開かずのGK 9
八木博信には息子がいた。ネットで拾った情報では、だが。
父親がGKをやっていた。苗字が同じ、名前も“博”が共通している。
たまたまかもしれない。そんな偶然があるのだろうかとの疑念は、何もしないとの選択へは繋がらなかった。
「八木、博信……」
八木は名前を呟き、視線を理科室の床へと落とす。
いつ聞くか悩んでいた所、偶然理科室の掃除を一緒にする事になったので、一通り終わったタイミングで思い切って尋ねてみた。
様子から真偽は掴めない。
いきなり、訳のわからない事を聞かれ、戸惑っているだけかもしれない。
そのため、ジッと待つ。
仮に、彼が何一つ答える事なく、部屋を出て行ったとしても仕方がない。
「……どこで知ったの?」
どのぐらい経っただろうか、八木はか細い声で聞いてきた。
「知ったというか、とある噂を追っていたら偶然にも八木選手について調べる事になって」
苗字、名前の共通した漢字、昔GKをやっていたとの事から、もしかしたらと思って尋ねただけだと告げる。
八木は最初は疑わしい目つきをしていたが、最終的には納得してくれたらしくホッとため息を吐く。
「他の人には……」
「言ってないよ。もちろん、言うつもりもない」
「ありがとう……」
八木の態度から仮に久家に聞かれたとしても答えるつもりはない。
プライベートに踏み入った以上、最低限の礼儀であるため、感謝されると逆に気まずかった。
「ほら、僕はあまり運動神経が良くないから……。父さんがサッカー選手だって知られると、その、結構辛くて」
彼の境遇を心から理解する事はできないが、想像する事ぐらいはできた。
優秀な兄弟がいても辛いと聞くし、“比べられる”苦痛はきっと俺の想像など易く超えるのだろう。
「で、でも、父さんが嫌いってわけじゃないんだ。凄くカッコいいし、凄く頼りになる……」
「俺は何回かした見た事がないけど……うん、凄くカッコ良かった。あの頼もしさたるや、一度背中に感じてみたいぐらいだ」
「そう言ってもらえると僕も嬉しいよ……」
八木は嬉しそうに、でも何故だか寂しそうに笑う。
もしかしてとの考えが何度も過っては、即座に否定する。
「……吉井君は、例の事を探りに来たんじゃないよね?」
俺の態度に不審な点を感じたのか、八木が問うてくる。
例の事との言い回しに、“開かずのGK”が思い浮かぶ。そして、態度にも出てしまった。
「やっぱり……」
「ち、違うんだ! いや違わないかもしれないけど……。 その、俺は、後輩とオカルト研究部の活動で都市伝説を調べてたんだ」
「オカルト、研究部? 都市伝説?」
八木の顔つきが剣呑な物から意表を突かれた物へと変わる。
どうやら、例の事とは都市伝説関連ではなかったようだ。それなら、話しやすい。
「“開かずのGK”って都市伝説が最近広まっていて、そこに登場するPK勝負をしたがるGKってのが」
「父さん、なんだね……」
ああ、と頷く。
八木は人差し指で唇をかきながら何やら考え込む。そして、顔を上げ、
「調べてるんだよね」
「そ、そうだけど」
「噂の元手はどこかわかる?」
八木は先程までの弱弱しさはどこへやら、強い口調で聞いてくる。言外に隠すなよと言われているようだった。
「それは、わからない。だから、こうやって、かもしれないレベルで八木に尋ねたんだ」
八木はそれもそうかとあっさり納得する。
「好き勝手、噂しやがって……」
その呟きは怒りに満ちていた。
唇をなぞっていた指の爪を噛み、八木はブツブツと怨嗟をまき散らす。
「何も知らない癖に……何も見ようとしない癖に……父さんがどれだけ身を削って……」
「お、おい! どうしたんだよ、大丈夫か!?」
怒りのあまり体が震え始めたので慌てて止めに入る。
八木はハッと我に返り、荒れた息を整えるように深呼吸をする。
「ご、ごめん……」
「お、俺の方こそごめん……! 嫌な思いをさせてしまって……」
「吉井君が悪いわけじゃないから気にしないで……」
そう言って八木はポツポツと語りだす。
引退を決めたあの試合、八木は現地観戦していたそうだ。
「そもそも、もう四十になろうとしていたしね。あれがなくても引退するかもって話だったんだ」
厳しいプロの世界で二十年やり続ける事は尋常ではない。
怪我も一回や二回ではきかなかっただろう。心が折れる瞬間、終わっても良いのではと納得できる瞬間も幾度となくあったかもしれない。
それを不屈の信念で乗り越えてこそ届く数字だった。
おこがましいがサッカー好きの一人として尊敬しかない。
「だから、できる限り見に行こうって」
最後になるかもしれない。八木とお母さんはホームの試合はもちろんアウェーの試合もほとんど見に行ったという。
もちろん、チームメイトや詳しいファンはそれで察する物があったようだが。
「でも……あいつらは……」
八木の形相が再び凄まじいものになる。
握られた拳は白くなり、わなわなと震えていた。
「バカにしやがった……。やらかした、ベテランの癖に、あーあ引退だな、目立ちたいからってPK狙いかよってさ……!」
「……八木」
スタンドにいると時折聞こえる声。
他人事ながら家族は辛いだろうなと耳をふさぎたくなる時がある。
「父さんがどれだけチームに貢献してきたか……! そのために、どれだけその身を削ってきたか……!」
八木の悲痛な叫びは続く。
「悔しかった……! 許せなかった……! ……でも、でも父さんは仕方がないって、あのプレーはミスでしかないって、だって俺はプロだからって」
圧倒的なまでのプロ意識。
きっと、二十年もの間、自身に言い続けてきたのだろう。
妥協なき努力、部活ですら続かなかった己の事を思うと頭を上げられなかった。
だからこそ、八木の悔しさも怒りもわかる。
言い訳一つせず、磨き続けた、守り続けてきた日々。それを、よりにもよってファンにだけは責めてほしくなかっただろう。
たとえ、八木博信さん自身が許したとしても。
「凄い人、なんだな。俺なんかがって話だけど、本当に尊敬に値する人だよ」
「…………うん。吉井君にそう言ってもらえると父さんも嬉しいと思う」
「そうかな」
そうだよと八木は言う。
ふっ、と怒りを空へと放ち、過去を思い出すかのように遠い目をする。
「実はさ、小学生の時はサッカーやっていたんだ」
これだけお父さんの事が好きなのだ。やっていてもおかしくない。
「その時、吉井君がいるチームと試合した事があるんだよ」
「えっ、マジで!?」
僕は控えGKだったけどねと八木は言う。
「じゃあ、直接やりあったわけではないのか」
「ううん。後半からは僕だったよ」
「ご、ごめん。全然、覚えていなくて」
「仕方がないよ。僕のチームは弱かったし、吉井君はハットトリックはするわ、アシストするわ、ドリブルで抜きまくるわの大活躍だったし」
「そ、そうだったのか」
どうしよう。褒められているはずなのに恥ずかしい。
多分、活躍したというよりはパスを出さなかっただけな気がする。
その癖して味方がパスしてくれないと拗ねるような……もう本当に典型的なクソガキだったのだ。
「あの時の俺はお世辞にも褒められる選手じゃ……」
「そんな事ないよ。凄くカッコ良かった」
「お、おう」
いつの間に、辱めを受ける流れになったのだ?
お父さんの話はどこにいった?
「でも、本当は覚えている理由は父さんが褒めていたからなんだ」
「や、八木選手が!?」
元、選手ねと八木は笑いながら、
『相手の十番の子、良かったな』
夕食の時、父さんはそう切り出した。
てっきり点を沢山取ったからだと思っていたら、父さんはニヤッと笑い、
『そこじゃないんだよなあ。いや、そこもだけどさ』
えー、じゃあどこがと尋ねたら、
『あれだけ点差あってさ、しかも自分が全部に関わっているのに、キーパーにナイスセーブって全力で言える所だ』
当時の僕はてんでわからず、生返事をした。
すると、父さんは苦笑し、大きな手で僕の頭を撫で、
『博もいつかわかるさ。キーパーを続けていったらな』
生憎、サッカーは小学生の時に辞めてしまった。
けど、父さんが言っていた意味を理解できる日は突然来たのだ。
「あの体育の授業、吉井君はナイスセーブって相手のGKを褒めた」
ただただ本気で良いプレーだと感じたから。
技術が稚拙で、やる気がそれほどなかったとしても、その手は相手のシュートを止めたのだ。
「心からあの言葉が出るからきっと父さんは褒めたんだなって」
だって、GKにとってこれ程、嬉しい言葉はきっとないのだから。




