開かずのGK 6
日付が変わるより少し早い頃、目撃情報があった河川敷の近くに俺達はいた。
一度、家に帰ってから再集合したので、俺も久家も私服だ。
動きやすい服装なのは当然として、念のためトレーニングシューズを履いてきた。
これなら土であろうと芝であろうとボールを蹴るのに支障は出ない。
「芝じゃん」
河川敷のサッカー場は天然芝だった。
もちろん、隅々まで行き届いているわけではないが、見た所、使用料金が必要ないようなので実質最高級だ。
夕暮れ広場より遠いのが残念だった。近くならたまに来たのに……。
「確かに綺麗だが……」
一方、久家は俺の感動を理解できないようで、芝と俺の顔を見比べ困惑している。
「悪い悪い。うちの周りは土ばかりでさ。芝だと思いっきりプレーできて良いなって羨ましくなったんだ」
「そういうものなのか」
「そういうものなんだ」
まあ、土でも結局は派手にやる事になるのだが。
どうしても、生傷を負うはめになる。特に後ろの選手達は。
そういった意味では、件のGKがここに現れるのも納得がいく。
俺だって、選べるなら芝を選ぶもの。
「えっと、ゴールは1組か」
芝の範囲は広いものの、ピッチは一面らしく、ゴールは二台だけだ。
つまり、現れるとしたらどちらかになるのだが……。
「……いないな」
それらしき人物は見当たらない。
「なあ、仮に具現化しているとして毎日出るものなのか?」
「噂の中身次第では毎日、決まった条件下で出る事もある」
基本的には、日付の概念は薄いらしい。
久家の体験してきた限りだと数日に一回、一週間に一回は良くある頻度との事。
「聞いた話だと、最長で一か月もの間、張り付く事になったとか」
「マジかよ……」
レアケースだとはいえ、げんなりしてしまう。
それは、流石に付き合いきれない。
今日だって母親にあーだこーだ言われながら出てきたのだから。
前回の無断外出のせいでマークがキツイのだ。
「とりあえず、近くに行ってみるか」
久家を促し、ゴールの近くに行く。
構造上雨風に晒されているだろうに、多少の汚れや削れはあるものの思った以上に綺麗だ。
定期的にメンテナンスが入っているのだろうか。芝も良好だ。
「近くで見ると意外と大きいんだな」
「これを身一つで守るんだからGKも大変だよ」
そのため、DFなどと上手く連携しながらコースを消したり、絞ったりする必要がある。
それでも、一試合の中で何度も無数の選択肢に悩まされる瞬間がくるだろう。
ゴールの真ん中に立つ。
混戦のゴール前、抜け出してきたFWとの一対一、そしてPK……。
「広いなあ」
感嘆の声が漏れる。
そして、逆サイドに目をやり、誰もいない事を確認してからカバンを開ける。
どうしたのだと近づいてきた久家に向けて、入っていた物を転がす。
「これは……サッカーボール?」
受け取って欲しかったのだが、久家は跨いでかわしてしまう。
小走りでボールの元へ駆け寄り、足で持ち上げてリフティングを始める。
特に技などせず左右で交互に蹴るだけ。
「上手いものだな」
久家が褒めてくれる。
これぐらいはなと返し、PKの位置にペナルティマークにボールを置く。
「久家、ちょっと来てくれ」
久家は小首をかしげる。そこはいいからいいからとゴリ押す。
「ここに立ってくれ」
「構わないが、君は一体何を……」
久家の質問には耳をかさず、クロスバーの真ん中の下に移動する。
「よーし、こーい!」
「……え、えええ?」
久家の困惑した声。
都市伝説は影も形もない。かといって、すぐに帰るわけにもいくまい。
ならば、時間つぶしはこれしかないだろうに。
「わ、私はやった事がないんだぞ?」
「思うままに蹴ってみるが良い。それが初めの一歩だ」
「くっ、仏のような笑みを浮かべおって……! どうなってもしらないからな!」
久家は何故か怒り出すと、距離を取り、ボールに向かって走り出した。
見よう見まねだろうが運動神経が良いのだろう。意外と様になっていた。
そして、振り上げた足を真っすぐ下ろし、つま先で――トーキックシュートを放つ。
が、ポイントがズレたのだろう。迫力の割には威力は大した事はなく、難なくトラップする。
「な、なにっ!?」
久家、驚愕する。
次いで、俺の足元で大人しくしているボールを恨めし気に睨む。
「ナイスシュート!」
「ぬっ、バカにしているのか」
視線がボールから俺へと移る。
違う違うと前置きし、
「初めてなんだろ?」
「自慢ではないが初めてだ」
「なら、やっぱりナイスシュートだな。最後はちょっとズレたけど、全体的に迫力があって良い雰囲気だったぞ」
「そ、そうか?」
まさか、本気で褒めていたとは、と久家は落ち着きなく視線をウロウロさせる。
「ちなみに俺が初めて蹴った時……蹴ろうとした時は、空振ってすっころんだもんだ」
剛は、宇宙開発したとか。幼稚園児の癖にパワーありすぎだろ。
「空振り……で、でも、小さい時なのだろ?」
「まあ、幼稚園の頃だけどさ。それでも、空振った子は他にいなかったってさ」
そのせいで、今でも両親にその事を弄られる。
一応、記憶にあるが、本当の物なのか、それともイメージで再現されたものなのかは俺には判断つかない。
「幼稚園のガラスを割った事もあるしな……。いや、もうマジでセンスがない……」
「お、おお」
これは弄りではなく、嘆きとして両親に言われる。
ただの遊びだったのに、ムキになった俺がゴール前で思いっきりシュートした事が原因らしい。
ちなみに、こちらは記憶にない。怒られたから記憶を封印したのかもしれない。
「うん、俺に比べたらセンスあるよ。磨いたらバロンドールだな」
「バ、バロン、ドール?」
冗談も伝わらなければ意味はない。
どうして、学ばないのか。
久家はサッカーに明るくないというのに。
やはり根本的にコミュニケーション能力が低いのだろう。もっともっと気を付けなければ。
「簡単に言えば世界一の選手って事だな」
「なるほど! ……って、それは褒めすぎだぞ」
「冗談だからな」
「なん、だと……?」
ショックを受ける久家にボールを返す。
ハッと我に返った久家は、転がってきたボールをそのまま蹴り返す。
止まっているボールよりは威力が出やすいが、その分、コントロールがズレが出る可能性は上がる。
案の定、クロスバーを越えていきそうになったのでジャンプ一番、キャッチする。
「むっ」
ミスをカバーしてあげたというのに久家は不満そう。
弄りすぎたのは謝るが、そうもむくれなくてもと苦笑する。
「高身長への嫉妬だ。放っといてくれ」
平均身長以下であろう者の嫉妬だったらしい。
平均以上とはいえ、俺も特別高いわけではないが……。
「平均以上ある者には気持ちはわかるまい」
「そう殻にこもるなって。……わかるよ。俺も小学生の時は前から数えた方が早かったし」
「……そうなのか?」
強く頷く。
「俺はサッカーをやっていたから、高身長への敵意は久家のそれとは比較にならないぐらい高かったぞ」
冗談めかして、けれど本気だったと自慢げに言うと久家はふっと笑みをこぼす。
「胸を張って言う事ではないだろう」
「事実だからな。小学生の時の知り合いは、久しぶりに会うと俺の身長と敵意の薄れ具合に驚くぐらいだ」
実は、そこまで敵意を持っていたつもりではなかったのだ。
けれど、会う人会う人が変わったな、敵意凄かったのにと言うから、そうだったのかと認識を改めた。
「人には歴史ありとはよく言ったものだな」
「……そんな、カッコいい言い回しをされると恥ずかしくなるな」
褒められた部分など一ミリたりとも存在しなかったのに。
「これじゃあ、俺だけ黒歴史を開示したようなものじゃないか。久家も何か教えてくれよ」
「私か?」
人差し指で自身の顔を指し、少し驚いた様子を見せる。
久家は良い所のお嬢様っぽいし、成熟した立ち振る舞いをしている。それは昔も変わらなかっただろう。
とはいえ、子供は子供だ。何か笑える、微笑ましいエピソードの一つや二つあるだろう。
「うーん」
久家は腕を組み、律義に思い出そうとする。
十数秒後、久家はポツリと呟く。
「実はサンタさんを…………」
後半は聞こえなかったが、恐らく“信じていた”と繋がるのだろう。
はあ、と大きくため息を吐く。久家がビクッと体を揺らす。
「そ、その態度はなんだ!」
しまった。折角、教えてくれたのに今のはダメだ。
「ごめん! ……ただサンタさんを信じていたとか、別に恥ずかしがるような過去でもないだろ?」
それとも中学生になっても信じていたとかだろうか。
……それでも、久家のような子だとギャップで可愛いとなるのでむしろプラスだ。
「聞こえていなかったのか。……小声で言ったのは私だが」
しかし、久家は唇をとがらせ、顔を明後日の方向へと向ける。
そして、しっかりと聞こえる声量で、
「サンタさんを……捕まえようと罠を作ったのだが、それにお爺様が引っかかって」
何やら風向きが思ったのと違う。
「でも、暗がりだったから絶対サンタさんに違いないと……その、袋の強奪を、な」
久家は手で顔を覆い、欲しい物が多すぎて袋の奪取を企てたと自白する。
ア、アグレッシブガール……。
二の句が継げない。
サンタを捕まえようとした話はたまに聞くが、袋の奪取を目論んだとの告白は初めて聞いた。
「ち、ちなみに何歳の時だ?」
「…………七歳」
ポツリと答えが返ってくる。
そうか、七歳か。七歳か……。
頭が良いのも考えものだなとボンヤリと思う。
欲しい物が多くて絞れないといった経験は俺もある。けれど、そのために罠を張るなどの計画を企てる知能はなかった。
「す、凄いな」
「やめてくれー! いっそ引くか、罵倒してくれー!」
久家、壊れる。
どうして、そんな地雷をわざわざ教えてくれたのか。
飛びっきりの黒歴史に聞いた当人すら困惑する事態に。
「ふ、ふふっ、あの時は私の育て方について家族会議が開かれたらしい……」
皆、押し黙る雰囲気は重苦しいのなんのと今では笑って語られるようだ。
「よ、良かったじゃん」
そうとしか言えなかった。
「ふ、ふふふふふっ」
ど、どないしよう。
へこみモードに入ってしまった久家を前にあたふたしていると、視界の端に何かが掠った。
開かずのGKだと思ったわけではない。だが、空気を変えるのに丁度良いと思い、大げさに叫ぶ。
「お、おい見ろ! 誰かがあっちのゴールに……!」
「なにっ!?」
目論見通り、久家は一瞬で立ち直り、すぐさま態勢を整える。
遠目に映るその姿は確かにGKの物だった。
しかし、この距離でもわかる。いや、ゴールとのサイズ感でわかってしまう。
「2mは……なさそうだ」
久家も直ぐに気が付き、トーンが落ち着く。
サイズの確認だろう。俺を見る。
クロスバーとの距離感からして180cm前後だろうか。
「どうする?」
久家に聞く。
大きさは違えど、そもそもの話がどこまで正確かわからない。
「そういえば、大きさみたいのも変わったりするのか?」
「数字が定められていれば、それに沿うが、そうでもなければマチマチだな。巨人、小人などと評されても程度は人それぞれだ」
「なるほど……。じゃあ、あれは噂が違うか、たまたま現れた普通の人って事か」
「そうなるな」
話をしつつ、距離を詰めていく。
普通の人なら恐怖を覚えるかもしれないが、こちらとしては可能性がある以上、確認しないわけにはいかない。
センターサークルに差し掛かった所で、あいてもこちらに気づく。
「あれ?」
その時点で幽霊ではないだろうと確信した。
雰囲気が人のそれだったからだ。
俺が驚いたのはそこではなく、その“普通の人”に見覚えがあったからだ。
「土井先輩!?」
「…………吉井か」
土井先輩は、いつも通り……いつも以上に不機嫌そうに俺の名を呟くのだった。




