囚われた金色 5
『助ける方法、か。難しい質問だね。ただ、君達が力を貸してくれるのなら可能性はあるよ』
貴幸さんの言葉に俺と久家は即座に協力する事を了承した。
久家はもちろん、俺としてもあの目を見てしまった以上、力になれるのなら断る理由がない。
『この都市伝説のややこしいところは、あの匿名の書き込みが具現化したはずなのに、その実、小説の内容も重なっている事なんだ』
お嬢様と人狼による禁断の恋物語、都市伝説のそれとは真逆も良い所だ。
そのせいで、人狼は二つの側面を持つと貴幸さんは語る。
曰く、お嬢様への復讐に燃える人部分、お嬢様への恋慕に苦しむ狼部分。
どちらが色濃く出るかは時と場合によるらしいが、
『興味本位で肝試しに来た大学生グループがいてね。彼らの体験談と僕達の体験談を合わせると一つ、可能性が見いだせる』
貴幸さんの推測では、若い女性が一人であれば人部分が、若い男性が一人であれば狼部分が引き出されるらしい。
そして、若い男女がいれば愛と復讐に苦しむ人狼が現れる。
『君達にお願いしたいのはそれだ』
つまり、人狼を誘きだしてほしいと。
助けるためには人だけでも狼だけでもダメなのだという。
それらは表裏一体であり、片方の浄化はもう一方の消滅を意味すると。
『どちらであれ、お嬢様に……この館に囚われているんだ。だからこそ、彼らは外へ飛び出さなければならない』
館の中にいる時――正確には人狼に追われている時、館の外はやけに暗く、日もあまり差し込まなかった。
彼らからすれば外は常にああなのだという。
暖かくも冷たい洋館という名の牢獄が輝くように。
『出られないという話では?』
『そこはほら、任せてくれたまえ』
胡散臭い笑みだったが、これでもこの道のプロなのだ。
久家も不信感ありありだったが文句は言わなかった。
……ボソリと嫌な予感がすると呟いていたが。
「大丈夫か、久家」
部屋の目の前にし、久家の状態を確認する。
先程までの醜態はどこへやら、いつも通りの飄々とした姿がそこにはあった。
「問題ない。……むしろ、君こそ」
歯切れの悪い様子に首を傾げる。
良くも悪くももっと強く言う子なのだが。
久家はもじもじと体をくねらせるが、やがて決意を固めたのか、真っすぐな瞳で俺を見つめる。
「改めて謝罪させてくれ。……申し訳ない。君を危険な目にあわせてしまった」
「それはさっき済ませただろ? 俺が勝手に囮になっただけだから」
「いや違う」
久家はきっぱりと否定する。
「私は自分の都合で君を巻き込んだにも関わらず、己の未熟さ故に想定外の事態を引き起こした。助かったのは結果論だ。君には私を罵倒する権利がある」
「権利があるったって……」
想像以上にぺーぺーだったのは事実だが。
年齢を考えるとそれも致し方あるまい。
「もちろん、君がそんな事をできない人なのはわかっている。だからこそ、私自身が戒めなければならない」
「そんな大層な」
「……命がかかっているんだぞ」
声を荒げるでもなく、久家は静かに語る。
……いや、よく見ると手が震えていた。
風の吹く音に自然と視線が窓の外へと向く。
薄暗い森の中、太陽はいつの間にか姿を消し、隙間から月明かりが差し込む。
これも都市伝説の影響なのだろうか。夕焼けを見た記憶がないのできっとそうなのだろう。
「……先輩?」
返事がないため、久家が心配げに尋ねる。
慌てて視線を戻す。
差し込む金色の淡い光が久家の横顔を照らしていた。
久家の黒髪と白い肌、整った顔立ちを際立たせる光。
率直に言って美しかった。
言い訳の言葉も忘れるぐらいに。見惚れていた。
「なんだ、その呆けた顔は……」
余程だったのだろう。深刻な表情をしていた久家も思わず苦笑する。
あまりにも美しく、まるで天女の様だった……などと言えるはずもなく、適当に愛想笑いを返す。
「悪い……。久家の言う事も最もだよなと思ってさ」
「だろう?」
小さく頷く。
正直、夕暮れ広場の幽霊の時は怖いまでも命の危険は……感じたか。
それでも結末を経て、開かずのGKと続いたため危機感が薄れていた。
「珍しいケースと近江は言ったが、前にも話したが明らかに増えているんだ」
「だからこそ、都市伝説を具現化する力を必要としているんだよな」
「ち、力だけが目当てではないぞ」
久家は必死に俺の必要性を語るが、乗り越えてきた事件が少なすぎた。
精々が労働担当でしかない。
「わかっているよ。というか、そもそも久家が必要としてくれるからやってるわけではないし」
「そ、そうなのか?」
久家は全然わかっていないなと笑ってみせる。
事実、彼女は俺の人の好さに付け込んでいると思っているはずだ。
「でも残念、そこまでお人よしではないんだよな」
「お人よしだろ?」
「少しは疑問を持てよ!」
この流れで即答するなよなと肩を落とす。
「まあ、理由は大まかにわけて二つだ」
「二つ……」
「一つは自分の力について知りたいから。……半信半疑だけど、そんな力があるならちゃんと自覚しておかないといけないだろ。そのためには、こうやって関わるのが一番だ」
一つ目の理由は久家も言っていた事なのでコクコクと首を縦に振る。
では二つ目はというと……。
「……はあ」
「何故ため息を吐く」
「いや、目をそらしてきたからさ。言葉にしようとすると凄く嫌だなあって」
「そ、そんな理由なのか?」
久家は見当がつかないらしく、教えてくれとうろたえる。……どうして、うろたえているのだろうか。
「………………から」
「え?」
小さすぎたため久家には聞こえなかったようだ。
くそっと唇をかむ。
「特別…………から」
「も、もう少しだけ大きく」
く、くそったれ……。
「特別な力があるって言われて嬉しかったからだ!」
やけくそ気味に叫ぶ。
そうなのだ。力におびえたり、疑っていながら、その反面、“特別”に心躍っていた。
「…………」
久家はポカンと口を開き、だらしのない顔をしている。
そして、吹きだした。
「はははははっ!」
「わ、笑うな!」
「だ、だが、これは、ふふっ、笑うなという方が、ふふふっ、無茶な話だろう……」
「~~~っ!」
だから、言いたくなかったんだ!
なのに、久家が泣きそうな顔をするから!
恥を忍んで話したというのに!
その返しが大爆笑か!?
この世から人情は消え失せたようだな!
「ま、待ってくれ……」
「待たん! 俺は帰る!」
「わ、笑った事は……ふふっ」
「おう、言い訳はせめて笑いが収まってからにしろよ」
「じゅ、十秒くれ」
十秒だけだからなと時間を数え始める。
九。
八。
七。
六。
零。
「時間が飛んだぞ!?」
「ふん、収まったようだな」
「あ、ああ。お陰様で?」
久家は釈然としない様子のまま息を整える。
そして、不貞腐れる俺に、
「まずは非礼をお詫びさせてくれ」
「もういいよ」
「すまない。君の優しさを笑うなどとあまりにも人の道に反する」
「いいって」
「やはり、君は良い男だ」
「だからいいって!」
反省しているなら俺の言葉を聞けよなと嘆息する。
人を頑固呼ばわりするが、久家も相当な石頭に感じる。
「その、それで……」
かと思えば再び口ごもる。
今日の久家はどうしてしまったのか。感情の起伏がやけに激しい。
それとも、普段が演技で素がこれなのだろうか。
サンタの話を思うにガキ大将な雰囲気があるし、案外おしとやか……とにかく、落ち着いた振る舞いを心掛けているのかもしれない。
「だから、つまり……」
後頭部をかきながら言葉を探すが、どうにも決まりの良い理由は出てこなかった。
「俺は付き合ってる振りをしているだけで、実際は……特別っぽい自分に酔っているだけだよ」
言語化すると本当にしょうもない事この上なかった。
一応、久家の思いに感化されたとか、心配だとか、幽霊がせめて安らかにあれたらとは思っているが……。
「だから、本当にヤバいと思ったり、嫌になったら勝手に逃げるから」
気にするなとの言葉は口から出なかった。
いきなり久家が俺の両手を握ってきたからだ。
何故、柔らかい、いきなり、想像以上に小さい……。思考がまとまらない。
「違う」
今や月明かりに導かれ、はっきりとその像を映し出した久家は、静かに、だが力強く否定する。
「君は、先輩は、優しい人だ」
「俺は別に……」
見惚れる美しさを目の前にしても、反射的に否定の言葉が口をつく。
どうにも、俺は優しい人だと言われるのが苦手な傾向にある。
……己の矮小さを自覚しているからだろう。
「何度でも言う。優しい人」
「俺は……」
「自分を信じられない気持ちはよくわかる。けど、君が持っている優しさから目を背ける事はどうかやめてほしい」
「久家……」
「君は優しい人だ。先輩は優しい人だよ。吉井秀人は、優しい人だと……私は信じている」
言いたい事を言い終えると久家はそっと手を放す。
ぬくもりが残る手は置き場を失い、宙に浮く。
「私は知っての通り、わがままで自分勝手な女だ」
「…………まあ」
フォローしてあげたかったが、嘘は良くないと思い、やんわりと肯定する。
「本音を言うと君を手放したくはない。……力はもちろんだが、それだけではなく」
そこで言葉を切り、ジッと俺の眼を見つめる。
憂う瞳、揺れる水面、金色の光に薄っすらと浮かぶ赤みを帯びた頬。
まさか……いや待て……。
「君は大事な……だから」
肝心な所が聞こえなかった。
もう少し大きな声でと言おうとした瞬間だった。
何かが立ち上がる音、次いで床がきしむ音が耳に届く。
「っ! 久家!」
「わかっている!」
そりゃ、部屋の前で騒いでいれば嫌でも気づくよなと走り出す。
少し遅れて扉が乱暴に開けられる音がする。
振り向くと人狼が姿を現し、視界に俺達を収めた所だった。
「アオーン!」
遠吠えを上げ、その強靭な下半身に力を込め、駆け出す。
悲しみも怒りも、執着をも感じさせる目をして。
「急げっ!」
「くっ!」
感情の高ぶり故か、廊下に伸びる月明かりのおかげか、最初の時より速い。
早めにスタートできたが、目標のポイントまで果たして逃げられるのか。
久家は聞いていた話の通り、運動神経に優れているようだが、それも女性の中での話だ。
人狼はもちろん、俺と比べてもどうしても劣る。
「いざとなったら……」
ポケットに入れているテープレコーダーを服の上から触る。
貴幸さん曰く、人間には聞こえず、だが人狼は嫌がる周波数の音が入っているらしい。
ポイント付近で使う手はずだが、身の危険を感じたら使いなさいと言われていた。
『だけど、もしこれを使う事があったら救うのは諦めて欲しい』
既に何回か使っているらしいが、その度に効きが悪くなっているらしい。
二回は恐らく使えないと貴幸さんは考えているらしく、また作戦はこれなしには決行できないため諦めるしかないのだという。
久家もそれがわかっているので、これでもかってぐらい腕を振り、床を蹴る。
なだらかなカーブを曲がっていく。半分は越えた。
だが、人狼との距離もジリジリと縮まっていく。
初速の割には距離は保てていたが、それでもポイントまで持つかは微妙な所だ。
次第に久家の息も上がっていく。
テープレコーダーの使用も視野に入れないといけない。そう考えた時だった。
「つか……わない、で……」
久家の口からこぼれ落ちる必死な思い。
苦しさは表情を見れば伝わってくる。けれど、彼女の意思は強く燃え盛っていた。
ポケットに伸ばした手を止め、握りこぶしを作る。
「悪い……!」
「先輩!?」
久家の悲鳴、それも仕方がない話だった。
何故なら、後ろからいきなり久家の事を持ち上げたからだ。
身長も低く、体つきも華奢なため何とかなるだろう思っていたが、想像以上に軽かった。
ちゃんと飯食べてるかと聞きたかったが、流石にその余裕はない。
「また無茶を……!」
「無茶と……思うなら……手を……!」
「くっ……!」
口喧嘩している暇はないと判断し、久家は大人しく俺の体に手を回す。
いくら軽くても手だけで全体重を支えるのは辛い。これで幾分かマシになる。
「距離が詰められてるぞ!」
「はいよ……!」
ついでに後ろの様子を確認し、叱咤してくる。
頼んでいないが、困る事ではない。
「アオーン!」
再び遠吠え、定期的に吠えてくれるおかげで何とかなっていた。
もしかして、タイミングも味方してくれているのだろうか。
視界の端に映る月明りはいっそ神々しくすらあった。
「見えた……!」
およそ正面玄関の上付近、貴幸さんが手を振って待っていた。
「まさかお姫様抱っことは! やられたよ、やはり君は最高だ!」
「「…………」」
この期に及んでその軽さはなんだと俺と久家の心が一致する。
が、今はどうでも良い。久家に視線を送る。
よしきたと勇ましい返事。
「オッケー!」
到着する同時に久家をテイクオフ、優れた運動能力で見事着地を収めた久家を尻目にポケットからテープレコーダーを取り出す。
「三、二、一、今だ!」
貴幸さんの合図と同時に再生。
「ガアアアアアアッ!」
途端に人狼は耳を抑え、倒れ……。
「おっと、倒れこむのは早いよ!」
「た、貴幸さん!?」
貴幸さんは慣性を利用したのか、倒れこむ人狼の腕を掴み、両足の踵を綺麗に滑らし、遠心力よろしく……窓に向かって放り投げた。
2mはあろう筋骨隆々の肉体だ。当然重量はそれ相応にあり、窓はあっけなく破壊され、人狼は外へと飛び立ち、
「落下した……!?」
当然ながら飛べるはずもなく、重力のなすままに落ちていった。
俺と久家が慌てて窓から下を覗き込むも、そこには誰もいなかった。
気づけば太陽は空にあり、さんさんと降り注ぐ日差しの暑さに手で影を作る。
「これで……」
「終わり……?」
俺と久家、どちらからともなく呟く。
すると、後ろにいる貴幸さんは笑顔で近づいてくる。
「二人ともありがとう。おかげで人狼を救う事ができたよ」
その嘘くさい言葉に俺達は振り返り、
「「ふざけるなー!」」
叫ぶのだった。