顔のない彫像 5
眩しい……!? 光!? 雷!!?
雲は薄く、澄んだ空気は金色の月をより一層美しく飾っていた。
そんな日だからこそ、突然降り注いだ光が雷なのか、全く違う何かなのか判断がつかなかった。
パニックに陥る思考の中、階段の蹴込みに足をかけていた俺はバランスを崩す。
半身が空中へと引きずられる中、咄嗟の判断で飛び降りる。
距離も久家や影村さんがどこにいるかも把握できていなかったが、幸いな事に着地に支障はなかった。
「はあはあ……はあはあはあ……」
極度の緊張から心臓が遅ればせながらに脈拍をあげ、息が切れる。
真っ白な世界に急速に色が戻っていく。
「…………っ!」
「な、なによ!?」
「くっ……!」
期せずして俺達は再び背を合わせていた。
そして、そんな俺達を囲むように彫像があった。その数、ざっと見る限り十体はくだらない。
「複数体いるとは思っていたが……」
「まさか、こんなにいるなんてな……」
「いつの間に近づいてきたのよ……」
影村さんが嘆く。
光に目がくらんでいる間に接近を許したのだろう。
そんな事は彼女もわかっているはずだ。
実際に言いたいのは、理不尽なまでの光に対してだろう。
「あれ、たまたまかな」
「……そうであって欲しいが」
「嘘っ!? あいつらがやったって言うつもり!?」
「ここに足を踏み入れる前の天気を覚えているか? 偶然ならそれで良い。だが、その前提で動くわけにはいかない」
「そもそも、どうやっても動けなさそうなんだけどな」
気勢を削ぐなと久家に足の裏で蹴られる。
楽観的な発言をしたらしたで、現状を正確に把握する必要があるとか言っただろうに。
四方を彫像に抑えられている今、下手な行動は命取りになる、
「とりあえず、近いのを捕まえるか?」
対処方法はあくまで憶測であり、実際には効果がない可能性もある。
加えて、嫌な距離の取り方をしてきた。幅の問題で今の形のまま触れる事は難しい。
「……待て。失敗するだけならまだしも、成功した際に視界を奪われる恐れがある」
三体以下なら強気に攻められるのだがと久家は唇をかむ。
「そもそも、一人動くだけでフリーになる奴が出ちゃうわ!」
「ちっ、彫像のくせして知恵が回る……!」
「だからって手をこまねいている時間はないだろ。いつ、あの光が来るかわからない!」
目がくらむのもそうだが、夜目に慣れが狂わされるのがキツイ。
懐中電灯の明かりがなければ彫像の顔を捉えるのが難しい。
「彫像もこれで全部とは限らないしな」
特に俺が見ているのは階段の上、暗闇に紛れて接近するのが最も容易い。
それに、彫像は両手で顔を隠しているのは共通しているが、髪型や体格は事前の話にあった通りバラバラだ。
一番小さくても胸の辺りまであるので、流石に膝下レベルのサイズは存在しないと思うが。
「「「っ!!?」」」
息を呑む声は俺の物だったか、二人の物だったか。
懐中電灯の、携帯の明かりがチカチカと点滅し始めたのだ。
「で、電池切れ!?」
「いや、それなら携帯はならないはずだ!」
「じゃあ、これもこいつらが……!」
見ている間、動かないのであれば対処は容易いのでは、との疑問への答えがこれかと舌打ちする。
こちらの光源を強制的に遮断できるのか!
「昇降口へ走れ!」
短い指示。出し手は久家だった。
その言葉に素早く反応し、体を反転させる。
影村さんが心配だったが、既に駆け出していた。
その背を久家が追う。立ち位置の関係で自然としんがりは俺になる。
懐中電灯を照らすより今は速度だ。両手を振って走る。
チカチカと頼りなく点滅を繰り返す光が、時折彫像を映し出す。
視界の端に掠る彫像は常に顔を覆っていた。
もしかして、体当たりしかしないのではないかとの希望が生まれる。
射程が狭いのは潜り抜けられる隙間が多い事と同義だ。
つまり、徐々に狭まるこの空間でも俺なら抜けられる。
紙一重でかわす感覚はドリブルする時と大差ないはずだ。
――いける!
気持ちとは裏腹に背中に迫る嫌な感覚。
それはまるで抜き切った時、相手の手が背中へと伸びてくるあれみたいで……。
「秀佳っ!」
先行する影村さんが偽りの名を叫ぶ。
暗闇に潜む彼らをはっきりとは見えていないはずだ。
けれど、俺と彫像との距離ぐらいならきっとわかる。
体の芯を貫く寒気。
汗腺から汗が噴き出る。
先程まで軽かった足取りは急に重くなり、まるで水の中を走っているようだった。
「先輩……!」
斜め前を走っていた久家が影村さんの言葉に反応し、その身を翻す。
「久……!?」
「この……!」
立ち止まった久家の横を通り過ぎる。
彼女は手に持っていた携帯を背後にいた彫像へと向けていた。
「久家っ!」
慌てて急ブレーキをかけ、久家の元へと戻ろうとするが、
「来るなっ!」
久家の鋭い声。
俺と影村さんが見ているからか、久家の周囲にいる彫像は動きを止めている。
唯一、久家と同じ高さの彫像だけは見えないが、彼女の正面にいるため動けないはずだ。
しかし、毅然とした声とは裏腹に久家の体は震えていた。
「な、何してんだよ! 早く来い!」
「わ、私達が見てるから大丈夫よ!」
「…………ない」
体の震えはますます強くなり、木の床が軋む音が辺り一面に響く。
尋常ではない事態なのは間違いなかった。……けれど、足は動かない。
「すま……」
「く、久家?」
さび付いた体を必死に動かすかのように、僅かにこちらへと振り返った久家の右目は閉じられ……赤い血が流れていた。
そして、そんな久家へと肩の奥に見える彫像の手が伸びていく。
「すまない」
そう言って久家は静かに微笑み、虚空へと消え去った。
「く、久家……?」
一歩、二歩、体重に引っ張られ足が前に出る。
彫像は依然として固まったままだ。
久家の奥にいた彫像も今では顔を両の手で覆っている。
けれど、その口元には歪んだ笑みが浮かんでいるようで……。
「お前ー!」
「ダメっ!」
我を忘れて駆け出しそうになった俺の手を影村さんが引く。
その手は悲しみからか、恐怖からか、震えていた。
「ダメ……。秀佳までやられたら久家はなんのために……!」
「っ!」
一瞬で血の気が引く。
次いで手足が震え、焦燥に苛まれる。
久家はなんのために……俺を助けるために……消えた?
事実を認識したと同時に異様なまでの吐き気がこみあげてくる。
思わず、手で口元を覆うがその手が震えている事に怒りと情けなさ、どうしようもない程の喪失感を覚える。
「大丈夫……大丈夫だから……」
優しい声色と共に背中を通る柔らかい感触。
先程までの怯えはどこへいったのか、影村さんは強い意志を宿した目をしていた。
「まずは逃げましょう。大丈夫! 久家桜花はあんなのにやられる程、柔じゃないわ!」
でも私はやられそうだから逃げるのと冗談めかして言う。
その明るさに救われた。
口元を拭い、折れかけていた心に、足に力を入れる。
「行こう」
「慎重にね。後ろは私が見ておくから挟み撃ちに会わないように気をつけて」
影村さんの忠告は言い方は違えど久家と似ていた。
「曲がったらすぐの所に、逃げ込むのに丁度良い部屋があるの」
「鍵は?」
「大丈夫。閉まっている部屋の方が少ないみたい」
そこは今は使われていない旧校舎だからだろうか。
……いや、むしろその場合こそ閉じられている気がする。
これもまた七不思議の中にいるからかもしれない。
どの部屋にも入れませんでは物語が成り立たないからだ。
一方的なバットエンドは往々にして好まれがたい。手立ては必ずあるのが鉄則だ。
だから、きっと久家だって大丈夫。
『先程も言ったが、桜雲女学院の歴史は長い。価値観そのものが違う時代に放たれ、人の歩みに合わせて現代へ流れ着いた“噂”だ。私達の価値観だけで語れる話ではない』
久家の言葉が思い起こされ、顔をしかめる。
大丈夫……大丈夫……。
何度も何度も己に言い聞かせる。
俺に力があるかなんてわからない。だが、あるのなら今こそ信じる時だ。
「入って!」
影村さんに促され、部屋の中に滑り込むように入る。
そして、素早く部屋の中を懐中電灯で照らす。……彫像はいなさそうだ。
背後で影村さんが手早く扉を、鍵を閉める。
そうか。彫像は幽霊などと違い実態がある。
部屋の中に閉じこもるのも一つの手だ。
……逃げる時、休む時でもない限り、取る必要のない選択だが。
「大丈夫そうね……。ずっと追ってくるわけではないみたい」
扉に耳を当てていた影村さんはホッと一息つく。
貴幸さんもやっていたが、手慣れた動作に感心する。仕事柄上、必要になるのだろう。
「さっきも光に紛れて近づいて来たし、もしかしたら単純に追いかけてくるわけではないのかしら」
足音もほとんど聞こえないし、とブツブツと呟く。
取り乱す姿をたくさん見たせいで勘違いしていたが、彼女も久家同様生まれた時からこちらの住人なんだ。
俺なんて久家がやられた事でえらく動揺してしまったのに、影村さんは冷静に事態に取り組んでいる。
恥ずかしくなり、視線を彼女から外す。その最中、明かりがかかってしまい動きに気づかれる。
「どうしたの? 窓の外に誰かいた?」
「い、いや……窓の外は――」
誤魔化すために窓の外を確認しようとするが、靄のようなものがかかっており、一寸先すら確認できなかった。
昇降口の鍵だけでなく、風景すらも閉ざされるとは……まるで、旧校舎事隔離された気分だ。
「何も見えないわね」
「光といい、随分とあっちに都合が良いな」
「仕方がないわ。彼らのテリトリーだもの」
「お、おう」
凛と落ち着いた対応は、本当に別人の様でここまでくると戸惑ってしまう。
「……ふふっ、なにその目? そんなに驚く必要あるかしら」
「ご、ごめん」
「いいわ。自覚はあるもの」
そう言って影村さんは苦笑する。
「何事も追い込まれるまで集中できないタイプでね。……久家がいなくなった今、私があなたを守らなくちゃ」
「影村さん……」
「あっ! く、久家はもちろん大丈夫よ! 一発アウトならそういう七不思議になっているはずだから! だから復帰するまでよ、復帰するまで! 仮のリーダーってやつ!」
久家をリーダーと思っていたのか。
頼りにしていたからこそ情けない姿が散見されていたんだなと納得する。
それよりも、俺が彼女の名を呟いたのは久家は関係ないのだが、落ち込んでしまうと慌てて希望を持つようふるまってくれる彼女の在り方に感謝しかなかった。
「わ、私、本当にダメなやつだから……。今回だって、あなた達に頼る前にもっと情報を集めていたらこんな事には……」
「そんな事ないよ」
だから、自虐する彼女の眼を真っすぐ見つめ、本気の言葉を口にする。
「俺なんか追い込まれたら自暴自棄になるわ、逃げるわ、その癖して言い訳だけはいっちょ前に探すんだ。……だから、ここぞという時に目一杯頑張れる影村さんは凄いよ、立派だよ」
追い込まれた時、本性が出るとは言われるが、そういう意味では俺こそ醜悪だった。
苦しい時こそ奮闘できる彼女を羨ましくもあり、尊敬もする。
「秀佳……」
影村さんの瞳が潤む。
涙が零れ落ちる直前、影村さんは後ろを向き、ハンカチで目元を拭う。
「あ、ありがとう……」
「ふふっ、どういたしまして」
「…………いいなあ、久家は」
影村さんはポツリと呟く。
耳ざとく拾うが、きっと聞いてほしくはないだろうと胸にしまい込む。
誰かへの嫉妬など他者がしる必要はないのだ。
「よし! じゃあ、これからの方針について考えるわよ!」
気合たっぷりの影村さんに合わせ、俺も気合を入れる。
「何よりも優先されるのは久家の奪還よ。……とはいえ、これは七不思議――顔のない彫像を解決する必要があるでしょうね」
「二人が調べた中に解決法はなかったんだよな」
俺の問いに影村さんは少なくとも私の方はねと返す。
久家は可能性が僅かにでもあれば、伝えてくれただろうからないと見ていい。
「解決する上で大事になるのが、相手の妨害策への対処方法だけど……ないわよね」
「せめて、校舎の明かりがつけば良いんだけど」
「懐中電灯や携帯を消せるのよ? よしんばついても蛍光灯でどこまで耐えられるか」
「ですよね……」
結局、雷っぽい光は窓から離れる事で、こちらの明かりを消される前に即行動するべしとするしかなかった。
「彫像に触れて“捕まえた”という……これは、最早間違っていたらおしまいだから考えないわ」
「そうだな」
そんな余裕はない。
単体で襲ってきた時などタイミングがあれば確認すれば良い。
「…………」
影村さんが顎に手を当て、何かを思案する……いや、思い出そうとしている。
「ねえ、久家がやられた時の事、思い出せる?」
質問の意図がわからず、首を傾げる。
まさか、久家の記憶がなくなり始めているのか!?
「落ち着いて」
俺の様子から思っている事を読み取ったのか、影村さんは人差し指を顔の前で立てる。
「聞きたいのは彫像の方よ。……多分、顔を覆っていなかったわよね」
「っ!」
その瞬間がフラッシュバックする。
はっきりと見えなかったが、彫像の手が伸びていた。
「久家は顔を見たのよ。そして、それが理由で逃げられなくなった」
逃げる余裕はあったものと続ける。
確かに、全身を震わせてはいたが、逃げようとすらしないのはおかしかった。
「足が動かなくなるのか、私達に見えないようにするためかはわからないけどね……」
どちらもありえた。
「ただ、久家の事だからヒントがあるなら口したはず」
けど、出てきたのは謝罪の言葉だけだった。
「顔を見るのはNGってだけなのかしら」
「それはそれで何で顔を隠しているのかって話だけど」
「そういうものよ。理不尽なんてそこら辺に落ちているものでしょ?」
そうかもしれないが、あまりにもバッサリではないだろうか。
「久家……」
“すまない”は何に対してだったのだろうか。
巻き込んだ事か、やられる事か、後を任せる事か。
それに、体勢にも違和感があった。
まるで、半分はこちらに半分は彫像に向けているようで……。
「……そういえば」
「何か思い出したの?」
「赤い涙を流していたような……」
「えっ!? く、久家がって事?」
「た、多分……」
自信なさげに言う。
よくよく思い返してみれば、視界も悪かった事もあり、奥にある何かと重なった気がしないでもない。
久家の目元がダブっていたようにも思える。
「目を潰されたって事? そんなの……」
「き、気のせいかもしれないから! た、例えば彫像の眼が赤色だったとか!」
「赤色?」
適当に言っただけだったのか、影村さんはハッとし、左手で己の顔の左部分を覆う。
「……いた気がする」
「いた?」
「幽霊が、よ。ほら、うちって歴史が長いだけあって多いじゃない?」
「う、うん」
当然ながら彼女も俺が見えると勘違いしているため、さらりと言ってくる。
「その中に赤い目の持ち主がいた気がする……」
「そ、そうなんだ」
それがどうしたって話ではある。
珍しい色ではあるが、ありえないものではないので沢山いるなら一人や二人いるだろう。
「久家もその場にいたのよ」
影村さん曰く、当時の久家はいつもボンヤリとその幽霊を見ていたという。
「たまに会話できる子もいるけど、その子はそうじゃなかった。でも、ずっと見ていたから不思議だったのよ」
「……それが何の話に」
「知らないの? 具現化したとはいえ、彫像が独りでに動くにはエネルギーが必要だって事」
「あっ!」
すっかり失念していた。
だからこそ、久家はこの仕事を続けているのだ。
「久家は昔から幽霊に同情的だから……。あの子が取り込まれていて、思わず助けようとしてしまったのかも」
「た、確かに……」
それだと俺の違和感にも説明がいく。
「もし、取り込まれた幽霊はあの子一体で他は手駒にしているだけなら……」
“捕まえる”のは一体のみになる。
「ただ、その場合、手駒の扱いが難しくなるわ。相変わらず、捕まってはならないのか。脅しなだけで強制力、拘束力はないのか」
「捕まえて排除できないかもしれないもんな」
「それも懸念点」
「あとは……潜む彫像を変える事が出来たら厄介だな」
「可能性は低そうだけどね」
懸念事項はあらかた洗い出せたか。
わからない事だらけではあるが、今やれるべき事をやるしかない。
覚悟を決めた瞬間、ポケットの中にある携帯が震える。
発信者を見ると“近江貴幸”と書かれていた。