顔のない彫像 6
願ったり叶ったりの相手だった。
手早く通話ボタンを押し、開口一番叫ぶ。
「久家が捕まった!」
『……どうやら、遅かったみたいだね』
貴幸さんは想像よりずっと落ち着いていた。
多くの経験を積み重ねてきたからか、想定できる事態だったからか。
『って事は今、秀人君は一人か……』
「あ、いや」
携帯を耳に当てたまま、影村さんを見る。
本当ならスピーカーにして情報共有を図るべきなのだろうが、仮にも西を代表する長の一族。
了承なしに伝えるのははばかられた。
「久家桜花の知り合いなんでしょ? 私の事、隠さなくても大丈夫よ」
言葉程、軽いノリではなく、真剣な表情は事態の重さを表していた。
『秀人君?』
「……影村さんといます。久家の友達の」
『影村っ! ……なるほど、影村十紀子さんか』
当然の事ながら存在は把握していたようで、直ぐに納得してくれる。
『彼女の力量や知識について肯定的な噂は聞いた事がない』
「貴幸さん……!」
確かに頼りない一面もあるが、彼女は尊敬すべき人柄かつ能力も持っている。
しかし、貴幸さんは淡々と続ける。
『また批判的な噂も聞いた事がない。この世界でマイナス意見がないのは、相応の能力を持っているか……ずば抜けた力故に秘匿されているかだ。秀人君――』
――彼女は信頼に値する人物かい?
「はい!」
あの軽く、穏やかな振る舞いを常とする貴幸さんからは想像だにしなかった冷たい声。
だがしかし、迷いは一切なかった。
間髪入れずに返す。
影村さんは信頼できる人物だ。もし、全てが仮初だったとしたら素直に感嘆するであろうぐらいには。
『ふふっ、君がそう言うのなら僕も信じよう。じゃあ、スピーカーにしてもらえるかな。いちいち秀人君を通すのは効率が悪いからね』
「わかりました。……あ、その、彼女の前では吉井って呼んでください」
後半部分は影村さんに聞こえないよう手で口元を覆い、伝える。
貴幸さんは不思議そうにしながらも、時間がないからか快諾してくれた。
『初めまして影村十紀子さん。僕は近江貴幸』
「近江貴幸……久家家の若頭ね。久家桜花の教育係としては妥当な人選かしら」
影村さんの言い回しに、この業界はヤクザか何かなのだろうかとの疑問が生まれる。
実際に若頭呼ばわりされた貴幸さんも、特にリアクションする事なく、話を続ける。
『教育係と言うよりは頼りになるお兄さんってところですかね』
「頼りになる……お兄さん……?」
『そのリアクションはちょーっと傷つくなあ』
概ね間違っていないのだが、素直に頷くのもためらわれる。
少なくとも久家は認めないだろう。
「今、大事なのは近江貴幸、あなたが有益な情報を持っているかどうか。軽口はよしてくれるかしら」
『……君の言う通りです。本題に入りましょう』
影村さんの言葉に俺も気を引き締める。
今はふざけている時ではない。
『旧校舎に足を踏み入れてから時間はそう経っていませんよね。何があったか順を追って教えてくれませんか』
貴幸さんの問いに、学院内で起きた失踪事件が七不思議の一つ“顔のない彫像”に繋がっているではないかと考え、旧校舎へと侵入、彫像を発見するも逆に囲まれ、久家が捕まってしまったという一連の流れを説明する。
貴幸は、時折考え込むような雰囲気を醸し出していたが、こちらの話が終わるまでは黙っていた。
「……以上です」
『ありがとうございます。正直な話、イメージしていた内容と結構違っていて戸惑ってしまいました』
「顔のない彫像の情報、久家に渡したのは貴幸さんですよね」
俺の質問に貴幸さんは半分はその通りだと答える。
「正確に言えば、桜花さんが勝手に持ち出したんですけどね」
「えっ!?」
『顔のない彫像は全容が見えていなかったので、概ね見当がつくまで桜花さんを関わらせるつもりはなかったんです。……彼女はどうやら拘っていたようですが』
「久家桜花が何を考えていたかは知らないけど、今回の件は私が無理やり誘ったからよ。彼女は悪くない。もちろんこの子も」
「影村さん……」
貴幸さんが久家の失態と認識したと感じ、口を挟んだのだろう。
俺も久家もちゃんと話を聞いた上で参加する事を決めた。だから、影村さんだけでなく皆の責任のはずだ。
「いや、俺も久家もわかってて来たんだ。影村さんの責任じゃないよ」
「…………」
俺の言葉に影村さんの眼が一瞬揺れた。
こぼれそうになる涙を隠すように、視線を下へと下げる。
『お互いの思いが確認できたところで、僕の持っている“有益な”情報を提供しましょう』
事の始まりは恐らく五年前と貴幸さんは切り出す。
『桜雲女学院七不思議が一つ“ここにいる”の具現化』
「「っ!?」」
貴幸さんの言葉に俺と影村さんは顔を見合わせる。
「そ、そんな話知らないわよ!? お爺様だってそんな事!」
「久家は七不思議が具現化した事はないって!」
『当然、漏れないように根回しぐらいしますよ。色々とバレたら困る事なのでね』
バレたら困るの部分をあえて低い声にしたのは警告だろうか。
詳細を聞くな、もしくは聞くならば覚悟が必要だと。
『そもそも、桜雲女学院七不思議は事実と虚構により作り上げられた娯楽……ではなく、メッセージです』
例えば、トイレの花園さんは凄惨なイジメにあった子の話であり、徒党を組んで弱者を弄ぶ者への警告として作られたらしい。
『時代の流れに合わせ、自然と“娯楽”になってしまったのは仕方がなくもあり、やるせなくもありますよね』
「じゃ、じゃあ、他の七不思議も……」
『中には後天的に加えられた、または語り継がれなかったお話もあるので全てではないですよ』
「……顔のない彫像は」
影村さんは努めて冷静に尋ねる。
数秒程、間が開く。
『その話をする前に、まずは僕達が解決した“ここにいる”の説明が必要になります』
「教えて」
詳細はぼかしますがと前置きをし、貴幸さんは語り始める。
『数十年前のお話です。有数のお嬢様学校であった桜雲女学院にはもちろんの事、外国語の授業もあった。元々は留学経験のある日本人が担当していたのですが、どういう経緯かとある外国人が教壇に立つ事となりました。もちろん、それ自体はなんら問題ありません。年はそこそこだったが、顔は若々しく整っており、加えて生来の気質から人に好かれる方だったらしいです』
少し貴幸さんと似ているなと感じる。
「それはさぞかしモテそうね……」
影村さんが呟く。
貴幸さんは苦笑し、
『時代も時代でしたからね。箱入り娘のお嬢様方からの人気は推して知るべしです。――ただ、彼には既に愛する人がおり、娘までいた』
「それは安心ね。てっきり生徒に手を出したのかと」
『ハハッ、笑えない冗談ですね。……まあ、笑えなくなるのですが』
程なくして戦争が始まりますとの言葉に、ドキッと心臓が跳ねる。
嫌な予感がしてならない。
『彼は敵対国の人間ではありませんでした。……けれど、母型の祖父がその国にルーツを持っていたんです』
「で、でも、そんなのわかるはず」
『仔細はわかりません。ただ、彼の名前は戦争を挟んで無くなり、桜雲女学院に通っていた娘の名前のみが残りました』
「っ!」
縁遠いようで近い刻の話。
子供の頃から、それこそ様々な角度からの話を聞いてきた。
……いつも残るのは深い悲しみ。
「憶測で話すものではないわね。それで、その人が何なの? “ここにいる”とどう関係しているのよ」
『当時の生徒達の思いはわかりません。ただ、彼はここ――桜雲女学院にいたと言いたかったのですかね』
記録から消された先生。
そんな彼の存在を忘れないでと伝えたかったのだろうか。
『仮に美しい思いが始まりだったとしても、噂は、七不思議は容赦なく変貌させる。“ここにいる”は、存在を消された何者かが再び現世へと舞い戻るため……生者の肉体を奪う怪異の話へと置き換わった』
「そ、そんな……」
『人はね。言葉が同じであったとしても違う受け取り方をするんだ。……出来るんだと考えても良い。伝えたい気持ち、残したい思い、繋げたい存在……全てが置き換わる可能性を秘めている』
貴幸さんの話は難しい事ではなく、感覚としてはむしろ当然だとすらわかっていた。
だがしかし、目の当たりにした時、どうしようもなく悲しかったのだ。
『今、僕達が胸に抱いている思いも違うだろう』
「そうね……」
影村さんは静かに同意する。
「私はこの子ほど、悲しみを感じていないもの」
『まあまあ、美徳だって事で一つお願いします』
「あら、誰も悪くいったつもりないんですけど? ……むしろ、好ましいわ」
『まさか、ここで意見が揃うとは……』
「私とあなたの好ましいには天と地ほどの差がありますけどね」
『ふふっ、これは手厳しい』
二人のうすら寒いやり取りを、恥ずかしがったら良いのか、嬉しがれば良いのかわからないでいると、
『大事なのは君の思いだ。それだけは誰にも否定される謂われはないし、置き換わる事もない』
「良いも悪いも鏡合わせ……パパの口癖よ」
どうやら、慰められていたらしい。
こんな緊急事態に、過去の亡き人に思いをはせているなど久家が聞いたらどう思うか。
……二人と似た反応をするだろう。容易に想像できた。
「ありがとうございます……」
『どういたしまして! でで、“ここにいる”は流石に危なすぎるって事で対処したんですよ』
学院側としては、残された思いも厄介なモノに変わりないので秘密裏に終わらせたのだと続ける。
今を生きる人からすれば対処に困るのは納得できるが……。
「過去の遺物でしかないものね。今更、責任を追及されたり、イメージダウンに繋がってもって感じ」
『伝統の功罪の一つですね。良くも悪くも人間らしくて僕は好印象ですけど』
「……性格悪いって言われない?」
『はっはっは、しょっちゅう言われます』
「はあ、久家桜花も大変ね」
それで奪還方法にどう繋がるのと影村さんが聞く。
『これがですね。驚いた事に本人だったんですよ』
「本人?」
『件の彼が七不思議に取り込まれ、怪異へと堕ちてしまったんですよ』
「そ、そんな!」
「……惨い話」
『幽霊の寿命はどれぐらいなのか……なんてのは誰もが疑問に思う所ですけど、百年にも満たない時間であれば記録はいくらでもあります』
それでも稀な事には変わらないと貴幸さんは話す。
『それ程の執念であれば、七不思議の具現化の前に悪霊と成り下がりそうなものですが……とにかく、“そこにいる”の対処をもって彼の魂は昇天したんです』
「じょ、成仏しちゃったんですか!?」
『元々ギリギリだったのか、取り込まれた事で感情を使い果たしのか……理由はわかりませんが、結果は確かなのでそれだけ理解してください』
「で、それと“顔のない彫像”の繋がりは?」
『彼は美術部の顧問であり、彫像のいくつかは彼の作品だったとの話があります』
「……へえ」
記録を抹消すると同時に当然処分されていますが、の所で一度言葉を切る。
『それで終わりにならないのが具現化です』
「ええ、捨てても燃やしても平気な顔して戻ってくる市松人形とか定番よね」
定番にしないでほしい。
『代替品は必要なので美術室の彫像が使われているとは思いますがね』
「でも、おかしくない? だって、当の本人は五年も前に昇天しているのよね?」
「た、確かに……!」
「それに、知られていない事実なんて存在しないも同然。今の話がキーになるとはとてもじゃないけど信じられないわね」
影村さんの指摘はひとつひとつ最もだった。
俺一人だったら雰囲気に流されて納得していただろう。
『……何故、僕が“顔のない彫像”の調査をしていたのか。それは、五年前を境に噂を耳にする機会が増えたから』
七不思議の具現化そのものは秘密裏に終わらせたにも関わらず……。
「学院側に率先して流している人物がいそうね」
『邪推では?』
「七不思議なんて邪推してなんぼでしょ」
ニヤリと笑う影村さん。その笑みは何だか久家と似ていた。
『ふふっ、それもそうですね』
では僕も邪推してみましょうと貴幸さんは低く笑う。
『血の涙で思い出した事がありまして……。彼の娘さんの瞳は、“鮮やかな赤色”だったとか』
「……娘の方って事ね」
『あくまで邪推するならって話です』
「でも、どうして」
『顔のない彫像にも“存在しない者”への思いを込められます。実際そうだったのかまではわかりませんが、“捕まえる”、“捕まったら消える”のも色々と邪推できますよね』
貴幸さんの話し方が巧みなのか、どうしても納得してしまう。
対処法に関してなんてこじ付けに近いだろうに。
「ふーん」
影村さんは一理あるといった雰囲気こそあるものの、全面的に信じているわけではなさそうだ。
そもそも、当の本人が邪推できるなどど言っているのだ。
落ち着かなければと深呼吸をする。
『どうしました?』
通話越しであるにも関わらず目ざとく気づく。
「いや、気が急いてたので、ちょっと落ち着こうかと」
『それは良い事です。桜花さんも助け出された時、君が死にそうな顔をしていたら怒るだろうしね』
「……久家は助かりますよね」
ポツリと無意識に声が漏れる。
ハッと我に返り、こめかみを叩く。
そんなの聞いた所でわかるはずもない。言葉にするメリットなどどこにもないのに。
『助かりますよ』
けれど、貴幸さんは事もなげにそう言った。
「……やけに自信満々だけど根拠はあるの?」
『もちろん、助け出すのは困難ですよ。君達の言う通り本体を見つけ、捕まえないといけませんから。ただし――』
彼女の身の安全には自信がある。
明言する事を避ける傾向にある貴幸さんが何故そこまで……。
『お二人が疑う気持ちもわかります。ただ、協定違反になるため口にできない事柄が関係していまして……』
具体的な説明はできないらしい。
「……本当、ですか?」
『本当だよ。……そうでもないと、こんなのんびりとお喋りなんてしていないし、資料を持っていかれた時に怒るよ。そもそもさ、変貌してしまった“ここにいる”と違って、“顔のない彫像”は何一つ変わっていないんだ。誰かを呪うだけの恐ろしいものなんかじゃない』
穏やかな声色、七不思議に込められた思いの継続、暖かい気持ちがゆっくりと広がっていく。
「…………良かった」
まだ終っていないにも関わらず、最悪の結末は回避できた事に安堵し、目じりに涙が浮かぶ。
影村さんは未だ疑っているようだが、こちらを慮って口にする事はない。
『だから、逃げ出す事ができるのなら僕に任せてほしい所ですが、逃げ出せないとなると攻めに転じた方がいくらかマシですね』
「あなたの言葉が本当ならリスクはないものね。私達が仮に捕まっても助け出してくれるんでしょ?」
『ええ、安心してください』
ただ遅くなりますけどと付け足す。
『学校の事も考えるとお二人が対処してくださるのが一番です』
「そのつもりよ」
「俺もです!」
幾分か気持ちは楽になったが、万が一にも七不思議が変貌しないとも限らない。
早く助けるに越した事はないだろう。
『がんばれ若人! 失敗したらお兄さんがケツを拭いてあげるから思い切ってやるんだ!』
「「……最低」」
上がった好感度を素早く下げるのが趣味なのだろうか、とため息をつくのだった。




