第26話 わたしの気持ち・彼の気持ち
キィィと金属製の扉を開けると明るい光が、ほのかの目に眩しく照らす。
蝉の鳴き声が聞こえる。
空は透けるような青空で白い雲が浮かぶ。
その真ん中に彼はいた。
いつか見た広い男の人の白い背中。
両腕を後ろについて座っている。
おそらく、扉が開いた音で誰かが来たことに気付いていると思うが振り返らない。
ざあっと二人の間を風が吹き、ほのかは髪の毛を押さえた。
雅海のやや明るい髪が風でなびいた。
ほのかは引き返そうとする足を気力で前に進める。
「先輩……」
ほのかが呼びかけたが、依然彼は前を向いたままだ。
あの時、突然逃げたことを怒っているのだろうか。
怒られていいから呆れられてもいいから、こちらを見てほしかった。
「あの先輩、怒ってますか?」
しばらくの沈黙のあと、雅海がぼそっと呟いた。
「怒ってねえ」
だがしっかりほのかの耳に届く。
怒っていないという割に不機嫌そうな口調だったが、返事があったことにほのかは少し安堵した。
「怒ってますよね」
「だから、怒ってねえって」
そこでやっと雅海はほのかの顔をみた。
強い視線がほのかを射る。
くっきりとした瞳はややつり上がり気味で整った顔立ちもあってか無表情だと怜悧な印象になる。
「すみません……」
「……それはお前何に謝っているわけ?」
髪を掻き上げため息をつきながら雅海が言った。
「この前は逃げるように帰っちゃったし……」
「それはお前『用事を思い出した』んだろ」
雅海は強調するように言った。
「やっぱり怒ってるじゃないですか!?……って私はそんなことを言いたくて来たんじゃなくて……」
「じゃなくて?」
まっすぐと雅海の瞳に見つめられて、ほのかは急にそわそわと落ち着かなくなった。
勢いで来てしまったほのかは、何を言っていいのかわからない。
いざ相手に告白しようとしてほのかは何にも考えてないことに気がついた。
「いや、やっぱいい。聞きたくない」
雅海な言葉に突き放されたような絶望的な気持ちなる。
じわりと涙が浮かぶ。
それを見て雅海は慌てた様子で立ち上がり手を伸ばしかけやめる。
そのとき雅海は辛そうな表情をしたが、泣くまいと顔を伏せたほのかはそれに気がつかない。
「聞くのも……嫌なんですか?」
なんとか泣くのを我慢しながら、ほのかは震える声で尋ねた。
「いや……嫌なのはお前だろ?」
雅海の言葉にほのかが顔が上げると悲しげな瞳と視線が絡み合う。
はじめて見るその表情にほのかは戸惑う。
「私が……?」
「泣くほど俺と一緒にいるのが嫌なんだろ?」
自嘲気味に呟いた雅海にほのかが驚く。
―――――――一緒にいるのが嫌なのは先輩じゃないの?
「私は……先輩と一緒にいるのがすごく楽しかったです」
今度は雅海が驚いたように、ほのかを見た。
「確かにいっぱいからかわれて、はじめは苦手だったけど……」
「おい……」
ほのかは勇気を出して、雅海の顔を見た。
雅海は何か言いたげな困ったような顔をしている。
「先輩のことが好きです」
ほのかはじっと雅海を見つめた。
顔が熱い。
顔に血液が集中していることがわかった。
一方、雅海はぽかんとした顔をしている。
やっぱり困ってるんだ、とほのかが顔を伏せてたが、いつまで経っても雅海からの反応がない。
恐る恐る顔をあげると、茫然とほのかを見つめる雅海の顔があった。
そんなに驚くほど嫌なのかとほのかは泣きそうになるが、これ以上手間かけて迷惑がられるのが嫌だったので俯いて唇をかみしめた。
その両ほほに暖かい大きな手が包み込み上に向けられた。
強制的に顔をあげさせられたほのかの目の前にあったのは、雅海の真剣な顔。
「本当か?」
疑うような問いに、ほのかは反射的に声をあげる。
「ほんとです!」
途端、雅海は輝くような笑みを浮かべた。
「ほんとにほんとだな!?」
確かめるように雅海が言うとほのかが頷く。
「俺もほのかが好きだ」
その時、ほのかは時が止まったような気がした。
雅海の言葉を何度も頭の中でリピートするが、理解しようとするができない。
その結果出てきた声はまぬけなものだった。
「へ?」
それに雅海が心底呆れたような顔をする。
「だから、ほのかのことが好きだって言ったんだ」
――――――というか私、下の名前で呼ばれてるし!?
口をぱくぱくしながら、ほのかは叫ぶ。
「う、嘘!?」
「嘘じゃない」
「でも、だって先輩ずっと私のことからかってばっかりだったし」
「お前だって俺のこと避けてたじゃねえか」
「う……」
「結構、ショックだったんだからな」
拗ねたように言う雅海に、思わずほのかがクスリと笑う。
「何笑ってんだよ」
そう言って頬を包んでいた手で、頬をぐにっと引っ張った。
「しぇんぱい、いひゃい!」
ほのかは雅海の手を外そうとすると今度はその手をぎゅっと握られる。
両手を握られて向き合うような形になったほのかは、その近さに顔を赤くする。
「7時23分の電車」
雅海の唐突な言葉にほのかがぱっと顔をあげる。
「お前いつもその時間の電車乗ってるだろ」
「先輩、なんで知って……」
「お前、俺が同じ時間の電車乗ってるの知らないだろ」
「へ!?」
「んでもって、結構前からお前のこと見てたことも知らないだろ」
ほのかの口がぽかんと開いた。
「俺はずっと好きだったんだよ、お前のこと」
真っ赤になったほのかの顔を見て、雅海も少し照れたようにそっぽを向いた。
「ずっと声かけたかったけど、学年も違うし話すような機会ないし……だから、お前が昇降口の階段から降ってきたときはスゲー幸運だと思った」
いたずらっぽくほのかを見た。
その時を思い出したほのかは赤面しながら頬をふくらませる。
「あの時、先輩不機嫌そうじゃなかったですか」
「突然降ってきて反応していいのかわからなかったんだよ。それにズボンもぐちょぐちょだったしな」
「……すみません」
「あのあと、会った時知らないふりしたじゃないですか!それに……三年の先輩たちといたし……」
「それ、ヤキモチ?」
「ちがっ……!」
思わずほのかは声をあげそうになるが、嬉しそうな顔を見て何も言えなくなってしまう。
「……まあ、あの人たちは自分のバンド応援してくれる人たちだし、無視もできないんだよ。あそこで話しかけたらお前に何かするかもしれないし」
雅海は少しすまなそうに言う。
「モテるのも大変なんですね」
他人事のように呟いたほのかに、雅海は苦笑する。
「でも好きな奴には数カ月間も近くにいて意識さえされなかったけどな」
「……すみません」
「もう、お前の気持ちもわかったしいいよ。すげーうれしい」
そう言って本当にうれしそうに笑う雅海に、赤くなりながらもほのかも笑む。
「あの!」
ほのかがハッとしたように改まって声をあげると雅海が首を傾げる。
「これからもここに来ていいですか!?」
ひどく思い詰めたような顔を見て、雅海は噴き出す。
「当たり前だろ」
そう言ってそっと右手をほのかのほほに当てる。
左手は繋いだままだ。
表情は柔らかだが雅海の熱をもった瞳に見つめられて、ほのかは目が離せなくなる。
それから顔が近づき少し湿った柔らかいものが唇に触れて離れた。
「これで許可してやるよ」
しばらく事態が理解できず固まったほのかだったが、雅海の言葉に理解してトマトのように真っ赤になった。
雅海はそれを見て猫のように目を細めていたずらっぽく笑った。
初らぶ・しーん
ぬるめですが私と『ほのか』には今のところこれが精一杯です。
雅海の気持ちと今までの行動の意味を描写してませんでしたが、これで説明できたでしょうか?