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開かずのGK 11

 “開かずのGK”――八木博信は薄明りの中ではまるで生者のようであった。

 血色は多少割るけれど、精悍な顔つき、意思の宿った目、ユニフォームの上からもわかる盛り上がった筋肉。

 土井先輩の言っていた通り、確かに引退時の写真よりは若々しい外見をしている。二十代後半……三十歳前後だろうか。

 全盛期の姿なのかもしれないと漠然と思う。


「父、さん……?」


 呆然としていた八木も事態に気づき、戸惑いを見せる。

 そりゃ、消息不明の父親が突如現れたかと思えば、十歳近く若返っているのだ。混乱もするだろう。


「お父さん、なのですか?」


 久家が確認を取る。

 ファンである土井先輩に加え、実の息子である彼がそう判断したのならば間違いないだろう。

 だが、八木は吸い寄せられたかのように八木博信だけを見ている。


「この様子なら間違いないか」


 八木に聞こえていない事を知ると、素の話し方で呟く。

 表情は真剣に、目は鋭く、都市伝説の真相を見抜かんと言わんばかりに注意深く観察している。


「どうする?」


 久家に習い、視線を八木博信へと向けたまま端的に尋ねる。

 未だ除霊方法は掴めていない。

 わかっているのは、PKを止める事が条件でない事ぐらいだ。


「どうもこうも……蹴ってみるしかないのではないか?」


 そう言って鈍く光るサッカーボールを指さす。


「まあ、それぐらいしかやれる事はないよな」


 問題は、八木の横でそんな悠長な事ができるのかって部分だ。

 チラッと様子をうかがうと、そこに八木の姿はなかった。

 いつの間にか、八木博信へとフラフラ歩き出していた。


「八木……!」


 名前を呼ぶが、やはり反応はない。

 無理やりにでも止めないとと動き出すも、


「父さん、だよね……」


 八木博信とペナルティマークの丁度間、埋めぬ距離は信じがたいとの思いの表れか。


「…………」


 だが、八木博信は、開かずのGKは答えない。

 まるで、そんな機能はないかのように。


「父さん……!」


 振り絞った声、目からは涙がこぼれ落ちる。

 けれど、やはり答えはない。


「なんで……」


 座り込み、体を震わせる。

 そんな八木へと視線を向ける事すらなかった。


「八木……」


 彼の傍に行き、その肩に優しく手を置く。

 そこで初めて俺達の存在を思い出したかのように、ハッと振り返った八木は震えた声で、


「あれは……父さんなんだよね……」


 口を開きかけ、唇をかみしめる。

 何て答えれば良いのかわからなかった。


「でも、おかしいな……。なんだか僕の知る父さんより若いんだ……」


 体の震えは一層強くなる。


「都市伝説って……幽霊って事、だよね……。なら、なら……!」

「そ、そう悪いように考えるなって!」


 同じ想像が過りながらも、八木へと希望を持つように訴えかける。


「八木のお父さんに似ているかもしれないけど、世の中には似ている人が三人はいるって言うじゃないか! そもそも、幽霊だとしてもなんで若い頃なんだよ!」

「じゃあ、あれは誰なの!?」


 八木の悲痛な叫びは、殺風景なグラウンドに響き渡る。

 俺は言葉を失う。己が信じていない安易な希望論など何の助けにもならない。


「開かずのGK……恐らく、君のお父さんを元につくられた都市伝説だ」


 答えたのはゆっくりと近づいてきた久家だった。

 その姿は、猫を脱ぎ捨ていつも通り……いつも以上に凛とした雰囲気を纏っている。


「久家、さん……?」

「初めに謝っておく。先程までは猫を被っていた。申し訳ない。本来の私はこの通り、愛想の悪い無骨な人間だ」

「あ、う、うん……」


 威風堂々たる有様に激情は一時的に引っ込んだようだ。

 ショックにはショックを、か。


「また嘘はついていないが、本当の事も言っていなかった。私は……私達は都市伝説を調査している。だがそれは、気まぐれにこの世に現れた存在しないはずの幻影」


 先輩のお父さんの生死は一切関係しないと言い切る。


「人々が興味を惹かれ、真実であるかもしれないとの空想でしかない。事実は影響を与えるだけで決して写し鏡になっているわけではないよ」


 初見にはわかり辛い言い回しに、八木は理解しきれず唇をぷるぷると震わせる。


「えっと、つまり、あれはお父さんの幽霊ではないって事だ」


 嘘だが、これぐらいわかりやすい方が今は良いはずだ。

 事実、八木の眼に光が戻ってくる。


「ほ、本当なの?」


 俺と久家は顔を見合わせ、ああと力強く頷く。

 八木は十秒程、固まった後、大きくため息を吐き、脱力する。


「良かった……良かったよ……」


 今度は安堵からの涙を零す。

 ズキッと心に痛みが走る。

 嘘は言っていない。だが、彼のお父さんの状態は良いとは口が裂けても言えないからだ。

 心の中で祈る。どうか、無事であってくれと。


「じゃあ、あの人は……」


 八木の当然の疑問に久家が即座に答える。


「開かずのGKだ。都市伝説を忠実に再現する。本来、私たちの目的は都市伝説の収束だが、生憎条件がわからなくてね」

「ほら、こういうのって何か達成したら成仏するとかあるじゃん。それが、調べた限りだとわからなくてさ」

「そうなんだ……」

「だからまあ、彼に蹴ってもらうかと思っていたんだ」


 そう言って俺の左腕を軽く叩く。


「目撃情報は止めた話しかなかった。なら、当然決めたらとの疑念は生じるだろう?」

「……GKが決められたら満足って不自然じゃないか?」


 少なくとも俺は納得できない。

 八木も同じなのか、微妙な反応だ。

 疑念そのものは理解できるのだが。


「代案はないのだろ? 幸い、命を取られる類ではない。損するわけもない、やるだけやってみよう」


 横で八木が命と驚く。

 まあ、驚くよなと苦笑する、

 しかも、久家のような子が言うのだから違和感は凄まじいだろう。

 だが、残念な事に命の危険はある時は本当にあるのだ。


「別に蹴るのは良いけど……期待するなよ? 相手はプロを模した存在なんだからな」

「ふふっ、わかっているよ。何にせよ、私よりは可能性があるだろ?」

「よ、吉井君、頑張って……」


 何故か、余裕綽々な久家、本人ではないとはいえ尊敬する父の姿をしているせいか、歯切れの悪い八木。

 微妙な雰囲気だなあとボールの近くへ。

 ボールを手に取り、軽く回転させ、ゆっくりと置く。


「合図は……いらないか」


 八木の言葉に一切反応しなかったのだ。そのような配慮はいらないだろう。

 助走を取り、息を吸い、走り出す。

 狙いは土井先輩にやったようにタイミングをずらしてのチップキック。


「くっ……!」


 だが、GKは軸足を着くその瞬間になっても動きを見せない。

 咄嗟に足首を捻り、ゴール左へとシュートを放つが易々と止められてしまう。


「どうした! しっかり蹴らないか!」


 気づけばグラウンドの外、ベンチの前に移動していた久家が叱責してくる。


「わかっているよ!」


 パネンカは失敗すると批判は免れない。

 仮にもプロを模倣した相手に舐めた行為は効かないか。……いや、真剣にやっているけどね。


「ふっ!」


 次は得意な左エリアを狙い、強く振り抜く。

 少し引っかかるが、結果功を奏す。

 ボールはスライドしながらゴールポストへと向かっていく。

 後は内側に跳ねるか、外に弾かれるかだ。


「っ!?」

「……っ!」


 俺と八木は今しがた目の前で起きた光景に言葉を失う。

 唯一、事の重大さを知らない久家だけが惜しいと悔しがる。

 惜しいもクソあるか。今のはラッキーもラッキー、GKからすると許せないであろう偶然の産物だ。


「今のは……」


 八木が呟くが、悔しさと絶望感に打ちひしがれる俺の耳には届かない。

 ゴールポストに向かっていったボールを、事もあろうか手に触れたのだ。

 ……いや、触れたではすまない。しっかりとゴールの外へと弾いた。

 タイミングは外せない、そこしかないってコースは手が届く。


「どうやって決めろってんだ……」


 弱音が零れる。

 可能性があるとすれば、ゴール隅、それも左上か右上だろう。

 ピンポイントに強いシュートを打てればもしかしたら……。

 だが、彼にとっての強いシュートなど俺に打てるのだろうか。

 たった二球で心が折られるとは……。


「頑張れ!」


 不意に投げかけられた応援の言葉は今日一番の大きさだったかもしれない。

 驚いて声の主を見る。


「負けるな! 君ならやれる!」


 目が合った事で音量を下げ、代わりに真っすぐ射貫くような鋭い言葉。

 久家桜花はGJと言わんばかりに親指を立てる。

 いきなりどうしたというのだ。

 ほら見てみろ。横にいる八木が目を白黒させているではないか。

 その華奢な体のどこからそんな声量が出るのやら。


「ははっ」


 思わず笑ってしまうではないか。

 おかげで肩の力が抜ける。

 どうにもうぬぼれていたようだ。俺ごときが簡単にゴールを奪えるわけがないだろうに。


「何回勝負とは言ってないもんな」


 答えがないのはわかっていながら話しかける。


「俺が勝つまで付き合ってもらうぜ!」


 宣言すると共にシュートを放つ。当然セーブされる。


「もう一本!」

「決めてこい!」


 転がってきたボールを久家がこちらへと蹴る。ちょっと逸れる。


「おい」

「すまない……」


 走って取りに行く。何だか小学生の頃を思い出すな。


「応援、か……」


 蹴っては止められ、ボールをセットしてはシュートする。

 合間に挟まる久家の一喜一憂する様を眺めながら八木は遠い日を思い出す。

 十年は前の事、それこそ都市伝説の父の年齢ぐらいだった時、初めて試合を見に行った。


 恥ずかしがり屋の男は、息子の誕生日と結婚記念日が同じ事から一つの目標を立て、現地に愛する家族を呼んだ。

 それは、長らく遠のいていた一部復帰が掛かった大事な試合。

 絶対に勝つ。その強い思いを胸に男は躍動する。

 勝ち点の関係から負けどころか引き分けすら許されない厳しい中、一点差のアディショナルタイムにPKのピンチがおとずれてしまう。

 誰もが祈った。止めてくれと。

 だが、放たれたボールは無情にもゴール隅へと吸い込まれていく。

 息を呑む息子、天へと祈る妻、声を張り上げるサポーター。

 夢を引き裂くかに思われた一撃は、男の大きな手によって払われたのだった。


「あの時、僕は……」


 歓喜、熱狂、絶叫、咆哮、むき出しの感情の本流に八木は流されそうになった事を覚えている。

 拳を高く突き上げる父に一生懸命叫んでいた。


『…………!』


 幼い自分は恐らく意味を知らなかった。

 けれど、周りの大人たちが叫んでいたから、きっとそうするのが正しいのだと思い、声を張り上げた。


「くそっ! 凄すぎだろ!」

「どんまい! 多分……良いシュートだったぞ!」

「そこは言い切っていいから!」


 悔しそうに、けれど楽しそうに繰り返す二人とは裏腹に開かずのGKは顔色一つ変えはしない。

 幽霊だから? 終わりのない勝負の最中だから? それとも……。

 不意に八木の眼に映る若かりし頃の父の幻影の表情が緩んだ。


「えっ!?」


 驚き、慌てて目をこすって確認する。

 冷静を通り越し、能面のような表情そのままだった。

 気のせいかと思いながらも、八木は父の表情の意味を考える。


「……まさかね」


 彼は人間ではなく、かといって若かりし頃の父でもない。

 都市伝説が形を成しただけの存在だと、彼らは言った。

 故に、八木のたどり着いた答えはきっと違うのだろう。


「…………」


 そんな些細な事はさておき、八木は声を大にして伝えたい思いがあった。

 数年前まで幾度となく口にしてきたにも関わらず、随分と遠くに言ってしまった言葉だ。

 偶然にもキッカーを務める男により思い出した。


「今度こそ……!」

「行けー!」


 踏み込んだ軸足、鋭く回る腰、振り抜く右足……揃った。

 ゴール左上隅、全方位を警戒しているGKが最も取りにくいであろうコースへと力強いシュートが飛んでいく。

 決まった。三人は確信した。

 ……しかし、


「は、はははっ」

「これは……笑うしかないな」


 伸ばした右手、その指先を掠め、ボールはクロスバーに当たり、無情にもゴール裏へと転がっていく。

 お手上げだと言わんばかりに笑う二人とは対照的に満面の笑みを浮かべた八木は、


「ナイスセーブ!」


 両手をメガホンの様にし、思いを選手へと届ける。


「や、八木?」

「先輩?」


 二人がどうした事かと八木を見る。当然だ。

 何をどうしたら笑顔で都市伝説を応援できるのだと。

 真っ当な反応にも関わらず、どうしても二人の様子がおかしく、八木は笑ってしまう。


「お、おい。八木が壊れたぞ」

「だ、大丈夫か?」


 困惑する二人を尻目に八木はもう一度、


「ナイスセーブ! 父さん!」


 これも欲しいだろと両手を頭の上に置き、拍手する。

 記憶の中の自分がやっていた行為でもある。

 そして、うろ覚えのチャントまで歌いだす。

 あの時の熱狂がよみがえり、三度目となる涙がこぼれる。

 懐かしさからか、寂しさからかは本人にもわからない。


「……く、久家!?」


 一人応援団の登場に、呆然としていたが事態の変化に気づき、慌てて久家を呼ぶ。

 久家もすぐに事態を理解する。

 開かずのGK、幾度シュートを止めようと、ゴールを守ろうと、微塵にも揺るがなかった男が……微笑んでいたのだ。

 本当に、本当に嬉しそうに。


「父さんは世界一のGKだ!」


 八木のその言葉に、開かずのGKは腕を天へと突きあげる。高く、高く。


 ――その姿は陽炎の如く、揺れて、ブレて、最後には消えていく。


 消えゆく刹那、満足げに頷いた彼を二人の男は優しく見送る。

 そして、久家は一人その上空を見つめ、ふっと口元を緩めるのだった。


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