33話 賢者の告白(魔王の混乱)
「魔王様、今日は怪我をした時や病気になった時の対策を勉強しましょう」
魔王城に帰ってきてからユイは家庭教師の仕事に意欲的だ。いや、元々家庭教師の仕事をおろそかにしていたわけではないが、どうやっていいものかがつかめないようで、俺の好奇心に赴くままに教えるという方法をとっていた。
例えば、俺が人族の体の仕組みが魔族と同じなのだろうかと聞くと、ユイは一度人族を解剖でもしたことがあるのか?と聞きたくなるぐらい人族の体の仕組みを細かに教えてくれた。
人族には、肺が2つあり、その間にやや左よりで心臓がある。この心臓は血液を循環させるのだが、血液の中には赤血球というものがあり、それが肺に入った空気……たしか酸素というものを全身にめぐらせ体を維持する。
さらに血液は栄養も運ぶようで、口から入った食べ物は、食通を通り、胃、小腸、大腸の順に流れる。胃は食べ物を消化させ、腸では消化させつつ体内に吸収する。大腸で水分を吸収。これら吸収された栄養を全身に血液で巡らせる。その他の器官もユイは色々役目があると言っていた。
ユイは魔族の体は分からないのでとは言っていたが、俺だってここまで魔族の体の事が分かっているとは思えない。しかし俺の予想では魔族と人族は違っても、意外に近しいのではないかと思っている。これほどまでに体内の臓器の役目が色々分かっていたら、医学が発展したというのも理解できる。
とにかく、俺は好奇心の赴くままに、ユイから色々話を聞いていた。
しかしユイは魔王城に帰ってきてからというもの、自分から伝える知識を選ぶようになった。
「ユイは医者ではなかったのではないか?」
「医者ではありませんが、私の国での家庭レベルの話はお話できるかと思います。そこに、この国の知識とは違う部分があれば利用して下さい」
もちろん利用はする。俺は学者じゃないのだから、ただ知識を集めて満足するわけにはいかない。利用するために知るのだ。
でもそれをユイから言われると、まるでユイを利用しろと本人に言われている様な気分になる。利用しようとしている本人が何を言うという感じかもしれないが。
「……何故今日は、怪我をした時や病気になった時の勉強をするのだ?」
「魔王様が生き残れるように」
「は?」
生き残れる?
「何から?」
「有事の際です。戦争が起きない事が最善ですが、魔王様が死んだらそこですべてが終わってしまいますので。だから必ず生き残って下さい」
ユイはすこぶる真面目な様子だ。でも俺との温度差が激しい。……戦争か。
ユイが戦争を恐れているのは前から知っている。しかし今の世は、まったく戦争のせの字もない。それなのに、どうしてこれほどまでにユイは怯えているのだろう。それにどこか焦っている感じもする。
「伯爵家で何かあったのか?」
「……なにがですか?」
ユイはなんてことないような顔で答えたが、一瞬俺の言葉に固まった。その言葉に詰まった一瞬にユイの本心が隠れている様な気がして、俺は質問を続けた。
「ハン伯爵の所から戻ってきてから、何か焦っているように見える」
以前なら、好き勝手に学ばせてくれたのが、ユイが指定したものに変わった理由は、順序立てて覚えた方が良いからではない気がする。
時間がないから、知識の取捨選別を行っているという作業に思えてならない。
「焦ってはいませんが……そうですね。私が魔王様にお教えできる時間は限られていますので、少し焦ってしまったのかもしれません。魔王様が望む授業ができていないとしたら、すみません」
「いや、別に、怪我や病気の時の対応も知りたいことなので、質問として聞いてみただけだ。ただ時間がないといっても、俺が成人するまで10年ほどあると思うが」
10年は長いようで短い。魔族の平均寿命を考えれば、ほんの一瞬だろう。それでも、今焦らなければならないほど短い時間ではない。
「魔王様が成人されるまで、私がお教えできるとは限りませんので」
「……どう言う意味だ?」
まさか、伯爵に後継者となる約束をしたのだろうか。
不穏なユイの言葉に、俺は血の気を引きかけながら尋ねた。もしも、もしも仮に口約束をしてしまった場合、そこから覆すにはどうしたらいいだろう。
ユイは先日、「辛い時は言って下さい。必ずお助けしますから」と言ってくれた。今、もしもユイと離れるのが辛いと言ったら止めてくれるだろうか。それとも、伯爵の後継者となって、支えていきますと言うのだろうか。
どうしよう。
ただがむしゃらに手を伸ばしたところで、ユイが掴んでくれる気がしない。
「私の授業は、本来魔王様が必要としている科目ではありませんので……」
「そんなことないぞ。ユイの知識で、魔王領は潤い始めている」
それはただのいいわけだろう。たぶん本心は違う。
俺はユイの目をじっと見上げる。すると少しだけユイの瞳が揺れた。それを見て、まだ割り込む隙はあると俺は判断した。俺の純粋な言葉にユイが揺れている。
だったら、こっちも今持てるだけの武器を使うだけだ。
「それに俺は、ユイの授業が好きだ」
子供の様に素直な気持ちになり、ユイへ向かって子供っぽい笑顔を振りまいた。ルーン情報から推測すると、ユイは子供など可愛いモノが好きらしい。
そして、真正面からの好意に弱い。
案の定、ユイの目が動揺するかのように揺れ動いている。これはかなり効いていそうだ。
「そ、それは、光栄です」
「だからずっとユイには俺の傍にいて色々と教えてもらいたいんだ。……駄目か?」
少しだけ目を潤めて、ユイを見上げた。
その瞬間ユイが明らかな動揺をみせ、小さくどうしよう可愛すぎると口を動かしたのが見えた。どうやら子供っぽい俺は、ユイの好みに当てはまっているらしい。
「ユイ?」
「もちろん!できる限りは、お教えさせていただきます!!」
よし落ちた。
ユイがきっぱりと返事をしたのを聞いて、俺はほっと息を吐く。とりあえず、これで今すぐ伯爵を継ぐという事はないだろう。ユイは責任感が強い女だ。できる限りという言葉が気に入らないが、それでも約束したなら、簡単には破りはしない。
ただユイは、本当に伯爵になろうと思ったから焦っていたのだろうか。ここで話を掘り返して、やっぱり家庭教師を続けられないと言われても困るが、他に理由があった場合、聞いておかなかったことによって対策が立てられないという欠点もある。
さて、どちらがいいのか。
「でも……」
「でも?」
どうやってユイから話を聞き出すかと考えていると、その間にユイが再び思いつめたような顔になっていた。どうやら、俺を存分に愛でる事に一瞬欲望が傾いたが、はっと正気に戻ったらしい。ちっ。
「私には使命が……」
「使命とはなんだ?」
伯爵になる事か?
黙り込んだユイを、俺は固唾を飲んで見守る。どうかその答えが、まだ変えられるものだと願って。
「えっと、あの。……言っても怒らないと約束してくれますか?」
散々迷った様子だったが、ユイは意を決したように俺を見た。
だけど怒らないでとは何だろう。何かユイは俺を怒らせるだろうと思うような事を使命としているのだろうか?
ふと、そういえば元々ユイには間者説があったとこを思い出す。まさか、この場で告白する気か?……しかしいくら危機感が薄いユイでも、そんな愚かしい真似をするだろうか。もしもそうだとしたら、今更良心の呵責にかられたとでも?
それに俺はどうしても、ユイが間者だとは思い難い。
「約束する」
ユイがいう俺を怒らせるような言葉など、聞きたくない。でも聞くしかない。
俺は深く息を吐く。ユイをそばに置きたいなら、きっと避けられない内容だと感じたから。
「あのですね。色々な文献を読んだからたどり着いたというか、私の国に伝わっていた話なのですが……。もしも戦争があったとしたら、間違いなく勇者が魔王様を倒しに来ると思うんです」
「……は?」
俺は何を告白するのだろうと構えていたのだが、想像していたどれとも違う言葉に、目を瞬かせた。ん?勇者が魔王を倒しに来る?
「魔王と勇者は戦う運命なんです。でも、もしもそんな事が起これば、魔王様は殺される可能性が高いですし、この世界そのものが滅びるかもしれないんです」
ユイはとても真剣だ。
とても真剣過ぎて、俺には何の声もかけられない。というか俺は何故負ける予定なのだろう。ユイにとって、俺はそれほど弱く見えるのだろうか?
「だからそうならないためにも、勇者と魔王様が愛し合えば大丈夫なんです」
「……悪い、ユイ。ちょっと意味が分からない」
何だろう。奇妙な理論に基づく極論を語られている気がする。ユイの言葉には必ず意味があるはずなんだが、今はその意味すら理解できない気がするのは俺だけだろうか?
「すみません。上手く説明できなくて。ただ私は勇者に魔王様の良さを吹き込んで、魔王様を愛するようにしなければいけないんです」
「……それが、ユイの使命か?」
「はい。すみません。魔王様の意志を無視するような内容で。でも、絶対見た目は魔王様の好みだと思うんです。なんといっても勇者ですから」
どうしよう。やっぱりユイの言葉の意味が分からない。
どうして勇者だと、俺の好みの外見なのだろう。それとも、ユイの国ではそういうものだと文献に書いてあるのだろうか。
というか……。
「勇者が男という可能性もあるのではないだろうか?」
俺が知るかぎり、勇者は女がなるものとは決まっていない。つまり、仮に勇者が俺を倒しに来たとしても、男である可能性もあるのだ。
「もちろん男ですよ?」
「えっ?」
「でも、大丈夫。絶対見た目は気に入ります。性格も勇者なので、まっすぐですし」
いや。まっすぐって。
まっすぐだから大丈夫とか、そういう問題ではない気がする。そもそも女ではなく男だという所を問題に上げるべきではないだろうか。
「そして私は戦争が起こる前に、魔王様を倒しに来るだろう勇者を見つけ出して、魔王様を好きになるように誑かす必要があるのです。というか、できるだけ早く人族領のブァン国へ行き、そのプランを実行させる必要があるんです。だから、本当にごめんなさい」
まさか。
まさか、そんな理由なのか?
ユイが極端に戦争におびえるのは知っている。回避したいと思っているのも、聞いていた。しかし、ユイの計画は俺の予想をはるかに上回りすぎている。
一体ユイの国の文献というのは、どうなっているのだろう。
「……ユイが俺が成人するまで家庭教師ができないという理由は、それなのか?」
「はい。本当にすみません。魔王様の家庭教師をする事になり、人となりは理解できたので、今の私ならきっと勇者を魔王萌えにする事ができると思うんです」
お願いだから、思わないでくれ。
ユイとは常識が違うと思ったが、想像以上の隔たりを感じて、俺は頭を抱えた。
ユイを手放したくないというか……ユイの思うがままに行かせてはいけない気がする。例え、ユイが言っている事が正しかったとしてもだ。
「少し……少し考えさせてくれないか?」
ユイをこれ以上暴走させないために。
俺はユイが納得できて、かつここに残る選択ができないかを模索する事にした。




