52話 噂の勇者(勇者の旅行)
魔族領って変わってるな。
とうとう祖国からアース国へやってきた俺は、今までいた場所との違いに戸惑っていた。そもそも気候も違うみたいで暑い。その為一枚上着を脱いで、半袖になっていたが、太陽の日差しも若干強くて、皮膚が痛い。
『これは、何ですか?』
『ああ。これは馬の糞を落とさないようにする籠さ。馬の糞が道端に落ちてると嫌な気分になるし、馬の糞は、農家が野菜と交換してくれるんだよ』
気候の違いに戸惑っている俺だったが、フレイはすでに馴染んでいるようで、魔族語を使って御者と話している。元々フレイは進んで人と話す方ではないけれど、きっと見たこともないものが多くて興奮しているんだろう。
にしても、よく魔族語話せるよなぁ。フレイの言葉は片言に近いが、それでも意志疎通ができるレベルだ。
「何話してるんだよ」
「ほら、トールこれを見てよ。馬の糞を集める籠なんだって。それで糞を肥料にするらしいんだ。凄くないか? ブァン国だと道端に垂れ流しだろ?」
やっぱり、いつもよりフレイのテンションが高い。知識欲が人より強いフレイにとって、魔族領は気になるものばかりなのだろう。
フレイが俺にそう説明している横で、魔族の御者がさらに何かを話した。それを聞いたフレイが目を大きく見開く。
「トール、今の聞いたか?凄いよな。本当」
「聞いたもなにも、早すぎで聞き取れねーから」
御者が喋っている事は分かるが、それだけだ。
「何だよ。だから勉強しろって言ったのに。まあ、いいや。王宮に着いたら、翻訳魔法を発動させるから」
フレイが言うには、翻訳魔法を常時使うとなると魔力の消耗が激しいらしい。なので、一時的に使うのはいいが、できるだけ普通に会話できるようにしておいた方が良いそうだ。
もう少し時間があれば何とかなると思うのだけど、流石に準備時間が短すぎて、会話ができるレベルに俺はなる事が出来なかった。
「この馬の糞を集めて肥料にする事を思いついたのは、どうやらあの石鹸を作った賢者様らしいぞ」
「へぇ。器用な人なんだな」
フレイのお気に入りである、賢者様は本当にいろんなものを作っているみたいだ。とりあえず、今のところネタ的には、石鹸と、料理本、そして新しく馬糞肥料っと……。ぶっちゃけ、統一感があまりない気がする。
「あと賢者様が今、トイレ普及活動をしてるんだと。下水道工事もそれで始まったらしいし」
「トイレ?」
「排泄をするための専用の場所だな」
「何で?めんどくさくね?」
専用の場所なんて作られたら、したい時にできなくなってしまうんじゃないだろうか。まあ、たくさんそう言う場所があるなら別だろうけど。
「でもそこなら、している最中に視線を感じたりはしなくてすむと思うけど? 個室もあるし。今までにうっすら寒い思いしていただろ」
「あっ。それはいいな」
排泄中に誰かの視線を感じる時が、一番ぞっとする。
なのでできるだけ見られないような茂みへ行くのだけど、それでも不安になる事は多い。確かに……それを考えると、トイレというのはいいかもしれない。
『御者。このフカフカしたものは何だ?』
『クッションというやつでして、尻の下に引いたり、座った時に体の隙間に埋めるものですよ。賢者様が使っていたものを、うちのかみさんが見様見真似で作ってくれたんです。どうです。いい使い心地でしょう?』
先に馬車に乗り込んだオーディンは別の御者と話をしていた。というか、アイツも喋れるのか。もう少し頑張って勉強しておけばよかった。
単語単語は聞き取れるだけど、長い文になると早すぎて聞き取れない。
「何というか、ブァン国と似ているようで違うな。魔物が飛んでいても誰も驚かないなんてな」
「テュール。あれはペガサス。魔物ではない」
「うわぁ。空飛ぶ馬がいるんですね。僕、初めて見ました。あれ?でも馬のような鳥なのかな?」
でも言葉を上手くしゃべれないのは俺だけではないようで、バルドルやテュール、ウルは普通に母国語でしゃべっている。
まあウルに関しては、喋れるけど無口だから、魔族に喋りかけないだけかもしれないけど。
『賢者には、どこに行けば会えますか?』
【賢者】、【会える】。そんな単語をフレイが御者に問いかけた。たぶん賢者にどうしたら会えるかを聞いているのだろう。
フレイの憧れの人だし、できたら会わせてあげたいが、魔王城から離れた場所にいる場合は日程的にも立場的にも難しいかもしれない。
それにいくら友好的とはいえ、ここは魔族領。治安が悪い可能性は高い。あまり無茶な行動は止めておいた方が良いと思う。
『賢者様は魔王城で働いてみえるよ。たまに城下町を歩いていたりもするそうだが。元々は、ハン伯爵領出身という話だが、里帰りしたとは聞いてないな』
『本当に?!』
「どうしたんだよ。本当って、何が?」
楽しそうに話しているフレイに、俺は尋ねた。一体この御者はなんといったのだろう。
「賢者が今魔王城で働いてるんだってさ。というかさ、もう家が恋しいのかよ。ホームシックには早いだろ」
「な、何がだよ」
図星だ。
図星過ぎて、フレイへ返答した声が裏返ってしまい、俺は顔をしかめた。その通りだ。俺は初めてこんな遠くに来たのでどうしても心細くなっているし、言葉が通じないのがどうしようもなく辛いし、寂しい。そのせいでフレイの隣から離れられないし、会話が気になるのだ。まるで小さな子みたいで指摘されると、恥ずかしくなる。
「仕方ないなぁ。ちょっと待ってろよ」
そう言って、フレイは俺の頭に手をやって何やら呪文を呟やく。
そしてその手が離れたとたんに町の中の声のすべて意味が理解できるようになって目を見開く。確かに違う言語を使っているけれど、同時にその意味だけが頭に浮かぶ。
「これって」
「前に言っていた翻訳魔法。と言っても、これも万能じゃないから、ちゃんと勉強しろよ」
「魔力は大丈夫なのかよ」
「トール一人ぐらいならどうってことはないよ」
そう言ってフレイは笑う。でもフレイは笑って我慢をよくするから、本当に大丈夫とは限らない。
「止めろよ。別に魔王城に着いてからでいいから」
それに自分だけ特別扱いされるのも恥ずかしい。皆全然平然としているから余計だ。
「トールが楽しくないと俺が困るんだよ。お前が主役なんだからさ。それにバルドルは旅行慣れしているから大丈夫なだけだし、オーディンや俺、ウル先輩は言葉が分かるからまだ大丈夫なだけなんだよ。テュール先輩は年上なんだからさ、別にホームシックになっても変な事じゃないさ。からかうみたいに言っちゃってごめんな」
そう言って、フレイはくしゃくしゃと俺の髪を撫ぜた。完璧子ども扱いだ。それが悔しいけれど、でも実際言葉が分かるようになっただけで、少しほっとしたのも事実。
「別に帰るなんて言わねーよ」
言ったって、そんな我儘聞いてもらえるわけないし。
フレイがこの日をすごく楽しみにしていたのは知っているから、俺だって我慢するつもりだった。だからそう俺は強がる。
「知ってるよ。俺が楽しんでもらいたいだけだから、気にするなって。とりあえず、馬車に乗ろうか」
フレイがさりげなく話題を変え、馬車に乗り込んだので俺も続く。
乗り込んだ馬車の中は少し薄暗かった。扉が閉まるとさらに暗くなるだろう。あまり馬車なんてちゃんとしたもので運ばれたことがないので、こんなものなのかどうかが分からない。
馬なら大抵鞍の上に乗るし、場合によってはというか、うちの国王の命令だと荷物のように運ばれる事も多いのだ。こんなに大切に運ばれた事がない。
「ようやく、お前らも来たか」
「オーディンごめん。どうしても色々気になっちゃって」
オーディンの言葉にフレイはさっと謝る。まだ出発の時間じゃないのだからフレイが謝る必要はないのだけど、こういう時フレイはとても大人な対応をする。ここで文句をつけてもオーディンが煩いだけだ。
「しかし御者に話を聞いたが、この国の賢者というのは良く分からない人物だな」
「良く分からない?」
オーディンの言葉の意味が分からない。まだ賢者に対する情報は少ないので、何とも判断はできないはずなのに。
「俺様でもこんなに知識幅がある人物に会った事はないな。女だから、こういったクッションなども思いつくのだろうが……」
「えっ?賢者って女なのか?」
いや、でも、前にフレイから聞いた事があった事があるような、ないような……。俺はフレイほど賢者に興味を持っていなかったのでそこまで気にしたことがなかった。
「どちらにしろ、会ってみるのが一番だよね。楽しみだな」
「フレイが気にするなんて珍しいな」
「だろ?ブァン国に居た時からこの調子だからな」
フレイの浮かれようは正直不思議だ。まあ、知識欲の塊のようなフレイからすると、色々な事を知っていそうな賢者は興味が尽きない相手なのだろう。
「じゃあ、勇者様、そろそろ出発しますね」
御者の言葉がしっかりと理解できた俺は、笑顔で頷いた。しかしフレイがにやにやとしながら俺を見ている様な気がして、慌てて真面目ぶった顔にかえる。
まあ実際は俺の思い過ごしだったようで、浮かれきったフレイが気にした様子はなかったけど。
「お願いします」
俺の言葉を合図に、馬車の扉が閉められ、馬車は魔王城に向かって動き始めた。




