第21話 夕暮れの帰り道
翼に仲直りする、と言ったもののほのかはどうすべきか考えあぐねていた。
綾はあれ以来、さらにほのかのことを避けていてとりつく島もない。
「おーい、東条美術室の鍵閉めるぞ」
白衣姿の市川先生が美術室の扉のところに立っていた。
時計を見ると七時をさしている。
「すみません!」
慌てて慌てて絵の道具を片づけるほのかに苦笑した市川先生は、つかつかと寄ってきた。
「なんだ東条。熱心だな」
他にも美術部員は出ていたが、一人まち一人と帰り最後はほのかだけになっていた。
熱心というより、このところ考え事をすることが多く気が付いたら最後ということが多い。
「いえ、別にそういうわけじゃないんですが」
ほのかが困った顔をして言うと、市川先生はぽんとほのかの頭に手を乗せる。
「青春にはいろいろつきものだからな。めいいっぱい悩め!若人よ!」
市川先生は、ぽかんとするほのかに美術室の鍵を渡すとすたすたと扉に向かう。
「じゃあ、片づけ終わったら施錠して職員室持ってこいよ」
そう言い残して市川先生は消える。
学校でも美人教師と言われているが言動がおもしろいというか、なんというか……評判の先生である。
それでも生徒思いだと人気のある先生である。
「そんなに悩んでるって顔してるかなあ」
ほのかは扉を見つめながら苦笑した。
ほのかがとぼとぼと夕暮れどきの校舎を抜け校門に差し掛かったところ、ジャージの一団が見えた。
その中に見知った顔を見つけ思わず声をかけた。
「瑞樹ちゃん!」
瑞樹のほうも、ほのかのほうへ顔を向け笑顔で手を振る。
そして、運動部らしい機敏な動きでこちらに走ってきた。
「ほのか、今帰り?」
「うん、瑞樹ちゃんも?」
「そう、いつも私はこのくらいの時間かな」
「こんな時間まで毎日大変だね」
「そうでもないよ」
明るく笑う瑞樹は疲れは見えない。
「ほのかは珍しいね。一人?」
「うん」
「じゃ、一緒に帰ろ」
「え?他のバレー部の人たちはいいの?」
「あ、うん。別にあの子たちとは毎日帰ってるし、ほのか一人でしょ?」
そう言って瑞樹は大きな声で「じゃあまた明日!」と他のバレー部の一団に手を振ると、あちら側からも「バイバーイ!」と手を振って歩いて行く。
「ありがとう。瑞樹ちゃん」
「ん、別に」
瑞樹は歩き出しのに並んでほのかも歩き出した。
二人はとりとめもない学校の日常のことを話す。先生のこと、クラスメートのこと、おもしろいテレビのこと……ほのかは瑞樹といるとなんだか落ち着くな、と思った。
ほのかの少しのんびりしたペースに急かすことなく自然に合わせてくれる。
でも、自分の意思をはっきり言う瑞樹に密かにほのかは憧れていた。
「最近、ほのか元気ないよね」
ふと瑞樹が漏らす。人の感情の機微に敏い瑞樹が気づいていないわけないのだ。
「あんまり思い詰めないほうがいいよ」
ほのかに返事を求めているような感じはしない。
ただ、淡々と言い聞かせているような口調だ。
「……瑞樹ちゃんなら、友達を怒らせちゃうことなんてなさそうだよね」
ほのかはどの友達とは言わない。
けれど、瑞樹にはしっかりわかっているだろう。
くすりと瑞樹が笑った。
「そんなことないよ」
「え?でも……瑞樹ちゃんって周りへの気配りができるし面倒見もいいし、はっきりちゃんと言いたいこといえるし……私みたいに優柔不断で周りをイライラさせちゃうことないでしょ?」
「なんかそんな言い方私がすごくいい人みたいだな」
ほのかは思ったままを口に出して言っただけなので首を傾げる。
「私はそんなに出来た人間じゃないよ」
ぽつりと瑞樹がもらす。
「私からしたら何事も一生懸命なほのかがうらやましい」
「私が?」
「うん、ほのかからしてそういう風に見えるのは私が友達に一歩引いて見ちゃうからなんだよ」
「え?」
瑞樹の行動からしてそんなように見えない。
さばさばとして優しい瑞樹は男女問わず好かれている。
「私さ。中学のころ軽くいじめにあってたんだよね」
「うそ!?」
明るく笑う瑞樹から『いじめ』という単語は想像できない。
「ほんと。うーん、女子からシカトされたり物隠されたり……」
「なんで?」
思わず出てしまった言葉にほのかは慌てて口を押さえた。
「ごめんね。言いたくなかったら言わなくてもいいよ」
「ううん、大丈夫。実際今考えたら大したことなかったし」
「うん」
「きっかけはホント些細なことなんだよね。クラスのリーダー各の女の子と仲良かったんだけど、中学入ってバレー部入ってさ。その子との遊びの誘いとか練習でほとんど断るようになっちゃって、それでその子が怒っちゃったらしくてさ。『私としゃべったらダメ』って周りの子たちにも言ったみたい」
「それって、瑞樹ちゃんが悪くない」
「ふふ、ありがと。でも、そういう理屈の問題じゃないだよね。そーゆーのって」
「……」
「でも、部活の事までは口出せないから大分救われたかな。ほら、一つの目標にみんなでって感じでそういうぐちゃぐちゃした感情ないから……ってスポ魂で恥ずかしいんだけどさ。バレー好きだし」
にっこり笑う瑞樹に影はない。
「瑞樹ちゃんがバレーやってる姿かっこいいと思うよ」
体育の時間バレーをやっていた時の姿は本当にかっこよかった。
それでも本当の試合に比べて手加減していたと思うが……。
「ほのかってそういうこと素直に言えるところがいいな」
「そうかな」
逆にほのかが照れてしまう。
「うん、みんなもほのかのバカ正直なところが好きなんだと思うよ」
瑞樹がいたずらっぽく笑う。
「それってほめてる!?」
「ほめてる、ほめてる」
「うそだー!」
くすくす笑いながら瑞樹はほのかの頭を撫でる。
「正直、高校で友達とか期待してなかったけどさ。なんていうか今のグループってみんなそれぞれ自分を持って相手にそれを押し付けないでしょ?思ったことをそのままぽんぽん言いあって、なんか居心地がいいんだよね」
その言葉にほのかが止まる。
「……ごめんね」
「なにが?」
「私のせいでなんかぎくしゃくしちゃって……」
「別にいいよ。冷たい言い方かもしれないけど、それまでの関係だったってことじゃん」
吃驚してほのかは瑞樹を見る。
その顔を見て瑞樹が苦笑した。
「だから、私はこんなもんなんだよ。やさしくないしかっこよくもない。ただ一歩引いてるだけ」
「そんなことないよ!!」
突然のほのかの大声に今度は瑞樹が驚く。
「瑞樹ちゃんは優しいしかっこいいよ!まだ3カ月ちょっとしか知りあってないけど、それぐらい私にだってわかるよ!だから、みんな瑞樹ちゃんのこと好きなんだよ!……いじめた子だって多分瑞樹ちゃんのこと好きでそんなことしちゃったんだと思うよ……」
「……なんでほのかが泣きそうになるんだ」
瑞樹が困った顔をしてほのかの額をつついた。
「だって……」
「うん。でも、ありがと」
瑞樹は少し逡巡してほのかを見た。
「……何があったのかは知らないけどさ。綾もちゃんと話せばわかってくれると思うよ」
「そうかな……」
「大丈夫だって、そのままほのかの思うとおりに言えばいいんだよ」
そう言って瑞樹はにっこりほほ笑んだ。