第3話 スケッチブックと協力者
雨の降りやまぬ放課後、ほのかは美術室に来ていた。
教室の扉をあけると画材の香りがする。美術部員であるほのかはこの匂いが嫌いではなかった。
「斎先輩!」
ほのかは美術室の先客に声をかけた。
教室の窓際で石膏像をデッサンしていた男子学生が振り向いた。
「あれ、ほのかちゃん。どうしたの?今日は活動日じゃないよ」
シャツを腕まくりし絵具で汚れたエプロンをきた長身の男子学生である。
目が細くいつも笑っているように見える。実際、温和な性格でいつも笑っているのかもしれない。
「先輩こそ……私はスケッチブックをとりに……うわあ!」
ほのかは斎に近づいて感嘆の声をあげた。
「すごい……上手いなあ」
書きかけの石膏像のデッサンは繊細なタッチで影の濃淡も細かく表現されている。
「そんな、大したことないよ」
斎は照れたように頭を掻く。
「こうやっていつも練習してるんですか?」
「いや、今日はたまたま暇だったからさ。ほのかちゃんこそどうしたの?」
「あ、いや来月コンクールの締め切りじゃないですか」
「そういえばそうだねえ」
「先輩もう描き終わりました!?」
「いや、前描いた油絵を出そうかと思ってるよ」
「ですよね。じゃなきゃデッサンやってないですもんね」
ちなみにほのかは何を描くのかさえ決まっていない。目に見えてがっくりする。
「ちょっとスケッチブック見せてもらってもいい?」
「え……あの……」
斎はコンクール入賞常連者、学校の昇降口に飾ってある絵は斎の絵だったりする。その彼にほのかは自分の拙い絵を見せるのは戸惑われた。
「ちょっと失礼」
ほのかがおたおたしてる間に手から、ひょいっとスケッチブックが奪われる。
スケッチブックのはじめからパラパラと斎はいつもの微笑んでいるような表情で無言でめくっている。
ほのかは相手が絵がうまいと尊敬している相手だけになんだかとっても緊張した。
「ほのかちゃんって風景画が好きなんだねえ」
相手の緊張を知ってか知らずかなんとも間延びした感想を斎は述べた。
「好きっていうか、人物がとか動物とか苦手というか……」
ほのかはモデルに向かっていると緊張してしまう質なので、きれいな風景などをのんびり描くのが好きだった。
「そっかあ……」
斎は考え込むような仕草を見せた後、ひらめいたかのようにポンと手を打つ。
「ここの屋上の眺めなんていいんじゃない?」
「おくじょう?」
ほのかは首をかしげる。
「うちの高校って高台の上にあるでしょ。だから屋上から街並みが見えるんだよ」
相変わらずにこにこした斎の表情は読めない。
ほのかは何を言われているのかわからずぽかんといていると
「屋上、普段閉まってるけどいっちゃん先生に言えば多分貸してくれるんじゃないかなあ」
そこで、ほんの少しにぶい(本人談)ほのかにも理解できた。
いっちゃん先生こと市川先生とは美術部の顧問の30代の女性教諭である。
「コンクールの絵ですね!」
「うん、学校からの眺めなら部活のときに描けるしいいんじゃないかな」
「そうですね。まだ何を描くかも決めてなかったので助かります!」
「いや、いいんだよ。部長として部員の指導するのも役目だから~」
「ありがとうございます!さっそく市川先生に聞いてきます」
高校に入ってはじめてのコンクール何を描こうか悩んでいたほのかにとって、まさに渡りに船だった。
「んじゃ、また木曜日にね~」
ひらひらと斎は手を振る。
「はい!それじゃあ、失礼します」
ペコっと頭を下げて、美術室のドアを閉める。
それを確認した斎は鼻歌を歌うかのようにつぶやいた。
「ん~俺ってばいいやつ」
両手をあげて一つ伸びをすると、途中のデッサンに取り掛かった。