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開かずのGK 8

 八木博信、サッカーを始めたのは小学生の頃、体が大きかった事もあり、程なくしてGKをやるようになった。

 本人曰く、最初は嫌で嫌で仕方がなかったとの事だ。忍び耐える時間が長いポジションなのでさもありなん。

 だが、徐々にGKの醍醐味がわかっていき、現地観戦した初めての試合での劇的なPKストップが契機となり、本格的に取り組む事となった。

 五年生の頃には身長は180cm近くにまで成長し、地元クラブのスクール生となる。

 類まれなる肉体と、ひたむきな性格はまさにGKにうってつけであり、ジュニアユース、ユースと順調にステップアップしていき、18歳でプロデビューを果たす。

 最初の二年は出番に恵まれなかったが、チームが二部リーグに落ちた事もあり、正GKが抜け、立場が一変する。

 チームが生え抜きである彼を本格的に育てる事を決意したのだ。

 以後、二十年近くに渡り、彼はチームのゴールを守り続けた。

 一部復帰、初タイトル、代表合宿参加、降格……などチームの歴史の生き証人とされた彼も二年前に引退、コーチの誘いがあったとされるがこれを固辞。

 理由は不明だが、一部ファンの間では引退を決意した試合が原因ではないかと言われている。

 数々のシュートを止めてきた彼は、特にPKが得意だった。

 大きな体と強い意志が窮地でこそ輝いたのだろう。

 だからこそ……。


「ショックだったのかもな」


 ポツリと呟く。

 情報は全てネットで手に入れたものであり、どれだけ鵜呑みにできるかはわからない。

 けれど、残っている結果もあった。


「最後が退場だなんて……」


 クラブのスター選手であった彼は、チームが不振を極め、三部降格の危機に瀕した試合で反則を犯した。

 それは、冷静さを欠いてしまったからなのか、逆に気持ちが入りすぎてしまったからなのか。……それとも、自信があるPKの方が可能性があると判断したからなのか。

 何にせよ、主審はペナルティスポットを指さし、彼にはレッドカードが提示されたのだ。

 ザっと調べた感じでは、ファンは概ね理解を示し、中には審判を批判する声もあった。もちろん、彼を批判する人もいた。


「……違うか」


 仮に彼が後悔しているのだとしたら、心残りがあるのだとしたら、最後の大一番に立つ事すらできなかった事だろう。

 負けるわけにいかなかった試合は、このPKでの一点が決勝点となり、チームは三部降格が決まってしまった。

 とはいえ、シーズン後の引退セレモニーは和やかな雰囲気で終わり、彼も穏やかな表情をしている。

 悔いあれど、それは多くの選手が抱えていくものだと彼自身が残していた。


「はあ」


 椅子の背もたれに体重をかけ、天井に向かって息を吐く。

 けれど、件の幽霊が八木博信だとしたら――。


「ん?」


 着信だ。画面を見る、久家の名前が表示されていた。


「もしもし」

「夜分遅くに申し訳ない」

「いやいや、まだ日付も変わっていないし、それにチャット送ったのは俺だろ」


 調べた情報をまとめ、久家に送っていたのだ。

 五分程前なので一通り目にし、電話をかけてきたのだろう。


「胸を打つ話だった。八木博信の思いたるや、私には想像する事すらできない」

「俺もだよ。このレベルまで一つの事をやり遂げてきた人の思いなんてさ、理解できる人の方が少ないだろ」


 久家はそれもそうだなと語気を和らげる。


「それより、開かずのGKって八木選手なのかな?」


 言って気づく。彼はまだ亡くなっていないではないかと。

 近況がわからないだけで、何かあれば報道されるぐらいの知名度はあるだろう。地元を代表するスターなのだから。


「あっ、そんなわけないわな。まだ生きているし」

「…………」


 しかし、久家は反応しない。

 その様子が不気味で慌てて名前を呼ぶ。


「すまない。可能性だけを考えるのなら否定はできなかっただけだ」

「……可能性あるのかよ」


 久家はそう深刻にならないでくれと苦笑する。


「亡くなったからといって直ぐに発表されるわけではない、だけの話だ。噂が広まり、幽霊として彷徨っていた彼が取り込まれるなどタイミングが良すぎる」


 だから、ほぼないと思っていいだろうと続ける。

 とりあえず、ホッと一安心。


「でも、なら何で八木選手の姿をしていたんだろう。しかも、若い頃の姿で」

「ふむ。土井先輩の勘違い……はないとして、真っ先に思いつくのは彼が噂のモチーフだった可能性だ」

「モチーフって事は」

「そうだ。彼の最後は悲劇的なものであり、何らかの理由でコーチ職を辞退もしている。そして、近況を知る術も情報もない。開かずのGKに足りなかったストーリー性を補うとしては十分だろう」


 便りがないのは元気な証拠とは言うが、噂においては頼りがないのは何かあった証拠、なのかもしれない。


「これなら平和的な都市伝説であるのも納得がいく。……その分、解決方法が難しくなるが。何せ、PK勝負で勝っても終わらないのだから」

「確かに」


 シンプルに考えるのならとっくに成仏の条件を満たしていそうだが。


「実はもう成仏しちゃったとかは」

「いや、それはない」


 何故言い切れるのかとの疑問はすぐに解消される。


「この都市伝説を教えてくれた人からの知らせだ。新たな目撃情報があったらしい」


 場所は土井先輩と会ったサッカー場からは少し離れ、やはりゴールの真ん中で佇んでいたらしい。

 発見者は同業の者で、よくある手立てをいくつか試したがまるで手ごたえがなかったとの事。


「やはり、開かずのGKの条件は特殊なもののようだ」


 大衆がまことしやかに語り始めたものとは違い、此度の件は特定の集団が風潮したものだろうと久家は言う。


「本来、その程度の物が具現化する事はないのだが……」


 そこで言葉を切る。

 ハッと気づく。


「もしかして、一人で具現化できる奴が……!」


 この言葉には俺ではない何者が力を持っており、やはり自分にそんな大それた力はないのではとの思いが込められていた。

 しかし、久家は冷静に、


「可能性は否定しない。だからこそ、力の有無の確認を必要をしているのだからね」

「……すまん」

「謝る必要はないさ。君の反応は至極当然だ」


 ますます申し訳ない。

 気が急いて話の腰を折ってしまったのはもちろん、夕暮れ広場での一件を否定する材料にはならないのに声を荒げてしまったからだ。

 己の利のためだと言っているものの、俺のために行動してくれている彼女を思えば、まるで今すぐ辞めたいみたいな態度を……。


「……あのさ」

「何だい」

「もし、俺にそんな大層な力がなかったとしても、こんな風に久家の手伝いを……」


 たどたどしく、それでも纏まらない思いを言葉にする。

 久家はふっと柔らかく笑った後、きっぱりと言った。


「止めておきなさい」

「な、なんで……」

「私が言える事ではないが、力のない者をこちら側へと巻き込むのは昔々から言われている禁忌の一つだ」


 好奇心が勝る者、恐怖を抱く者、慈愛に満ちた者……悪い結果こそあれ、幸せは生まない。


「お爺様の……いや、ずっと言われてきた言葉」


 久家はすっと息を吸い、


「正直言って、私は君に力があると確信している。……いや、あって欲しいのかな? とにかく、君を積極的に巻き込もうとしている悪霊と変わりないんだ」

「そ、そんな事……!」


 否定の言葉は本人に拒絶される。


「君は良い男だ。だから、きっと逃げ出さない、逃げ出せない。さもしい根性だと笑ってくれ」


 久家はそう言って笑う。俺は押し黙る事しかできない。


「……だからこそ、私は私にルールを定めた。君に力があるのなら共に歩き、君を守ろうと……利用させてもらうからね。そして――」


 ――力がなければ日常へと返す。


「ふふっ、何だか良い事を言っているようだな。つまるところ、力がないのなら興味はないという事だ。君が罪悪感を覚える必要はこれっぽちもないのだ」


 どこからどこまでが本心なのだろうか。

 飄々としている彼女を掴み切れない俺がいた。

 知り合ってまだ間もないのだから当然だろうに。何故だか、腹立たしく感じる自分がいた。

 ……その怒りの理由さえわからない状態では、彼女の言葉を否定する術はないのだった。


「…………そうか」

「ありがとう」


 その感謝の言葉は何に対してだったのか。それすらもわからない。


「話を戻そう。確かに君の言う通り、一人が信じる事で具現化したとすれば、これほど簡単な話もない」


 あまりにも言葉通り“戻った”久家に毒気を抜かれる。

 ここで意地を張ったら、俺が子供みたいではないか。

 仕方がないので気持ちを切り替える。


「とはいえ、具現化している以上、何故はそれほど重要でもない」

「解決方法に直結している可能性があるんだろ? どうでも良い事なのか?」

「それは最もだが、一番の近道は元となった噂を探し出す事だ。何より、その一人を探し出す方法がない」


 方法がない。それもそうかと納得する。

 だからこそ、久家からしたら都合よく現れた俺に驚いたのだろう。


「まあ、一番簡単なのは君が条件を書き換えてくれる事だがね」


 先ほどの流れを汲んでか、冗談めかして久家は言う。

 仕掛けてきた久家に、この野郎とニヤリと笑い、


「残念、PK止めたのに何で成仏しないんだろうと不思議に思ってるんだな、これが」

「嘘だな」

「ぐっ」


 久家の鋭い指摘にくぐもった声を出すしかない。


「正確には嘘ではないだろう。だが、君は都市伝説が具現化した事、その物に疑問を抱いている。いくら小を納得しようが、大本を納得していなければ意味はない」

「……へいへい、流石は久家さん、よくわかってらっしゃる」


 一言一句、その通りだった。

 久家の言葉もあり、俺は開かずのGKが都市伝説として成り立っている事その物に疑念がある。

 恐らく、今回は力の有無を確かめ事はできないだろう。


「とにかく、改めて元となった噂について調べてみるしかないな」


 そうして、明日からの方針を決め、この日の会話は終わりを迎えた。

 眠りにつく最中、八木博信に思いをはせる俺の脳内に、


『違う……。でも、父さんが昔やっていたから』


 クラスメイト――八木博の姿が浮かぶのだった。


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