夕暮れ広場の幽霊 1
それは夏休みの一幕だった。
深夜、もう日付も変わるであろう頃、チャットにメッセージが届く。
アイス片手にサッカーの試合を見ていた俺は、ファールで試合が止まったタイミングで携帯を手に取る。
相手は……。
「剛?」
中学からの腐れ縁、広池剛からのものだった。
確か、他校に行った友人たちとバーベキューに行くとか言っていたっけ。
中には共通の知人もいるので、写真でも送ってきたのだろうか。
それとも酒に酔ってウザ絡みしてきたか。
「あら、やっちゃったか」
後で良いだろうと画面に視線を戻すと、倒れ込んでいた選手が顔を押さえていた。
ハムストリングの肉離れでも起こしたのだろう。
気の毒に思いつつ、まだ時間がかかりそうだなとチャット画面を開く。
「んー? 助けて?」
送られてきたメッセージはシンプルなものだった。
少し待つが追加はない。
「飲みすぎたんかね」
未成年の癖に剛は度々二日酔いの姿を見せる。
カッコつけてか、美味しいからか、許容範囲を超えて飲むことが多いようだ。
「自業自得だ、と」
とりあえず、それだけ返信して画面を消す。
そろそろ、試合が再開しそうだったからだ。
しかし、すぐに携帯が揺れる。
やれやれと嘆息しつつ、再びチャット画面を開く。
「えーっと、女の霊が?」
そういえば、剛たちが行ってる場所は地元だと幽霊が出るとかで有名だっけ。
とはいえ、人も結構来る場所なので割合で言えば目撃情報など僅かなものだが。
「見ちゃったわけね。御愁傷様。来世は真面目に生きろよ」
身長180cm後半を誇る剛だが、その見た目の割に大層怖がりだった。
草葉を幽霊と見間違え、ブルブルと震えている姿が目に浮かぶ。
昔からやれ幽霊だ、やれ妖怪だとうるさいのだ。
俺はてんで信じていないのでいつも軽く流している。
「おっ! チャンス!」
相手陣地でボールを奪い、ショートカウンターを仕掛ける。
人数は互角、時間をかけずにフィニッシュまで持っていくもシュートは枠の外。
「だー! 惜しい!」
もったいないと悔しがる。
同時に自分ならきっとシュートではなく、パスを選択しただろうなと軽くへこむ。
また、携帯が震える。
初めは放置しようかと思ったが、どうやら電話らしく振動が続く。
流石に適当にあしらいすぎたかと反省しつつ、電話を取る。
「もしもし?」
『…………』
「剛?」
反応がないので画面を見る。間違いなく、剛の携帯からだ。
「怒ってる? 悪い悪い、試合見てたからさ。適当になるのも仕方がないだろ?」
謝っているようで正当化しようとしているな、これ。
内心、気付きつつも訂正はしない。
実際、悪いとは微塵も思っていないからだ。
『………………』
しかし、スピーカーからは依然として風の音しか聞こえてこない。
人がいる気配すらないのだ。
「おーい? 聞こえてますか?」
風の音が聞こえているのだから、ミュートになっているとかではないだろう。
それにしては、物音ひとつしないのはどういう事だ。
驚かすために無言でいるにしても、ここまで存在感を失くせるのだろうか。
『……け……』
やっとこさ、声が聞こえる。
しかし、剛の物とは違って聞こえた。
何故なら、
『ミ……け……』
やはり、女性の声だ。
剛を初め男性の裏声とはとてもでないが思えない。
しかし、今日のメンバーに女性がいたとは聞いていない。
まあ、言っていないだけかもしれないが、知りもしない人を代役にしたところで……。
そこで思い出す。
広場で出る幽霊の噂。性別は女性との事だった。
なるほどなるほどと頷く。
怖がらせたいのなら面識がない方が都合が良い。
「剛、聞こえてるか? 驚かそうとしたって無駄だぞ? ったく、誰だか知りませんがすみません。茶番に付き合わせてしまって」
『ミツけ……』
「しかし、演技がお上手ですね。声のトーンといい、力加減といい、本当に幽霊ではないかって思ってしまいますよ」
にこやかに話しかける。
実際、素直な感想でもあった。
加工はかけていないだろうに、一音一音が違っており、細く、太く、高く、低くと恐怖を増大させる変化がつけられている。
「剛さーん」
女性は尚もブツブツと呟いているだけなので、再度剛を呼ぶ。
いい加減、諦めて出てきて欲しいのだが。
「あの、剛の奴、意地になってるだけだと思いますので、もう止めても良いですよ?」
『ミ ツ け た』
突如して電話が切られる。
「え、ネタバラシなし?」
俺が全くビビらなかった事に拗ねてしまったのだろうか。
剛の性格を考えると可能性はある。
しかし、切れる直前もまた物音はしなかった。
切ったのは彼女?
「……見つけた、か」
くそ、怖いじゃないかと毒づく。
女性の演技力が高すぎたため、今日はゆっくりと寝られそうにもない。
「安眠は何よりも優先されるよな」
言い訳しつつ、折り返し掛け直す。
が、繋がらない。
徹底していやがる。剛の癖に。
仕方がないのでチャットを送る。文字には残したくなかった。
「ごめんなさい、怖いのでネタバラシしてもらっても構いませんか……これで文句ないだろ!」
半ばやけ気味に送る。
きっとスクショされ、長らくネタにされるだろうが耐えるしかあるまい。
…………しかし、五分経っても返事は来ない。
それどころか、既読すらつかない。
既読をつけなくても内容は確認出来るだろうが、このようなやり方は初めてだった。
「もしかして、何かあったとか」
例えば誤って携帯を落としてしまったとか。
充電が切れてしまったとか。
それならば、いきなり切れた事、返事がない事にも説明がつく。
顎に手を当て、考える。
気づけば試合はあのままスコアレスドローで終わっていた。
「剛の野郎……」
腹が立った事もあり、絶対に連絡を取ってやろうと参加メンバーである共通の友人に電話する。
『もしもし?』
相手はワンコールで電話に出る。
先程と違って知っている声ーー携帯の持ち主の声だ。
「あ、拓也? 悪いんだけど剛に代わってくれる?」
電話への反応速度といい、一緒にいると確信していたのだが拓也の反応は予想と違っていた。
「剛? ……ああ、バーベキューの事知ってたのか。もう解散したから俺は一人身なんすよ」
「え?」
「俺だけ路線違うからよ。一人寂しく帰宅中ってわけ」
頭がこんがらがる。
拓也は嘘が下手くそだ。
だから、わかる。嘘ではないと。
「…………ちなみに解散したのって」
「んー、さっき電車から降りたばっかだから……二十分ぐらい前かな」
「拓也はさ、剛が電車に乗るの見た?」
「いや? あいつらは地下鉄だから見てないけど」
「……そっか。ありがとう」
「別にいいけど、何かあったのか?」
拓也が小声で聞いてくる。
誰を警戒してるんだよと普段ならツッコミを入れるが、今はとてもではないがそんな気分ではなかった。
だが、剛から不審な電話があったと素直に言うのも憚られる。
「いや、剛の野郎、人の邪魔ばかりした癖にいきなり音信不通になりやがったからさ。どうにか捕まえてやろうかとな」
「ハハハッ、お前らって本当に仲良いな」
「付き纏われているだけです」
「照れるな照れるな。うちが誇るゴールデンコンビじゃないか」
その称号は重すぎる。
そもそも、ポジションの違いでそんなコンビプレーとかした事ないし。
「いつか漫才チャンピオンになってくれるだろうって先輩たちも期待してるぜ」
「誰がお笑いコンビか」
せめて、サッカーで期待してくれ。……いや、それも困るけど。
「まあ、とにかくそれだけ。悪いな、こんな夜遅くに」
「気にするなって。俺も一人寂しく歩いていたところだったし、むしろヨッシーと話せて気分が晴れたべ」
「何かあったのか?」
気になる言い回しに即座に問いかける。
すると、拓也はヤベと呟き、
「別に楽しくなかったってわけじゃないんだけどさ。… 俺たちがバーベキューやった場所が……ほら有名なところがあるだろ?」
ゴクリと唾を飲み込む。
「幽霊が出るって噂の?」
「そう! 前々からあったけど、この数ヶ月目撃情報が増えてるって話じゃん!? そのせいか、人も少なかったし、物音がする度にビクッてなるし……」
「待ってくれ。増えてるってのは……」
「そりゃ、幽霊の目撃情報に決まっているだろ。前までは性別やら年齢はバラバラだったのに、最近のは黒髪ロングの高校生で統一されていてよ」
「高校生ってわかった理由は?」
「え? そこまで知らないけど、まあ制服だったんじゃないの? 広場の近くに取り壊しになった学校あったし、そこでイジメを苦にして自殺した女子生徒でもいたんだろ」
自分で言っていて怖くなったのか、拓也は小さく悲鳴を漏らす。
「俺ってビビりじゃん? だから、嫌だったけど剛もいるならって思って行ったわけよ」
二人はビビり仲間でよく先輩に弄られていた。
「なのにさ! 剛の奴、全然怖がっていないのよ! 何でかわかるか!?」
「い、いや」
「もしかしたらと思って遠回しに聞いてみたんだけど……あいつ、噂を知らないみたい」
「は!?」
思わず大声が出てしまう。慌てて口を塞ぐ。
家族に聞かれたら怒られてしまうし、そもそも近所迷惑だ。
「マジマジ。そりゃ怖がる素振りないわけないよなって。もう、俺だけビビってる感じで楽しみきれなかったぜ」
不満たらたらな拓也には申し訳ないが、俺は話を半分も聞けていなかった。
当然、頭を占めるのは“剛は件の噂を知らなかったらしい”との情報だ。
前提条件が崩れてしまった。もちろん、拓也の感覚でしかないが、知っているのに表に出ないとは考えづらかった。
じゃあ、さっきのチャットは? 電話の相手は?
当然、雪崩式に襲いかかってくる疑問に答えは出ない。
帰宅する最中、噂の事を聞き、突発的に始めたのが一番ありえる線だろうか。
そこではたと気づく。
「なあ、今日の参加者に女子はいたか?」
「はあ? 何だよ、いきなり。羨ましくなったのか? ヨッシーって彼女いないもんな」
「うるさい、お前もいないだろ。……それで?」
「ふっふっふ」
完全に嫉妬だと思われたらしく、拓也は溜めてくる。
説明しても言い訳くさいし、ここはグッと堪えて待つ。
「いた!」
「おっ」
「……ら良かったなあ」
「どっちだよ!」
「そう怒るなって……」
遂、怒鳴ってしまった。
扉の奥から怒気を感じる。母が起きたようだ。
拓也は後で呪うと決め、殊更声を顰めて話を続ける。
「それで?」
「いなかったよ。男五人むさ苦しく」
「マジかよ……」
「そんな憐れまなくても……。あ、そういえば、無茶苦茶綺麗な子を見かけたぜ! ちょっと怖かったけど、最初噂の幽霊かと思ったぐらい。でも、あの美しさで幽霊なわけないよな!」
「知らん。ありがとう。お幸せに」
扱いが雑と騒ぐ声を無視して、電話を切る。
色々とわかった一方で根本的な問題は深まってしまった。
ベッドに横になり、天井を見つめながら事態を整理する。
始まりは剛から送られてきたメッセージだ。
“助けて”、次いで“女の霊が”。
初めはいつものビビりを発揮しただけかと思っていた。
その後、電話が掛かってきたが、声は剛のものではなく、聞き覚えのない女性のものだった。
聞き取りづらかったが“見つけた”と言っていたはずだ。
何を見つけたかはわからない。そして、音信不通。
冷静に考えれば冗談と一蹴するべき案件だが、拓也からもたらされた情報により、送られてきた十分前以上には解散しており、また女性はいなかった。
以上に加え、前々から噂されていた幽霊が、近頃目撃情報が増えている事、件の幽霊は女子高生らしい事を踏まえると……。
「まさか……」
笑い飛ばそうとするが、声には力がなく、笑みも引き攣る。
言いようのない不安が体の内側を満たしていく。
「……寝よう」
考える事を放棄し、電気を消して布団に潜り込む。怖かったので常夜灯をすぐにつける。
眠くなかったが目を瞑り、頭を空っぽにしようと努めるが、脳は考える事を止めてはくれない。
ありえないとの常識を、でももしかしたらとの不安が押し返す。
ここで目を瞑った結果、剛に何かあったら俺は後悔するだろう。
それ程の仲ではない。所詮は仲の良い友人の一人だ。
けれど、あっさりと見捨てられる程、割り切った性格はしていなかった。
「ちっ」
舌打ちをし、起き上がる。
そそくさとジャージに着替え、玄関へ。
一瞬、母親に見つけて欲しいと思った。
どこに行くんだと、やめなさいと。
そうすれば、行かなくて済むからだ。言い訳になるからだ。
しかし、俺の浅ましい願いは届かず、準備は整ってしまう。
ドアノブに手をかけたところで一度息を吐く。
そして、覚悟を決め、手に力を込めた。
「行ってきます」
この時の決断が良くも悪くも人生を変える事を、この時の俺は知る由もなかった。