不貞腐れる
「いっていらっしゃいませ。久司さん。」
「…。行ってまいります。」
次の日の朝。愛子さんは変わらず見送りに出てきてくれた。
チラリと愛子さんを見たが無表情だった。これはもう昨日の事には触れないように、無かった事にするように、とのことか…。
✽✽✽
その日の夜。いつもと変わらないはずの愛子さんに違和感があった。よく見ると至るところに絆創膏が貼ってあった。
「手はどうされたんですか?」
これまでの人生、体に傷をつけるようなことは無かったはずだ。
「あ、お目汚しを。お許し下さい。」
「…心配しているのです。」
俺の気持ちは伝わらない。
絆創膏を貼っているのなんか初めて見た。いったい何があったんだ。
「あ、ありがとうございます。その…今日、ハンバーグを作りましたので…」
ハンバーグ?ハンバーグってあれだよな。食べ物の、料理の…
…え?愛子さん料理したの?
「なんでまた料理を?」
「子供が好きだろうと…」
子供が好き?
あー、そうですか。そういうことですか。つまりは結仁に。羨ましい。いいなぁ結仁は。
新婚家庭にありがちな料理の失敗というやつを俺は体験出来ないどころか子供に先を越されてしまった。
「…そうですか。」
一気に自分の気持ちが重くなる。俺には作ってはくれないんだろうか。…作ってくれるわけないか。
なんか、わかりやすいヤキモチをやく。大人の男にはなれない。
あれから一ヶ月が経った。
この一ヶ月で俺達夫婦には変化したことがある。
夫婦の会話は朝と夜の挨拶だけ。
たったそれだけだった。しかし、
「今日、結仁はどうしていましたか?」
この言葉を加えてみたところ、愛子さんは返事をくれることが判明した。
結仁は愛子さんに可愛がられているんだからこの位は利用させてもらってもバチは当たるまい。
「変わりなく…」
大体返事はこの一言だけど…。
巨大なライバル(結仁)が出現した以上、俺だって負けているばかりではいられない。
落ち着いた大人の男性ではないが…
「…今度、休みが取れますので。」
「はい?」
「結仁を連れて出かけようと思います。」
愛子さんを面と向かっては誘えない。だから結仁を誘う。
そこで愛子さんについてリサーチをしたら、俺も共通の話題を持って愛子さんと少し…喋れるようになるかもしれない。
「!それは良いお考えですね!」
俺のしたたかな策略に気づかず愛子さんは声を弾ませる。
…結仁の話になると愛子さんは表情豊かになる。俺の前だと無表情なのに。
「結ちゃんには私から聞いておきますね。」
そうですか。結仁には自分から率先して声をかけますか。
たまには私にも声をかけて頂きたいものですね。
…いけない。いかにもふて腐れている。
俺は、落ち着いた、大人の、男性。
✽✽✽
想像を絶する言葉が降ってきた。
「結ちゃんに聞いてみたんですけれども、よく思えば久司さんと結ちゃんは二人きりで会った事もありませんから。いつも誰よりも長い時間を過ごしている私が引率にご同行させて頂きたいのです。構いませんか?」
滅多に家から出ない愛子さんが、引率、同行…
どうして結仁のためならそこまで出来るのですか?
これは〝お父様〟の命令だけではありませんよね?
子供産まれて妻の愛情が子供に傾き、嫉妬する父親。
今の俺はこんな感じかもしれない。元より愛子さんは俺を愛してはいないけど。
「…。構いませんよ。」
いや、まて。これは考えようによってはありがたい話なのでは?
愛子さんと出かけた事など一度もない。それが思いもよらない所から叶う機会が来た。
…ありがとう、結仁。君は立派な息子だ。
「どこか…希望はありますか?」
「え?」
このチャンスをモノにするんだ。巡り巡ってきたチャンス。
「結仁と愛子さんの行きたい場所はございますか?」
まずは家族として、良き父となれば愛子さんに受け入れてもらえるかもしれない!
「あ!結ちゃんの行きたい所…申し訳ありません。聞いておりません…」
「いえ、頼んでいた訳でもありませんから。」
俺としては密かに愛子さんの希望も聞きたかったんだけどな。
「明日、聞いておきますね…」
そしたら、次に繋げることが出来るかもしれないのに…




