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 チャペル全体に、ピアノの音がやさしく響く。それに合わせて、彼女も手に持ったマイクを通して歌声を発する。



 最新のシングル曲から始まったライブの中、ぼくは初めて目にした彼女の美しさに見惚れていた。この五年間をとおして、ほとんど彼女の声しか知らなかったのに。いざ歌う姿を前にしてみると、その繊細な動きに思わず感嘆の溜息が漏れる。



 小さなステージに立ち、ぼくたちを魅了する彼女の歌声には、きっとどんな言葉も似合わないだろう。いや、何も必要ない。ただただ、圧倒されるだけだ。彼女のいる世界に、ゆっくりと引き込まれる。



 一曲目が終わる。ぼくは、周りに座っているファンのみんなから少し遅れて、彼女へ拍手を送る。数拍程度の短い休憩を経て二曲目に移ると同時に、彼女の足元にあるキャンドルの色が、淡い青紫色に変わった。冬の季節を軸にした歌詞に合わせるかのように、キャンドルの色が明滅する。雑音がない世界で、彼女の歌声だけが響く。



 二曲目が終わった。静寂が訪れるとともに、拍手の音が再び会場内に木霊する。席に座っていた見知らぬ女の人が、彼女に絶賛の声を送った。彼女は、女の人の言葉に小さく一礼する。そのまま、三曲目が始まった。



 あっという間に四曲目、五曲目と進む。楽しげに歌う彼女の姿を見ながら曲を聴いている間は、永遠の時間が流れているように感じたけれど、終わってみるとその短い一瞬がとてもいとおしくなる。五曲目も終わり、しばし曲の余韻に浸っていると、彼女がぼくたちに向かって語りかけた。



――皆さん、今日はクリスマスライブにお越しいただき、ありがとうございます。心を込めて歌いますので、どうかよろしくお願いします。



 そう言って、彼女は深く頭を下げる。それとともに、ぼくたちは五曲目を歌い終えたばかりの彼女へ惜しみない拍手を送った。彼女の声を、歌っているとき以外で聞いたのは初めてだ。思いがけないことに、ぼくの心は静かに高揚する。



 短いインターバルを経て、再びライブが始まる。六曲目、七曲目。今までに彼女がリリースした中で、いずれも人気の高い曲がチャペルのピアノの旋律に合わせて紡がれる。そうして、八曲目が終わったところで再び彼女がぼくたちに語りかけた。静寂が、彼女の言葉をそっと受け入れる。



――次に歌う曲は、今度リリースされる新曲です。聴いてください。『エメラルド』。



 すべてのキャンドルの色が、一瞬にしてエメラルドの深い翠に染まる。



 ピアノの音が、静かなチャペルの中で響く。低音や高音が交差する。その中に、彼女の歌声がしみ込んでいく。



 曲調や声、リズム。曲を構成するそれらすべてがエメラルドのように脆く、ちょっとしたことですべてがひび割れてしまいそうな気さえした。



 だけど、そんな中でも力強く歌っている彼女の姿は、気高く、美しかった。曲の中に潜むどんな傷も受け入れ、ただ彼女は純粋に歌っていた。



 希望で満ちた歌詞が、ぼくの心に響く。それとともに、ぼくは今自分がここにいることが嬉しくなった。



 五年前、ただ漫然としていた自分の前に現れた、一筋の光。とても大切で、最後まで忘れたくないもの。



 ぼくは、彼女の歌を心で感じ取る。かすかにピアノの音が響いて、床越しに振動が伝わって来る。



 そうして、約五分にわたる彼女の歌が終わる。その瞬間、チャペル全体が拍手喝采に包まれた。



 拍手の嵐が鳴り止まない中、ぼくはその場で呆然としていた。視界が徐々にかすむ。



 気が付けば、ぼくは一人涙を流していた。温かな感触が、ぼくの頬を静かに伝っていく。



 ぼくは、彼女と出会うことができた幸運を、静かに噛みしめていた。今日のこの瞬間を、ぼくは絶対に忘れない。



 溢れる涙を拭って、ぼくはステージの上にいる彼女へ、心からの拍手を送った。




エメラルド/Fin.

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