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沈めた想い  作者: 石樹杏実
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不妊治療がまだ特殊な時代での葛藤、想い

今はもう懐かしい想いでのようで・・決して忘れられない苦い記憶?忘れたくない愛しい記憶?

その時が有って今がある

地下鉄千代田線新御茶ノ水駅の長いエスカレーター。左に並んだ人の列を右から追い越して昇る。通勤通学の人たちは黙々と迷いなく進んでいる。JR駅の前を通り過ぎた交差点の信号脇に、屋台の花屋が出ていた。

毎朝、御茶ノ水橋を渡りながら、華やかに山盛りに積まれた切り花の色彩に目を引きつけられた。

朝早くから、こんなところで花屋さんをやっているんだ。

都心の歩道の隅に、屋台というのも意外な気がして興味を抱いてから、毎朝そこを通って花を見るのが楽しみになっていた。

病院の見舞い客が買うのだろうか。確認できる範囲では、ほとんど誰もが興味のない様子で行き過ぎて行く。思わず手に取りたくなる衝動を横目で追うだけで我慢する。

その日が来たら、その時は、この花屋で両手一杯の花束を買って帰ろう。真っ赤な薔薇にかすみ草。いえ春だったら色とりどりのポピーにしよう。大好きなチューリップもいいな。

でも今は買わない。その時まで楽しみはとっておく。その日が来たら、その日が来たら?その日って果たして来るのだろうか?

毎朝、マンションの自宅で、俊の出勤を見送った後、湯島から地下鉄で御茶の水の病院へ通う。通勤ではない。ましてや通学でもない。でも、通勤通学の人たちと同様に、毎朝地下鉄で通う。日曜も祝日も休み無く二十日間近く毎日だから、大学受験の為に、高校の補修授業に通っていた時みたいだと思う。今は、不妊治療の筋肉注射を打ちに行くのだ。可能性は有るのだろうか?

一九八五年二月。日本で初めての体外受精による出産が成功してから、まだ二年しか経っていない、人工授精という言葉も特異に感じられる時代だった。

俊とは大学時代に知り合って、卒業してから二年も経たないうちに結婚した。某電気部品メーカーに就職した俊が、東京本社ではなく浜松の工場に配属され、いわゆる遠距離恋愛状態になった。同学年の友達の中でいち早く結婚した理由は、そのことが大きかったと言える。

毎週の新幹線代は新米エンジニアの給料ではきつい。現在のように携帯電話やメールという便利なツールもなかったのだ。

幸い、私もパート社員として浜松工場の事務所に就職できる手筈となって、三年間浜松で気ままな新婚生活を送ることが出来た。週末は関西方面にも遊びに行ったり、それは楽しい日々だった。そのまま、もう浜松に居座って、骨を埋めても良いと考えるようになった頃だった。

突然、本社での新製品開発プロジェクトに俊が抜擢された。三年間の期限で、本社の研究所勤務という辞令が出た。一九八四年末の人事異動だった。

元々東京出身の二人は、東京に帰りたいのは山々だったが、当分無理なことは確かなようだし、悪くすればずっと浜松か。と帰ることを諦めかけていたのだから、嬉しい転勤だった。

三年間の期限付きという短期間なので、上野の本社近くに、マンションを社宅として借りてもらい、都心の便利な場所に住むことになった。JR御徒町駅と地下鉄湯島駅の中間に位置する場所だった。

その東京転勤が、きっかけだった。暫く頭の隅っこに押し込んでいた問題を引っ張り出そうと思った。

子供のこと。子供を産めるのかどうか。この際、きっちり結論を出そう。治療をして妊娠できる可能性が有るなら、東京に居る間に産みたい。住居も前に検査をしてもらった病院に通い易い場所だ。これは『不妊治療をして子供を産むチャンスですよ。』と言われている気がした。

駄目なら駄目と言われる覚悟は、もうとっくに出来ている。『あなたには子供は産めませんよ。』と宣告されれば諦めがつく。東京に帰ったら病院に行こうと決めた。

思えば、丁度都合よい流れだ。他の同級生より早くに結婚して、まだ未婚の友達と、学生気分のまま一緒にワイワイ遊んできたが、次々に皆も結婚して、順々に子供が生まれ始めていた。

会う人毎に、

「子供さんはまだなの?」

と判で押したように繰り返される問いかけに、それまでは、平然と

「まだ二人だけでのんびり遊んでいても良いと思って・・」

と、教科書通りの答えを繰り返していた。

でも、段々それも通じない歳になってきていた。三十過ぎての初産は高齢出産と言われていた時代である。

「早く子供は作らないの?お義父さんお義母さんは、内孫を待っているんじゃない?」

という声が、何処からかジワジワ聞こえてくるのを無視するのが苦痛になってきていた。

俊の通勤は、住居から近いので楽だ。研究職になったのでフレックスタイム制勤務。時間のやりくりが可能なので不妊治療に協力して貰えそうだと思った。

「病院に行ってみようと思うの。」

俊にだけは告げておこうと思った。他の人には、両親にも相談せずに病院へ行く考えだった。まずは、何と言われるのか、これからどうなるのか医者の話を聞いてから。

「え?」

俊は不思議そうに私を見た。でも、何の事か直ぐに解ったのだと思った。次の私の言葉を待ったまま、何も言わない。いつもそうだ。冷静で、先走らず、相手の出方を見ているのか自分の考えが有るはずなのになかなか口に出さない。

「前に紹介されて行った病院、お茶の水の。浜松の病院からも事情を話して紹介状を書いて貰ってきたの。前と同じ先生に診て貰えるように書いてくれたから大丈夫。

具体的に子供の出産を希望する時期が来たら、排卵誘発剤を使うことになるって言われていたけど、浜松では通い切れないから諦めていたの。でも今度、病院近くなるし。湯島からお茶の水なら通い易いでしょ。折角東京に帰って来たから。」

「うん」

返答はそれだけ?物足りない気もしたが、眼は優しく励ましているようだった。何も言う必要の無いことを、お互いに解っているのだ。もう、ずっと前から納得済みのことなのだから。

       ☆

大学時代に知り合った俊から具体的に求婚された記憶は無い。なんとなく、いつの間にか自然と当然そうする事に決まっている雰囲気になっていた。けれど、そのまま自然に流されて結婚してしまっては困るのだった。どうしても確認しておかなければいけないことが有った。了解して欲しいことが有る。でも、強要するのは嫌だった。

俊の人生の邪魔をしてはいけない。俊の夢や希望を阻止する権利はない。いや実は、自分が後々まで、負い目を感じることになりたくないというのが本音だったろう。そしてその手段として、考えあぐねた言葉が脅迫的でなかったかどうか。

「あのね。私、前にも何度か言ったと思うけれど、子供が産めない可能性が高いの。大学病院で検査して貰ったから解っているの。だから私結婚はいちゃいけないと思うの。ごめん。仕方ないでしょ。俊は子供好きだもんね。子供欲しいでしょ。」

子供が出来ないくても結婚してくれる?子供が出来なくても良い?

そう言うべきだ。と本心は反論してる。でも、そうは言いたく無かった。私の為に我慢させるのは嫌だった。こちらから頼むような言い方をしたら、俊の優しさでは絶対嫌と言えないと思った。俊の本心が聞きたかった。

流石に緊張した。心の中核では、子供が出来ないという理由でこちらから身を引いたとしても、

『そんなことは良いから結婚しよう』と言ってくれるだろう

と信じている部分があった。だが同時に、周囲から押し寄せるてくる感情は、

いやいや男の人は違う。『そうだね。結婚は出来ないね。』と言われるかも。という不安だった。

「全然可能性が無いってわけじゃ、ないんだろ?」

交際期間の節々で、それらしき内容を覗かせていたつもりではあったが、どの程度重要に聞いてくれていたかは定かではない。

「うんまぁ。自然には排卵しないと言う事みたいなの。卵巣や子宮とか臓器には異常が無いという事は調べてあるから。妊娠するためには、排卵誘発剤を使うことになるらしいけど、それでも排卵する可能性は低そうだから、子供は出来ないつもりでいてくれないと困ると思うの。子供がいなくても良いという人じゃないと駄目なのよ。」

私の顔を探るように見つめたまま、いつにも増して俊はじっと黙っていた。返事を待ちきれずに言葉を重ねてしまう。

「どう思う?やっぱり子供が出来ないのは困るでしょう?」

長い間を置いて、俊が口にした言葉は私の予想とは異なっていた。

「うん。そうだね。悪いけど、答え、一日待ってくれる?」

せっかちな私は、その場でOKかNGか結論が聞けるだろうと、どんな答えにも怯まない体勢で待ち構えていたのだ。そして、まずOKを期待していたのだ。

自分から聞いておきながら、急に寂しくなった。涙が出そうだ。俊は苦虫を噛み潰したような顔をしたままだ。

こんな時、泣いたらずるい。答えを誘導することになる。駄目。俊に負担をかけてはいけない。

一生懸命涙を堪えて別れた。

次の日聞かされた答えは、違う意味で前日にも増して私の涙腺を制御不能にした。

「解った。子供が出来なくても仕方ないよ。亜沙子と一緒にいたいから。結婚しよう。でも、諦めないでほしい。努力はしてみようよ。ね。」

嬉しいくせに、再度確かめずにはいられない。

「ほんとに良いの?だって、子供欲しいでしょう?」

探るように俊の瞳を覗き込んだ。

「もう、決めたんだから。」

一日待たされた理由は解る気がした。俊は下町育ち、楯端家は、家長制度の名残を彷彿とさせるような家庭だった。親が長男に跡取りを期待していないわけがない。彼の家に遊びに行った時、お姉さんの子供の事を、

「あれは、外孫で須藤の子だから・・」

と言ったのを聞いたことがあった。俊の両親は子供の出来ない嫁など認めないような気がする。そんな事、気にしないで勝手に結婚を決めてしまえばすむ問題かもしれない。でも俊は、そういう事の出来ない人だと思った。

きっと、お父さんを説得して了解させてくれたのだと思った。親に内緒にしない為の一日だったのだろう。俊がどの様に話したのかは解らないけれど、私に結婚後に起こりそうな心労をさせない配慮でもあったのかと、感謝する気持ちだった。

そうして二人は結婚した。時期を見て不妊治療をすることは初めから決めていたのだ。

       ☆

学生の時、既に婦人科で検査して、排卵不全である事は確認済みだった。

始まりは、二十歳過ぎた頃。月経不順から、全く月経がなくなった。数ヶ月無月経が続くと不安になってきた。でも、なんとなく親には言いにくかった。

直ぐに脳裏に浮かんだのは姉の顔。大学の夏休み、北海道へ観光旅行の口実で姉の許へ相談に行った。姉は北海道で医学部を卒業して、そのまま現地で先輩と結婚し、夫婦で診療所をやっていたのだ。

「それは、ほっておいちゃ駄目よ。」

「だけど、どうしたら良いの?一人で知らない病院へ行くのヤダし・・」

姉は、呆れたという顔でため息をつく。

「解ったわよ。旦那にも相談して探してみてあげる。信頼できる産婦人科の先生。コネがあるからね。確か東京のJ病院の教授、高橋教授が親しくしてるって聞いた気がするし。」

「お願い。母さんには内緒でね。」

心配されるのは億劫だった。説明するのも面倒に思った。

「だけど、こういうことは、ちゃんとしておかないと駄目よ。初めから専門の先生に診てもらった方が良いから。三ヶ月以上、生理が無いままにしてたら良くないのよ。」

姉は医者という職業以前に、昔から理路整然としていて理屈っぽい。私の事はいつも子供扱いで。さっさと家を出て自立し、忙しいことを口実に盆も正月も東京の実家には帰って来なかった。滅多に会う機会もなく普段は交流のない私に、医者仲間と尽力して、信頼できる東京の病院の教授を紹介してくれたのだった。

まずは問診だけで基本的な検査、投薬から始まった。脳内の脳下垂体から分泌する女性ホルモンが正常ではなくなり、排卵が起こっていないのだった。それに伴って、月経もなくなっている。薬で定期的に月経が来るようにホルモン治療を行った。軽症の場合は、薬を数サイクル続けるうちに、自然に排卵するようになり、月経が起こるようになるはずだった。でも、何ヶ月続けても薬を止めてしまうと、やはりずっと月経は来なかった。基礎体温も測り続け、排卵の有無を確認していたが依然として改善しなかった。

基礎体温とは、朝目覚めた時の安静にした状態で測定する体温で、排卵時期を境に、低温期と高温期の二つに分かれる。生理後低温期が続くが、排卵が起これば基礎体温は〇.五度程度上昇して高温期に移行するはずなのだ。ずっと低温期ばかりで、基礎体温が二相に分かれなければ、排卵は起きていないと言えるのだ。

そして、排卵が起きた場合は、高温期が十四日前後続いた後、生理が起こり基礎体温は低温期に移行する。

また子宮では、正常、二種類の女性ホルモンが子宮内膜に対して受精卵の着床の準備をする。この二種類のホルモンは卵巣から分泌され、卵巣内で育っていく卵胞から分泌されるものと、排卵してから生理が来るまでの間に卵胞が変化して形成される黄体から分泌されるものなので、排卵がきちんと行われていないと、ホルモンの分泌状態にも異常が生じる。

初めのホルモンが子宮内膜を増殖させて厚くなり、次のホルモンが厚みを持った子宮内膜に栄養分が行き渡るようにしている。このようにして、受精卵が着床して育てる環境を準備して、受精卵が来るのを待っているわけだ。

着床がおこらなければ、子宮内で厚くなった内膜は月に一回剥離して出血する。これが月経。こうして月一回、子宮内を更新させ良い環境を保つ必要があるという。

月経不順や無月経で、この子宮の大掃除が定期的にできなくなると、子宮の中で古くなった子宮内膜が溜まり、子宮に異常が起きて、折角受精しても、卵が着床出来なくなってしまうというのだ。

無排卵という不妊症の症状を早期に確認できたら、その時点から直ぐに治療を始めて、子供が出来るかどうか判断できるのかと思った。でも病院の対応は期待と違っていた。

排卵するようになるかどうかは、排卵誘発剤が効くかどうかやってみなければ解らない。そして、その治療は実際に妊娠出産を希望する時になって初めて開始することになる。

それまでは、子宮が萎縮して正常に機能しなくならないようホルモン薬を続けて、子宮に受精卵が着床出来る環境だけを保ち続けておく。ということだ。

こんな悠長なことで良いのだろうか。不安になった。

「姉さん、ホントにこんなこと続けて意味有るのかな?」

子供を産めない自分など、想像したことがなかった。小さい頃から、母を見て、どうせ私は母と同じように平凡なお母さんになるのだろう、と思っていた。そしてそれが自分に向いている。勉強嫌いで怠け者だと自覚していた。手芸や料理を、母の隣で真似しているのが好きなような子供だった。

逆に姉の方は勝気で向上心に富んでいる。結婚や子供など眼中に無く、正義感に燃えて自分の道を突き進む!という印象だった。

それがどうだ。まぁ、僻地の診療所で赤ひげ先生を自負しているのは頷けるが、二人の娘を産んでお母さんとしてもやっている。母の心配を余所に放任主義、自立心推奨の教育みたいではあるが。

「あせってもしょうがないでしょう。結婚するまでは、健康的な生活をするよう気をつけるとか、体質改善でしょうね。」

気の無い風な言葉に聞こえる。他人事のように言う。

「だって早く、どっちか教えて欲しいのよ。薬で排卵するかどうか試さなくて良いの?子供産めるの?産めないの?」

電話口で張り上げる声が、思わず涙声になった。

きっと、あっち側で姉はうんざりしたため息をついただろう。直ぐに泣くんだから・・と。小さい頃から、私を泣き虫の引っ込み思案、世話ばかり焼ける奴と決め付けている感がある。

「先生にも言われたでしょう?結婚するとね、性生活とかも影響して、体調が変化することも有るのよ。あとは、排卵誘発剤は子供を具体的に産もうとする時からよ。副作用が怖いから。薬は卵巣に負担をかけるから使わないに越したことはないのだから。」

諭すように言う。

「排卵誘発剤を使えば排卵するの?そうすれば子供出来るの?他に悪い所無いの?他が悪くて赤ちゃん出来ないってことはないのかな?」

畳み掛けるように聞いた。電話の向こうが暫く静かになった。考えているような雰囲気が伝わってくる。

「そうね。だったら、他を全部調べておこうか?今のうちなら時間も自由になるだろうし、いざという時に、直ぐ治療方針が立つものね。」

急に医者口調になって、自分一人で納得してるような言い方だ。

「何?どうすればいいの?」

「排卵してないのはホルモンの異常だけど、卵巣や子宮の女性臓器が正常か調べておくと安心だと思うの。普通は、不妊治療を始めてから調べることが多いらしいけれど、今のうちに調べておいても良いと思うわ。」

「え?何するの?」

「腹腔鏡検査っていうの。お臍の下に穴を開けて、腹腔内を内視鏡で直接見る検査。卵巣や子宮の状態が正常かどうか解るのよ。それが全部正常と解っていたら、不妊治療を始める時、排卵することだけ考えれば良いと決められるじゃない。大丈夫よ。検査自体は簡単なことよ。ただ、お腹に穴空けるから一日入院することになると思うけど。」

調べられることは全部やりたかった。大学卒業前なら時間的にも余裕が有る。

「近いうちに、旦那から教授に頼んでみるようにするわ。亜沙子、ちゃんと検査したいんでしょう?父さん母さんには、私からちゃんと説明してあげるから。」

子供の頃から、姉を一番頼りにしていた。親の言うことより、姉の顔色見て従っていれば間違いないような気がしていた。それは、子供なりに空気を熟読した最善策と判断した行動だったのだが、家族は私を頼りない自分では何も出来ない子だと解釈していたようだ。

その時のお腹に穴を開ける腹腔鏡検査で、婦人科臓器には異常がないが、排卵不全状態で生理が起こらないことが解った。それ以後、ホルモン剤で、子宮の状態が衰えないよう、定期的に生理が来るような治療だけは続けてきたのだ。結婚して浜松に移住する時も、通える距離の大学病院の婦人科に紹介状を書いてもらって、月一で薬を貰いに病院に通っていたのだ。

だが、結婚によって期待できる筈のホルモンの改善はなく、その間、排卵したと思われることは一度もなかったのだった。

    ☆

そうして一九八五年二月。

東京に戻って不妊治療に病院に赴き、HMG注射を始めて二週間が経っていた。

教授の初診でHMG・HCG療法という排卵誘発治療を始めたのだ。HMG注射をすることで卵胞を育てて、卵胞が大きくなったところでHCG注射をして排卵させる。という治療法だ。何日HMG注射を続けるかは、卵胞の成長度合いで決められる。どれだけ注射すれば、卵胞が排卵出来る充分な大きさに成長するのかは、個人差があり、続けてみなければ解らないとの事だった。HMG注射を続けながら、卵胞の成長経過を見て行き、HCG注射に切り替えるタイミングを決めるわけだ。

「普通は何日ぐらいですか?」

と聞いても、

「人によって様々だから・・・」

と全く教えてくれなかった。

普通とか平均とか、そういうことを安易に言って、それに該当しない状況になった時、患者を必要以上に不安にさせてはいけないから。ということなのだろうか。HMG注射は、一日於きに行う人もいるし、一回だけで成果が得られ、卵胞が大きくなってくることもあるらしい。

それを考えると、二週間毎日注射を続けても卵胞が芳しい成長を見せないのはどうも重症の方ではないのか。癌患者に『胃潰瘍です。』と気休めを言うのに似ているような気がした。

医者は変な所で建前を押し通すものだ。はっきりしてくれないのが、一番不安で憂鬱にさせられる。

結論はもっと直ぐに、はっきり出るのかと思っていた。『治療で改善する事は難しい。妊娠は不可能です。』と宣告されれば適応する覚悟は出来ているつもりだった。そう言われる可能性の方が高いとも思っていた。十年近くも薬物治療で全く排卵せずにいた者にも、排卵誘発治療が有効だとは信じられない気がして、半ば諦める気でいた。

でも、来院して『大丈夫、頑張りましょう!』と言われて、ハッと眼が覚め、辺りが急に明るさを増したような気がした。

医学はこんな私にも、子供を授けてくれるのだろうか。

私も子供が作れるかもしれない。俊の子供を産めるかもしれない?本当?

誰にも言わずに、こっそり治療して、普通に『子供ができたよ』と言える日が来るとしたらどうだろう。私も皆と同じように、普通の既婚女性として当たり前のことが出来る。

それは、諦めかけていた夢見る世界にふわふわ舞いあがる思いだった。

しかしながら、治療を始めてみるうち、遅々として進展しない現実に、また不安が重たさを増してくるのだった。

        ★   

治療方針を決定する担当は教授だったが、毎日の治療や経過追跡は、曜日によって決められた外来担当医が診るシステムだ。教授専用の診察室を第一診察室と呼ぶのに対して、こちらを第二診察室、『二診』と呼んだ。

二診の内診室では診察台に上がる。正に上がるという言葉通りだった。

二段の踏み台を登って安楽椅子のような背もたれの付いた高い椅子に座る。足の置き場は、下ではなく、座面と同じ高さに左右大きく離れて二つ付いていた。そこに下半身をあらわにしたまま、両足を一つずつ乗せるのだ。

「倒しますよ」

と声がかけられ、背もたれが倒されて少し寝たような角度になる。腰の位置に天井から長く白いカーテンが下がっていて、下半身がカーテンの向こうに隠れる。

つまり逆に、カーテンの向こうからこちらの顔は見えない。多分、医者と患者が顔を会わせる気詰まりを避けるためなのだろう。

しかし、その無防備な体勢で診察を待つ一分たらずの時間が頭を蒼白にしていく。そして、医者は黙ったまま、カチャカチャと器具の触れ合う金属音をさせて、私の中に冷たい物体を入れる。向こうで私の中を覗いているのか、ただ器具で探っているだけなのか。

この状況は、毎日違う男に強姦されるのとどのくらいの違いがあるというのだろう。人は医療という名の前では、慎みとか、恥じらいとかは無意味にさせる。女性としての尊厳すら無視されるような気がする。

どうにかして、この異常な状況に自分の感情の折り合いを付けようとした。

そう、この腰の上に下がったカーテンで上半身と下半身が分断されているのだ。

魔術の美女切断トリックのように、この時、カーテンという刀で区切られた下半身は、私から切り離され、この下半分は私ではなく、他のただの物体になっているのだ。私じゃない!

そうだ!今下半身に何をされようと、私には関係ない。

そうでも考えないと、この異常な状況を冷静に保つことが出来そうになかった。こうして自分をどうにか納得させ冷静さを保っていた。

「はい、どうぞ降りて下さい」

看護士さんの声で、私は自分の下半身を取り戻して、おもむろに足を台から引き寄せて踏み台を降りる。脱衣籠のような物に脱ぎ入れていた下着をつける。不倫の行為の後、ホテルのベッドの脇で、そそくさとストッキングをはいているドラマの一場面が浮かんでくる。

内診の部屋を出て、二診室での問診を廊下で待つ。

長い廊下の両側に向き合うように、ずらっと椅子が並んでいる。その片隅に座って、おもむろに手提げカバンから編みかけのセーターの塊をつかみ出す。編み物は、私のとっておきの時間つぶし手段だ。持ち歩きに便利で、ほんの少しの時間でも始めたり止めたりが即座に出来る。

毎日毎日、ただボンヤリ待ち時間を過ごすには、あまりに莫大な時間に思えた。

少しでもこの時間を無駄な時間と思わずに過ごす業でもあった。カチカチ編み針を規則的に動かしながら、頭では様々な事を考えた。でも考えたくないときは、一二三と編み目を数えてそれに没頭しようとした。だが、手は同じリズムで針に糸を掛けてはくぐらせる動作を繰り返しながら、頭の余った部分にはいつも同じ不安が充満していた。

いつまで続くのだろう。変化は起こっているのだろうか?注射の効果はあるの?

「楯端さん。」

隣のドアから名前を呼ばれる。

その日の二診は澤田医師だった。もう、顔見知りになっているわけだが、まっすぐ顔を見ることが出来ない。内診室でのカーテンの向こう側での存在を意識してしまう。男の人が女である私の中を診る。

感情を麻痺させることには、随分慣れてきたつもりだった。

この人はある物体を見ていたのだ。物体の変化を観察したにすぎない。それを私に報告する。

「もう、十四日か。粘液の状態少し上がって来てますね。もうすこしかな。」

卵胞が成長してくるに連れて、分泌される頸管粘液の量や粘度が増してくる。それを調べるために、内診で粘液を採取して、粘度を測定しているのだろう。

その指数が今やっと、プラス2。卵胞が育って、排卵出来る大きさになるのは、粘液がプラス3になるころだという。

「明日は、超音波エコーで見てみましょう。」

「超音波エコー検査は初めて?看護士さんから説明をしてもらいますね。今日も、注射して行って下さい。では、お大事に。」

       ★  

十五日目、十六日目、十七日目、十八日目

毎日筋肉注射に採血。一日おきの内診に超音波検査。なんと、十九日間のHMG注射が繰り返されていた。

超音波検査室は、廊下の突き当たりに有った。ガラスのはめ込まれた白いドアは魔法の箱のようだった。ひとりずつ呼ばれて中に入って行く。ひとり出てくると次のひとりが入って行く。

手前の廊下には、ここにも両側に同じように椅子が並んでいた。ドアに近いほうから順々に詰められて座っていく。ベルトコンベアーを進む流れ作業のようだ。両側に座った人は看護士の呼ぶ声で、ある時は左の列から、または右の列から立ち上がってドアに入っていく。交互でもなく、ランダムでもでもなく。

同じドアに吸い込まれて行く女性たちには、左右で天地の差があった。廊下の真ん中には、両者を区別する、谷のように深く長い亀裂が走っていた。

左から右へ、一跨ぎの距離に見えて、決して向かい側には飛び越えられない。

左は婦人科、右には産科の患者が並んで待っていたのだ。

当然私は、左側の椅子に座って、半分顔を上げて向かい側にそっと眼をやる。そこに並んでいる女性達は、皆誇らしげに見えた。顔は明るく輝き、大きくせり出した腹部を両手でかばうようにして、胸をはって座っていた。

おずおずと伏目がちに、同じ左側の横に並んだ人達を見ると、両隣も、その向こう隣の人も、うな垂れて、背を丸めているような気がした。腹部に手を添えている人は、注射の副作用を抱えて、苦痛に耐えているのかもしれないと思った。

私が向こう側に座る日は来るのだろうか。

「楯端さん、どうぞ。」

いつもの飽き飽きする無駄な考えに包囲されたころ、名前を呼ばれた。

超音波の検査では、衣類をまくって、お腹の部分だけ出してベッドに横になる。

看護士さんがゼリー状のものを下腹部にべっとり塗り広げる。準備が出来たところで、医者がモニターの前に座る。超音波エコー検査の電機アイロンのような、取っ手付きの板状の器具で私の下腹部を撫で回しながら、モニター画面を見ている。

ベッドの上からも除き見る事が出来る。不鮮明な白黒のまだら模様がグニュグニュ歪んで動いている。

「あぁ、いくつか出来てますね。えぇと、この前一.五cm。これかな?」

右手で机の上のカルテの前のページをめくりながら、左手は私の腹部の上を移動させている。

「うん。見える?これ、一番大きいのは二cm近くになってるね。頸管粘液もプラス2を越えているから、そろそろかなぁ。今日はもう一日、HMGやりましょう。明日また超音波の予約して行って下さい。HCGに切り換える事になると思いますよ。」

数日前から、やっと大きくなってきた数個の卵胞が超音波エコー画面で確認できるようになった。でも、厳密には、ひとつだけ大きいのが出来るのが理想的なのだ。複数出来るということは、多胎妊娠の可能性にも繋がる。

HMG注射十八回目でやっと、数個の中からひとつ、一.五cm位に発育した卵胞が有ると言われた。

HCG注射で卵胞を生育することはで出来たのだ。排卵できる大きさまで育ってきたのだ。HCG注射に切り替える日が来た。

こうやって、もうすぐ排卵時期だ。とか言われると、その展開に戸惑いつつ、もうそれだけで子供が出来ると決まったように舞い上がってしまいそうな自分がいる。。

本当に明日?明後日?HCG注射をすれば排卵するのかな?

排卵してほしい。今妊娠したら・・と指折り数えて、

『来年の初めには子供が産める。』自分の顔がほころんでいるのが感じられた。

本当に、そんなに卵胞が発育したと信じて良いのかと警戒心が働く。もう、排卵などするはずないと考えていたし、もう、子供も産める訳無いのだと諦めていたから。

実際は、子供が出来ると決まった訳ではないし、もしかしたらこの先どれだけかかるかわからない筈なのだ。でも、この機会に、子供が欲しい。

もう、早く、この今の、終わりの見えない病院通いの生活から抜け出したい。

どうせ、そんな上手くいくはずは無いと思いつつ、一方で祈るような気持ちがある。子供がほしい。この機会を逃したら、また気力が萎えてしまいそう。

こんな毎日の病院通いの生活が、この先何ヶ月も何年も続くとしたら気が狂ってしまいそう。

ここでもう産めると信じてしまっては、あさはかだと解っているつもりだけど・・そう、まだ産めない可能性の方が高いと思わなければいけないのかしら?

神様。私にも子供が出来るのですか?

一時は、結婚することすら実現しないと思っていたのに、こんな風に普通にお嫁に来て、子供が出来ないと悩んでいたことまでが嘘のように、ちゃんと母親になっている日が来るのだろうか?

ただ、排卵する時期が来た。と言われただけで、思考回路がパニックを起こしたようだ。妄想が止まらない。

女の子がほしいな。いえ、男の子だっていい。彼に似た子だ。

俊がその子を抱き上げて頬擦りする様子。仲の良い父子になって、二人で顔をくっつけるようにして、楽しそうに趣味とか仕事とかの話をするようになって・・

俊が、私と彼の間に産まれる子供が見てみたい。と言った事を思い出す。

二人の子なら、きっと頭が良くて優しい良い子に違いないさ。

ふざけて親馬鹿な発言をしていたことがあったっけ。やはり彼は子供が欲しいのだ。

もう、病院で妊娠しました。と言われた日の事まで考えてしまう。その時は、すっ飛んで帰って、楯端のお母さんに一番に言おう。玄関に走り込んで、御茶ノ水橋の屋台の花屋で買った花束を差し出しながら『お母さん!赤ちゃん出来たの!』と大きな声で叫ぶのだ。

     ★

翌日

朝から雨。一時より少し寒さが緩んできたとはいえ、こういう日は病院へ行くのが面倒になる。でも、学校のようにズル休みは出来ない。

八時三十分、薄い紅茶を二杯飲んで水分をお腹に溜めて病院へ行く。超音波で見るのには、水が溜まっていないと上手く映らないとので水分を摂って来るように言われていた。沢山飲みすぎたり、飲む時刻を誤ると、トイレに行きたくなってしまう。この時刻と量は、経験で見つけた私の法則だ。

昨日はもう少しと言われたのが、今日は二cm以上になっていた。それも、今までいくつもあった内のひとつだけが大きく丸くなって来ているのが見える。もう良い時期だとか。頸管粘液の方もプラス3という指標。このタイミングでこの日、HMG注射からHCG注射に切り替える指示が出た。HCG注射が排卵を促すのだ。

注射の効果は三十六時間後に出るのが標準との事だ。これで本当に排卵するんだろうか?

HCG注射を打つ。今までと同じ筋肉注射。無造作な作業はまるで同じなのに、これは今までと違う。愈愈か。とワクワクするような、どこかピーンと気の張り詰めたようなものを感じる。頭の先から背中にゾクゾクっとしたものが走る。

期待と不安。これで上手くいかなかったら如何しよう?この二十日間、毎日腕にブスブス注射を刺して、穴だらけだ。

病院の帰り道、すれ違った親子を、いつになく振りかえって見てしまう。私にも子供が出来るの?

彼に電話した。

妊娠には、排卵した時に、精子が待機している状態が望ましいと説明された。

最も妊娠しやすいタイミングは、排卵日の二日前、排卵日前日、排卵日当日といわれているとか。

こうして計画通り、計算された手段に従っているのだから妊娠して当然じゃないの?

      ★

次の日

超音波検査で卵胞の状態を見る。排卵していれば、大きくなった卵胞は見えなくなる。画像では、さらに大きくなった卵胞が確認出来る。

「昨日、HCG注射に切り換えたんですね。排卵するのはこれからです。卵胞の大きさは充分大きくなってます。」

超音波エコー検査室担当は平野医師だった。平野医師は、中でも私が密かに信頼を寄せている先生だ。

すっと背筋を伸ばして椅子に対座した、ほっそり面長な顔に几帳面に並んだ目鼻立からは、常に冷静で適格な判断力を持つ医者に違いないと思えた。

坦々と簡潔で事務的ともいえる話方、男性を感じさせない乾いた印象の奥に、包み込むような優しさが感じられて安心できた。

「卵巣が随分腫れてきてるけど、どうですか」

「はい。すごく張っている感じで気分も悪くて・・」

「明日も、超音波検査しましょう。もっと腫れてくるようだと入院した方が良いね。」

驚いた。こんなことで入院?そんな酷いことになってるの?

実際、注射日数が増えてくるに伴って、体調の悪化を感じていたが、このくらいは普通で、注射の副作用は仕方のない事だと思っていた。我慢していた辛さが認められたようで、逆に安心した気がした。

辛くて当たり前なんだ。私の辛抱が足りず、大袈裟な訳じゃない。

        ★

更に翌日、超音波検査の担当は澤田医師だった。

「あぁ、HCGに切り替えたのね。排卵してるね。」

カルテを見ながら心持ち明るい声で言う。平野医師とは違うタイプだが、この先生の日も気が安らぐ。治療に意欲的だが、親しみある対応をしてくれているように思える。本音で話してくれる。隠し事はしないという安心感がある。

「澤田先生は超音波を見るのが一番巧いのよ」

と、この前、お茶目な看護士さんがそっと耳打ちしてきたことを思い出す。

ホント!よかった!排卵した!

声には出さずに胸の内で万歳する。

「一番大きかったのがなくなってるからね。排卵したよ。まだ小さいのがいくつか残っているから、うーん、まだ腫れてくるかな。お腹の痛みはどう?大丈夫かな。HMG注射の時より、HCG注射の方が、もっと腫れてくるかもしれないからね。」

HMG、HCG注射の副作用として、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)が発症する傾向があるということだ。これは、その名のとおり卵胞が過剰に刺激されてしまう副作用で、症状として、腹痛、腰痛、吐気、体重の増加などが有り、酷くなると腹水や胸水が溜まってくるということだった。

「今日は受精卵の栄養になる注射をしておこう。明後日また来て下さい。超音波で様子をみるから。明日でも、辛くなったら来て下さいね。」

やっと連日の注射からは開放されたが、腹部は腫れたまま、お腹と腰が重く、うっとうしい感じが続いていた。HCG注射を打った日から、さらに、だるさが増して重い痛みを感じるようになった。まるで妊娠したかのように腹部が膨れてきて、動くのが辛くなってきた。

これで、受精していれば、基礎体温の高温期がずっと続くはずである。生理が来てしまえば、失敗ということだ。生理が来るとしても、その日まで二週間は結論が出るのを待たなければならないのだった。

翌朝、基礎体温は三七.五度と激増。やはり排卵した証拠なのだろう。

なんだか落ち着かない気分。重苦しいお腹を抱えながらも、じっとしていられなくて五条天神に行ってみる。おみくじを引く。私にはこんなことする習慣はないはずなのに、なす術がないと神頼みか。大吉だった。『出産軽し安心せよ。』とある。

嘘でしょ!

思わず神様に馬鹿にされた気になる。

『軽し』って?こんな酷いことになってるのに?それとも、ホント?安心して良いの?いやいや、『出産』に該当するのは、もうすでに妊娠している人だけなのね、きっと。だけど、大吉が本当なら。私のお腹の中に、ちゃんと受精した卵が有るというの?

他の事は考えられなかった。ただひたすら日数が過ぎて行くのを待っていた。やはり注射の副作用OHSSが悪化してきたのか、全身がだるくて胃が重苦しい。絶えず蜜柑を食べて。何処にも出かける意欲もなくなる。

一日中部屋の片隅で編み物をする。ただ、時間を費やすために、早く時が過ぎて行く事を念じながら。指は編み針を規則的に動かし、時を刻んで行く。ぼんやりした意識の中で、あと何日、何日基礎体温の高温期が続けば良いのかと考える。

何処に出かける予定もないのに、毎朝同じ時刻に眼を覚まし、枕元の基礎体温計を口に差し込む。咥えたまま、布団をかぶって待つ間に、またウトウト眠りに誘われる。

        *

ここは何処?

見た事のない坂道の真ん中でどっちに行ったら良いのか立ちすくんでいる。

これは私?何処に行くの?あれ?私は今、何だっけ?

ええと、結婚したのよね?誰と?俊と。

それで?何処に住んでるの?浜松に行ったのよね?そうだ、東京に帰ってきた。それで?

あぁお腹が大きくなってる。そうだ子供が出来たんだっけ?

待てよ、まだだっけ?

お腹の中身は赤ちゃん?

何処かに行かなくちゃ。家はどっち?

あ、坂の上に誰か居るの?そっち?

すると、白々とした道が突如大きく傾いてくる。坂道の角度が増してくる。大変だ。

それでもこれを登らなくちゃ。あぁお腹が痛い。

       *

はっとして眼を開ける。口には体温計が刺さったままだ。時計を見る。体温計を口から抜いて目盛りを読む。三十七度以上を確認してホッとする。

         ★

HCG注射から一週間。病院で超音波エコー検査。三日前より、さらに卵巣が腫れてきているという。お腹が張って、時々ズキズキ痛む。まだあと二週間以上経たないと何も解らない。

俊が気晴らしにと、水天宮に行こうと誘ってきた。不妊治療を始めてから、家に篭もりがちだった。久しぶりの正真正銘の休日。

水天宮は、妊娠した人がお参りに行くところでは?

とは思いつつ、俊と出かけることが嬉しくて複雑な気持ちを分析できぬまま出かけた。神頼みの続き?それにどれ程の意味があるのだろう。

寒い日だった。冷たい空気が、腫れぼったい体には心地よい気がした。水天宮の鳥居をくぐると、やはりお腹の大きな妊婦の姿が目に付いた。私はよそ者だ、と感じる。神頼みなど気休めに過ぎないのだが、ここは素直に純真な気持ちになりたくなった。

神様お願いします。あれで、巧く行っていますように。頼みます。

初詣以外で神社に手を合わせるのは、大学受験依頼か?と、くだらないつまらない考えが頭をよぎる。そう、この不安と期待の入り混じった感覚は、受験の結果を待っていた時に似てるような・・

社務所の前を通りながら、横に並んだお札やお守りをぼんやりと目で追っていった。隅のほうに、小さな達磨が眼についた。

「俊、達磨って、高崎が有名なのよね?」

「うん。それは作っている所がね。全国の神社に卸しているんじゃない?。願掛けするためには目的の神社で買うわけだから。」

「可愛いね。ご利益あるかな?」

折角、水天宮に来たのだから。何かそれらしいことをしなくちゃ。という気分になっていた。お札やお守りより、達磨は気が利いている気がした。

「そう、ちっちゃくて可愛いね。水天宮の達磨だから良い筈だよ。」

俊も私の遊び心に賛同した。手のひらで包めるほどの、一番小さな赤い達磨を買った。社務所の巫女さんから受け取った小さな達磨を、それが体内の卵子であるかのように、両手でそっと大事に包み持って帰った。手の平から全身に痺れたような感触が走って、頭を貫いた。

久しぶりに静かな気持ちになった。この期に及んで、私には何も出来ない。じっと時期が来るのを待たなければならない。

「習字の道具って、持ってきてたよね?」

机の引出しを順番に引っ張りながら、筆と墨を捜しているらしい。

「墨汁で良いわよね?下の棚に小学校の時の習字用具の箱あるでしょ?」

絵の具や色鉛筆や、そういう物は、捨てずにずっとそのままにして有る。

「どうせだから、墨を磨ろうよ。水もってくる」

俊が洗面所で硯に数的の水を入れて来た。

私は、硬くなって先が斜めに磨り減った小さな墨をつまんだ。硯の上で水を含ませ、ゆっくり動かす。力を入れて黒々と磨り上げる。

「どっち?」

私は、筆の先にたっぷり墨を含ませ、達磨を左手に乗せて、俊の方に顔を上げた。

「左目だよ。達磨の左目。」

下町育ちだからか、そういう事は詳しい人だ。

まず願掛けに、達磨の左目にだけ黒目を入れる。願いが叶ったときに残りの右に黒目を入れるのだ。私は迷うことなく、自分の右側、達磨の左の白目の中心に、慎重に筆を入れる。真ん中から丁寧に大きく黒目を広げた。とても厳粛な儀式を行っているようだった。こんな些細な事を、こんなにも真面目に行う。そう、真面目だった。真剣だった。

神様お願い、私の子供を、私と俊の子供を下さい。

俊は達磨の後ろに、『子宝懐妊祈願』ときっちりした楷書で書いた。俊は習字が巧い。もう一度祈る思いで、両手で小さな達磨をささげ持ちじっと見つめた。

次の日、赤い布の端切れを探して、達磨の為に座布団を縫った。中に薄く脱脂綿を入れて。真ん中を白い糸で留めた小さな座布団に、赤い達磨を座らせた。

その日から、小さな達磨はテレビ台の棚の上から、片目で私を励ますことになった。

もう一ヶ月も二ヶ月も経ったような気がする。たったの十日間。薬の副作用OHSSは確実に負担を増していた。

お腹が膨らんで胃腸もめちゃめちゃな感じだ。気持ちが悪くて胃がムカムカする。ゲップが出そうで出ない変な気分。お腹がすいたと思っても、食べ始めると食べられない。習慣にしていたストレッチ体操まで、もうする気がしない。

この先ずっとこんな風なのか?受精したとして、十日というと、やっと子宮に着床するころ。これから妊娠反応が確認できるまでには、まだまだ、一週間以上。

十一日目。半分、眠りから覚めかけ、おもむろに枕の外に手をやって体温計を探る。口に咥えて舌の下に挟む。じっと静かに一定時間の経過を待つ。条件反射になった一連の行動。十分間が異常に長い。

       * 

また、あの坂道だ。今度も自分の存在が曖昧だ。また、最初からたどり直す。

ええと、私は今もう、学生じゃなくて卒業して、結婚して、子供は?生まれたのだっけ?まだ?妊娠したの?

坂の上に誰かが居る。手をつないで。大きい影と小さい影。あれは誰?

待って、そっちに行くから。

坂を登る方向に歩く。足を大きく動かす。でも、ちっとも登れない。坂がずり落ちてくる。

嫌!どうして?

必死で歩こうとする。足が重い。重い足を懸命に上げようとする。膝ががくっと崩れる。

う!お腹痛い。え?駄目。体内から何か降りてくる。流産するの?

       *

息苦しさを感じて首を振ると、眼が覚めた。口の中から体温計を抜き出した。メモリを確かめる。

いけない。昨日より低くなってる。生理になっちゃうのかな。

いけない!さっき体内を降りてきたのはまさか!

下腹部に違和感を感じた。不安に居た堪れずトイレに行く。

あぁ良かった。まだ大丈夫。

トイレットペーパーでぬぐった白っぽい粘液見て、赤い血の色でないことに安堵する。

排卵から十三日、十四日。毎朝、訳の解らない夢にうなされるようになった。現実と願望が交差して、頭が混乱してくる。

十五日目の朝。いつものように、咥えた体温計の数値を祈るような思いで確認する。

どうぞ高いままでいて下さい。

三六.七度。うそ!下がってしまったの?

疑いたい気持ちで、また体温計を咥える。舌でぐっと体温計の先を押し挟んでみる。どうか上がって。

無駄な抵抗だ。昨日まで三七度以上だったのが、排卵後初めて三七度を切った。無意味な動作をしてでも、高温相のままでいて欲しいと念じる。本当に無意味だ。私の切実な願いも、事実の前では無視される。

基礎体温表のグラフの方眼メモリに憂鬱な気持ちで点を打つ。やっぱり駄目なのか。まだ諦めきれない気持ちで起き上がる。一日、ずっと下腹部の感触を意識しながら、何度も確認しにトイレに行く。大丈夫なのかと希望を取り戻しかけた夕方、ペーパーの赤く染まったのを見て、呆然とする。頭がくらくらする。

どうして?どうして駄目なの・・

そんな巧く行くはずない。と自分に言い聞かせていたつもりなのに、本心は隠しきれない。

ちゃんとマニュアル通りにやったのだから、受精するはず。そう本心は囁いていたのだ。

体の中心から湧き上がる敗北感が全身を満たしてくる。行く場のない焦燥感が涙になって流れ出る。

平然と知らん顔して鎮座している、棚の上の達磨が恨めしかった。

明日からまた、やり直しだ。

でも、この前とは違う。そう、可能性があることが解ったじゃないの。それだけでも進歩だ。HMG・HCG注射の排卵誘発治療で、排卵することは解ったのだ。子供が出来る。もう、止まることは出来ない。また排卵させて、受精するまで頑張らなければ。

             ☆

三月

治療は慎重に、体調を診ながら決定される。HMG・HCG注射療法で、卵巣が腫れてしまったから、直ぐに注射の治療を開始することが出来なかった。

三月は、飲み薬で卵胞を生育させる方法を試す。一度排卵したのだから、卵巣の状態が改善に向かっている可能性も有り、飲み薬による治療で卵胞が大きくなってくれたら体への負担が軽減できるということだった。

でもやはり、一向に卵胞は育ってはくれなかった。

四月に入って、また、HMG注射を始めることになった。婦人科の医者も看護士さん達も、もうすっかり顔見知りで、あぁまた来たね。という感じ。

この前は失敗だったのね、可哀想に。しっかりして、頑張ってね。

看護士さんの控えめの笑顔が、そう励ましてくれているように感じた。

HMG注射十日。やはり段々お腹が重苦しくなってくる。

週に二日は澤田医師が超音波担当だ。超音波により卵胞の成熟度と子宮内膜の厚みを測定し排卵のタイミングを予測する。それと同時に副作用の卵巣の腫れ具合も診る。

「いくつか出来てきてるね。これと、ここも、そうかな。」

モニターの画面の白く丸く見える部分を指して、説明するとも、独り言とも取れる言い方だ。

「この中からひとつだけ大きくなってくれればいいけど、全部が同時に大きくなる事もあるんでね。そうすると、双子とか、それ以上の多胎妊娠の可能性もありますよ。それも覚悟しないとならないけど、大丈夫?」

一度に沢山産まれては、育てきれないことも有るということみたいだ。子供が出来るか出来ないかの心配をしているのに、二人も三人も産まれるなんて想像も出来ない。勿論、何人産まれても構わないと思った。そこでふと、考えが飛躍する。

最近、テレビで五つ子や六つ子の出産を祝福するニュースを聞くことが珍しくなくなったが、ひょっとして彼女達も不妊治療で産んだのかもしない。そんな勝手な想像をする。そうなら、本当に、そんな安直にテレビでおめでとうなんて、単純に報道して良いことなのだろうか・・

「まだ、数日はかかるから、様子を見ていきましょう。今日も注射と血液検査。いいね。」

ぼんやりしていた私の顔を覗き込むようにして、安心させようと笑顔を向けてきた。「はい。」

そして卵胞が二cm近くに大きくなったところで、HCG注射に切り換えた。排卵は、基礎体温上昇と超音波検査、血液検査などで判断する。翌日まだ排卵が確認できない。一日置いてまたHCG注射。まだ駄目。

排卵が確認出来るまでHCG注射。三回HCG注射して、やっと基礎体温が高温期に上がって、排卵が確認できた。ホッとする。でも、HCG注射の量が多くなったせいか、卵巣は日増しに腫て来る感じ。体中が熱くてお腹が重たい。胸もしこりのように固くなって痛い。精神不安定で熱に魘される。

四月からパートかアルバイトでも、何処かで働こうと考えていたのも諦めた。とても仕事に行ける状況ではなくなってしまった。もう、心身伴にくたくただ。

ただただ、日数が過ぎて行くのを待つ。でも、やはり結果は出なかった。

十五日目で月経が始まった。

     ★

五月

月経の終わった次の日から、再びHMG注射を始める。

連休も今年は旅行も出来ない。新お茶の水駅の長いエスカレーターでは、予備校通いの受験生たちが威勢良く右側を追い抜いて行く。私の試験日はいつになったら来るのだろう。今度こそと思っても、また『これは模擬試験だよ。まだ合格ラインにならないよ』と言われている訳か?

休日の病院に向かう人たちは、平日とは別の種族だ。私は入院病棟の見舞い客用の入口に向かわず、建物奥の通用口から入る。のぞき窓に診察券を提示すると、当直の警備員風の小父さんが、ノートの一覧表を一行ずつ指で辿って私の名前を見つけだす。

「ハイどうぞ。婦人科ですね。」

「はい」

やけに愛想良い表情でドアの鍵を解除してくれる。慣れている態度だ。休日にも婦人科に通ってくる若い女性がいることを慣れ知っているのだろう。どんな治療で来ているかまで解っているのだろうか。

拉致もないことをおもいながら、いつもの廊下の椅子に向かった。平日の込み合いが嘘のように静寂が鎮座している。一歩ごとに足音が響いた。診察予備室と札のかかったドアの前にひとりの先客が座っていた。

あぁこの前にも見た女性。この人も私と同じ注射を打ちに来ているに違いない。

閑散とした病院の遠くの奥からタカタカと機敏な足音が近づいて来た。いつも注射をしてくれる看護士さんだった。

「佐藤さん、お待たせしました。どうぞ」

と、声を掛けられ、座っていた女性は腰を上げて看護士さんの後に続いてドアの中に入って行った。

清楚で美しい人だと思った。私と同年代かもっと若いようにも見えた。あんな素敵な人が不妊治療をしているなんて誰が想像するだろう。二度目に会っただけで、百年友達だったような親近感が沸きあがってくる。

出てきた彼女は、私と眼が合うと、軽く会釈をして出口の方へ去って行った。落ち着いてシャンとした歩き方だった。その後ろ姿は、坦々と任務を果たしている女性戦士のようだと思った。私は同士として資格があるだろうかと考えながら見送っていた。

「楯端さん」

呼ぶ声にはっとわれに返ってそそくさとドアを入った。

「今日はどっち?」

注射器を上に向けて先端から薬剤がこぼれるのを確認しながら聞いてきた。

ホルモン注射は筋肉注射で腕の上の肩に近い部分に打つ。

打った部分は固くなり、毎日打っていると、段々針で薬剤が入り難くなるようだ。

「ええと、こっちです」

昨日は右肩だったな。と記憶をたどって左のセーターの袖から腕を抜いて、肩を出した。腕の付け根ぐらい上に打つので袖を捲り上げるのでは駄目なのだ。

もう、習慣になった作業。左右の肩に毎日交互に注射する。前に刺した所を避けようと、看護士さんは、腕の打つべき場所を探っている。

針を抜いた後、直ぐに、反対の手でぐいぐい揉み解す。揉むと良いのは薬液を分散させるためなのか。交互にやっても気休めに過ぎず、筋肉注射の薬剤が入ってしみるピリピリした痛みは、針が刺さる時の痛みなどとは比較にならない。

「痛いでしょう?」

「大丈夫です」

「でも、随分固くなっているから。薬が入っていかないのよね。今度、腰に打ちましょうか?お尻を出してもらわなきゃならないけど、腕より痛くないのよ。」

患者を安心させる慣れた口調で、控えめな笑顔も好感が持てる。

「そこ、カーテンの後ろにベッドが有るから、ちょっと下着を下げてもらうだけ。」

その次の日から、注射は左右のお尻の脂肪が沢山ついていそうな部分に、交互に打つようになった。しかし、お尻でもやっぱり痛くなった。

       ☆

「親父たちに話したよ。」

新聞から眼を上げずに俊が言う。

「連休は何処か行ってたのか。たまには顔出せと言って来てさ。だから、黙っているより良いと思って。不妊治療で病院に通ってること話したんだ。勝手に言っちゃってごめんね。今度の土曜日来いって言うから、一度行こう。」

義父母は、湯島の駅の反対側、歩いても十五分足らずの近いところに、老婦人と三人で住んでいた。舅の伯母に当たる人で、夫と子供を先に亡くし身寄りがなくなったとき、舅が伯母さんを家ごと引き受けたと聞いている。

湯島の高台の一軒家。廊下続きの離れに伯母さんが寝起きしているが、九十歳に手が届く高齢になり、ほとんど寝たきりになってからは、家政婦さんが身の回りを看ている。

        ☆ 

湯島の家には、結婚前から俊が帰郷した時に行っていたし、浜松に住んでいた時も毎月のように帰っていた。月一ペースで帰郷しては、両方の実家に泊まっていた。

私は湯島の楯端の家が好きだった。結婚前から楯端家族に憧れて、その憧れを持ったことも結婚への後押しになったのかもしれない。

家族を初めて紹介された時の第一印象に、好奇心が沸いた。自分の育った家庭にはない未知の世界に思えた。

威厳を湛えた一家の中心で、如何にも「親父さん」という感じの強健な舅。

良妻賢母の手本のような、夫に素直に従っている控えめな姑。

闊達そうで明るく元気なお姉さん。

頼り無さそうだけど堅実で優しい弟の俊。絵に描いたような日本の理想の古典的な家族に見えた。

俊は言う。

ちっとも良くないよ。親父は頑固で短気で困るよ。子供の頃から、皆、親父を怒らせないように、顔色見て暮らして来たんだ。亭主関白って奴だよ。

でも、それが私には面白く感じ、理想的に思えた。実家の父は、子供が娘二人という事も有ってか、マイホームパパという感じで、子供に甘かったし、母も父と対等に言い合っていた。それが悪いと言うのではなく、そういう家庭しか知らなかった私にとって、無い物ねだりか、別の家族の雰囲気を体験したい好奇心だったかもしれない。ドラマの中で見たような家庭の場面。私もその一員に加われたら楽しそうだと思ったのだ。

それに、家の中では威張っているという舅も、何故か私が行くと歓待してくれた。

「おぉ、よく来たな。まぁ座りなさい。」

「うさぎ屋のどらやき買っておいたぞ。亜沙子さん、ここのは美味しいから、食べてみなさい。」

「お母さん、今日は皆で、鰻を食べに行くぞ。予約の電話して。」

俊へのお説教の矛先も逸れるのか、俊も満更でもない風で、

「亜沙子が行くと、親父は機嫌が良いんだよ。」

と不思議がっていた。それは、外面の良いお舅さんにとって、私はまだ家族では無く他人だから。とも解釈出来るが・・。

結婚後は、年末晦日に湯島の家に泊まって、元旦の午後は義姉一家が来て、夕飯に祝い膳を囲むのが恒例になった。

湯島の家では、私も従順な嫁の役を演じるのが楽しかった。台所で御節料理を作っている姑の横に並んで、

「何かお手伝い有りませんか」

と聞く。

「この大根、膾ですか?これ、千切りにするんですね。」

大根を桂剥きにするのを見て、

「あら、亜沙子さん上手ねぇ。」

と褒めてくれる。母の手伝いをしていた効用だ。料理は好きだった。

紅白膾の大根と人参の千切りは私の担当になった。

「ここは良いから、俊と一緒にお使いに行ってきて頂戴。御節を受取に行って、ケーキを買って来てね。子供たちがお目当てにしてるのよ。」

御節料理は、姑が煮物などを作る他に、舅が馴染みの料理屋に注文していた。それを大晦日の内に受け取りに行って、風月堂で子供達用にケーキを買いに行くのは俊と私の役割になった。それは、手伝いと称して、俊と私に対して、気兼ねなく外出させる姑の気遣いに思えて嬉しかった。

「ケーキは亜沙子さんも食べるでしょ?好きなの買っていいわよ。剛ちゃんたちは苺が好きだから喧嘩にならないように、苺の乗ったのは二つ入れておいて。」

「はい。行ってきます。」

お金を受け取って、俊を誘って不忍池を通って広小路へ。正月の準備で賑わう下町の風情に心が弾み、心地よかった。

元旦は、夕刻前には義姉須藤一家がやって来る。

舅は家長の威厳を持って、義兄を上座に座らせて、客として歓待する。孫たちには目尻を下げて、好々爺となる。漆塗りの大きなお膳の真ん中に、綺麗な料理屋の御節のお重が広げられ、その横に、姑の煮物や膾の入ったお重も並ぶ。

お膳のこちら側に舅姑、俊と私。向こう側に、玲子さん夫婦と剛ちゃん由紀ちゃん。皆、着物を着て、きちんと並んで、お屠蘇の杯を順番に取って、姑が真新しい水引に飾られた屠蘇器を傾け慎重に恭しく注ぐ。

「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」

と声を合わせる。舅が年頭の戒めのようなお決まりの訓示を始める。皆、また始まったかと諦めて、俯き加減にお膳の上に目を落として神妙に聞いている。私はというと、きちんと正座した背筋を伸ばして、真直ぐ舅の目を見ている。話の内容をちゃんと聞いていたかどうか?ただ、その雰囲気に酔っていた気もする。

なんとも、正月のあり方のお手本のように思えて、その場の一員として自分が存在していることが嬉しかった。

それが終わると、舅と義兄は社会情勢や、親戚の近況報告などの交換に話が移って行く。姑と玲子さんは

「お母さん今年の黒豆はふっくら煮えてるわね。」

「きんとん、ちょっと甘すぎたかしら」

などと、二人で女同士の別の会話がはずむ。剛ちゃんと由紀ちゃんが、じっと座っているのに飽きて追いかけっこを始める。

「こらこら、走り回っちゃ駄目だよ。」

舅が優しい口調で嗜めると、剛ちゃんが決まり悪さを誤魔化すように俊に跳びつく。

「ようし、懲らしめちゃうぞ!」

とか言って甥っ子を掴み上げてじゃれあっている。

微笑ましく楽しそうと思う。台本通りに家族の有るべき姿が展開されている。

でも本当は、足りないものがある。そこに在るべき者がひとつ不足しているのを感じていた。長男である俊の子供。楯端家の跡継ぎとなるべき男児がいるべきだと、ずっと気付いていたのだ。

       ☆

土曜日、湯島の楯端家に行った。面と向かうと、今までと少しも変わりなく、不妊治療の話も出なかった。俊はどのように説明したのか?敢えて自分から大変そうに言うのも憚られ、その場はにこやかにしている他ない。そんな自分がもどかしく、少なからず舅姑からの労わりの言葉を期待していたことに気付いて情けなくなる。

実家にも、五月第二週目の日曜日電話した。母の日なのに花も贈っていないのが申し訳なく思った。実家は同じ東京都内でも、東部の上野とは反対の東京西側、東急線沿線の中延。一時間以上かかる場所なので、つい行きそびれていたのだった。

「母さん?元気?母の日なのに何もしなくてごめんね。」

「あら、それはいいけど、どうしてるのかと思ってたのよ。東京に帰って来たのにちっとも連絡よこさないんだから。」

そっちから電話してくれればいいじゃない。と思う言葉を飲み込む。

「ごめん。行こうと思っていたんだけど・・あの、病院の婦人科に通ってるの。」

電話口で、母が居住まいを正す気配がする。

「あらそうなの?いつから?早く言ってくれればいいのに。どうなの?」

姉から、不妊症のことは実家に説明してもらっている。母は、私たちが浜松に居るときから早く治療を始めて子供を作れないのかと、ヤキモキしていたのだ。

「うん。姉さんに紹介状貰ってたし、前に検査してるから、直ぐに始められたけど、だけどほとんど毎日通院しなくちゃならないから。」

まだ、詳しく話をしようかどうか迷っていた。母の声を聞くと、急に気弱さが滲み出し、我慢していた気持ちを吐き出して、辛さを訴えたいような衝動も湧いてくる。

「そうなの。毎日通院じゃ大変ね。大丈夫?」

「まだ解らないけど、排卵するようになったから出来るかもしれない」

「まぁほんとう?良かったじゃない。父さんも心配してるのよ」

父には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。もう、跡取や家系を云々する時代ではないと言いながらも、このような体で下町の長男の嫁になることを心配していたのは読み取れていた。

「内緒にしていても解ることだから・・」

暫く沈黙した母が、恐る恐る話し出す。

「姉さんね、三人目が出来たのよ」

今度は私が沈黙した。

「この前、電話してきて、九月末が予定日ですって。亜沙子のこと、気にしてたわよ」

もう、先は聞いていなかった。どうして、どうして私には出来ないのに、姉さんには子供が出来るの。

姉が長女を産んだのは、私が結婚を間近に控えた頃で、年子で姉妹を儲けたから、今度の子供は五歳も離れることになる。やはり男の子も諦め切れなかったのだろうと思った。良くある話だ。普通の人は、そうやって欲しいと思えば作れるのだ。

初めの治療で出来ていたら、姉と同じ頃に出産できたかもしれないのかな?と頭の中にカレンダーを思い浮かべる。皮肉なものだ。

神様は何故意地悪するの?私のお腹に回してくれれば良いのに。

「そうか。おめでとうって伝えて。そうよね、姉さんに今年産まれたら、これから私にも出来れば、同学年かひとつ違いで、遊び相手になるものね。そうなろうってことよね。」

発想を明るい方に転換すると、気持ちが楽になった。励ましてくれているという意味に解釈しよう。今度、自分から姉さんに連絡しなくちゃと思う。

「あっちで産むの?」

上の姉妹は、北海道から東京に帰って来て、実家の近くの産院で産んでいる。

「やっぱりこっちに帰って来るって言ってるわ。前と同じ産院にするみたいよ。来るのは九月に入ってからかしらね。」

一度良い方向に考えを進めると、次々楽しい想像が展開してくる。私が一人しか産めなくても、姉さんの子供と同年代なら、兄弟みたいに仲良く出来るに違いない。

そう言えば、と子供のころ姉の言った言葉を思い出す。

「二人だけの姉妹でつまらない。従兄弟も歳が離れていて一緒に遊べないし。兄弟とか従兄弟とかいっぱいいる人はいいな。」と。

母は一人っ子。父も三人の姉は歳か離れていて、従兄弟たちは皆、私たちより一周り近く年上だったので、遊び仲間にはなれなかったのだ。

私はその時、どう答えたのだったか。多分賛同出来ない気持ちで黙っていただろう。私は姉だけで不満に思ったことはなく、姉がいれば充分だった。それより姉を独り占めして、他の人に取られたくない気持ちの方が強かったのではないか。姉が私の友達に優しくしたりすると焼餅をやいていたような気がする。

きっと、姉は、私のような姉の後を追いかけて真似してばかりの妹を、うざったいばかりで面白くない子だと感じていたのだろう。

姉も、自分の子供に同年代の従兄弟が出来たら喜んでくれるだろうか。両方男の子かな?姉さんの子のお下がりを貰えたりして。

落ち込みそうだった気分をいくらかくい止められたようだ。もう言い出すきっかけを逃して、母に、こっちの副作用の辛さなど訴えることは出来なくなってしまったのだった。

       ☆

HMG注射を続けて前回同様に、卵胞が成長してきている。でも今回は複数の卵胞が同時に大きくなってしまって、日増しに卵巣に負担かかってきている。

十六日目、三つもの卵胞が二cm近くに大きくなっているとのこと。HCG注射に切り替える時が来たとホッとする。しかし超音波のモニターをしげしげと眺めながら、澤田医師は渋い顔をしている。

「今度は、いくつも大きくなってしまってるから、HCG注射をして大丈夫かな?今回は見送った方が安全かな」

「え?大丈夫です。」

多胎妊娠を心配しての発言だと思ったが、それだけの事ではなかった。

「でも、HCG注射を打つと、卵巣がもっと急激に腫れてくるかもしれないからね」

「そんな。大丈夫です。まだ腫れても大丈夫です」

必死で訴える。ここまでやって、途中で止めてしまうなど苦労が水の泡で、とても承服できなかった。

姉の妊娠を聞いて、益々居ても立っても居られぬ思いで、早く子供を授かりたいと焦る感情が湧き上がる。

「そうね。どうするかな」

澤田医師は、まだ私の腹の上の器具を微妙に動かしながら、モニターを見ている。

つと、決心したように見るのを止めてこちらに向き直る。

「二診は平野先生だから、あっちで決めて貰うしかないね。僕としてはHCGに切り替えてあげたいけどね。」

中途半端な笑顔を作って、看護士さんにカルテを二診の方へ回すようにと渡した。

超音波検査室では、状態を見てカルテに記録するだけで、治療方針は二診担当医が決定するシステムだ。検査室を出て、二診で呼ばれる。

二診の診察室で向き合った平野医師も、難しい顔でカルテを見ている。前の方のページに戻って見たりしている。私がどうしても排卵させる過程まで続けたいと切望しているのは解っているのだ。カルテから顔を上げて真直ぐ私の眼を捕らえた。

「それじゃあ、卵巣腫れる覚悟でHCG注射やってみましょう。」

きっぱり決断した言い方だ。

「あ、はい。お願いします」

HCG注射に切り替えても、また巧く排卵するかどうか、更に受精するかは別問題なのに、もう、全てが解決したような安堵感に包まれた。それだけ絶えず医者の判断に緊張していたのかもしれない。

その日、HCG注射を打つ。翌日も超音波エコー検査。卵胞の大きさは充分なので、これから排卵するだろうとの事で、もう一度HCG注射を打った。二回目のHCG注射の翌日、基礎体温が上がり、病院の検査でも排卵したと判断した。卵巣の腫れは、どうにか危険域にならずに留まっていたようだが、パンパンに張った感じがして、時として、のた打ち回るほど痛くなった。でも、治療を中断されるのが怖くて、医者には辛さを控えめに伝えようとしていた。

一週間後、超音波検査の後、診察は平野医師だった。

「これではかなり辛くないですか。家で大丈夫?入院しますか?」

医者に卵巣の腫れを隠して於けるわけがない。腹水も溜まりかけている。

「入院しないと駄目ですか?」

そうなれば、楯端の家にも実家にも隠して於けないから、詳しく話をしなければならない。その時、皆からそれぞれに何と言われるのか、非難か心配か質問か、どの様な内容でも、今は冷静にそれに答える自信がなく苦痛に思えた。

「楯端さんが家で安静にしていられればいいですけど、そのへんは大丈夫ですか?入院した方が休めるでしょ。家だといろいろ動かざるを得ないという人も居ますから。ご家族は旦那さんだけですか?」

「はい。でも、大丈夫です。家事とかは手伝って貰えますから」

「そうですか。では様子見ることにして、無理しないで何かあったら病院に来るようにして下さい。」

もう、全ての時間、体も心も全身、自分の範疇に有ることは全部妊娠するという目標だけに費やされていた。他の事は入り込む余地はなかった。

しかし、その分量に比例して結果が出るわけではなかった。

無残にも十六日目に生理になった。

まだ腫れあがった腹部から出てきた、赤黒いドロっとした血の塊を見て、二週間子宮に育てたエイリアンを産み落としたような気がした。二週間の腫れあがった腹部の痛み、全身の倦怠感と吐気は、まさしく妊娠していたかのようで、それが私の子供だと信じていたのが、醜い異物が出てきたかに思えた。

     ★

六月に入っていた。

直ぐにでも次の挑戦をしたいと焦る私に、医師はキッパリ休むように言う。卵巣の腫れがすっかりなくなるまで、一ヶ月は排卵を見送って、月経だけを起こす療法にする。

「その間に、念のため、ヒステロをやりましょう。旦那さんの精液検査もしてないですね?」

ヒステロとは、子宮卵管造影検査のことで、子宮に入れたカテーテルと呼ばれる管から造影剤を子宮、卵管に注入して行う放射線検査である。

既に腹鏡検査で子宮などに異常がないことを検査済みだが、ヒステロ子宮卵管造影検査で再度確認と卵管の疎通性や卵管周囲の状態を調べるらしい。

月経が終わった四日後に検査の日程が組まれた。

いつもの内診検査のように脚を開いてベッドに横になる。子宮にカテーテルが挿入される違和感。カテーテルに造影剤の液体が注入されると、鈍痛を伴なって、体内を流動物が進入してくるのを感じた。その様子を患者も画面で見ているように促される。白く写る造影剤が子宮から卵管にモヤモヤ煙のように流れて行くのが見え、それと同時に、自分の中に液体が流れる違和感が体をくねらせる。

あぁ流れている。

神経が体内生殖臓器に集中して、造影剤が卵管を進んで行く光景さえ想像でき、それが堪らなくゆっくりに感じる。

まだ?まだ終わらないの?

痛さとは違う不快感は、生殖器だけでなく体内全部を造影剤が駆け巡っているようだ。海で鼻や口から水が浸入した時と似た不快感に襲われる。下から逆に、体内の空間を液体が埋め尽くして、その中に溶け出してしまいそうだ。造影剤の液体に中から溺れしまうような気がした。

「卵管はちゃんと通っていますよ」

声をかけられても、答える気力がない。

『早く止めて!』と全身が叫んでいた。

十五分足らずのはずの時間が一時間にも感じられた。

後で聞くと、卵管造影検査は、卵管の通りを良くするという治療の意味も有ると言うことだから、妊娠に至る為の、可能な限りの全ての検査と治療を次々取りこぼしなく熟していくということなのか。

次の日には、俊の精液検査も行った。勿論、俊の方には何の問題も無かった。

なぜ受精しないのだろう。物理的にも化学的にも、受精するのが当たり前に思えた。酸素と水素を混ぜ合わせて水が出来るように、卵子と精子が確実に出会っているのだから、受精卵が出来て当然に思えた。なのに、どうして失敗するのだろう。

そうか、反応条件が必要なのか。何か触媒が必要なのか。でも、それは何?何が足りないの?どう努力すれば良いのか。何を頑張れと言うのか?やりきれなさに窒息しそうだった。

検査結果の説明の日には、俊と二人で来るように呼ばれた。

他に何も原因が無いことを一通り説明を終えた平野医師は、違う提案をしてきた。

「AIH、人工授精をやってみませんか。」

私と俊は顔を見合わせた。

え?だって、卵管にも精子にも、他に異常が無いのだから、普通の性交で妊娠できるのでしょう?人工授精?

人工などという言葉は、禍々しく如何わしく感じた。

「原因不明の不妊の場合にも、タイミング療法で三ヶ月以上やっても巧く妊娠できないときには、人工授精法AIHを勧めているんです。楯端さんは、HMG・HCG注射のタイミング療法で三回やりましたけど、毎回卵巣が腫れて大変ですからね。治療が長くならないうち早く次のステップを試してはと思うんです。」

通常の性交では、膣内に射出された精子が子宮から分泌される頚管粘液の中を泳いで子宮の中に入り、子宮から卵管に入って卵子と出会い受精する。受精するには精子が子宮内から卵管に充分量到達することが必要なのだ。

人工授精法AIHでは、採取した精液を濃縮し、更に良好な精子を回収するような処理をして子宮内に直接注入する。従って、自然に性交するより、受精の確率が高まると期待できるという風に説明された。

そうか、物理的に問題なくても、普通の人だって百パーセント妊娠する訳では無いのだから、理論的に適切でも、それに加えて、確率の問題なのか。

でも、人工授精という言葉からは後ろめたさを拭い去れなかった。精子の数や運動率の問題、或いは頚管粘液に異常が有って、人工授精をしなくては受精する可能性が極度に低いと言うのではなく、自然の性交で受精するはずなのに、他人の手を借りることに罪悪感を感じてしまう。

私と俊と病院関係者の秘密にしたいと思った。身近な人に知れたら、口には出す筈はなくても、

「そんなことしたの!」

と、胡散臭く思われ、非難している視線を感じそうで怖かった。

      ★ 

七月。HMG・HCG療法を再開する。

ただひたすら毎日、起きて、基礎体温を測って、同じ時刻に同じ量の水を飲み、電車に乗って、病院行って、注射打って・・・

ノルマを果たすという感じ。それだけで精一杯だ。

三枚目のセーターは身頃が出来て、右袖も出来て、左袖の編みかけを手提げカバンで持ち歩いていた。

卵胞が一.五cmに成長してきたところで、人工受精AIHの日程の相談が始まった。卵胞の生育状況で、何日にHCG注射に切り換え、何日に人工授精AIHを行うのか考察する。HMG注射は十七日目になっていた。

「ここに、二つ見えますね。一.五cmぐらいになっているから、このどっちかがもう少し大きくなってくれればHCGに切り換えましょう。あぁ逆の方にもいくつか小さいのが出来てきてるから、やっぱり明日か明後日にはHCGに切り換えたいね。今日はもう一度HMG注射して下さい。」

沢山の卵胞が全部大きくなってしまっては、卵巣が腫れて体の負担が増加してしまうので、ひとつだけ大きくなるのが望ましい。なかなか思うように成長してくれない。

「AIHは土曜日か日曜日になりますけど、大丈夫ですか。週末ならご主人もお仕事お休みですね?」

「はい。ちょうど都合良かったです。」

人工授精法AIHでは、精子は採取してから二時間ぐらいは使用可能との事だったが、俊も当日に病院に来て採取する予定にしていた。

次の日金曜日、一.五cmだったうちのひとつが、なんとか二cm近くになったので、HCG注射に切り換え、人工授精は土曜日に行うことに決まった。


朝いつも通り私は一人で先に病院に行き、診察が終わる頃を見計らって、俊は九時半に後から病院に来た。

俊は名前の書かれた、ラベルが張ってある小さな試験管のような容器を渡され、外来のトイレに入っていった。隠れて悪事をしているようで、待っている間、居心地悪い。

なんだか変だ。子供を作るってこういうことで良いのだろうか。

俊がトイレで精液を容器に採取している様子を想像すると情けない気持ちになった。他の患者に気付かれるのを恐れるように、看護士さんにこっそり渡す。受け取った方は全く意に介する風もなく、ラベルの名前を確認すると、診察室のドアを入って行った。

「じゃあ先に帰っているからね。」

俊はそそくさと帰って行く。男が婦人科の外来の廊下の辺りに居るのは人目を引くようで嫌なのだろう。

一時間近く待たされて、小さな個室に入るように言われた。人工授精AIH専用の部屋のようだ。診察台は椅子と言うより介護用ベッドのようで、ゆったりして寝心地良かった。

脚を開いて横になり、腰の上にカーテンが下がっているのはいつもの内診と同じ。『まな板の上の魚のよう、と言うのはこういう事だろうか。』妙に頭は覚めて他人事のように自分を観察していた。

ただ、担当医が平野医師なのが救いだった。平野先生だったら安心できる気がした。

人工授精では、精液を細いチューブに入れて、子宮の内に注入する。感覚は内診と同じで痛みはなかった。ただ、いつもより奥の方まで、何か物体が差し込まれていくのを感じる。

「はい。入れましたからね。足を閉じていいですよ」

精液が注入され、液体が入ってきたのが実感できる気がした。深く奥の中の方に精液が進んで行くように思えた。機械的な人工授精に違和感を感じていたが、その時の、精液の染み渡る感覚は、何故か神秘的とさえ思えた。

卵管を俊の精液が登って行く。

なにか神聖な儀式を受けているマリアのようだと思った。

医者が姿を消した後、看護士さんが私の体を分割していたカーテンを開けて、下半身に毛布を掛けてくれた。介護用ベッドのような台は、普通とは逆に下半分が上げられて、腰が高い状態になった。

「どう?初めてなのね。痛くなかったでしょう。」

いつも顔見知りの看護士さんが声をかけてくれる。

「このまま三十分待っていてもらいますね。精子がちゃんと入っていくように安静にしていて下さいね。退屈かもしれないけど我慢してね。寒くないですか?」

毛布を胸の上の方まで引き上げてくれながら、やさしい笑顔を向けてくる。

秘密を打ち明けている親近感からか、ホッと安らいだ気持ちになった。全身がグッタリして眠気が襲ってくる。

「大丈夫です。なんだか眠くなって。時間つぶしに本も持って来たのだけど。」

横の籠の中に入れたカバンの上の単行本に目をやると、看護士さんが取ってくれた。

「あぁこれね。はい。ここに置くわね。でも、眠れたらそうした方が良いかもしれないわ。ゆっくりリラックスしてね。また様子見にきますから。」

ゆったりとした声は、催眠術のように私の体から力を抜いた。うとうと気持ちよい眠りに落ちていった。

眠っていたのか、うとうとしていただけか、不思議と夢を見るでもなく、頭はぼおっとしたまま瞑想しているようなまま、時間は思いのほか早く過ぎた。

「お疲れ様。眠れましたか?」

看護士さんの声で、はっと我に帰る。

「あ、もう三十分経ちました?」

「はい。降りて良いですよ。処方箋出てますから薬局で貰って帰って下さいね。」

書類を受け取り、帰り支度をする。立ち上がってみると体がだるくて重い。頭が痛い。フラフラしながら会計窓口に歩いて行く。

すでに受付時間を過ぎた、土曜の外来診察の廊下は、僅かの患者が残るだけで、ひっそりとしていた。私の頭の中も、ひっそりと空白で何が良いのか悪いのか考えが浮かんでこなかった。ただ、今までとは違う、医学の魔術の領域に踏み込んだような気がした。

       ☆

八月に入った。HCG注射をしてから十二日。また過剰に失望するのは辛いから、失敗するに違いないと思おうとする。諦める方向に必死で考えようとする。

矛盾している。

妊娠を渇望して止まないに決まっている。今回こそはと、人工授精にまで踏み切ったのだから、

『巧くいくに違いない、きっと成功するだろう。』そう考えるのが当然ではないか。

だが、『そんな楽観しては絶対いけない!』と叫ぶ。何故自虐的になるのだろう。

神様は意地悪だから、私が一生懸命お願いする事は、

『そんな巧く問屋は卸さない!』とばかりに叶えてくれない。だから神様に油断させなくちゃならない。

『もう諦めてるんだから。どうせ駄目に決まってるんでしょ。また失敗なのよね。』

そう思っている振りをしたら、神様は、

『あれ?それなら裏を画いて実現させてみようか。』と考えるのではないか。

決められている筈の運命と、駆け引きしてる自分を哀れに想う。

思い返せば、子供の時からそういう癖があった。挫折を知らない姉に比べて、自分はいつもここぞと言う時に失敗する。一生懸命祈っても願いが叶わない。楽しみにしている日は雨になる。欲しい物は手に入らない。それを繰り返すうち

『そうか、逆に願えばその願いが裏切られ、結果として本当に望んでる事が起こるのかな。』と考えたりした。

てるてる坊主を逆さに吊るした。欲しいものをねだるのは止めた。その結果はどうだったのだろうか?

大学受験の時もそうだった。滑り止めには辛うじて受かったものの、第一希望は無理として、第二希望の大学には入りたい。入れそうな水準なのだが確信も持てず、結果発表までの数日間、思考回路が迷走していた。

『ここは、あまり合格を願ってはいけない。合格しない方が第一希望に頑張る気になるから、その方が良いと思おう。その方が神様は合格させちゃうかもしれない。』

つまりはあらゆる手段に訴えても合格したくて堪らなかったのだ。だから、その大学に合格した時の嬉しさは今でも忘れられない。生まれて初めて自分で勝ち取った宝物だと思った。


「来週、会社お盆休みの間、一度湯島の家にも顔出しとこうよ」

病院通いは三日毎でよい。来週というと、また生理になってしまっているころか。今まで大体HCG注射をしてから十四、五日で生理になっていた。

十日目の昨日、澤田医師の超音波検査を受けた。卵巣は八cmと七cmに腫れていると言われた。一番大きな卵胞は排卵した訳だが、他の中途半端に育った複数の卵胞がそのまま小さくならずに居るのだ。

基礎体温は高温期を保っている。今日か明日かとビクビクしながら他の事は、皆上の空だ。

十二日、十三日、基礎体温はまだ高温相から下がらない。今まで、基礎体温が下り始めた次の日に出血が来ている。ということは、明日も大丈夫だろうか。

十四日目、湯島の楯端の家に行く当日も、まだ基礎体温は高温期に踏みとどまっている。明日はどうなるだろう?不安定な精神状態のまま楯端の家に行った。

「どうなの?病院は続けているの?」

「うん。まだ解らないよ。」

言葉少なに、専ら俊が答える。私は黙ったまま、辛うじて笑顔を保とうとしていた。

「先週から、伯母さんの具合が悪くてねぇ」

離れの伯母さんが、夏の暑さが堪えてきたのか、食欲がなくなって弱っているという。

「伯母さんは起きれなくなって、夜も呼ばれたりするから、お母さんも疲れてきてるんだ」

舅も介護の大変さを訴えてくる。

「山田さんがずっと居てくれるわけじゃないから、交替で看てるんだよ」

山田さんというのは、通いで伯母さんの身の回りを見ている人だ。

「大変だね。手伝えるといいんだけど、亜沙子も治療中は体調が悪くて。」

俊が言い訳してくれる。でも、舅姑には、嫁の私より伯母さんの方が心配なのか?と皮肉れた考えが過ぎってしまう。

「手伝ってくれとは言ってないだろ。俊たちに伯母さんのことで迷惑はかけないよ。」

不穏な雰囲気が忍び寄りそうでハラハラしてくる。私のせいだ。と思う。私が普通に元気なら良いのに。

その後は、姑が気を使ってか、

『親戚の誰某の嫁さんも三年間不妊治療をして子供が出来たのよ。』とか、

『角の何々さんの娘さんは七年してから子供が出来たわよ。』とか、そういう話題を披露する。姑にしてみれば、私たちを励ましているつもりなのだろう。でも、私には逆に針で心臓をグサグサ突き刺されている気分だった。

他の人が何なのだ?私には皆羨ましい。三年でも七年でも普通に自然に出来るのならどんなに良いだろう。

不妊治療と言っても雲泥の差がある。どんな治療をしているか解らないのに他の人と比較などして欲しくなかった。頑張れ頑張れと攻められている気がした。私の辛さは解ってもらえないと思った。

惨めな気持ちで、重苦しいお腹を抱えて帰る。俊に支えられるようにして、もう、スタイルを気にする余裕もなく、お腹を庇うように、背中を丸めてとぼとぼ歩いた。

背中に回した手を引き寄せるようにして俊が覗き込む。

「昨日、中学の時の鈴木に会ったんだ。あいつん家、手芸店やってるだろ?見本に飾る製品を編むニッターを探してるんだって。」

突然、楯端の家での出来事が無かったかのように話し出す。

「亜沙子のこと話したら、ヴォーグの講師の資格が有るなら、是非やって欲しいって。今度、編んだ物見せてくれって。良い話だろう?」

「わぁ、ホントぉ。それなら家で出来るものね。」

俊の心遣いが嬉しかった。仕事に出るわけにもいかず、毎日家で、気を紛らすために目的の無い編み物ばかりしている私を気にしていてくれたのだ。浜松で取った資格が役にたった。

     ☆

十五日目、十六日目、高温期が続く。本当だろうか?何かの間違いだろうか。

十七日目、いつも通り、朝、布団の中で基礎体温を計り、決めた時刻に紅茶を二杯飲んで電車に乗る。病院の超音波検査室の担当は澤田医師だった。

卵巣は両方ともまだ五,六cmに腫れたままとのこと。基礎体温表を開いて驚いたような声を上げる。

「やぁ、高温期が続いてるじゃないですか。」

そう?やっぱり十七日続いたら希望を持っていいのかしら?

「まだ解らないけどね。木曜日まで下がらなかったら尿検査してみましょう。」

思わず顔中に嬉しさが溢れてくるのを感じた。

『いけない。まだ喜んではいけない。』と冷静な部分が、必死で楽観的考えを引っ張り止める。

木曜はHCG注射をして排卵したと予想できる日から二十日目に当たった。

朝一番に採取した尿を持って行く。でも、まだ反応は明らかではないという。結論が先延ばし。妊娠したのではないか。だって、今までこんなに基礎体温が上がったまま、高温期が続いたことはなかったのだから。

「楯端さんは、注射したHCGの量が多いから、まだ薬液が残っていて陽性反応が出ている可能性も有るんです。来週また検査して、陽性反応が濃くなっていれば妊娠の成立が確定できるから。焦っても仕方ないから、慎重に判断しましょう。」

平野医師に、嗜めるように言われる。妊娠反応の検査薬は、妊娠成立によって分泌されるHCGに反応する事で妊娠の有無を示すので、HCG注射によって補充されたHCGが残存している可能性のある期間は、陽性反応が出ても、妊娠と断定できないというのだ。しかし、残存HCGの影響で陽性反応を示している場合なら、徐々に反応が薄くなるはず。だから、何回か検査をして、段々濃くなってくれば妊娠したと言えるというのだ。

不安と期待が交互に押し寄せる。新御茶の水の駅前の本屋で家庭書の棚の前で妊娠の文字を捜したりする。自分の知りたい事が一般的な妊婦の読む雑誌に書いて有るはずもない。

どうなの?違うの?

まだ誰かに告げる訳にもいかず、一人で湧き立つ思いを抑えていた。

卵巣は腫れたままだ。朝起きたときが一番辛く、気持ち悪くて動くとお腹が痛い。今にも生理になるのではないかと不安でならない。ぐずぐず横になって悶々として時間をやり過ごす。昼近くにやっと起き出した。

俊が見つけてきたニッターの仕事がせめてもの慰めだった。編み物をしている時間は少しは余計な事を考えずにいられた。


一週間後、再び妊娠反応の尿検査を受けるために病院へ向かった。残っていた卵胞の腫れが納まってきたのか、慣れてきたのか、一時より動けるようになっていた。でも、それはそれで心配になる。腫れが納まるのと同時に、子宮の中に居るはずの卵が消えてしまうような気がする。苦しいのを我慢している方が、その褒美に赤ちゃんが貰えるのではないかと思った。

その日の妊娠反応も、前回より際立ってはっきりせず、四日後、また来るように言われた。

もう、諦めなくては。もう駄目だ。

棚の上の達磨が片目でこっちを見ている。その表情は読み取れない。

お願い、助けて。

誰かに縋り付きたい思いも、口にするのが怖くて誰にも言えなかった。


四日後、覚悟を決めたつもりで病院に行った。先に超音波エコーを見ましょうと言われて、検査室に入った。

担当は澤田医師だった。久しぶりだったので、先生はまだ、HMG注射の最中だと思ったらしい。カルテを見て、

「お、高温期が続いているんだね。」

と俄かに顔がにっこりして、期待に満ちた表情に見えた。先生も今度こそと思ってくれているように感じて、前向きな気持ちになってきた。

診察を終えて、検査用の尿を看護士さんに渡して、検査室の入口の椅子に座って待つ。看護士さんはカーテンの奥に入って行く。駄目なら駄目と言って欲しいと思った。

カーテンの陰で、彼女の「わぁっ出た出た!」とはしゃぐ声。カーテンが勢いよく開かれた。人工授精AIHの日に、世話をしてくれた看護士さんだ。

「ほら出た!出たわよ!はっきり出たわよ!」

私が呆然としている目の前に、反応検査板を持ってくる。

「よかったわねぇ。おめでとう。妊娠反応が出たのよ」

私の両手を取って、上下に揺さぶる。心から喜んでくれている。

ほんとぉ?本当なの?妊娠したの?

看護士さんの顔をまじまじと見つめたまま声が出ない。体の奥からどっと痺れたような感覚が広がって、涙が溢れてきた。

看護士さんは、周りの患者を気にしながらも、感動した様子で私の肩を抱くようにして何度も何度も、良かった良かったねぇ、と繰り返す。

「ありがとう」

やっとのことで搾り出した声が上ずっている気がする。

超音波エコーで澤田医師が見てくれた事を言うと、

「結果を見せてくるわね」

検査板を持って、走って行った。

気がつくと、他の看護士さんも次々こっそり近づいて来ては声をかけてくる。

「おめでとう。良かったわねぇ」

反対からも看護士さんが二人連れ立って走り寄ってくると、

「おめでとう」と肩をポンと叩いて通り過ぎる。手を取って握手してくる。

毎日、何ヶ月も治療に通っている私の事、皆解っていてくれたのだ。ただの患者の一人でしかない私の為に、こんなに祝福してくれるなんて。生まれてこのかた、他人が私の為にこんなに喜んでくれたことがあっただろうか。

嬉しかった。看護士さんや先生も皆が応援してくれていたのだと思うと更に涙が止まらなかった。

「今度からは産科ですからね。帰りに受付で診察券を作り直して下さい。」

「あ、そうなんですか。婦人科と産科は別なんですか」

説明を聞きながら、妙な気持だ。医者は産婦人科。診察室、超音波の検査室も同じなのに、はっきり区別されてる。

婦人科から産科。そうだ私は妊婦になれたんだ。あの、超音波検査室の前の廊下も、私は左から右にポンと飛び移れたのだ。今度から私は右側の椅子に座れる。

「よかったですね。普通の生活をしていて下さい。次は九月に入ったら、教授に一度見てもらいますから、予約して行って下さい」

平野医師も冷静な言い方だが、いつになく笑顔だ。妊娠後の方針を決定するのは、教授の判断を仰いでということらしい。

後は何を言われたのか、何処で何をしたのだったか、産科の文字が刻まれた診察カードを見つめて、夢へのパスポートを手にしたと感じて握り締めた。

早く俊に伝えたい。お義母さんにももう言える。実家の皆はなんて言うだろう。

気持ちばかりが急き立てられるが、足がふらつく。

一歩ずつ一生懸命しっかり歩かなければ。こういうときは晴々と上を見なくちゃ。嬉し涙なんて流したことがあっただろうか。

今までで一番嬉しかったことは?大学に受かった時?今の感動は、そんなこととは比べられようもない。

今日、今、私にこんな嬉しい瞬間が訪れるなんて。これは本当のことよね。嘘でした、なんて言われないわよね。

まだ信じられないようで、早く誰かに言わないと、妊娠したことが消えてしまいそう。

JRお茶の水の駅前の電話ボックスに入って、テレフォンカードを入れる。会社に電話することにも躊躇っていられなかった。俊に伝えたい。丁度お昼休みだった。電話は食堂に通じて、俊を呼んでもらえた。

「今ね、病院でね、そうだって。妊娠しましたって。」

眼の奥が痺れて、目の前の景色が歪む。胸からこみ上げてくるものに喉が詰り、声にならない声で、そのくせ、もう次から次へと病院での嬉しさを伝えたくて、話出したら止まらない。電話の向こうの俊の顔の想像が付かないまま、見極めようとでもするように、いつまでも長い間受話器を握り締めて、話し続けていた。俊は答える余裕もないように「うん。うん」とだけ宥めるように言う。

「お母さんに言ってもいいわよね?」

涙交じりの声を明るく聞こえるように絞り出す。

「そうだね。亜沙子から知らせて。早く帰るから。」

嬉しさを隠し切れない私の気持ちを充分感じ取ったようで、帰ってから、ゆっくり話せよ。と呆れている様子が笑いを含んだ声から感じられる。

電話を切ってボックスを出ると、お茶の水橋を振り返った。交差点の信号脇の屋台の花屋。今日もまだ出ていた。

水色の沢山のバケツに、それぞれ零れ落ちそうに切花が溢れている。その中で、色とりどりのスプレーカーネーションが揺れているのが眼を引いた。

そう、カーネーションにしよう。私のお腹の中の子供からの贈り物。いつかこの子が私の為にカーネーションをプレゼントしてくれる日がくるのかしら。

止めどとなく発想が未来に飛んで行く。ずっとこの日を待っていた。姑に花を買って、報告しに行く日がくるのを待ち望んでいたのだ。

赤にピンク、白い花びらの根元の方がグラデーションに赤く染まったもの、あれも、これもと選んで、両手いっぱいになった小花のカーネーションの束を花屋の小父さんに作ってもらった。

帰るまでの時間ももどかしく、ふらつく足をかばいながら急いだ。

湯島の駅を降りて、直ぐに楯端の家に向かう。昼過ぎなら姑は家に居るだろう。門を潜って、飛び石を数個踏み繋ぐと、引き戸の玄関に当たる。

「こんにちは」

横の柱に着いたブザーを押しながら、気が急く思いで声もかけてみる。

玄関脇の、庭に入る木戸から縁側の方を覗いて見るが、人の気配は無い。

「おかあさん、こんにちは。亜沙子ですぅ。」

もう一度声をかけたと同時に、奥から廊下を小走りに出てくる足音がして、玄関の戸が開いた。

「ごめんなさい。今、伯母さんが腰が痛いって、呼ぶものだから。」

姑は、出て来るのが遅れた言い訳を言いながら、一歩踏み出て、目の前の花束にぶつかりそうになった。驚いた様子で身を引いて、花に半分隠れた私の顔を見る。

「おかあさん、これ。あの、今、病院で、赤ちゃんが、あの、検査でそうだって。」

どう言ったら良いのか解らず、花束を突き出して、泣きそうになる。

姑は、目を丸くして口をあんぐり開けたまま、言葉を失った様子で花束を受け取った。

「まぁ。亜沙子さん!赤ちゃんできたの。まぁ。そう。まぁ。このお花貰って良いの?ありがとう。おめでとう。」

姑のほころぶ顔を見て、涙が溢れてくる。姑の目も潤んいるように見えたのは気のせいだっただろうか。私は、舞い上がるような嬉しさを表現しきれずに戸惑っていた。

「よかったわね。お父さんも喜ぶわ。」

「こっちは、伯母さんで大変なのよ。すっかり弱ってしまったみたいなの」

「そうなんですか。すみませんお手伝い出来なくて、大丈夫ですか?」

一通りお祝いを言うと、姑が愚痴を言う。それに合わせて答えている自分に、冷めた気持ちが動く。そうか、妊娠なんて、ごく普通のことなのだ。年寄りの体調の方が重大なのだ。

「なんとか大丈夫よ。亜沙子さんも大事にしてね」

流石に疲れが出てきたので、家で休みたいからと、楯端の家は玄関で帰ってきた。早く実家にも連絡したかった。母ならもっと喜んでくれるはず。

家に帰ると直ぐに、実家へ電話をかけた。コール音が呼んでいる間も胸が躍ってドキドキした。

「はい、もしもし」

電話から聞こえてきたのが姉の声なのに驚いた。

「あ、姉さん?こっちに来てたの?」

用意していた言葉を忘れていた。

「うん。昨日来たの。もう臨月だから。向こうの事は頼んで来たの。」

そうか、もうじき姉さんは子供が産まれるんだ。私も、私もよ。

「あ待って、今、母さんに代わるね。」

受話器を離そうとする姉の言葉を慌ててさえぎった。

「あ、代わらなくていいの。あのね、私、赤ちゃん出来たみたいなの。」

「ええぇー、ホントぅ。それは、それは、めでたいわぁ!すごい!代わるからね。」

母さん、母さん、と姉が声高に母を呼ぶのが電話の向こから聞こえて来る。

母が、電話口に飛びつくように受話器を受け取るのが伝わってくる。

「亜沙子、良かったわねぇ。ほんとによかったわね。帰ってきたらお父さん言っておくから。そうだ、会社に電話してみようかしら。心配してたから早く知らせないと怒られちゃうわ。」

父は、定年退職となる還暦の誕生日まで、まだ一年余り残していた。それまで丸の内の会社で勤務している。母の声からも、浮き立つ喜びが伝わってくる気がした。

楯端の家で感じた違和感を忘れていた。実家は、不妊治療の悲惨さを解ってくれていたのだろう。考えてみれば、元々、姉が捜してくれた産婦人科の教授を頼っての治療を続けていたのだから。姉が私の知らないところで情報を得ていて、いろいろ実家に配慮していてくれていたのかもしれない。姉はそういう抜かりないところがある。

俊の帰りを待ちながら、満ち足りた気持ちで横になっていた。これまでの月日を思い返し、また信じられない気持ちに襲われ、『本当に妊娠したのよね。』と自分に問いかけて確認する。

うとうと眠気に誘われかけた時、電話のコールが鳴った。俊かな、と思って受話器を取った。

「はい」

「亜沙子?母さんから聞いたよ。おめでとう」

父の声だった。やはり、母は待ちきれずに会社へ電話して知らせたのだろう。

「あ、父さん。ありがとう。母さんから聞いたのね。まだ会社でしょ?」

「いや、亜沙子、今、駅まで出て来れないか?」

どういうことだろうと、訝しく、訳がわからない。

「駅って、御徒町?父さん何処にいるの?」

「いや、今、会社、ちょっと抜け出して来たんだ。会議が有るから直ぐ戻らなきゃいけないけど、ちょっと会いたいんだ。御徒町駅の改札、南口に居る。時間無いから直ぐ来れるか?」

「何?どうしたの?解った、直ぐ行く。」

私も父の顔が見たかった。一番伝えたい人は父だったことに気がついた。会いに来てくれたのだろうか?

病院から戻ったそのままの格好で寝ていたので、サンダルを引っ掛けて、直ぐ駅まで急いだ。御徒町駅の南口まで、五分足らずで行ける。

駅の屋根に入ると、改札の向こう側に父らしい姿が見えた。

「父さん。」

父の顔を見ると、また感動が呼び戻ってきて、涙が出そうになる。改札口のフェンスに乗り出すようにして、向こう側から手招きしている。フェンスのこちら側に走りよる。

父の大きく前に差し出された両手を受け止めた。父は何も言わずに、両手を握り返して上下に揺さぶる。何か言おうとして、また言葉を捜しているのか開きかけた口をそのままにして、ぎゅっと握った手に力が篭った。

涙が溢れてくる。本当は、この場で父に抱きついてオイオイ泣き出したかった。

「おめでとう。よかったな。頑張ったな。」

父の言葉に、もう涙を隠す余裕は無かった。

父は、唐突に手を離すと、何か下に置いて有ったものを拾って私の前に差し出した。大きな薔薇の花束だった。ピンク、黄色、薄紫、水色、父が好きな淡い色調の大輪の薔薇の隙間をカスミソウが埋めていた。彼草色の半透明のラップに包まれ、リボンだけが深紅だ。

「え?どうしたの?」

あまりに突然の出来事に吃驚だ。

「比谷花壇で買って来たんだよ。どうしても早く会ってお祝いが言いたくて。おめでとう。」

胸に抱き取った薔薇の花束は、上半身を隠してしまうほど大きく、ずっしり重かった。

「父さん」

もう、それ以上声にならない。泣き顔を出すまいとして、顔がくちゃくちゃになった。「もう、行っちゃうの?」

「会議があるから、もう戻らなきゃ。今度、ゆっくりおいで。姉さんも来てるよ」

それだけ言うと、花束を抱えて途方にくれている私を改札口に残して、父は足早に階段を上がって行った。

薔薇に顔を埋めて、暫くじっと立っていた。甘い香りに包まれた。それまで誰からも薔薇の花束を貰ったことなどなかった。父から花を貰ったのも初めてだった。

父さんがこんなこと・・

あまりに突拍子もないことに思えた。感激で体がとろけそうだった。

父さん、私の事も、ずっとずっと心配してくれていたのね。


夜、俊と二人で水天宮で買った、背中に『子宝懐妊祈願』を背負っている、小さな達磨に二つ目の眼を書き入れた。達磨の顔が笑顔になった。その横に、父からの薔薇の花束に添えられていたメッセージカードを立てかけて置く。『よかったね。おめでとう。元気な赤ちゃんが産まれますように』と書かれてあった。

      ☆

九月。教授の診察予約日が待ち遠しく、一日一日の過ぎて行くのが焦れったい。

いや、教授の診察日が待ち遠しいのではない。子供が産まれるのが待ち遠しい。早く一足飛びに十ヶ月が過ぎてしまえば良いのに。

男だろうか、女だろうか。どちらも欲しいけれど。

やっぱり女の子の方が楽しそう。私が子供の頃、憧れて叶わなかったこと、全部してあげたい。

朝、鏡台の前に座らせて、長く伸ばした髪を三つ編みのおさげ髪に編んであげる。娘は鏡台の中の私を笑顔で見つめる。

「あのね、幼稚園でね、みち子ちゃんとね・・・」

一生懸命話かけてくる。今日は、何色にしましょうかと相談しながら、毎日違う色のリボンを蝶結びに。ポニーテールに花飾りも可愛い。

お弁当は、小さな二段重ねのお弁当箱。下の段には俵形のおにぎり三つ。鮭入りは海苔を巻いて真ん中。両側は、鱈子そぼろをまぶした薄赤色のと、もうひとつは何色?シラスと黒胡麻ゴマにしよう。

上の段のおかずは、黄色の甘い玉子焼き。ウインナーは蛸さんに切る。レタスを敷いた上にはミニハンバーグかミートボールかな。緑のブロッコリーと最後に真っ赤なプチトマト。人参グラッセの花型抜きも可愛いな。

夜は、娘のベッドの脇に腰掛けて、絵本を一緒に覗き込んで読んであげる。娘がスヤスヤ眠りにつくまで子守唄を話しかけるようにして謡う。

それは、子供の頃に、自分があこがれた光景だ。

教育ママと呼ばれる部類に入っていたと思われる母は、最初の子供の姉には、全力投球だったと思う。優秀な姉はそれに尽く応えて突き進んでいたように見えた。

私も同じにすれば順調にいくはずと、姉の後を追いかけていった。でも、所詮二番煎じは巧くいかない。私は姉のように出来が良くはない。いくら真似をしても追いつかなかった。二人目の子育ては余計な部分は省かれて手抜きされるているようにも思った。

おかっぱに切られた髪を、姉のように長く伸ばしてお下げ髪を編んで欲しかった。それでも自分からは言い出せない。

「あなたはこの方が似合って可愛いのよ」

と言われると、もう反論もできない。そうかな?と諦めた。

幼稚園では友達の華やかなお弁当を羨ましく眺めていたが、教育熱心だった母には、弁当の見た目を可愛くしようという発想は無かったようだ。勿論、母は料理も上手だったから、不味いわけではないので不服を言う訳にもいかない。ただ、もうひとつ、遊び心が欲しかった。

裁縫も料理も完璧な母は、合理的、実質的であった。でも、子供と一緒に、はしゃいで遊ぶことはなかった気がする。

「あなただって、やれば出来るのよ。」

と励まされ、ただただ、姉の背中を見て、姉に憧れ、姉のようになりたい、姉と同じに出来れば褒めて貰える。

それが嫌だったわけではない。本当に姉と同じになりたかったのだ。だけど、姉のレベルは私にはハードルが高すぎた。利発で好奇心に富んだ姉とは、全く資質が違っていたから、能力以前に、性格的に無理だったのかもしれない。

姉も、いつもあとをくっついて、頼ってばかり来る私を、泣き虫で引っ込み思案で世話の焼ける妹と思っていただろう。

自分の考えが無かったわけではない。優柔不断なだけでもない。考え抜いた末の結論が、姉に従うことだった。両親より、歳の近い姉を信用していたのだろう。

「お姉ちゃんは?お姉ちゃんと同じでいい。お姉ちゃんといっしょ。」

姉は、そんな妹を跳ね除けたいと思わなかったのだろうか。でも邪険にされた記憶はない。それなりにいつも振り返って『ちゃんとついてきてる?』と見ていてくれたのだったか。

『そんなに真似ばかりしないで自分できめなよ』とため息ついていたのか。

父は?父はどうだったか。叱咤激励して引っ張り続ける母に反して、父は私を嗜めてくれていたのではなかったか。

「亜沙子は亜沙子に合ったように、無理しなくていいんじゃないか?」

母も意地悪ではなく、真面目だっただけだ。

「だって、亜沙子だってちゃんとやれば出来るんですよ。無理なことをやれとは言ってないですよ。」

そんな私を、姉は或る時点で、スポンときり離してずっと高い所にジャンプしてしまった。

あ、これで違う次元に行ってしまった。と思った。すその先を握り締めていた上着をスパっと脱ぎ捨てて中身の姉は遠くに行ってしまった。

私が辛うじて姉と同じ受験校に滑り込めたとき、姉は大学医学部に合格して、しかも逃げて行くように北海道という遠い大学に決めてしまっていた。

取り残された私は、見分不相応の進学校で落ちこぼれの劣等感に押しつぶされそうになりながら、ひたすら三年間が過ぎるのを待って、自分の行き方が出来る場所に抜け出ることを考えるようになったのだった。

そう、姉さん、また、少し姉さんに近づけた。姉さんに子供が産まれる。今、六年して今産むのは、私の事、待っていてくれたのかもしれない。

きっと今度は、姉さんは男の子よね。だったら、私も男の子の方が楽しいかもしれない。私の子は、姉の子を兄のようにして、一緒に遊んでもらえる。仲良くしてくれるかなぁ。この不妊治療では、自分にはひとり作るのが精一杯な気がするけど、私の産む子が女でも男でも、ひとつ違いの従兄弟がいれば、一人っ子になってしまっても寂しくないわよね。それともやっぱり一人っ子じゃ可哀想かしら?

私の子は、私のように劣等感に悩んだりしないわよね。私はチャンと育てられるかしら。大丈夫、俊の子供なのだから、俊のように良い子に育つに違いない。

楽しみな反面、心配なことも思い浮かび、とめどなく、考えばかりが何年も先までも駆け足していた。

      ☆ 

教授の診察予約日、母が一緒に話を聞いてくれるというので、病院で待合せた。どこまで姉から事情を聞いているのか疑問だったが、母が付き添ってくれて嬉しかった。久しぶりで母に全部寄りかかって甘えられそうに思えて張り詰めてきた力がホット抜けた気がする。

「姉さんから、いろいろ聞いたわ。我慢しないで、ちゃんと話してくれたら良かったのに。」

母の言葉は予想以上に優しく感じた。

「うん。でも、初めは、内緒のうちに妊娠して吃驚させたいなぁなんて思って。」

「馬鹿ね。心配させて。亜沙子はいつも何も言わないんだもの。でも、良かったわ。大事にしないと。」

教授の診察は、沢山の人が並んでいて、予約していても順番まで待たされる。一人づつ丁寧に診察しているのか、一人当たり待たされる時間が長いと感じた。

母が一緒に居てくれて不安にならずに済んで助かったと思った。

教授の診察室にも、カーテンに仕切られた奥に、超音波検査の機械があった。教授はカルテを丁寧に見ている。

「こりゃ大変だ。やっと出来たのだから、大切にしなくちゃ。」

教授の、驚いたような口調に、自分の不妊症が重症だったことが察しられた。

超音波エコーの画像を見せて

「ほら、ここですよ。ちゃんと子宮内にひとり居るでしょう。」

『ひとり居る』という表現に、ハッとする。そう、『ひとり』。『ひとつ』ではなくて『ひとり』だ。私の赤ちゃんが生きている。

「今のところ順調ですよ。八週目、三ヶ月目に入ったところですね。」

よかった。本当に赤ちゃんができたんだ。今までの辛さが全部帳消しになった。いや、苦労しただけ、達成感のような満足した思いだった。

体の不調も、治療の副作用ではなく、妊娠の兆候なのだと思うと苦にならなくなる。

女の幸せは母親になること。何処かで言われ尽くし繰り返し聞かされた言葉が心に染みる。本当にそうなのだ。言葉で表現できない全身をすっぽり包み込む満ち足りた幸福感の真綿に守られていた。

教授の診察室を出て、ふと廊下の突き当たりに有る超音波検査室の方に目が向く。

『これからは、あの廊下の右側に並ぶんだ』と高揚した思いで右の列に目をやると、その真ん中辺りに見覚えのある人。

いつか休日の注射の時に会った、佐藤さんと呼ばれていた人だ。あの時より、いくらかふっくらした印象を受ける。落ち着いた優しそうな顔に好感を感じた。

彼女も妊娠していたのだ。今はもう、颯爽とした女性戦士ではなく、任務を達成して帰還した母性に満たされた女性だ。良かった。彼女も先に穏やかな世界にたどり着いていたのだ。私もよ。ねぇ本当によかったわね。

遠い昔の、苦い思い出を懐かしむような感慨に襲われていた。

母と別れての帰路、松坂屋のデパートの中をフラフラ歩く。楽しみは、これから少しずつにしなくちゃ、と思いながらも、ベビー用品、おもちゃ売り場を眺めてみたくなる。

今度編むのは赤ちゃんの産着?でも、四月に生まれるのでは、もう暖かくなった後だなぁ。やはり、姉の子供とは学年がひとつ後になってしまうなぁ。

頭に暦を思い浮かべて計算する。

でも、何でも姉に相談できそう。ベビーベッドやおもちゃ、みんな譲って貰ったりして、今度は私の子供が姉の子供を目標に生きて行くのか?それも良いかもしれない。

想像すればするほど、楽しい気持ちが湧き上がる。

本当に本当に、このお腹の中に子供が生きているのよね。

何度も自分に言い聞かせる。なかなか実感の湧かないことに、何処かに不信な思いが潜んでいた。

      ☆

教授の順調という診断に安心して、週末は二人で楯端の家に報告するつもりで出かけた。連絡してから行けばよかったものを、休日は舅姑は家に居るのが常なので、突然の訪問だった。離れの伯母さんが具合悪いと聞いていたので、家に居るのが解っていれば前もって言う程、勿体振るのもかえって気がひけると思ったのだ。

昼過ぎ、楯端の家の門を入ろうとすると、丁度、中から誰か出て来るのと行き当たった。根岸に住んでいる叔母、舅の末の妹だった。私はこの叔母さんが苦手だ。俊も口うるさいと煙たがっていた。

「あ、こんにちは。いらしてたんですか。」

「こんにちは。ご無沙汰しています。」

俊が透かさず挨拶するので、私もそれに習う。

「あら、俊さん。お久しぶり。もう、帰るところなの。だけど、お姉さん、伯母さんの介護で疲れているみたいよ。胃潰瘍って言われたらしいわ。もう、兄さんも歳なんだから、亜沙子さんが気を掛けてあげてよね。」

「はぁ」

「じゃぁ、私も娘が孫を預ってくれっていうんで、忙しいの。兄さんたちのこと頼むわよ。」

「はい。失礼します」

叔母は、言うことだけ言うと、さっさと後姿を見せて遠ざかって行く。

「何しに来たのかな?伯母さんの様子見に来たのかな。」

胡散臭そうに俊が眉をひそめる。私も、自分が楯端の両親に苦労かけて平気でいる。と責められている気がした。私の妊娠のことは知らされなかったのだろうか。

「こんにちは。今そこで、根岸の叔母さんに会ったよ。」

玄関に出てきたのは舅だった。

「あぁ、来たのか。母さんが胃潰瘍でね。伯母さんの介護でストレス溜まってるんじゃないかと、心配して来てくれた。」

舅は、妹が細々口出すのを、親切からと解釈している。

「なんだか、僕らが手伝わないからだって小言を言いたいみたいだったよ。亜沙子のこと、言わなかったの?」

俊が、不満そうに言う。

「あぁ、伯母さんや母さんの体調を心配して見舞いに来たみたいだったから、つい言いそびれたよ。こっちが落ち着いてからで良いだろう。」

舅が、平然と言うのを聞いて、頭をガーンと殴られた気がした。

楯端の両親にとって、私に赤ちゃんが出来たことなど、取り立てて騒ぐほど珍しくもないと言うことか?それより、伯母さんや姑の方が心配ということ?普通はそうかもしれない。子供が出来るのは当たり前。それよりも、老人の体調が悪化したり、その為に姑が胃潰瘍に苦しむことの方が、由々しきことなのだ。

「で、お袋、胃潰瘍ってどうなの?」

玄関に突っ立ったまま、俊が聞く。

「まぁ上がりなさい。いや、胃が痛いって言うんで医者に行ったら、たいしたことはないようだが、今薬飲んで奥で寝てるよ。」

「伯母さんの看病って、そんな悪いの?」

連れ立って茶の間に入り座りながら俊が言う。

居ずらい思いで、話から外れる口実と、手持ち無沙汰を誤魔化すために、お茶を入れることにする。

「何か手伝いに来た方がいいのかい?」

会話の流れとして、言わざるを得ないという感じで、実感の篭っていない言い方だ。

折角、二人で赤ちゃんの正式報告のつもりで来たのに、変な方に話題が進んで憂鬱な気持ちになる。お茶を入れることに集中している振りをしながら、二人の会話に耳を傾けていた。

「伯母さんのことで、お前たちに迷惑掛けるつもりはないと言っただろ。」

俊の口調に苛立ったことは確かだ。強い口調で言う。

「迷惑だなんて言ってないだろ!」

俊も怒ったように言う。

「二人でなんとかやってるさ。伯母さんももう歳だから寿命だろう。医者も徐々に弱って行くのは仕方ないと言っているよ。看護士が定期的に来てくれるようになったから。母さんが無理しないようにするさ。」

私がビクッと身を固くしたのに気がついたのか、少し穏やかな調子で言い足した。

「そう?」

俊は言葉少ない。次に何を言おうか選んでいるのか?

「こっちはさ、こないだ病院でちゃんと検査してきて、子供は順調だって言われたから、報告に来たんだ。」

「お母さん大丈夫でしょうか。私、食事の用意とかしに来ましょうか?」

半分断ってくるのを期待しながら、この場は、こういう事を言うべきだろうと思った。ちょうど、その時、こちらの気配に気付いたのか、奥から姑が、髪を撫で付けながら出てきた。

「いらっしゃい。ごめんなさいね。来てくれたのに寝ていたりして。」

「いえ、大丈夫ですか?胃潰瘍とか・・」

元気の無さそうな様子を見ると心配になり、どうして丁度こんな時に、間が悪いことだと途方にくれる。子供は順調と言われたが、体調はなかなか改善しない。このまま、今後は妊娠による悪阻などの不調に移行するかもしれない。

そう考えてくると、私が妊娠すれば、舅も姑も、こちらの体調を気遣ってくれて、大事にしてくれるのではないかと期待する気持ちが有ったことに気付いた。

『亜沙子さんは大事な体なんだから休んでいなさい。具合はどう?大丈夫?』

煩いほどに心配してくれるに違いないと思い込んでいたところが有りはしなかったか。

随分自分本位な妄想だ。それは、ただの夢見るドラマの中の情景でしかなかったのだろう。現実を突きつけられて自分の甘さに情けない思いになった。

「お医者さんで薬頂いて、随分楽になったから大丈夫よ。たいしたことないの。少し休めば直るでしょうって言われたし。亜沙子さんも大事にしてね。」

「はい。でも、何かお手伝いできることがあったら言って下さい。」

姑が、すまなそうに言ってくれると、こちらも低姿勢にならざるを得ない。

その日は、寿司の出前でもとって皆で食べよう。ということになり、早めの夕食を済ませて楯端の家を辞した。

       ☆    

病院では、教授の診察を受けた日以後は、また第二診察室で週に一、二回定期的に経過を見て行くことになった。楯端の両親とは、近くに住んでいるから知らん顔も出来ず、時々出かけて行っては姑に代わって夕食を作るようになった。

姑は、離れに入りびたりの時も多かったので、一人母屋に取り残されて、手持ち無沙汰から、溜まった洗濯をしてみたり、台所の流しを磨いてみたり、果ては伯母さんの為にお粥を炊いたり、自分の存在を喜んで貰いたいと思っていたのかもしれない。

まだ、この期に及んで、妊婦の私に対する労わりの言葉を待っていたのか?心配してくれる言葉に飢えていたのかもしれない。

月日の経つのが待ち遠しい。早く、このお腹が膨れてこないかしらと思う。直ぐに妊婦と解る体型になってほしい。悪阻になるのも楽しみだ。お腹の中に子供が居るという実感が欲しい。

お腹が大きくなって、見るからに妊婦と解るようになったら、舅も姑も、私を大事にしてくれるだろう。孫が、長男の子供が産まれる事、内孫の誕生を心待ちにしてくれるに違いない。

私の憧れた、この理想の家族では、嫁が妊娠したら大騒ぎで喜んでくれるシナリオの筈だったのに。

      ☆

一週間後の病院検診日、産科の診察券を受付に出して、誇らしいような満足感を感じる。今回からは、超音波検査室の廊下も右の列。夢に見た事が実現した。また嬉しさがこみ上げる。

「楯端さん。どうぞ。」

明るい声で呼ばれる。超音波検査は澤田医師だった。

「どれ、うん。赤ちゃんここに見えるでしょう?」

慣れた様子で画面を確認している。検査ボードをお腹の上で微妙に動かす。画面にこの前と同じように、黒い丸いものが見える。

澤田医師は、カルテに目を移し、また、画面と見比べるようにする。気のせいか厳しい表情に変わったように見える。

「もう、九週目に入っているから、おかしいな。」

おかしい?その言葉に背筋がゾクッと反応する。なにか問題があるのか。

「心臓が動いているのが見えるはずなんだけど。解りませんね。」

尚も、検査板を動かしながら、画面を凝視している。

「これは、お腹の中で、死んでしまった可能性が高いですね。角度によって、見えないことが有るかもしれないが・・ちょっとおかしいな。今日は駄目ですね。動いているのが見えません。」

そんな!いったい何が起きたというのか?死んでしまった?

流産するのではという不安が無かったわけではないが、その時は、腹痛が酷くなるとか、出血するとかの自覚症状があるものと思っていた。

お腹の中に居るまま、死んでしまうことなど考えてもいなかった。

「どうして。そんな。本当ですか。もう、駄目なんですか。」

声が震えてくる。

「来週、再検査しましょう。今教授が学会で出張中ですから。来週帰って来るので、教授に良く見てもらいましょう。一回だけでは判断出来ないからね。元気だして。何か変わったことが有ったら直ぐ来て下さい。」

励まされても、こみ上げてくる不安に押しつぶされそうだ。

そんなこと、とても信じられない。まだ、まだそうと決まった訳ではないのよね?

信じたくない気持ちを裏切るように悪い想像が胸を抉る。一体何がいけなかったのか。何の注意が足りなかったのか。もっと安静にしていれば良かったのか。誰もそんな風には言ってくれなかったじゃないか。

何処をどの様にして帰ったのか。呆然としたまま、帰り着いても部屋の真ん中にぺたんと座って思考が停止していた。俊が帰って来た時までそのままだったようだ。

「あれ、居たんじゃないか。電気も点けないで真っ暗なまま。どうしたの。」

俊に声を掛けられても、ぽかんと口を開けて、ぼんやり声のする方を見上げるだけだ。

「どうした?え?どうしたの?」

俊は驚いて、持っていたカバンを投げ出すと、私の前にしゃがんで両肩を掴んだ。

急に涙がドッと溢れてきた。堪えようとして口をぐっと結んだが、ウウウと嗚咽が漏れる。たどたどしく、やっとのことで病院での経緯を伝える。

「馬鹿だな。まだ解らないじゃないか。大丈夫だよ。しっかりしろよ」

俊は私の肩を掴んだままグイグイ揺さぶる。私は俊の胸の中に顔を埋めてしがみついた。

助けて。頭が変になりそう。ほんと?大丈夫よね?今日はたまたま見えなかっただけよね。

「来週、教授が見てくれるんだろう?そんな心配したら、良いものも駄目になっちゃうよ。来週は、僕も一緒に行くから。ね、さぁ元気出して」

涙まみれの顔を上げて、コクンと頷くのがやっとだった。

そうよね。そんな簡単に死んでしまう訳が無い。冷静にならなければ。

翌日、雨。基礎体温は高温期のまま、出血もない。しかし、頭が重くて眠い。一日中布団をかぶって寝ている。食欲もなくなり、お腹が痛い。いくら良い方に考えようとしても駄目だった。益々心配になる。

四日目、とてもじっと待っていられず、我慢できなくて病院へ行った。もう、十週目になったから、絶対に心拍が確認できるはずだ。見えるはずの心臓が動いている事を、早く確認して、余計な心配を早く解消したかった。

不安な気持ちに追い払い、大丈夫、今日こそ心拍が見えると言ってくれるに違いないと、祈る気持ちで、超音波エコーを見ている澤田医師の後ろ姿を見つめた。

医者は、今後もカルテと画面に眼を行き来させて、暫く何も言わなかった。

「残念だけど、中で死んでしまったみたいです。稽留流産ですね。」

必死の祈りも虚しく、冷酷な宣言だった。澤田医師は自分の責任で有るかのように悲痛な表情をしている。

「そんな。本当にもう駄目なんですか?」

稽留流産という言葉を知らなかった訳ではないが、流産といったら、強い腹痛と共に出血するものと思っていた。だから、出血してしまわないか、という不安はあったが、それが無いからには、お腹の中にいるまま、死んでしまうことなど考えていなかった。胎児の発育が停止しても、腹痛や出血などのいわゆる流産徴候が全くないままに経過してしまう場合が稽留流産という事だった。

「妊娠を継続することは不可能ですね。放置して於くと進行流産に移行して、大量の出血が起こって危険だから、なるべく早いうちに、人工的に掻爬を行わなければなりませんね。」

澤田医師は、神妙な表情でこちらを見た。

ショックで、医者を見返したまま、何も言えない。眼にみるみる涙が溜まってきた。こぼれないように大きく眼を見開いたままでいたが、涙は大粒になって、ポロポロ流れ出て来てしまった。俯いて手の甲で涙を拭った。

「仕方ないね。今回は諦めないと。」

『可哀想に。出来て安心したのにね。残念なことになっちゃったね』温かい眼差しがそう付け足していた。

「掻爬の日程など、教授に見てもらって決めましょう。予約日に来て下さい。」

医者はこういう場面に慣れているのだろうか。私の涙を見ても、動揺するでもないが、安易に掛ける慰めの言葉は逆効果と知っているのだろう。私の気持ちを黙って静かに受け止めて同情してくれているように感じた。

澤田医師は超音波エコー検査技術が高いと看護士さんが言っていたのを思い出すと、もう、心臓が動いていないということは確かと認めざるを得ない。

「もう本当に駄目なんですね。何がいけなかったんですか。」

「自分を責めることは無いですよ。受精しても育たないこともあるんですから。どうしようもないことも有るんです。」

「でも・・出血もないし、まだ信じられなくて。もっと安静にしてたら良かったんですか?」

これから生き返る事は有り得ないのかと未練がましく思う。

「主な原因は胎児側にあることが最も多いのですよ。精子や卵に原因があるのではなくて、受精したあとの受精卵自体の問題だから。残念だったけど、育つことが出来ないことも有ると諦めないと。」

運命は、何故こんな意地悪をするのだろう。だったら妊娠したなんて糠喜びさせなければ良いのに。どうにか立ち上がって、外へ出る。来なければ良かったと思った。もう少しでも希望を持っている時間が長いほうが良かった。安心したくて病院に来たのに。馬鹿みたい。失望を早く知る為に来たことになってしまった。

妊娠が解った時の喜びが大きかった分、失望もそれに輪をかけた巨大さで押し寄せてきた。

街の喧騒が遠のくようで、周りに靄がかかる。自分が違う空間に閉じ込められてしまったようだ。歩道の升目を一個ずつ確かめるように頑張って歩く。そうしないと、ふらふら何処かに迷い込んでしまいそうな気がした。

お茶の水橋まで来て、花屋に気がつく。あれはなんだったのか。ほんの数週間だけ夢を見ていたのか。もう、本当に死んでしまったのだ。でも、この中に、まだこの中に死んでしまったとしても、私の赤ちゃんがいるのでしょ?

人に顔を見られないように、橋から外に向いて下の線路を見る。電車がいつも通りにすれ違って行くのを何台も見送る。涙が次から次へと溢れ出てくる。いっそ、思いっきり泣こうと思った。体内の全ての感情を涙にして洗い流してしまいたかった。もっともっと、流れてしまえ。不思議の国のアリスのように、自分の涙の池に填って溺れてしまいたいと思った。

         ★

ぼんやりした意識の中に、ボソボソした声が聞こえる。

「なんでもっと気をつけなかったんだ」

「親父たちだって、伯母さんの看病で大変だとか言ってたじゃないか。お袋まで、具合悪くなって、亜沙子だって、頑張っちゃったんだよ。」

「こっちは、何も、迷惑かけたりしてないぞ」

「そうじゃないだろ。亜沙子だって普通じゃないのに、一生懸命やってたんだよ」

「具合が悪いなら、そう言わなきゃ解らないよ」

舅と俊が声を荒立てて言い合っているようだ。

ここは何処だ?私の上には布団が覆い被さっている。眠い。体がだるい。止めて。みんな私が悪いんだ。赤ちゃんが死んでしまった。私の不注意が原因なんだ。

私の為に喧嘩しないで。こんな事になる筈じゃなかったのに。

起きなくては。力いっぱい腕を突っ張って、布団を跳ね除けたつもりなのに、まだ分厚い袋の中に居るようで、真っ暗。声のする方へ這い出そうと手探りする。すると、上からその布が落ちてきてすっぽり包まれる。

出して!俊、私が謝らなきゃいけないの?

暫くもがき続けて息が切れて、やっと顔を出す。頭が痛い。

あぁ、夢だったの?では、今聞いた会話も夢?それとも昨日、俊から聞いた出来事だっただろうか?

頭がぼんやりして、夢と現実とどちらで起こった事だったか解らなくなる。自分を責める気持ちと、周りの人を恨めしく思う気持ちが同居していて、叫び出したくなる。

段々頭がはっきりしてきた。

そうだった。教授の診察日、掻爬手術をする事が決まると、そのまま中延の実家に戻って療養していた。さっき、実家から明日の入院に備えて家に帰って来たのだった。朝実家を出て、病院に最終検査に寄って、その後家に帰って来たのだった。

俊が会社を休んで迎えに来てくれて、そう、家に帰り着いたら疲れが出て、布団に入ったら泥のように眠り込んでしまっていたのだ。

とうとう、明後日、病院で掻爬の手術をするという日だ。明日入院。明後日手術。退院はその翌日という段取りが着々と進められるところまで来てしまった。

     ☆

教授の診察日、どうやって諦めたら良いのか、どうしても信じたくない気持ちの整理が付かぬまま、母と俊に寄りかかるようにしてどうにか病院に行った。

教授のコメントは、なんだか事務的で、残酷で冷酷に思えた。

「残念でしたね。やっと出来たのにね。直ぐに入院すれば良かったかな。今度はそうしましょう。掻爬の手術は綺麗に処置しますから、大丈夫ですよ。また、落ち着いたら、治療を始めましょう。今はゆっくり休んでください。」

入院?やっぱり安静が必要だったのか。注射で卵巣が腫れた時は心配だと言われたが、妊娠後は入院の話が出たことはなかったのではなかったか?

母と教授が、手術の日程や段取りを話し合っているのは、もう、ほとんど耳に入らなかった。一週間後に二泊三日の入院掻爬手術が決まり、今度の来院は入院前日の最終検査に行くだけとなった。

「今回は残念でしたが、妊娠したのだから、また直ぐに出来るかもしれませんよ。」

教授の言葉は本心なのか。と疑ってしまう。世間でも一般に良く聞く台詞。

『一度流産すると直ぐ出来る』は真実なのか。ただの気休めの言葉に思えて色褪せ抑揚の無い言葉に変換され空しく通過して行く。

「手術の日まで、うちに来て居るようにって主人も言ってますので、家に連れて帰って良いですよね。一人で居ると良くないと思いますから。」

母が俊に向かって、反対されるわけないと決めている言い方。

「お願いします。僕も、土日はそちらに様子見に行きますから。」

俊にも失望させてしまった。いえ、俊のほうが辛いのかもしれない。自分ではどうしようもないことなのだから。一連の慌しい展開に、神経が付いて行っているのかどうか。ぺコンと頭を下げる。

「そうね。亜沙子は俊さんが傍に居てくれるのが一番だと思うから。土曜は泊まりに来て下さい。」

      

そういう経緯で、入院前日まで実家に帰っていた。結婚後、そんなに長く実家で過ごしたことはなかった。昔、私の部屋だったところは父が書斎にしていたが、そこは姉が九月に入ってから使っている。

私は、二階のその部屋の前の、客間として使っている和室に寝泊りした。実家に帰ってみると、張り詰めていたものが一気に緩んでしまったように力が抜けた。子供に戻ったように、もうずっとここで昔のように守られていたら楽な気がした。

いやそれは駄目。もうこれまでの事は早く忘れて、また、一からやり直さなければ。そう、普通の人にしたって、流産は珍しいことではないはず。いつまでも落ち込んでいないで、先に希望を持たなければ。妊娠したのだもの。しかも、人工授精に踏み切った途端、一回目で妊娠したのじゃないの。だったら、また今度も人工授精をすれば、次回も妊娠できるかもしれない。そうに違いない。そうなれば、今回のことなど、あの時は大変だったわね。と苦笑いで話せるようになる。時間が解決する。また早く妊娠できるように排卵治療を始めたい。

一生懸命、前向きになるよう自分に言い聞かせた。

手術と決まった十月の第一木曜日は、計らずも姉の出産予定日でもあった。もちろん、姉は自然出産なので、予定日がずれることもある。でも、きっと同じ日になるに違いないという気がした。それが運命的に感じて嬉しかった。

両親や、特に姉は、この事実を私が辛く感じているだろうと心配してくれる。だがかえってこの偶然が、自分でも説明の付かない安らぎを与えてくれている。

せめて、私のお腹が空っぽになってしまう日に、姉さんが子供を産んで欲しい。私の赤ちゃんの魂のほんの一部でも、姉さんの赤ちゃんが引き継いでくれたら。

もう、とっくに私の中の子は、死んでしまっているわけだけど、理屈じゃなくて、何か意味を見付けたい。同じ日で有ることで、私が妊娠したことが嘘ではなかった実感を残して於けるような気がした。それほど、あの限りないはずの喜びが、あまりに呆気なく頼りないものに萎んでいく空しさが私を占領していた。

チリチリする鈍い腹痛を抱えて、部屋に引き篭もって、寝たり起きたりしていた。気を取り直そうと、編み針を持つ。水色のベビーヤーンで、赤ちゃんの産着を編んでいた。私の子供の為ではなく、姉に産まれてくる赤ちゃんの為に。私の気持ちの中で、もう、きっと男の子と決めていた。来年こそ、自分の赤ちゃんの為にベビードレスを編むの。

編み針を動かしていると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。規則的な指の動きが、私の心臓の鼓動を一定に保つのか、呼吸のリズムを安定させるのか、心もあるべきところに静まっていてくれる。

「亜沙子、いい?」

入口の襖をそぅっと開きながら、姉が顔を出した。

「うん。これね、姉さんの子供のよ。男の子産んでね。」

水色の編みかけの毛糸の塊を持ち上げて、務めて明るい声で答えようとする。

「へぇ。可愛いね。」

姉は編み針にぶる下がった透かし模様の水色の編地を広げた。両手で感触を確かめるようにして、それを指でさすりながらこちらを見ずにポツリポツリ言う。

「亜沙子、ごめんね。何も言えないよ。私を見ると、亜沙子辛いと思って。ごめんね。」

姉が私に謝るなんて。迷惑掛けて謝るのはいつも私の役。こんなの初めてだ。でもそんなの違うよ。

「姉さん、なんで?全然大丈夫だよ。姉さんに産まれるから嬉しいの。」

姉が顔を上げる。情け無さそうな顔。姉はいつも難しい顔してる。

「待っててね。私も次には産めるよね?その子と遊んで貰うんだから。」

いつもに無く、自分の方が執り成すような言い方をしているのに気がついておかしかった。慰める役はいつも姉の方。そうしたら、何故か眼に涙が滲んできた。

その瞳を捕らえた姉の眼も潤んできたように見えた。黙って二人見詰め合っていた。

二人とも口元に、少しだけ笑みが現れたように感じた。

      ☆               

翌日、入院の日。俊が出勤前に病院までタクシーで送ってくれた。病院で母が待っている。

私の体はロボットになった。私の体に何をされても、私の実態とは拘わりの無いことにしたかった。子宮を広げるためという説明の処置が行われた。すごく痛い。また、情け無く悲しくなった。私の体はロボットに成りきってくれないみたいだ。

病室でぐったり惨めさにどっぷり漬かっていると、病室に白衣の医者が入ってくる。入院病棟の医者かと思ったら、平野医師だった。

「結果を聞いて吃驚したよ。明日手術だってね。」

わざわざ外来診療を抜けて励ますために、会いに来てくれたらしい。

「大丈夫だよ。今回はちゃんと処置して。また、直ぐに出来るさ」

ベッドに横で私をしっかり見下ろして言う。

「それ、本当なんですか?直ぐに出来るって本当なんですか?」

思わず、聞き返していた。この常套句の真偽を平野医師に確認したかった。

平野先生なら本当の事を言ってくれる。平野先生の言うことなら信じられる。

「掻爬の手術をすると、子宮の中を綺麗にすることになるからね。受精卵が着床し易くなると言えるんだよ。だから、ゆっくり養生して、ちゃんと体を元通りにして、元気になって下さい。きっと妊娠できるから。」

シーツの上から、私のお腹の辺りに優しく手を添えて言う。

嬉しかった。十ヶ月間の不妊治療を医療だけでなく精神的にも支えてくれた人だ。平野先生がこう言うのなら、また、頑張ろう。きっと今度は巧くいく。

十ヶ月間の婦人科病院通いの結果がこの入院。これが、同じ十ヶ月間でも、産科通院の結果なら出産入院。理不尽な気がする。

十ヶ月、お腹を腫らして腹痛と頭痛、検査と注射の毎日。たった三月余りで流産したのに、ずっと十ヶ月間妊娠していて臨月で死産となったぐらい精根尽き果てた打撃に思えた。でも、それでも、他の皆も立ち直って行くのだ。

翌日の手術の為の処置や検査は昼過ぎに全て終わって、あとはずっとベッドの上でウトウト眠気に任せていた。

俊は、夜六時ごろ来てくれた。ベッドの横に座って、ずっと私の手を黙って握っていた。私も目を瞑ったまま、夢と現実の境目を漂っていた。それが心地よかった。どちらかの世界に入り込むと、その場の状況が何かを考えることを強いてくる。境界の辺りの靄の中で、私の体は透明度を増して、中身を空白にしていられた。

そのうち、知らずに熟睡してしまったのだろう。俊が帰ったのにも気がつかなかった。

       ☆

気がついた時は次の日の朝になっていた。廊下から、ストレッチャーの移動する音が聞こえる。手術は一時半からと聞かされていた。

昼前から、両親が付き添いに来てくれた。

「どう?気分は?」

「大丈夫。昨日は凄く痛かったけど。その後は、だただるくて眠いだけ。ずっと眠てたみたい。」

「そう。好きなだけ眠ると良いわ。」

母は私の額の髪を掻き揚げるようにして優しく撫でる。病気をすると優しくしてくれたなぁ。と子供の時を思い出しホロリとする。

摩り下ろした林檎にお砂糖入れたのが好きだった。いつもは相手にしてくれない母が、風邪で寝ていると頻繁に優しく世話をしてくれた。だから風邪で寝ているのも好きだった。

甘えると、匙で寝ている私の口に食べ物を運んでくれた。スプーンで掬った熱い葛湯をふぅふぅ冷まして、あぁーん。と母まで大きな口を開けながら私の口に入れてくれた。

「今こっちに来る時にね、姉さんも産院に行ったわ。陣痛が始まりそうだって。」

ほら、やっぱりそうよ。姉さん、今日赤ちゃん生まれるわ。良かった。姉さんには元気な赤ちゃんが産まれる。きっと、私が手術室で処置をしている間に産まれてくるんだわ。

「やっぱりね。同じ日になるって気がしてた。なんだか変だけど、面白いね。」

母は答えに困ったように、苦笑いを返して来る。

「何も、こんな時にね・・。」

「違うわよ。今日だから嬉しいの。姉さんに産まれれば少し救われる気がするの」

「そうなの?そういう風に考えてくれるの?亜沙子ったら・・」

母はくるっと後ろを向いて目尻を手で拭った。

「お父さん、姉さんを産院に連れて行ったら、こっちに来るって言ってたわ。」

俊も会社に休みを取って来てくれた。

「今日はずっと傍に居るよ。病室で待っているから。」

一時十五分、全身麻酔を射つ。来てくれたのは澤田医師だった。最後に澤田先生にも会えてホッとした。皆、あんなに喜んでくれたのに。未練がましく思い出す。まだあれから二ヶ月足らず。あっけない。麻酔注射の液が体内に吸い込まれていく。

これで、さようならですね。

周りの音が段々遠のいて、手術室に運ばれて行く時にはもう意識が無くなっていた。


次に眼が覚めたときは、ほんの数秒間しか眠っていなかったような気がした。

でも、薄ぼんやりとした視界の中央に父の除きこむ顔がある。さっきは居なかった。その両側に、母と俊の神妙な顔も見えてきた。

「もう、終わったの?早かったのね」

知らないうちに、手術が終わっていた。もう、私の中には赤ちゃんの痕跡は消えてしまったのだ。

「あ、よかった。やっと気がついた」

父の顔がホッとしたように緩む。俊と母の顔も近づいて来た。

「もう、終わって病室に戻ってきてから三時間も経ってるよ。なかなか眼を覚まさないんで心配したよ。麻酔が効きすぎたみたいだね。」

「そんなに時間たったの?今、麻酔したばっかりの気がしたわ。手術はどうだったの?あの、何か、中から出てきたのはどうしたの?」

子宮から出されたものを、胎児と呼べるのかどうか。

『赤ちゃんはどうしたの?』と聞きたかった。でも、誰もそれを生命体として認めてくれないような気がして言い淀んだ。

どんなに小さなものでも、私の中に一度は存在したはずの卵を見たかった。

でも、父からは、はっきりした事が聞けないまま、それ以上追究してはいけないような気がして尋ねられなかった。見ると辛いだけだから見ないほうが良い。とか、もう処分してしまった。というようなことで誤魔化された。

そうか、私は『ちゃんと私の子宮の中に赤ちゃんが居た。』と思っていたけれど、それは、常識的には、まだ胎児とも呼べない、唯の肉と血の塊でしかないということなのだろうか。堪らなく悔しい気がした。妊娠したこと自体を否定されたようではないか。

これまでの事は、早く吹っ切って、前を向け。ということなのか。

嫌だ。一度ほんの短い間でも、ちゃんと私の中に命が宿ったことを、ずっと心に抱いて行くんだ。この十ヶ月苦労して苦しい思いをして、やっと授かった命、私のお腹の中で束の間の幸せを与えてくれて、そして風のように通り過ぎて行ってしまった命があったこと、忘れてなるものか。

そして、またもう一度頑張ろう。誰も認めてくれない子供だけど、今からは天国で私を守ってくれるわよね。独りよがりでも良い。一人でそう信じていよう。

そう決心して、また涙に浸された。

黙り込んでしまった私に、意を決したように父が告げる。

「姉さん、男の子だったよ。さっき、あっちの産院に連絡して聞いてみたら、元気な男の子が無事産まれたって。」

「そう、良かった。思った通りになったわね。」

感慨深いという表現が当たっているかどうか。自分でも本心を測りかねる気がする。こんな時に、他人に産まれてくる赤ちゃんを冷静に受け止めるられる筈は無いのに、何故か、姉の赤ちゃんに早く会いたと思った。今日、姉の子が産まれて嬉しい気持ちは嘘じゃない。

そう、天国に行った私の赤ちゃんと、きっとその辺で、笑顔を交わしたに違いない。きっとその子は私の子供に会って、ほんのちょっぴりでも何かメッセージを受け取ってくれているのではないかしら。

       ☆

掻爬手術の翌日、直接、中延の実家に退院して行った。一週間は安静にするように言われて、その間、実家で養生することにしてあった。実家では入院前の客間ではなく、退院後は、姉が産院から戻ってくるまで、今度は私が二階の洋室の方、父の書斎を使うことにしていた。

退院しても数日は、まだ麻酔から覚め切ってないかのように、体は眠さに占領されてたままだった。起き上がってもフラフラして、お腹の痛みと頭痛が取り付いている。出血もまだ止まらないので、ベッドから出ないで、夢と現実を行き来していた。

夢の中で、不妊治療の十ヶ月が断片的に現れ、時間が行ったり来たりする。嬉しかったこと悲しかったことを、交互に見せられる。何度も何度も夢で確認させられて、やっと今の現実を受け入れられるようになって来たのかもしれない。

         *

最後にまた、あの、坂道に立っている。坂の上に誰かが見える。

誰?小さい子が手を振っている。顔が見えない。男の子か女の子か?

誰?私は今、何処に行くの?

私は学校を卒業して、結婚して、子供を産んで、あの子は私の子?ええと、いつ産んだのだっけ。

男の子?女の子?待って、今行くから。

坂の上にもう一つの小さな人影が現れる。二人は手を取り合って輪を作ってスキップしている。

私は歩いて坂を上がって行く。なのに、歩いても歩いても近づかない。

すると小さな二つの影は、くるっと後ろを向いて走り出した。私も走って追いかける。でも、走っているつもりで足が進まない。

坂の角度が増してくる。坂に手をつくようにして登ろうとする。急に腹痛を感じて、体の中を上から下へ何かが出て行きそうだ。

あ、私はまだ子供を産んでなかったのだっけ?

え、駄目、赤ちゃんが出て行ってしまうの?

いや待て違う、まだ妊娠すらしてなかったのだっけ?月経が来るの?また受精しなかったの?

        *   

何かが流出するのを感じて、ハッと眼を覚ます。思考を立て直すのに暫く時間がかかる。今の、現実の状況を見極めなければ。

実家の昔と同じベッドの上。目を上げると出窓に飾られた写真フレームの中から、結婚式の衣装で、俊と私が微笑みかけている。

週末は、俊も泊まりに来てくれた。その日だけは、俊に握られた手の感触に、安らいだ眠りを手に入れることが出来た。

父の書斎になって大分模様替えされ、様子は変わっているが、家具類は、私が使っていたままの物も多い。

洋服ダンスは、見た目は同じでも、扉を開くと父のスーツが並んでいる。机の引出しを開けてみると、新しい文房具が整理されて入っている。押入れを開けてみた。下の段に、見覚えの有る段ボールの箱が数個積まれていた。結婚して引っ越すときに、新居に持って行かずに段ボールに詰めて残していった物だ。

何を入れたか、あの時のままか確かめてみたくて開けてみる。学生時代のノートや参考書、もっと昔からの日記や手紙も出てきた。

日記、小学生の時から書いていた日記帳。中学に入ってからは、普通の大学ノートにその日その日で好きは量だけ書いていた。思いの丈を何ページ分も書き連ねてある日、ほんの一行だけの日。綺麗な文字で几帳面に書いてある日。叫びたい怒りをぶつけて三行抜きで大きく書きなぐった文字。

パラパラ捲って斜め読みしていると、その時の事を思い出してくる。昔の自分の言葉に、こんな時も有ったのだと共感する傍から恥ずかしさが勝ってくすぐったくなってくる。

誰にも見せられない秘密を数冊づつ、こっそりベッドに持ち込み寝転んで読み始めた。まだ腹痛と頭痛、出血も止まらない。安静を強いられての退屈しのぎになった。

高校受験を目前にして、姉が北大の医学部に合格して行ってしまった時の日記。姉が自分の届かない次元にワープしてしまったようで、悲しいとかを通り越して呆然としていた気持ち。

そのあと、受験校で居場所を失って、劣等感に壊されそうになりながら、大学に入りさえすればそこに自分で歩いていける世界があると信じて、ただただ三年間が過ぎるのを耐えていた時。

その頃は、身の丈に合った大学を選んで、普通に就職して平凡な結婚をして、子供を産んで育てて、穏やかな家庭を築けばよい。と思っていたのだった。

希望の大学に合格した時の喜び。楽しい学生生活。しかし、不妊症と解った時の失望。漸く見つけた自分の行き方を根本から修正しようとした事。

子供が産めなくても、一人でちゃんと生きて行けるよう強くならなければと考えるようになって。もう、私は結婚しない。結婚できなくても大丈夫になるぞ。その決意に至る日々。

その時の自分を思い出して、胸が熱くなる。これまでだって、私なりの波乱万丈があったのを忘れていたのかもしれない。昔の自分に励まされる気がした。

その後に続く日記には、俊との出会い。俊にめぐり合ってしまって、決意した筈の覚悟はあっさり挫折して、俊にすがりついてしまったのだ。

ごめんね俊。結婚しないと決めた筈だったのに、あなたの誠意に逃げ込んでしまった。やはり、『女の幸せ』と言われている人生にしがみついてしまった。

週末泊まって帰ってしまった俊に、会いたくなった。結婚後、何日も離れて暮らすのは初めての事に気がつく。俊の傍に居たい。俊がいないと駄目。

だから、頑張らなければ。早く元気になって、また不妊治療を始めなければ。俊の人生を壊してはいけない。彼の子供が産みたい。


手術の日から七日目、つまり姉が出産してから七日目、姉も赤ちゃんを連れて実家に戻ってきた。二階の客間の窓際に大人の布団が敷かれて、その真ん中に小さな赤ちゃんが寝かされた。

姉と母が、慣れた様子で世話しているのを、後ろから遠巻きで覗き込む。私には手の届かなかった空間。まだ近づくことを阻止されているように感じた。

部屋に戻ってベッドに寝転がる。上をじっと向いて涙が出るのをこらえていた。

そのうち、隣の部屋の襖が開く音がして、赤ちゃんが静かに眠っているのを確かめた母と姉が階下に降りて行ったのが解った。下から和やかな話し声が聞こえてくる。

階下の気配を気にしながら、ベッドを抜け出し、そっと客間の襖を開けた。布団の上の赤ちゃんは眠っているようで動かない。窓から差し込む日差しが顔の傍まで延びている。胸から下に、ふんわりしたタオルが掛けられている。ゆっくり近づいて赤ちゃんの横に座って顔を上から覗いて見た。

なんて可愛いんだろう。

ぽっちゃりとして色白。女の子に見間違えそうな優しい顔をしている。タオルの上の小さな手の甲をそっと撫でてみると、マシュマロのようにモチモチ。

指先で恐る恐るほっぺたを触ってみる。とろけそうに柔らかい。それでも眼を開けずに静かに眠っている。

私も欲しい。私にもこんな可愛い子が産めるはずだったのに。

思い切って、赤ちゃんの首と背中に両手を入れて、こっそり抱き上げた。壊れそうな小さな体を胸に抱いてみると、ジーンとして体中が熱くなってきた。涙が一滴、赤ちゃんのほっぺたに零れた。赤ちゃんが眼をさましたのか、目を開けてこちらを見た。泣き出したらどうしようかと思ったが、じっとこちらを見ている。

ゆっくり顔を近づけて、そおっと頬擦りしてみた。柔らかい感触から体温が伝わってくる。そのままずっと抱いていたいと思った。

でもこの子は姉の子。そう、川田さんちの子だ。これ以上抱き続けていたら、そのまま連れ去ってしまいそうな衝動に全身が震えてくる気がした。恐ろしくなって、ゆっくり静かに赤ちゃんを布団に戻した。

ねぇ産まれてくる時、この世界に入る入口辺りで私の赤ちゃんに会わなかった?あなたは知ってる?どんな子だった?

非現実的な妄想に心の拠り所を捜してみる。

布団の上から、赤ん坊はこちらに手を差し伸ばしたように思えた。もう一度、その手をふんわり包むように握った。私の子の分まで元気に育ってね。


翌日は祝日で、赤ちゃんの御七夜のお祝いを兼ねて、俊は出産祝いにアルバムとオムツカバーを持ってやって来た。私も編み上がった水色の産着を姉に渡した。来年は、私の子が受け継ぐために、戻って来るようにと祈る。赤ちゃんは健一と命名された。健康の健の字。

それは、私のお腹の中で消えてしまった命に贈りたかった名前に思えた。


その夜、俊に連れられて湯島のマンションに帰った。やはり家に帰って俊と二人になると、ホッとする反面、疲れも出てまた寂しさが襲ってくる。

居間のソファにグッタリ崩れるように倒れこむ。正面に眼を上げると、テレビ台の上から赤い達磨が申し訳なさそうな顔を向けていた。私はゆっくり立ち上がって、達磨を優しく持ち上げた。

達磨の後ろ側に『子宝解任祈願』の文字。

あなたの所為じゃないわ。ちゃんと願いは叶えてくれたのよね。私が浅はかだった。『子宝解任安産祈願』とすべきだったのよ。『解任』しても『出産』出来ないことも有ることまで考えが及ばなかった。

受精して妊娠すれば、もう安心と思ってしまったのよね。

隣に添えられた、父からの薔薇の花束のカードを開くと、『元気な赤ちゃんが産まれますように』のメッセージ。

ごめんなさい、父さん。あんなに喜んでくれたのに。父さんの願いに応えられなかった。待っててね。また頑張る。今度こそ。

暫く何処かに閉じ込めていた涙がドッと溢れ出てきた。小さな達磨が涙で濡れる。達磨も一緒に泣いてくれた。

箪笥の中から白いレースのハンカチを探し出して巾着袋を作った。その中に、達磨と父からのメッセージカードを一緒に入れる。

私の赤ちゃんの位牌と骨壷。薔薇を束ねていた赤いリボンで巾着袋を結んだ。




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