新装備は虫眼鏡
術後1週間の過酷な下向き生活の後、2週間病院で過ごした。
眼科病棟で食事制限がのなかったこと、同室の患者さんが自分の母親・祖母世代だったことから、食事の時間になると、おば様方からお手製の漬物や煮物などのおかずがもらえ、非常に充実した食生活を送ることができた。
えっ?なんで入院中におば様方が手作り料理を振る舞えたかって?
入院していたおば様方の大半は、1週間程度の入院で、ご主人のために、料理の作り置きをしてきている。
入院すると、先に入院していたおば様方が食事の時間におかずを配り、プチ料理自慢大会が始まる。
すると、次に見舞いに来た家族に、漬物や作り置きのおかずを持ってくるよう指示が出る。
という感じに、主婦のプライドをいい感じに刺激する習わしがあったためである。
さて、術後の私の右眼はどうなったかというと、半分網膜が剥がれていたのをくっつけてもらったのだが、残念ながら、中心部分はうまく網膜が付かず、しわがよった状態になってしまった。
網膜は眼に入った光を受け取るところなので、しわになっていると、歪みや傷のあるスクリーンやテレビ画面のように、歪んだ映像になってしまう。
また、人間の眼の場合、眼底の中心部と周辺部で感度が異なり、周辺部での視力は0.4未満である。
つまり、眼底の中心部がうまく機能しない私の右眼は、視力が最大でも、0.4しか出ないということになるのだ。
実際に術後はどうだったかというと、眼底の歪みに加え、無水晶体だったため、右眼だけで見ると、全てがぼやけて、大きなものしか見ることができなかった。
この状態を改善するため、私は新たな装備を使うこととなった。
無水晶体の場合、眼に入った光の焦点が眼底より後ろになってしまう。
いわゆる遠視であり、その中でも遠視ががとてもひどい、強度遠視の状態である。
近視の場合は、逆に光の焦点が眼底の手前にあり、これをきちんと眼底で焦点を合わせるため、眼の前にレンズ(眼鏡やコンタクトレンズ)を置き、眼に入る光を屈折させる。
近視で使うレンズは、中央が凹んだ『凹レンズ』である。
遠視の場合には、逆に中央が膨らんだ『凸レンズ』になる。
凸レンズといって、最も分かりやすいものは、『虫眼鏡』だ。
そう、私は右眼に虫眼鏡を装備することになったのだ。
基本的に、近視や遠視が強いと、視力矯正に使われるレンズは、大きく屈折させるため、厚いレンズになる。
1980年代までは、強い近視や遠視の場合、ぶ厚いレンズを使っていて、その厚さが牛乳瓶の底にように厚かったことから、『瓶底眼鏡』と言われてもいた。
しかし、私が手術した頃には、科学技術の発展のおかげで、屈折率が大きいレンズも薄いプラスチックレンズが多くなってきていた。
ただ、無水晶体による強度遠視の場合のレンズは、昔より薄くなったとはいえ、倍率の大きい虫眼鏡とほぼ同じだった。
眼鏡の右眼側に凸レンズを入れることで、想定通り、0.4の視力が出た。
視力0.4はだいぶ悪い視力ではあるが、失明のリスクが高かったことを考えると、そこそこ見えるので良かったと思えた。
駄菓子菓子、ひとつ自分では想定していなかった事象が発生した。
それは、『見た目』である
私の右眼のレンズは、倍率の高い虫眼鏡。
虫眼鏡は、物体拡大して見える。
つまり、他の人が私を見ると、右眼が大きく見えるのである。
両目ともに同じ倍率の凸レンズが入っていれば、両目が同じ大きさに見え、それほど違和感を感じなかっただろう。
初めて眼鏡を付けて鏡で自分の姿を見た時、片眼だけ大きく見えるのは、違和感しかなかった。
もし、近くに虫眼鏡やルーペがあったら、片眼の前に虫眼鏡を置いて、もう片方の眼で鏡にうつった姿を見てみて欲しい。
という感じで、手術により、新たな見え方を獲得し、新装備を追加され、私の新たな冒険が始まったのである。