顔のない彫像 2
吉井秀人一生の不覚……!
足元がスース―する感覚におびえながら後悔する。
武士の情けかロングスカートなため、長さ的には普段履いているズボンとそう大差ない。
……ない、はずなのだが言い知れぬ防御力の低さを感じて仕方がなかった。
「ふふっ、そう不安がるな。誰も君が男だとは疑っていないさ」
「……さいですか」
元凶は何がそんなに楽しいのか、嬉しそうに背中を軽く叩いてくる。
そもそも、俺の不安の源は女装がバレる事ではない。……それもあるけど。
慣れない服、見慣れない学校、見渡す限りお嬢様だらけの異質空間などなど居心地の悪さの理由をあげたらキリがない。
「案外バレないものなんだな」
「バレていたよ」
「いっ!?」
サラっととんでもない事を言い出す久家。
思わず大きな声が出てしまったため、慌てて口を押える。
「だ、誰にだよ」
「守衛さんだ」
守衛さんとは、門の所にいたおじさんだろう。
役割としては来訪者の監視や受付をする人……。バレていたのなら素通りさせてくれるわけないはずだ。
「元同業者だからね。事前に話を通しておいたのさ」
でなければ即座に取り押さえられ、君は汚名を着せられる羽目になっただろうと笑えない冗談を言う。
汚名を着せられるとしている手前、無理やり女装させている自覚はあるようだ。
「……待てよ。じゃあ、あの人に助力を頼んだら」
「それは無理だ」
「元、だからか?」
「大事なのはそうなった理由だよ」
それだけ言って久家は目を伏せる。
恐らく、勝手には話せない過去があったのだろう。
仕事柄危険も付きまとう。無理やり聞き出すものでもない。
「学園関係者で他に頼れそうな人はいないのか?」
「うーん、近江みたいなのはいるかもしれないが……」
正体を隠しているため知る術はないらしい。
「もし、仕事で来ているのなら必要になれば出てくるだろう」
「……敵としてってオチはないよな」
「どうだろうな」
何故、不敵に笑う。
笑えないだろうが。
「まあ、細かい事は影村に話を聞いてから……」
久家はそこで言葉を切る。
気づけば数人の生徒が近い距離にいた。
慢性的に娯楽に飢えているとの話なので、万が一にも聞かれるのを避けたのだろう。
「久家さん、よね」
三人組の一人が声を掛けてきた。
久家の様子を見るに見覚えはある、程度の関係っぽい。
「久しぶり、覚えてるかしら」
「…………もちろん」
「わ、私の事は!?」
「……私も」
たっぷり間が開いたにも関わらず、先頭に立つ女性は嬉しそうに微笑み、次いで後ろに隠れていた子と横にいた子も尋ねる。
久家は腕を組み、自信満々なそぶり――実際は笑みが引きつっている――でもちろんだともと頷く。
だが、二人も同様に気づくそぶりもなく、純粋に喜ぶ。
結果、罪悪感に胸を抑える久家の構図が出来上がる。
「素直に言えばいいのに」
「三年以上同じクラスだぞ? 覚えていないとか言えるものか」
三年間クラスメイトだったのか。
見た限り久家に好意的だし、そもそも論として何故覚えていない。
「うっ、そ、それは……」
「心配してたのよ」
「久家さん、いきなり転校しちゃったから」
「……楽しくなかった?」
言い訳をする暇もなく、クラスメイト達が久家を慮る。
あまり馴染めていなかったようだ。
はて、コミュニケーション能力は高めだと思ったが、馬が合わなかったのだろうか。
森屋さんって子とは連絡を取っているようだし、流石に高校デビューではないだろう。
「そ、そんな事はない! 転校は家の都合だ! 気にしないでくれ!」
「本当ですか?」
「本当本当!」
必死に笑顔を作り、嘘ではないとアピールする。
嘘くさい事この上ないのだが、やっぱり彼女達は素直に信じたようだ。
胸をなでおろし、そこで初めて俺の事が目に入ったらしい。
「こちらの方は、久家さんのお友達ですか?」
うおっ、矛先がこっちにきた。
声を出すわけにいかないので、コクコクと無言で頷く。
無理があるかと心配したが、三人はパッと花が咲いたかのような笑顔を浮かべる。
「私、久家さんのお友……ではなくてクラスメイトだった皆川静江と申します」
「私は黒鉄碧。久家の……クラスメイトだ」
「……百崎楓。久家の友達希望」
「「あ、ずるい!?」」
……なるほど、三人は久家と仲良くしたかったのか。
それなのに、当の本人はどうにも付き合いが悪い上にいきなり転校してしまった。
良い子達っぽいのに、何が不満だったのかと久家を見るが、視線を逸らされてしまう。
「あの、どうやって久家さんとお友……」
遂に覚悟を決めて直球で尋ねてきた。
だが、その前に久家が割り込み、俺の手を取る。
「すまない! 今日は色々と立て込んでいるんだ! また今度!」
「あ……」
駆け足で去る久家の背中を三人は切なげに見つめていた。
「どう「どうしてとは聞かないでくれ」……」
聞かないでくれと言われたら聞かないけど。
色々と立て込んでいるのも嘘ではないし。
「……わかっている。ちゃんと向き合うから」
「別に何も言ってないけど」
「うるさい」
照れ隠しかバツが悪いのか。
何にせよ、向き合うつもりがあるのなら部外者である俺ががーがー言う理由はない。
……それより、
「あのさ」
「なんだ?」
「無茶苦茶見られている気がするんだけど」
「気のせいだ」
嘘だ、絶対に気のせいではない。
廊下を通り抜ける中、合間合間に久家が、手を、そんなはしたないなどの声が聞こえてきた。
ただ手を引いているだけで、しかも一応今の俺は女性の恰好をしている。
まるで異性と手でも繋いでいるかのような反応だった。……いや、異性だとしても過剰反応ではなかろうか。
「……娯楽に飢えている理由の一つに異性がいない事がある」
人の姿が少なくなってきた所で減速、手を放し、苦々しげに口を開く。
「一方で免疫のない子が多いため、恋愛に対する憧れも強いんだ」
「つまり……」
誰々さんは見てる的な。
恋愛の形は人それぞれ、特段気にする必要もないと思うが。
「私もそのスタンスだ。とはいえ……ああ、もうこの話はいい」
どうやら、人知れぬ苦労があったようだ。
恋は盲目、それ故に想像だにしない事が起きる時もあるだろう。
などと彼女すらいた事がない身で悟るのは無理がある。
単純に経験がないからわからないだけだ。
下手に深堀して反撃を喰らったら笑えない。久家のためにも流してあげるとしよう。
「で、ここで良いのか?」
教室のプレートを確認する。資料室と書かれていた。
流石はお嬢様学校、プレート一つとっても品がある、と思うと同時にここ七不思議の一角である“一人増える資料室”ではないかと腰が引ける。
詳しくは聞いていないが、久家の口ぶりからするに七不思議が関係しているはずだ。
なら、相談ぐらい他の部屋でしたら良いのにと愚痴を言いたくなる。
「……入るぞ」
俺の様子に苦笑いを浮かべていた久家が真剣な面持ちをする。
俺も気持ちを切り替え、一息つき、行こうと返す。
「……遅かったじゃない」
扉を開けると同時に、背を向けている少女がポツリと呟く。
その声はどこだか嬉しそうで、それでいて緊迫感があった。
桜雲女学院の制服に身を包み、腕を組んで窓から外を眺めている少女は、ゆっくりと振り返り、
「久しぶり久家桜……って誰よ!?」
盛大にツッコミを入れる。決め顔が台無しだ。
ただそのリアクションだけで悪い子でない事がわかる。
「あ、あんた誰よ!」
「…………」
「答えなさいよ!」
「…………」
答えたいのはやまやまだけど、声を出すわけにはいかない。
この騒がしい子に男だとバレたら、どんでもない騒ぎになる。そんな確信があった。
事実、久家が口を開くなと鋭い視線を送ってくる。じゃあ、何故連れてきた。
「きー!」
地団駄を踏む推定影村十紀子さん。
とても良いリアクションをする子だ。
「影村十紀子、手を貸してほしいらしいが……何かあったのか?」
「なーにが、“何かあったのか?”よ! その前に説明する事があるでしょ!」
最もな言い分だった。
だが、久家は数秒程考える仕草をした後、
「嫌だ」
「なんで!?」
「面倒くさい」
「じゃあ、どうして連れてきたー!」
いちいち最もな事を言う子だな。
久家はこの子が絡むと面倒くさくなると言っていたが、今の所、久家のせいだろとしか思えなかった。
「あんたはお呼びじゃないの! ちょっと外で待ってなさい!」
「…………」
俺はそれでも良いのだが、久家は嫌そうな顔をしている。
二人きりが嫌なのか、俺にいてほしいのか。……前者の顔だ。
だったら、少しは説明しなさいと久家の肩を叩く。
「……わかったよ」
唇を尖らせ、しぶしぶと言う。
「私の、相棒、です」
もうちょっと滑らかに言えないものかね!
俺が声を出せないのをいい事にふざけているのではないかと疑うレベルだ。
だがしかし、この学院の生徒は気にしない。
事実、影村さんは言い方ではなく、中身に衝撃を受けているようだった。
雷に打たれたと言わんばかりに目を見開き、わなわなと震え始める。
「だから、ここいて、いい」
「……なんだよ、その話し方」
影村さんはショックのあまり自分の世界に入ってしまったようなので久家に話しかける。
しかし、久家はすぐにわかるとそっけない態度。
「…………でしょ」
うなだれていた影村さんが何か呟く。
しかしながら、音量もさる事ながら全身を震わす事で発生するノイズが邪魔で聞き取れない。
どうしたもの――。
「相棒は私でしょー!」
影村さんの咆哮に思わず耳を抑える。
久家とそう変わらない体格のどこにこんなパワーを秘めていたというのか。
驚いて久家を見る。ほらみた事かと面倒くさそうにため息を吐く。
よく見ると耳栓をしていた。想定していたのなら言いなさい。
「なんでどうしてどうやってー! この、この、このこのこのこの泥棒猫ー!」
女装した結果、泥棒猫呼ばわりされましたとさ。
しまいには泣き出した影村さんを前に、心底“面倒くさい”と思うのだった。




