【1章-11】 数学・科学と魔術
「見えるようにする」のが数学
「見えているものは何か」が科学
「見られていなくても」が道徳
「もし見ることが出来たら」が文学。
「どう見ているか」が哲学
「お前は見られている」が宗教
この理屈でいうと、探知魔術は【数学】になりますね。
リーザの魔術を探知した結果から自らの知識と照らし合わせる。
これはすなわち、【科学】になります。
論理を重ねて、過去の事例と照らし合わせて真実へと近づく。
探知の一族フェルナンディは、数学と科学の一族でもあるわけです。
リーザの置かれる立場を想像するのは、【文学】
監視者がいて、罰せられる危険を犯しつつも、黒髪や黒い瞳で差別するのはおかしい。
これは【哲学】の働きでしょう。
見られている超越的存在。この場合は長老やメティスの習慣。
すなわち、【宗教】と戦おうという姿勢を示したサフィリア。
すべてが前向きで、上昇志向。
この章では、サフィリアの思考は停滞することなく、実行へと進みます。
議論のためだけに論理を手に入れる。
机上の空論のためだけに知識を蓄える。
これは、諸葛亮孔明がもっとも嫌ったとされる人格。
サフィリアは、賢者知者としての道を順当に進みつつあります。
うーむ、男前すぎるぞ、このヒロインは!
一方、ラスティーは、【数学】にあたる部分がなく、想像力の欠如から【文学】も不足。
部下の名前をおぼえず、軽視する態度から【道徳】も欠けていますね。
【哲学】は、おそらく出世のこと以外には働かない。
【宗教】とはアリウス長老の判断になります。
サフィリアとは見事に対極な存在ですね。
キャラクターたちを、この視点に合わせて成長させていければ、面白い話になっていきそう。
ですが、シーグの場合、多くのものが不明のままです。
・・・って、まだ一言もしゃべっていないんじゃあ(笑)
スタートダッシュ遅れまくりの主人公。
大丈夫かな?




