上を向いて歩こう
初診から3日後、眼科病棟に入院した。
病室は、6人の相部屋で、自分の母や祖母にあたる世代の方々が一緒だった。
手術日までは、特にやることもなく、テレビを見たり、同室のおば様方と話をしたりして過ごした。
さて、ここで網膜剥離や白内障について、話をしておこうと思う。
網膜とは、眼に中に入った光を受け取る部分である。
網膜が眼底から剥がれてしまうことを網膜剥離という。
網膜が眼底から剥がれると、眼の中に入った光を脳に伝えることができず、結果物が見えなくなる。
網膜剥離と聞くと、ボクシング選手や、キャプテン翼のロベルト本郷を思い浮かべる人が多いかもしれない。
眼に強い衝撃が加わることで起きやすいが、私の場合は、体質的に網膜が弱かったかららしい。
私が手術を受けた頃には、網膜剥離の手術方法が確立していたので、術後の経過が良ければ完治するものだった。
白内障は、水晶体というピントを合わせるレンズ部分が白く濁る症状である。
曇りガラスを通して見るような感じなので、光が散乱して眩しくて見えにくくなり、これを周明という。
主治医がよく白内障の患者さんに説明していたが、白髪と同じように老化で誰でもなる症状である。
これもまた私の場合には、体質的になりやすかったらしい。
昔の白内障の手術は1週間入院するようなものだったが、1泊入院や日帰りで受けられるようになっていた。
それでは、本題の私の手術について話をしよう。
朝一番で、手術を担当する東京の大学病院の先生の診察を受けた。
その先生は、低音の良い声で、ニコラス・ケイジに似た渋い感じが印象的だった。
1ヶ月後の診察で会えたのは嬉しかったなー。
手術は全身麻酔で行われた。
手術室手前の部屋で、手術ベッドにあがり、眼の洗浄などをした後、手術室へ移動。
点滴がつけられ、口にマスクがあてられ、医師の指示で2、3回深呼吸をした後からの記憶は無く、次に気付いた時には、自分の病室のベッドの上だった。
麻酔が残っていて頭がぼーっとする中、看護師さんと体調などを確認した。
全身麻酔による手術ということで構えていたが、終わってみると、『なんだ、余裕じゃん。』って感じだった。
点滴が終わるまでは安静ということで、麻酔による程よい気怠さに身を任せて、そのまま眠りについた。
さて、私は手術後に、『なんだ、余裕じゃん。』と思ったのだが、点滴終了後に認識を修正することとなった。
今回の手術では、眼内を満たしている硝子体も摘出していた。
手術で網膜を眼底に貼り付けたが、眼内が空洞なので、また剥がれてる可能性がある。
そのため、網膜を眼底に密着させるために、眼内にガスを入れて網膜を眼底に押し付けるのである。
ここで問題になるのが、姿勢である。
まず、眼に入った光を受け取るため、眼底は顔の正面の逆側、つまり後頭部側に位置している。
そして、網膜を眼底に押し付けるためのガスは軽いので、天井方向へ移動する。
効果的にガスで網膜を眼底に押し付けるには、どのような姿勢が良いか。
そう、ガスが移動する方向に眼底があればいいので、後頭部を天井に向けた姿勢になれば良い。
つまりは、顔を下を向ければいいわけである。
『なんだ、下向くだけか。』と思った諸君、これは手術以上に大変なことだったんだよ。
何故なら、手術後1週間ずっと下を向いていなければいけなかったのだ。
起き上がっって座っている時も下を向き、ベッドのシーツ、テーブルや床を見つめるばかり。
トイレに行く時も、下を向いて歩く。
下を向いて座っているのに疲れてベッドに横になるのだが、その時はうつ伏せ。
勿論、夜寝る時も、ずっとうつ伏せである。
過酷な1週間だった。
そして、1週間経って、顔を上げてもいいと言われ、上を向いて天井を見上げた時の清々(すがすが)しさと言ったら、そりゃあもうハンパなかった。
世界はこんなにも明るいものだったのか。(物理・非物理)
ということで、下を向いて歩くようなことがあったとしても、その後は上を向いて歩こう。
幸せは(そら)の上、雲の上にあるのだから。