、一階だと桜の木は見えないのだろう。


「旧校舎は三階建てだよな」

「そのはずよ」

「……三階でも窓の外は見ない方が無難か」


 二階と三階でも変化があるかもしれないが、今の時点であの影響力だ。

 三階だと一発で意識を持っていかれるかもしれない。

 彫像を探すため、くまなく見ないといけないのに窓の外は見てはいけないのか……。厄介な事この上ない。


「別に七不思議全部を解く必要はない。とにかく、“顔のない彫像”に注力しよう」


 久家を助けた後、それでも脱出が出来なかった時、初めて対処すれば良い。

 最悪、資料室で貴幸さんを待っても良いのだ。

 彫像と違い、桜の木が自らやってくる事はないだろう。


「そもそも、後から追加された七不思議かもしれないしな」


 露悪的な七不思議の可能性もあるため、関わらないで済むならそれに越した事はない。

 しかし、影村さんの顔は暗いままだった。


「大丈夫?」

「……ええ」


 影村さんは大きく深呼吸をし、殊更明るくよしと声を出す。


「窓を背に移動しましょう」


 影村さんの提案は最もであり、反対する理由はなかったので二人してカニ歩きで進む。

 教室は前と後ろの扉にそれぞれ窓がついているため、中をわざわざ確認する必要はない。

 スムーズに進んでいく。


「階段か、渡り廊下か……」


 二階の端についた所で選択を迫られる。

 反対側まで行く選択肢は最初に消した。代わり映えのない景色が続きそうだったからだ。

 問題は三階に上がるか、渡り廊下の先にある――恐らく美術室などがある棟に行くか。

 当然、選ぶべきは渡り廊下なのだが……。


「桜が、な」

「見ないで行けるかしら」


 渡り廊下には胸付近までの手すりはあれど、窓はなく吹き抜けであった。

 廊下と同じく、桜の木に背を向けていけば良いだけではあるのだが。


「正直、怖い」

「大丈夫、私もよ」


 窓や壁など間に挟まる物がない事があまりに怖かった。

 ないとは思うが、彫像が飛んできたらおしまいだ。


「……一階から回るか」

「それが無難ね」


 一階に戻れば桜の木も切り株に戻っているかもしれない。

 地面と近くなるのはなるので怖いが、見てても問題なかったのでリスクは下がるはずだ。


「じゃあ――」

「危ないっ!」


 下りようと足を踏み出した瞬間、影村さんに腕を引っ張られる。

 たたらを踏むが、何とか倒れずに済む。

 何故とは問う必要はなかった。

 一階へと下る階段が――なくなっていたのだ。

 いつとは今更言うのも野暮だろうか。

 七不思議だからか、嫌なタイミングで変化が起こる事が多い。


「真っ暗だ……」

「まるで深海ね」


 階段は変わらずそこにある。手すりも斜め下に向かって伸びていく。

 しかし、踏板部分は一番手前の物すら見えず、闇だけが広がっていた。

 試しに懐中電灯を向けてみるが、光は吸い込まれ、差し込む事はない。

 これも一種の隔離だろうか。足を踏み外せばどこまでも落ちていく。


「これは戻っても……」

「下には戻れなさそうね……」


 “顔のない彫像”の影響か、他の七不思議の影響か、それとも切り離された旧校舎に起きた異変か。

 出るはずもない答えは今は求めない。


「渡れって事だな」

「そうね。ご丁寧に上に“いる”わよ」

「っ!」


 影村さんの言葉に階段の上を覗く。

 両手で顔を隠した彫像が佇んでいた。

 その数は片手では数えられない。抜ける事は不可能だろう。


「“血をすする桜の木”と連動している?」

「かもしれないし、そうでないかもしれない」


 どうであれやる事は変わりない。

 影村さんと顔を見合わせ、どちらからともなく頷く。

 視線を外しても三階にいる彫像が下りてくる気配はない。

 一息に渡り切ってしまうのが一番安全だろう。

 タイミングは影村さんに任せる。俺の方が速いだろうからだ。


「行くわよ」

「おう」


 息を吸い、止める。

 影村さんのふくらはぎに力が込められ、解放された。

 飛び出した影村さんの後ろについていく。

 桜の木を視界に入れないために、二人とも首を外側にわずかにひねる。

 速度と安全とのバランスを考えた上で、視界の端に掠る事は妥協しなければならなかった。


「っ!」


 後方に無数の気配を感じる。


 彫像か!? 一つや二つではないな!


 確認している暇はない。

 影村さんは徐々にスピードダウンしていくが、これなら間に合うはず……何もなければ。

 わざわざ、招きこんでおいて唯の鬼ごっこなどありえるのだろうか。

 俺の不安とは裏腹に扉までの距離はドンドン詰められていく。扉も閉まる気配はない。


「きゃっ!?」


 最後の柱を越えた所で影村さんが悲鳴を上げ、体勢を後ろへと崩す。

 まるで、何かが急に現れたかのような反応だった。

 突然の事態だったが、幸いにも影村さんとの距離感が絶妙だったため、背中に手を添える事で支える。

 速度は著しく落ちたものの歩みそのものは止めなかったため、そのまま扉を潜り抜け――すぐさま扉を閉める。

 遅れて硬い物が扉にぶつかる音が複数……スモークガラスに彫像の輪郭が浮かび上がるが、すぐに蜃気楼のように消え去った。

 輪郭だけだと見ている判定に入らないのか、渡り廊下に発生した彫像は別枠なのか。

 何にせよ、つかの間の平和が訪れる。


「…………」


 座り込み、荒い呼吸をする影村さんを見る。

 視線に気づいた影村さんは大丈夫と手で示し、息を整える。


「はあはあ……ふう……」

「大丈夫か?」

「大丈夫」


 立ち上がり、スカートについた埃を払う。


「ありがとう。正直、終わったって思ったわ」

「どういたしまして。それより、何があったんだ?」


 俺の質問に影村さんは訝しげにこちらを見る。

 そんなリアクションをされるとは思わず、キョトンとしていると影村さんは首を捻る。


「……もしかして見ていないの?」

「み、見る? 彫像の事か?」


 後ろを走っていたからわかる。影村さんは後ろを振り向いていない。

 では、桜の木の事だろうか。これも横を向く動作はしていなかったと思う。

 思い当たる事がなく、考え込んでいると影村さんは指を鳴らし、


「もしかして、後ろを見ていた? 彫像が追ってきていたみたいだけど」

「あ、ああ」


 本当は見ていないが、そうすると影村さんの中で筋が通るらしいので嘘をつく。

 影村さんはなるほどねと頷き、


「だから驚かなかったのね」


 そっかそっか、当然よねと一人納得する。

 イマイチ話がつかめないのでとにかく待つ。


「あ、わからないわよね。私がこけかけたのは、いきなり幽霊が現れたからなの」

「っ!?」

「しかも、“彼女”がね」


 そう言って目を伏せる、

 今、ここで出る幽霊の彼女とは……。


「赤い目の……」

「そうよ。一瞬の事だったから表情までは確認できなかったけど、真っ赤な瞳ははっきりと見えたわ」


 通り抜けていったからてっきり秀佳も見ているかと、と影村さんは説明する。


「あ、あははは、丁度後ろを見ていたからさ……」

「おかげで助かったわ」


 運も味方についていると微笑む影村さんの顔を見る事ができない。

 嘘に嘘を重ねていく。

 だが、影村さんが訝しげにしたのも納得だ。

 そんな事態が起きていたのなら、何が起きたかなど尋ねる必要がない。

 見えなかったからこそのファインプレーだと気持ちを切り替える。


「桜の木は特に何もなかったな」

「彫像に赤い目の幽霊……どちらも“顔のない彫像”だものね」


 存在感を示してきた桜の木だが、やはり中核にあるのは“顔のない彫像”なのだろうか。

 とはいえ、三階に上ればまた変化が起きるかしれない。

 不確定要素が増えるのは避けたいため、ここで終わらせられるのが一番だ。

 改めて廊下を見通す。構造は向こう側と変わらない。

 ただ、一般的な教室ではなく、特別教室が並んでいる。

 一番手前にあるのは理科室のようだ。中の設備から推察する。


「理科室といえば人体模型だけど、流石に置いていないか」

「七不思議にもないし、警戒する必要はあまりなさそうね」


 キョロキョロと周囲を警戒しながら一つずつ教室を調べていく。

 家庭科教室にも特に気になる事はない。

 角の教室は……中に何もなく、どのような用途の部屋かわからなかった。


「おかしいな」

「使われなくなって久しいし、何もない教室だってあると思うけど」


 それは最もだったが、だとしたら今までがずっと不自然だった。


「俺が彫像を見つけてからどの教室にも最低限机とかはあった。七不思議が具現化した事で学校としての体を成したと思うんだ」

「そうね。何もない方が本来正しいはずだもの」

「これが七不思議に関わる場所だけならわかるんだけど、そうでもない教室にも机が配置されていた。舞台が学校である証拠だ」


 だからこそ、ポツンと存在する“正しい”部屋は不自然だ。

 過るのは貴幸さんの言葉。


「……もしかしたら、ここが本当の休憩室なのかもしれない」


 七不思議を攻略する際、情報を整理、気持ちを落ち着かせる場所――休憩室。


「貴幸さんは連絡が取れるから資料室をそうだと思ったみたいだけど、実際は七不思議の一つだったわけで」

「でも、近江貴幸は『七不思議の中にも丁度良いのがあるし』って言っていたわよ」

「あ」


 そういえば言っていた。

 なら、“一人増える資料室”がその丁度良い七不思議だったのだろうか。

 しっくりしないが、先程あったように見えない俺はどうしてもわからない世界がある。


「じゃあ、ここは何の……」


 扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。

 閉め切った部屋特有の臭いに顔をしかめる。

 あまりにも普通……中には入らず、内部をザっと調べるが気になる点はない。

 強いて言えばこの部屋は明るい。外からの月明かりが他の部屋より強い気がする。


「……何もないか」


 引っかかるものはあるが、現状意味を見出す事はできない。

 諦めて次の選択肢を考える。


「となると三階しかないか」

「この階に美術室はなかったものね」


 話しながら扉を閉める。

 瞬間、部屋の内部が変化――おびただしい数の彫像が扉に張り付いていた。


「な、なに!?」


 事態を把握するより早く総毛立つ。

 廊下の空気が一変した。

 影村さんの悲鳴に近い声と共に扉が倒れ、彫像が転がり落ちる。

 思わず視線が一か所に集まってしまう。


「くっ……!」


 マズイと頭が判断する前に、影村さんの体を覆い、転がるようにして背後から奇襲をかけてきた何者かの脇を抜ける。

 とっさの動きだったが影村さんに目立ったダメージはない。及第点はもらえるだろう。

 

 ああ、くそっ……!


 左足首の痛みに顔をしかめながら彫像の背を睨むのだった。


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